この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 人間力

求められることは出来ることです。



人は 求められないことは出来ません。


やらない といった方がいいでしょう。



先記事の『指摘』とは、『求められること』はなのですね♪


だから
求められることは出来る予備軍なのですよ〜


いつの日か 将来的には、出来るようになるということです。


また、魂的には それを望んでいて それを目標に生きている ということでもあります。



自信を持ってくださいね♪

問題視しないって はっきり言って 愛ある行動とは言えないです。


ちゃんと、見ないから。


人として生まれたなら ちゃんと見て行動しましょうよ。



いくら 安心感を得て不安感がなくなったとしても見ることは大切なことです。


見た上で 何をすべきかを考えるのです。



見た上で 優しく微笑むのです。


見た上で 安心感を送るのです。



問題視するって 負の感情を抱くことではないのです。


問題視しないと 感謝もわかない。


問題視しないと 愛もわかない。




気にならない、気にしないのは 愛のない行動の証拠です。





弱い意思と強い意思の違いって何だと思いますか?


それは、意思の自由さです。



強い意思を持つことしか選択肢がなかったら、強い意思しか持たないです。

だけど 強い意思と弱い意思 どちらでもいいよ♪自由だよ♪と言われているから、意思が弱いのです。


わたしは いつも、愛しか選択しません。


選択肢がないから、自由意思ではないのです。



わたしには自由意思は必要ないからです。



意思の弱い人は自由意思の中で生きています。


どんな選択でも自由だよ と言われて、自由に過ごしています。



自由だから選択肢がたくさんあって迷うのです。

選択肢がなくて迷わなかったら、それしかないのです。



意思を強く持とうと思ったら選択しないことです。


できる♪できない♪なら、できる♪しかないのです。



自分でやる!と決めたことは 石にかじりついてでもやることです。



選択肢のある生活をしているから、成長ができないのだと思います。



これしかない!と決めたら、やるしかないのです。



結局 自由でだらけきった生活をしている人は、意思は弱いのだと思います。

それなりに 自分を律して生きてきた人は 少し、自由を経験したとしても戻ることができるのだと思います。



自由でだらけた生活をしていては いつまでたっても成長はできないですし、自己受容できないと思います。


癒しは、 今まで真面目過ぎて生きてきた人には必要だと思いますが 元々、だらけた生活をしている人には必要はないと思います。


結局 今の時代は だらけた生活をしている人がその自由さを人に見せて、真面目な人をそそのかしているだけだと思います。

だらけることがいかに癒されるかを伝えてそそのかしているだけだと思うのです。


それに騙された人が癒しを求めて、不真面目になっていく。。。


それに気づいて欲しいですね。



真面目な方の中には癒しを嫌う方もお見掛けします。


それは そんなことがわかっているからなのかもしれませんね。


結局、どうして悩むかといったら、実践がないからです。 

場数を踏まないから。



自分のことを賢いと思っているから、自分の頭で考えたことを信用して答えを導かせようとする。 

自分はバカだと思っていれば、実践したり試したり教えを乞うなりして、自分の頭を信用して答えを導かないものなのです。 


だから、知恵がわかない。 



場数を踏んで、体感でわかるから、知恵がわく。 


頭で考えるのではなくて、実践して、体感して、知恵を得る。 



怖いのは、場数を踏んでいないから。 


試すことを怖れない。怯まず、前を向いて進むだけ。 


怯むな!進め! 



バカは怯まない。 

ちょっと、賢くなると、頭を使いたがる。 

頭を使うから知恵がわかない。 


だから、バカでいればいい。 


自分を賢いと思う人ほど知恵がないものだ。




わたしたちは いろんな次元に身を置いて生きているのです。



例えば、愛する人とラブラブしている次元。
友達と遊んでいる次元。 仕事をしている次元。


様々な次元にわたしたちは身を置いています。


それは職種で異なるし、性格でも異なります。



でも 共通するのが、親と過ごす次元です。


わたしたちは親から生まれてきているので、必ず親が居ます。


生まれてすぐに身を置く次元です。


まずは、その次元からスタートです。


成長するにつれ、学校を楽しむ次元や友達と過ごす次元に分かれてきますが、やはり 一番、大切なのは親と過ごす次元、家族と仲良く過ごす次元です。


わたしたちはそれぞれの次元に意識を置いて生きるのですが、

仕事の次元に居るときに、家族の次元に意識を置いたりもします。


そうすると、仕事がおろそかになります。



だから
今、居る次元に意識を集中させることで そこの次元を取り組むことができます。



しかし 今の世の中、家族と仲良く過ごす次元に身を置いている人が少ないように感じます。


それよりも 自分ひとりだけで居る次元に身を置く人が多いように感じます。



わたしたちはパートナーと出逢い、結婚したら夫婦となり、夫婦次元に身を置くことになり
子供が生まれたら、子供を育てるという次元に身を置くことになります。

それなのに、その次元に意識を置かないのは、子育ての放棄になります。


子育てをしずに、友達と過ごす次元を選択する場合も同じく、子育ての放棄です。



子供を生んだら、子育て次元に身を置くことは当たり前の話です。


だけど、その次元に意識を置かずに、仕事次元や遊び次元には意識は置ける。。。



どの次元にも意識がおけないなら病気ですが
遊びはできるが家族と仲良く過ごす次元には意識を置けない人は、いつまでたっても成長はできないです。


仕事をどれだけ頑張っても 家族と仲良く過ごす次元に意識が置けない人も同じです。




わたしたちは、こんなパラレルな世界で生きているのです。




先日も書きましたが


これからの地球を造っていくのは、子供世代です。


だから、その子供の親は、確実に 子育て次元に身を置くことが必須なのです。


しかし、現実はどうでしょうか?



今は、結婚していても子供がいない人もいます。

また、独身でいる方も非常に多いです。


独身で気楽に過ごしている人は、その次元に身を置いているのです。


それを横目で羨ましそうに観ている人がいる。


独身ならまだしも、子供がいるにも関わらず、羨ましいと その次元に身を置こうとする。


子供がいるにも関わらず、夜な夜な遊び回ろうとする。


独身の友達が楽しそうだからと、子供を置いて、遊び回る主婦がいる。




だれもが 親がいて家族がいるのです。


だれもが親と仲良くして家族と仲良くする次元に身を置けばよいのだけど、それをしていない。



家族と過ごすよりも楽しいことをわざわざ探して回る主婦がいる。


家族と過ごすよりも自分が役に立てることを探して回る主婦がいる。


独身に憧れる主婦が増えているということです。

子供を育てて〇〇ちゃんのママ♪と呼ばれるよりも 自分の名前で呼ばれたい。


人に認められたい。


外で働きたい。



家族を置いて働く。。。何故ですか?


もう、独身じゃないのです。
既婚者なのです。
〇〇ちゃんのママだし、〇☆さんの奥さんなのです。


結婚するということはそういうことです。


家族を持つということはこういうことです。




結局、結婚して子供ができても
独身に憧れ、外でバリバリ働きたい願望がそうさせるのでしょう。


自分の欲求を満たしたいから、家族と仲良くする次元に身を置けないのです。



独身で仕事をしている人の次元と主婦次元は、はっきり言って違います。


どちらが良い悪いの問題ではなく、次元が違うのです。



いくら独身でバリバリ仕事をしていても
親と仲良くしていない人もみられます。



この地球に生きている限りは、親と仲良く過ごす次元に 意識を置くことは必須です。



また、この地球に生まれてきた使命は 誰もが、親と仲良く過ごす ということです。


家族が出来たら、家族と仲良く過ごす というのが使命です。


それをわからずに、違う使命を探したがる。


結婚して、子供がいないなら 夫婦仲良く過ごすというのが使命なのです。




今、アセンションの影響で 地球の波動は上がってきています。


それに伴って、わたしたちの波動も上がってきています。


しかし
いくら、波動が上がってきていると言っても
家族と仲良く過ごす次元は 自分自身が向き合わないと上がりません。


高低差が開くだけです。


波動が上がってきているから、チャネリング?ができるようになるかもしれません。



だけど、家族と仲良く過ごす次元に意識を置かないと 高低差はドンドンと開いていくでしょう。



そうすると、余計に意識が置けなくなります。




わたしたちは多次元に生きています。


好きな次元に身を置くことはできますが
いつまで経っても、家族と仲良く過ごす次元をおろそかにしていては、学びは終わりません。



誰もが その次元と向かい合うことを決めて生まれてきています。



わたしたちの使命は、次の世代の子供を育てることです。



独身の方でも同じです。


わたしには言葉にならない大きな想いがあって、日々、それに動かされています。 


それがたぶんたましいというものなのだろう。 


一昨日までは苦しかった〜 


想いが重すぎて、体が身動きとれなくて悲鳴をあげていました。 



同じように転生してきてめざめていない同志に対する想いがあったようです。 


これからは、電気も石油もお金にも依存し続ける生活は、終わりを告げようとしている事実を知って 自分がこれからどんな選択をして生きるのかを考えていただきたいからだと思います。


わたしが降ろす言葉は、ままのままさんの言葉です。


この地球がどうなるのか、というよりも、人間がどうやって生きていくのかを考えもらいたいからだと思います。


わたしだけが取り組むことではないのです。 


他人事ではないんだよと言いたいのです。 


これからの世の中、生きていくため、生き延びていくためには、支配されない人でいることです。 


そのためには、何をどう選択をして生きていきますかということです。 


急に、今の世界が始まったのではないですし考える時はあったのです。 



この地球で生きていきたくない魂は、命を落としていくでしょう。 


自由意思ですから。


支配されずに、生きていきたいのなら、最低限、地球への感謝の心や尊敬し合う心が必要でしょう。 


また、人それぞれ個性がありますね。 


その個性に生きていくための方向性のヒントがあります。 


自分らしさを呼び起こすことで生き延びていけるのです。 


個性を大切にと言われるのは、そういう意味なのです。 



わたしは、ままのままで、『ま』という文字は丸いとかまあるくおさめるという意味がありますが、わたし自身は全然、丸い性格ではありません。 


まとめあげる力は持ち合わせていますが、デコボコギザギザしています。 


何が言いたいかと言うと、自分自身はデコボコギザギザツンツンしていていいのですがまとめあげる力さえ持っていれば良いということです。 



自分の意見を持っていて、なおかつ、人の意見を聞き、流されることなく、まとめあげる力です。



それが統制力というものです。 


そして それが、「支配されない人」となる力の基です。 



難しく考えることはなくて、発達にしょうがいがあると言われる方々が人の意見を聞く力さえつけば、そうそう自分勝手な行動はされないですが、自由さも持ち合わしていますよね? 



要は、自分の個性、特性からくる直感と人の意見を聞く力、そして、それを統合させる力(ゆとりでもある)さえあれば、わたしたちは支配されずに生き延びていけるのです。 




長いものには巻かれろという言葉がありますが、わたしは巻かれて利用します。 



依存、支配の世界から利用の世界に舵を切るのです。 




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自らの心の中にジャッジする心がある者は、自分を誇示したがり、優劣をつけたがる。 


これからの世は ますます、そのような者が増えるだろう。 



しかし、そのようなことには注目せずに 寛容な心を持つことが これからの時代には必要なことでしょう。 


自らを高めることは自身にとって良いことであるが 優劣をつけることは、自らを落とすことになるので戒めることです。 


また、そのような者には、自分を見せないことです。 


見せたら、攻撃の対象になるかもしれません。 


だから、控えるのです。 


それが 真の賢さです。 


真の賢さは見せつけるものではなく、にじみ出るものなのです。



にじみ出る、、、、とは、口に出さなくても解らせる力でもあります。

その力があるから許せるのです。 

許されたものは、その力をまざまざと見せつけられているのかもしれません。 
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この世の中は、持ってるところから搾り取るより他ないから考えて使いましょう。 


考えられる余裕があることは幸せです。 



ソコを考えさせないように、余裕なく、仕事をさせられている人が多くて、そういう人の意識が主に大衆意識、集合意識と言われます。 



ソコを考える余裕を持つ時間を作ることは大切なことなのです。 




先日も、とある場所で誘導瞑想をさせていただきましたが、終わってから、「こんな時間を取ることが必要ですね〜」と言われて、驚きでした。 


わたしは 始終、瞑想の世界に生きてるので。 


言われないとわからないことがあります。 



ほんの少しの時間でも良いので、何も考えない時間をつくることで、頭のお喋りをやめることができます。 


生活の心配のある方にとっては、そんなことよりも、、、、と思われるかもしれませんが、頭のお喋りを止めることで、世界が変わっていきます。 


本当です。 


生活の心配することをやめて自分の魂の声に傾けてみてください。 


魂の喜ぶ選択をしてみてください。 





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 


そもそも、地に足をつけて生きることは、生活の心配することではないのです。 

生活の心配をしないような意識を保ちながら現実を生きることを言うのです。 


思い患う必要はありません。 


生活の心配をしないために癒しは必要です。そして、前を向いて生きる力も必要です。 



癒されても力がないと、流されるだけです。 



力をつけてくださいね。 






人には、自分の内にある感情と向き合ってきた時に、最後の最後まではがれない想いやこだわりがあるものです。 


それが自分の特性であり本質というものです。 


わたしたちはソレに動かされていると言っても過言ではありません。 


ソレは、「世界平和を願うもの」だったり「人と仲良くするための心」を作り出す元であるものです。 


大元です。 


その自分特有の想い(特性)があるから、わたしたちは生かされているのです。 


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


わたしがいくらここで力説しても、心に響かない人はいらっしゃいます。 


それは、わたしとは考え方が違う人というよりも心がマヒしてるから響かないのです。 


重要かどうかがわからない。 

判断能力がない。




自分に判断能力がないと自覚している人は良いのです。 わたしが教えるから。


だけど 自覚していない人は教えようがない。 





天才とキチガイは紙一重と言いますが、最近、よく見かけます。 


判断能力がまるでないのに自己流を気取る人。 

そういう人がスピリチュアルに関心を向けると、「我は神だ!」と言い出します。 


判断能力なく動くから手をつけられなくて、手から離れていく。 




太なり小なり、多いなあと感じます。 




やはり、自覚することって大切です。 


自覚しないと疑問が持てないです。 


それが問題あることなら、問題だと認識することで意識を向けてそこに力を注ぐことで問題をクリアにしていくことができますが、問題があっても重要視できないとそのままで成長できませんね。 

そこに判断能力がなければ何も進まない。 



今、もっとも重要なのは、判断能力だと感じています。 




仕事をする上で、気分次第で人を使うのは、上司としてはあり得ないとわたしは思うのです。 


下に居る者の立場を考えないのは、部下を振り回すことで仕事に悪影響を及ぼし兼ねないです。 


そして、顧客がらみの仕事なら特に、顧客からの信頼を失うことに繋がります。 


そんな上司の下につくと部下は上司の機嫌を取ることが仕事になってしまい、本来の仕事ができなくなりますね。 


本来の仕事するために仕事があるはずなのに本末転倒です。 



そんな上司がいる会社は、業績が伸びないです。 


また、部下がきちんと仕事をしたとしても 上司が感情的になり、反論できないでいると 結局、仕事はうまく進みません。 


管理する側が感情的になるのは、企業としてはOUTです。 



管理する側や上司が気付かないと会社は潰れます。 下が育たないから。  



わたしが話を聞くと、部下の立場の方の方がしっかりしてることが多いです。 


しかし 上司が気づかないため身限ってしまうようです。 

身限ってしまうと人は尊敬はしませんから、辞めるかバカにして取り合わないかどちらかです。 



そんな時は下の者が意見を述べるべきだとわたしは思います。 


人を身限ってしまうのも感情です。 


結局は、感情を押し付けてきたから感情で返しているだけで、真摯に仕事をするというということからは外れた行為だと思います。 



いくら自分が正しいことをしているとしても自分の方が賢いとか相手をバカにしたら、相手同様自分をバカにしたことと同じなのです。 



言うのがめんどくさいから。 


結局、人はそう言うんです。 


諦めるのです。 

正しいと思ってやっているなら貫けばいい。 

いくら、上司が感情的になったとしても、自分が正しいことをしているなら、感情的にならずに貫けばいい。 


めんどくさいって逃げてることです


自分が正しいと思って仕事をしてるなら、逃げないで欲しい。



下にいる者が正しい仕事を貫くことで、上にいる者が心を入れ替えることができるのだと思うからです。 




わたしは、物事を教える立場にいますが、相手が確実に上がっていけるのは、わたしのしつこさだと思ってます。 

 
相手が確実にわかるまで、相手が確実に変わるまで、手を抜かない。 

あきらめない。 


仕事ってそういうものだと思うんだ。




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