この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 人間力


わたしには言葉にならない大きな想いがあって、日々、それに動かされています。 


それがたぶんたましいというものなのだろう。 


一昨日までは苦しかった〜 


想いが重すぎて、体が身動きとれなくて悲鳴をあげていました。 



同じように転生してきてめざめていない同志に対する想いがあったようです。 


これからは、電気も石油もお金にも依存し続ける生活は、終わりを告げようとしている事実を知って 自分がこれからどんな選択をして生きるのかを考えていただきたいからだと思います。


わたしが降ろす言葉は、ままのままさんの言葉です。


この地球がどうなるのか、というよりも、人間がどうやって生きていくのかを考えもらいたいからだと思います。


わたしだけが取り組むことではないのです。 


他人事ではないんだよと言いたいのです。 


これからの世の中、生きていくため、生き延びていくためには、支配されない人でいることです。 


そのためには、何をどう選択をして生きていきますかということです。 


急に、今の世界が始まったのではないですし考える時はあったのです。 



この地球で生きていきたくない魂は、命を落としていくでしょう。 


自由意思ですから。


支配されずに、生きていきたいのなら、最低限、地球への感謝の心や尊敬し合う心が必要でしょう。 


また、人それぞれ個性がありますね。 


その個性に生きていくための方向性のヒントがあります。 


自分らしさを呼び起こすことで生き延びていけるのです。 


個性を大切にと言われるのは、そういう意味なのです。 



わたしは、ままのままで、『ま』という文字は丸いとかまあるくおさめるという意味がありますが、わたし自身は全然、丸い性格ではありません。 


まとめあげる力は持ち合わせていますが、デコボコギザギザしています。 


何が言いたいかと言うと、自分自身はデコボコギザギザツンツンしていていいのですがまとめあげる力さえ持っていれば良いということです。 



自分の意見を持っていて、なおかつ、人の意見を聞き、流されることなく、まとめあげる力です。



それが統制力というものです。 


そして それが、「支配されない人」となる力の基です。 



難しく考えることはなくて、発達にしょうがいがあると言われる方々が人の意見を聞く力さえつけば、そうそう自分勝手な行動はされないですが、自由さも持ち合わしていますよね? 



要は、自分の個性、特性からくる直感と人の意見を聞く力、そして、それを統合させる力(ゆとりでもある)さえあれば、わたしたちは支配されずに生き延びていけるのです。 




長いものには巻かれろという言葉がありますが、わたしは巻かれて利用します。 



依存、支配の世界から利用の世界に舵を切るのです。 




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自らの心の中にジャッジする心がある者は、自分を誇示したがり、優劣をつけたがる。 


これからの世は ますます、そのような者が増えるだろう。 



しかし、そのようなことには注目せずに 寛容な心を持つことが これからの時代には必要なことでしょう。 


自らを高めることは自身にとって良いことであるが 優劣をつけることは、自らを落とすことになるので戒めることです。 


また、そのような者には、自分を見せないことです。 


見せたら、攻撃の対象になるかもしれません。 


だから、控えるのです。 


それが 真の賢さです。 


真の賢さは見せつけるものではなく、にじみ出るものなのです。



にじみ出る、、、、とは、口に出さなくても解らせる力でもあります。

その力があるから許せるのです。 

許されたものは、その力をまざまざと見せつけられているのかもしれません。 
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この世の中は、持ってるところから搾り取るより他ないから考えて使いましょう。 


考えられる余裕があることは幸せです。 



ソコを考えさせないように、余裕なく、仕事をさせられている人が多くて、そういう人の意識が主に大衆意識、集合意識と言われます。 



ソコを考える余裕を持つ時間を作ることは大切なことなのです。 




先日も、とある場所で誘導瞑想をさせていただきましたが、終わってから、「こんな時間を取ることが必要ですね〜」と言われて、驚きでした。 


わたしは 始終、瞑想の世界に生きてるので。 


言われないとわからないことがあります。 



ほんの少しの時間でも良いので、何も考えない時間をつくることで、頭のお喋りをやめることができます。 


生活の心配のある方にとっては、そんなことよりも、、、、と思われるかもしれませんが、頭のお喋りを止めることで、世界が変わっていきます。 


本当です。 


生活の心配することをやめて自分の魂の声に傾けてみてください。 


魂の喜ぶ選択をしてみてください。 





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 


そもそも、地に足をつけて生きることは、生活の心配することではないのです。 

生活の心配をしないような意識を保ちながら現実を生きることを言うのです。 


思い患う必要はありません。 


生活の心配をしないために癒しは必要です。そして、前を向いて生きる力も必要です。 



癒されても力がないと、流されるだけです。 



力をつけてくださいね。 






人には、自分の内にある感情と向き合ってきた時に、最後の最後まではがれない想いやこだわりがあるものです。 


それが自分の特性であり本質というものです。 


わたしたちはソレに動かされていると言っても過言ではありません。 


ソレは、「世界平和を願うもの」だったり「人と仲良くするための心」を作り出す元であるものです。 


大元です。 


その自分特有の想い(特性)があるから、わたしたちは生かされているのです。 


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


わたしがいくらここで力説しても、心に響かない人はいらっしゃいます。 


それは、わたしとは考え方が違う人というよりも心がマヒしてるから響かないのです。 


重要かどうかがわからない。 

判断能力がない。




自分に判断能力がないと自覚している人は良いのです。 わたしが教えるから。


だけど 自覚していない人は教えようがない。 





天才とキチガイは紙一重と言いますが、最近、よく見かけます。 


判断能力がまるでないのに自己流を気取る人。 

そういう人がスピリチュアルに関心を向けると、「我は神だ!」と言い出します。 


判断能力なく動くから手をつけられなくて、手から離れていく。 




太なり小なり、多いなあと感じます。 




やはり、自覚することって大切です。 


自覚しないと疑問が持てないです。 


それが問題あることなら、問題だと認識することで意識を向けてそこに力を注ぐことで問題をクリアにしていくことができますが、問題があっても重要視できないとそのままで成長できませんね。 

そこに判断能力がなければ何も進まない。 



今、もっとも重要なのは、判断能力だと感じています。 



自分に最善を尽くすこと

自分が何をしているのかわかっていると その自覚が生まれます。 


一方、 何をしているかわからないと 自覚は生まれません。 


何をしているか自覚をするということは グラウディングができているということです。 


何かを気をつけてやる、意識をしてやることは グラウディング力を高めますし 気がない、やる気がないのは グラウディング力が弱い状態です。 



どんなことでも 意識して、自覚してすることに努めると、グラウディング力はついてきます。



逆に グラウディング力がついてくると 意識して、自覚して 物事を対処できるようになるということです。 


そして グラウディング力ができて どんなことでも自覚してできるようになると 次には 意識が変わります。 


どうして 自分はこうなのか!これを選択しているのか!がわかってきます。 


すると そこに 責任感が生まれます。 


責任感が生まれると 視野が拡がり、物事を 四方八方、前後、左右 多次元的にみえるようになってきて その背景が考えられるようになってきます。 

この状態が センタリングができている状態と言います。 


どんな方面からでも 自分に適したことを考えられるようになってきます。



ここまでなると、人間関係がよくなってきます。 



だから 自覚して生きることが大切ですし 
今、やっていることを意識してやることが大切なのです。 

ただ わからないけど やらされているよりも 
わかってやったほうが 自分のためにもいいですね。


また、責任感ができてくるということは センタリングができているというサインでもあります。 




今の社会は 

責任感がわかないうちから、責任を押し付けていきますね。

そのため 重圧に負けてしまうのです。 


責任感がついて センタリングができてくると 柔軟性もでてきますから いろんな対処ができるようになります。 



責任感がついてくると 

いつも一生懸命でなくても 力を抜くとこもわかってくるものです。 

むやみやたら 突っ走ることはしなくなります。


そうやって バランスが取れる人間になってくるのです。 



人に意見されたぐらいで 自分を曲げません。 

それをすると バランスが崩れるのがわかっているからです。 

自分を第一に考えて、最善を尽くすことができるようになります。



自分のことがよくわかってくるようになります。



まずは 自分です。 

自分が傷ついたら、責任が果たせません。
それは、一種の防衛反応と言えるでしょう。 


まずは、自分に最善を尽くす人になることです。



仕事をする上で、気分次第で人を使うのは、上司としてはあり得ないとわたしは思うのです。 


下に居る者の立場を考えないのは、部下を振り回すことで仕事に悪影響を及ぼし兼ねないです。 


そして、顧客がらみの仕事なら特に、顧客からの信頼を失うことに繋がります。 


そんな上司の下につくと部下は上司の機嫌を取ることが仕事になってしまい、本来の仕事ができなくなりますね。 


本来の仕事するために仕事があるはずなのに本末転倒です。 



そんな上司がいる会社は、業績が伸びないです。 


また、部下がきちんと仕事をしたとしても 上司が感情的になり、反論できないでいると 結局、仕事はうまく進みません。 


管理する側が感情的になるのは、企業としてはOUTです。 



管理する側や上司が気付かないと会社は潰れます。 下が育たないから。  



わたしが話を聞くと、部下の立場の方の方がしっかりしてることが多いです。 


しかし 上司が気づかないため身限ってしまうようです。 

身限ってしまうと人は尊敬はしませんから、辞めるかバカにして取り合わないかどちらかです。 



そんな時は下の者が意見を述べるべきだとわたしは思います。 


人を身限ってしまうのも感情です。 


結局は、感情を押し付けてきたから感情で返しているだけで、真摯に仕事をするというということからは外れた行為だと思います。 



いくら自分が正しいことをしているとしても自分の方が賢いとか相手をバカにしたら、相手同様自分をバカにしたことと同じなのです。 



言うのがめんどくさいから。 


結局、人はそう言うんです。 


諦めるのです。 

正しいと思ってやっているなら貫けばいい。 

いくら、上司が感情的になったとしても、自分が正しいことをしているなら、感情的にならずに貫けばいい。 


めんどくさいって逃げてることです


自分が正しいと思って仕事をしてるなら、逃げないで欲しい。



下にいる者が正しい仕事を貫くことで、上にいる者が心を入れ替えることができるのだと思うからです。 




わたしは、物事を教える立場にいますが、相手が確実に上がっていけるのは、わたしのしつこさだと思ってます。 

 
相手が確実にわかるまで、相手が確実に変わるまで、手を抜かない。 

あきらめない。 


仕事ってそういうものだと思うんだ。





結局、どうして悩むかといったら、実践がないからです。 

場数を踏まないから。



自分のことを賢いと思っているから、自分の頭で考えたことを信用して答えを導かせようとする。 

自分はバカだと思っていれば、実践したり試したり教えを乞うなりして、自分の頭を信用して答えを導かないものなのです。 


だから、知恵がわかない。 



場数を踏んで、体感でわかるから、知恵がわく。 


頭で考えるのではなくて、実践して、体感して、知恵を得る。 



怖いのは、場数を踏んでいないから。 


試すことを怖れない。怯まず、前を向いて進むだけ。 


怯むな!進め! 



バカは怯まない。 

ちょっと、賢くなると、頭を使いたがる。 

頭を使うから知恵がわかない。 


だから、バカでいればいい。 


自分を賢いと思う人ほど知恵がないものだ。





何かを変える勇気のない人は、人に愚痴る傾向があります。 


できないことを羅列して自分を納得させて同意を求めます。 


本当は、背中を押してもらいたいのに 背中を押してくれる人には出会うことができません。 


勇気のない人だから出会えないのです。 


本当に背中を押してくれる人には出会いたくないのです。 




背中を押すとはどういうことかと言うと 
その背中に気づかれぬよう懐に入れることから始まります。 


その背中に同調することなのです。 


その背中の周波数に自分の周波数を合わせるのです。 


これは、相手の立場をよく理解するという意味合いです。 


要は、勇気のない人の気持ちになることなのです。 


その上で、適切な助言をするのです。 


適切です。 



これができる人は少ないと思います。 


なぜなら、勇気のない人と周波数を合わせたら、同調して同情して適切な助言ができなくなる人が多いからです。 


指導者はそこで潰れる人がほとんどです。 



よほどの軸を持っている人でないと、適切な助言はできないものです。 



そのため 誰かに助言を求めるのではなくて 自分でわかるようにしていくという意味で瞑想を勧めることも多くなってきました。 



しかし 実際、ビジネスの現場で瞑想しなさいとは言えないですよ。 

その場で、直接 適切な助言ができる方はたいした人だと感服します。 



なかなかお目にかかることは少ないですが。 



わたしはそういう人を育てていきたいと思っています。 




わたしは常々、身に付けること、癖にすることを口酸っぱくなるほど書いてますが、実践しない人がほとんどで呆れてしまいます。 


身に付けると、それが日常になるのです。 


日常だから つい、口から溢れます。 


◎◎◎していて調子がいいよ♪ とか こんなこと実践しています、とか。。。 

また 日常になっていたら、周りの人も始めると思うのです。 



それが実践している、ということなのです。 


勧めなくても、周りの人が実践するものなのです。 



結局、周りが実践しなかったり、勧めれないことは、自分は実践していないということなのです。 

それか、自分だけのものにしたいという根性悪なのか。。。 



勧めて相手が実践しないのは自由。 


押し付ける権利はない。 


だけど、実践していたら 自ら勧めてしまうものだと思います〜 


結局、人に勧めれないのは、疑ってる証拠です。 

だったら、やらなきゃいい。




先ほどの記事に書いた、恐怖心を植え付ける人というのは存在します。 


自分の物差しを持って、人を裁く人です。 


そして、
自分は最善を尽くしていると思っています。 

自分ほど最善を尽くしている人はいないとも思っています。 


確かに、それなりに努力はするし、自分の思想を持って それに基づいた最善を尽くしているかもしれないですが それ自体、自分の思想に固執している姿なのです。 

だから、固執し過ぎて反省がないのです。


反省がないから、目の前に起きることは、自分の行いや心のせいだとは思わないのです。 


だから、自分の心が乱れた時、誰かを攻撃するのです。 


改めさせるために、人を裁くのです。



そんな恐怖心を植え付けたり煽る人と、どう付き合ったら良いかといったら、付き合わない。 離れる。 


それが最善の方法でしょう。 


それができないなら、自分の軸を持ち、それに振り回されない心を育てることです。 


自分の軸がないから振り回されるし巻き込まれるのです。 


自分の軸を持って生きることと自分の思想に固執して生きることは違います。 


自分の軸を持つことは、揺らいでも元に戻す柔軟さを持つことですから。 


固くないの。 柔らかいのです。 


柔らかいから如何様にも曲がったり添ったりしますが、最終的には、源に戻るのです。 


一方、恐怖心を植え付けたり裁く人というのは、 心がカチカチ過ぎて それが軸だと錯覚していることになりますね。 

軸はないのです。

ただの固い固まりです。 



思い当たる人がいるかもしれません。  


また そんな固い固まりを持った方に憧れを抱いている方もいるかもしれませんね。 




軸は柔らかいのです。覚えておいてくださいね。

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