この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 人間力


何かを変える勇気のない人は、人に愚痴る傾向があります。 


できないことを羅列して自分を納得させて同意を求めます。 


本当は、背中を押してもらいたいのに 背中を押してくれる人には出会うことができません。 


勇気のない人だから出会えないのです。 


本当に背中を押してくれる人には出会いたくないのです。 




背中を押すとはどういうことかと言うと 
その背中に気づかれぬよう懐に入れることから始まります。 


その背中に同調することなのです。 


その背中の周波数に自分の周波数を合わせるのです。 


これは、相手の立場をよく理解するという意味合いです。 


要は、勇気のない人の気持ちになることなのです。 


その上で、適切な助言をするのです。 


適切です。 



これができる人は少ないと思います。 


なぜなら、勇気のない人と周波数を合わせたら、同調して同情して適切な助言ができなくなる人が多いからです。 


指導者はそこで潰れる人がほとんどです。 



よほどの軸を持っている人でないと、適切な助言はできないものです。 



そのため 誰かに助言を求めるのではなくて 自分でわかるようにしていくという意味で瞑想を勧めることも多くなってきました。 



しかし 実際、ビジネスの現場で瞑想しなさいとは言えないですよ。 

その場で、直接 適切な助言ができる方はたいした人だと感服します。 



なかなかお目にかかることは少ないですが。 



わたしはそういう人を育てていきたいと思っています。 




わたしは常々、身に付けること、癖にすることを口酸っぱくなるほど書いてますが、実践しない人がほとんどで呆れてしまいます。 


身に付けると、それが日常になるのです。 


日常だから つい、口から溢れます。 


◎◎◎していて調子がいいよ♪ とか こんなこと実践しています、とか。。。 

また 日常になっていたら、周りの人も始めると思うのです。 



それが実践している、ということなのです。 


勧めなくても、周りの人が実践するものなのです。 



結局、周りが実践しなかったり、勧めれないことは、自分は実践していないということなのです。 

それか、自分だけのものにしたいという根性悪なのか。。。 



勧めて相手が実践しないのは自由。 


押し付ける権利はない。 


だけど、実践していたら 自ら勧めてしまうものだと思います〜 


結局、人に勧めれないのは、疑ってる証拠です。 

だったら、やらなきゃいい。




先ほどの記事に書いた、恐怖心を植え付ける人というのは存在します。 


自分の物差しを持って、人を裁く人です。 


そして、
自分は最善を尽くしていると思っています。 

自分ほど最善を尽くしている人はいないとも思っています。 


確かに、それなりに努力はするし、自分の思想を持って それに基づいた最善を尽くしているかもしれないですが それ自体、自分の思想に固執している姿なのです。 

だから、固執し過ぎて反省がないのです。


反省がないから、目の前に起きることは、自分の行いや心のせいだとは思わないのです。 


だから、自分の心が乱れた時、誰かを攻撃するのです。 


改めさせるために、人を裁くのです。



そんな恐怖心を植え付けたり煽る人と、どう付き合ったら良いかといったら、付き合わない。 離れる。 


それが最善の方法でしょう。 


それができないなら、自分の軸を持ち、それに振り回されない心を育てることです。 


自分の軸がないから振り回されるし巻き込まれるのです。 


自分の軸を持って生きることと自分の思想に固執して生きることは違います。 


自分の軸を持つことは、揺らいでも元に戻す柔軟さを持つことですから。 


固くないの。 柔らかいのです。 


柔らかいから如何様にも曲がったり添ったりしますが、最終的には、源に戻るのです。 


一方、恐怖心を植え付けたり裁く人というのは、 心がカチカチ過ぎて それが軸だと錯覚していることになりますね。 

軸はないのです。

ただの固い固まりです。 



思い当たる人がいるかもしれません。  


また そんな固い固まりを持った方に憧れを抱いている方もいるかもしれませんね。 




軸は柔らかいのです。覚えておいてくださいね。



想いを共有できる幸せ。 
自分の気持ちをわかってもらえて共有できることが嬉しい。 

魂が震える。 




それを越えると、自分の魂、本来の役割が見えてくるものです。


魂はワンネスですが それぞれの役割の違いがわかってきます。 


違いがあるから認めあえるようになってきます。 


それを経て、自分自身と繋がるように促されていくようです。 



最終的には、自分自身に繋がるのです。 





かに座上弦の月を越えて、今までやってきた基礎的なことを試されるようなことが起きる予感がします。 


今までやってきた基礎が理解できていれば容易いはずです。 


だから わたしが教える段階ではないのかもしれませんが 崖っぷちにいてわからない人には個別で答えを教えています。 


本当は、落ちないとわからないものです。 

落ちてみるのも楽しいです。 

でも それは、自分の選択によるものです。 


いくら わたしが答えを教えたところで そう選択するとは限らない。 


落ちてみたい♪ワクワクする♪と思うなら、落ちてみるのもひとつです。



そんなこれからの季節です。 



今までを振り返って自分の足で地を踏みしめて歩んでください。





朝、起きて 身支度を済ませてお詣りをしてからお掃除をする。 

それからお弁当をつくり朝ごはんをいただく。 


それからは、またまた お掃除したりお洗濯をする。 


そのあとは、まったく自由。 


まあ、朝起きたら自由みたいなものですが。 


何かが降りてきて、せかせか動くときもあれば、なんにもなくてだら〜っとしてる時もある。 


ほんと自由。 


思えば、仕事をやめる一ヶ月ぐらい前は、ほとんどこんな生活をしていました。 


仕事をするのは、週2ぐらいでした。 

だから、わざわざ仕事をやめなくてもよかったんじゃないのかと思えてしまうのですが、その場所に出入りするというだけでわたしに負担がかかっていたから強制終了したのだと思います。 

だから、辞めてよかったのだと思います。 



だけど 元々、わたしはライトワーカーです。 

だから どこかに降りるのだと思います。 



「疑う」というフィルターを持った人はまだ、多く存在します。 


それに気づいてる人も気づいていない人もいます。


離れたから、それで終わりということはないはずで たぶん そのような方たちに対しては違う取り組みをしていくのだと思います。 


今のわたしには まだ、何も降りてこないですが たぶん ままのままさんのことだから何かするのでしょう。 





今朝、何か掴めた感じがして動かされました。 

だけど その「疑う」というエネルギーに邪魔されました。 


結局、「疑う」エネルギーは変わりたいのだと思います。 


「信じる」エネルギーに変わりたいのだと思うのです。 


だけど 自分を信じられないから変われないんだと思う。 


だったら わたしを信じればいいと思う。 


いくらわたしが逃げたとしても追いかければいいし しがみつけばいい。 


わたしが逃げないようにしがみつけばいい。 



そう思うよ^^ 



諦めるな! 


諦めたらあかん!


しつこいの、何気に好きです☆

本当に欲しいなら掴みにいくのです。

欲しいものは掴むのです。 

掴みにいくのです。 

あなたの本気度を試されています。 



本気を出す 

覚悟を決める 



それができないのは、本気じゃないから。 


本当に欲しいものではないからではないですか? 


本当に欲しいのなら掴みにいくのです。 




>本当に覚悟を決めた人は リスクも覚悟もしたうえで「必要ないものは手放す」ってことをするんです。



ナイナイ 


今までわたしは、全部を握りしめてきました。 


そして これからも、離さない! 


それが わたしの血となり肉となっています。 


まあ、勝手に離れていくのは、追い掛けませんが。 


全部を握りしめているから、器が大きくなるのです。 


全部を握りしめるから、スピードアップを求められるし やりくりもしなくちゃいけないのですが そこを努力していると 時間配分等のやりくりは、そばにいる存在がやってくれるようになります。 


握りしめているものたちが順序よく整列して目の前に現れてくれるようになります。 


オートメーション化です。


オートメーション化すればするほど 詰めてくれるので そこに、ストンと新しいものが入ってきます。 


便利なわたし♪ 


24時間、働けます。 



つい、10年ほど前までの わたしは人の話をまったく理解できなくて、論理力も読解力も洞察する力もまるでない人間だったのです。 


お喋りは出来ても会話が出来ない。 


だから、人からバカにされるだけで 誰からも教えてもらうこともなく生きてきました。


自分はどうしてこうも人からバカにされてしまうのだろう? 

どうして、わたしと話すと人は離れていってしまうのだろう? 


ずっと 悩んでいました。 

そのため 能力開発にのめり込んだりもしました。 

悩んだ時に、手に取ったものが 娘の学習教材でした。 


娘のドリルを一緒にやりながら、大人向けのものを探して巡り合ったのが『論理エンジン』です。 

論理エンジンの創始者である出口汪さんは、あの出口王仁三郎さんのお孫さんです。 

その出口汪さんの本を片っ端から読み、論理エンジンもやり始めました。 

それと同じくしてスピリチュアルな回路も開いてきたので わかりやすくスピリチュアルなことを読みながら読解力や洞察力をつけてきました。 


わたしがそんな勉強を始めたのが2005年頃です。 


その時に勉強してまとめたのが、わたしのメインブログであるライブドアブログの初期の頃のものです。 


その時は、ヘミシンクをよく聴いていたので、木全さんのブログを読んでいまして 勉強させていただきました。 


賢い人の頭の構造に興味を持ちながら、自分なりに独自に勉強して頭に叩き込んでいきました。 


そのあとは、実践です。 

論理力って重要です。 

人間関係を築く上で基本となるからです。 


よく、わたしは人の立場になって考えましょう と書いていますが、これは論理が基本となるのです。 


人の立場をどうやって知るかといったら まずは、論理力がないとわからないのです。 


論理とは、思考の法則・形式。思考や議論を進めていく筋道。ある事物間に存在する法則的な筋道。

です。 


筋道がわかることで、読解力がつきます。 

読解力とは、文章を読んで,その意味・内容を理解する力を指します。 


また 洞察力も養われます。 

洞察力 どうさつ 物事をよく観察して,その本質を見抜くこと。物事の奥底まで見通す力です。 



基本は、客観的視点で筋道立てることができることですが それが出来てくると その肉となる内容や意味がわかり、観察力が養われるので本質を見抜くことが出来てくるのです。 



だから、基本となる論理力(筋道立てる力)が必要となるのです。



社会に出て、何故 人間関係を築くことが難しいかといったら 相手の知識、経験、理解力を洞察する力がないからではないですか? 



読解力、洞察力はサイキックではないのです。 


相手のことがわかるのは、読解力や洞察する力なのです。 



だから、わたしのセッションは料金をいただかないのです。 


電話で話をするくらいなら、料金は発生しないでしょ^^ 



たまに、ままのままさんの能力は使わせていただきますが ほぼ、わたしの洞察力です。 


ピッとかぺっ で終わるから、いただきようがない^^ 



話しはそれてしまいましたがf^_^; 



論理力(筋道立てる力)を養うといいよ♪というお話でした。 



人に恐怖を与えることで支配している人がいる。


恐怖を与えられている人は支配をされているから、与えている人は支配することが良いことだと思い込み増長する。


一方、恐怖を与えられていても、恐怖は愛じゃないと支配を嫌がり離れようとすると 与えている人は不満が起きる。


また 一方で 与えるものはすべて感謝して受け取る人は、恐怖さえも感謝に変えてお返しするから 与える人は心が満たされて癒される。



何を与えられたかが大事なのではなく どう自分が受け取ったかが大切なのです。


拒否したのか、イヤイヤ受け取ったのか、感謝して受け取ったのか で相手との関係も変わります。




すべては、自分次第です。



完ぺきな人なんていない。


ただ 自分が愛に満たされていれば、人を変えることはできるし、自分は幸せです。



世界を変えたい、良くしたいと思うならば、自分の心を愛で満たすことです。


自分の心が満たされていれば、目の前の相手や周りにいる人はおのずと良い方向に導かれるものです。

わたしは その人の言葉の使い方や選び方ひとつで 人となりや気持ち(想い)がわかります。


例えば、いい加減な気持ちでありがとうございますと言ってるのか 心の底から言ってるのかわかります。


これってサイキックではないです。


人と真剣に付き合っていたらわかるようになるものなのです。



通り一辺の付き合いやビジネスをしたことのない人はわからないかもしれません。


でも 生きていく上で とても大切だと思っています。


わたしだけがわかるわけではなくて、経営者クラスの方なら、誰もができることだと思っています。



お金持ちになりたいとか成功したいと思われる前に、 このようなことができるようになっておくものだと思います。



人はとかく、お金さえあれば良いと思いがちですが お金があっても これぐらいのことができないと、持続できません。


一瞬、お金を持つことは誰でもできますが それを継続できるためには それなりの才覚が必要なのです。



そのためには、心を鍛えた方がよいのかなあと思います。

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