この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 人間力

人って使う言葉でわかります。


わたしが外出していて、おかえりなさい と声かけられた瞬間に その人が遊んでいたか集中して仕事をしていたかわかります。


それってサイキックではないです。


毎日、集中力を持って仕事をしている人ならわかります。


ビジネスマンなら普通に持っている能力だと思います。


だから、自分に自信もつくのだし いちいち神社に願い頼みしないのかな とも思います。


だから、スピリチュアルを苦手とする方も多いのかもしれません。


スピリチュアルな人はゆるさがあるから〜


ゆるさも必要、集中力も必要です。


わたしは日々、サイキックも使うし 集中力も使いながら生活しています。

生活しながら、人を絶えず 視ています。



人の頭の中を読み取りながら生活しています。


だからなのかしれませんが、わたしと同じようなことを無意識でしている人はわかります。


会社経営者、弁護士などは多いです。


そのような人の言葉はとても参考になります。


わたしの娘は就職して、営業先の経営者の方の話を事細かにしてくれるので 楽しいです。


娘の仕事にも活かせるように話をしています。




学生なら まずはお勉強が本業で そこに集中すれば集中力が増し頭の使い方もわかり頭の回転も早くなるから勉強するのが一番です。


今は、不登校な子供が増えていますが それは、親が勉強する楽しさ、集中する楽しさを教えないからではないでしょうか?

親がしないことは子供はしないです。


親が学力つけないなら子供も学力をつけようとは思わないです。


しかし、子供に集中力、頭の使い方を教えるぐらいのことをしてもバチは当たらないと思います。

将来的に 子供がどんな道に進むかは子供が決めることですが、義務教育は親の義務ですし 子供はその権利はあるのです。


貧困だからと 教育まで貧困で良いのでしょうか?

集中力をつけることはそんなに難しい厄介なことでしょうか?


注意散漫な子供や発達に気になる子供や何らかの障がいと呼ばれる子供が多く生まれてきていることは事実ですが、それだからと頭を使わせない集中力をつけさせないのは わたしは正直わかりません。


親が楽しんですることは子供もするからです。


学校に通わせることが義務教育ではなくて 集中力頭の使い方を学ぶために学校があるのです。

それが義務教育期間です。



それが親の責任感であり教育者としての責任感ではないでしょうか?

アスリート系だからなのかもしれないですが

好きでもないことはしないですし、
好きでもないことを集中することもしないです。



わたしは集中することが好きです。


だけど 人によっては、集中したり一生懸命が好きでない人もいます。

昔はわたしもそうでした。


好きなことなら努力できるし、一生懸命になれます。


きっと 好きなことのない人や好きでもないことばかりさせられてる人は 一生懸命や努力ができないのかもしれません。


自分の意思に反したことをさせられてる人は嫌だ!という想いが先に立ってしまうかもしれません。



自分の意思に反した生活をしていると 無気力にもなると思います。


それでは 集中力がつくはずもありません。


何故、自分の意思に反した生活をしているのでしょう?


心を大切にしないで生きるために生きているからです。


生きることは大切ですが、それだけでは 心が置き去りになってしまいます。


お金がない、貧困な人がいるからです。

心が貧困な人もいます。



いくら わたしが話をしたとしても、貧困な人には届かない と思います。


何故、貧困な人がいるのでしょう?


自分の意思に反した生活をしているから、心が麻痺して集中力や努力することができないからです。


集中力や努力する心を奪われているからです。


ゲームや携帯ばかりしていると頭がバカになり、集中力も損なわれます。




わたしは 人と少し話をしただけで その人がどんな生活をしているかわかります。


それは エネルギーを読むからではなくて
その人の言葉の選択でわかるのです。


頭の使い方でわかるのです。


日々、集中力を持って生活をしていると それぐらいのことはわかるようになるのです。


だから、人の裏も読めるようになるし、何を考えているかが手を取るようにわかるのです。


仕事をしていない人、集中力を持って仕事をしていない人の思考は手に取るようにわかります。


だから、わたしが仕事から戻った時、同僚が何をしていたかわかります。





貧困といえども生活をしているのです。

お金は使っているわけです。

どこにお金をかけているのでしょう?

ストレス発散するためにお金をかけていないでしょうか?


好きなことをすることとストレス発散は違います。

食べることが趣味。

それは、集中力を損なう行為ですし、頭をバカにする行為です。


ストレス発散することに没頭しても集中力はつきません。



日々、頭を使って生活をしている人
一生懸命に仕事をしている人というのは、わかるの。

だから、人からの引き立てがあるの。



お金がなく貧困だからといって 集中力もなく頭を使わない生活をしていると より貧困になるのです。


これ以上、貧困になりたくないなら 頭を使ってください。


頭は使わないとバカになります。

がんばる [頑張る][自]自分の考えや意志を押し通そうとする。我を通す。(困難や障害にまけないで)精一杯努める。



人の捉え方はひとそれぞれ違うのかな?


「頑張る」=「嫌いなことを無理にでもする」

と感じている人が多くて、好きなことはワクワクすることをする と言うそうな♪



わたしは、好きでもないことをするという概念がないから つい、頑張って!と口から出てしまいます。


わたしは頑張ることは努力することだと捉えています。


でも 人によっては 言われたくないことかもしれないですね。


そこまで わからないことでした。。。


また、努力することが好きだし、困難に立ち向かうことも好きです。


嫌いな人からすると 嫌なことに力を注ぎなさいと言われているようなものだね。


人それぞれだね。


スポーツ全般苦手だけどわたしはアスリート系だね^^

道を間違わないように、丁寧に導かれている。。。


わたしの歩む道に転がっている小さな石ころもひとつひとつ丁寧に取り払われていき、道も整備されていく。




今朝から、自虐の念に囚われていて、これからのわたしの進む道を頭で考えていたけれど、考えなくてもいいんだよ と言われている気がする。



〇〇〇〇が出来るようにならなければ、とか〇〇〇にならなければ、という想いに囚われていたけれど 今のわたしの姿で間違ってはいないのだと思う。



完璧さは求められてない。

わたしはひとりで多くのことをやろうとしていた。

苦手なこともやりきろうとしていた。



ただ、進むことを決めるだけなのだと感じた。



頭で考え過ぎていたから、恐れが出ていた。


自分が変わってしまうことへの恐れ。


本当は求めて止まないものなのに、、、、。



永遠を目指して、わたしは舵を切る。


もう、迷わないし 迷えない。


決めることって大切だと感じています。


常に生き続けることを選択するだけ。。。

大切にする、 って、自分の想いを伝える継続力と集中力が必要なの。


継続して愛を集中して与えること。


だらだらと優しさを与えるのではなくて、一生懸命に集中して、根気よく与え続けること。


ただ 一回だけの愛を集中して与えるなら 誰でもできる。


それを継続する力が必要なの。



継続力集中力って、お勉強のことだけじゃなくて 人を愛することにも発揮されるのです。



人を大切にするってまずは、継続力が必要なの。



今、世の中には 継続、集中して愛を与える人が少ないのね。
だから 大切にされてるって感じて生きている人が少ない。


親自体が継続力集中力がないから、自分の子供を大切にできないでいる。


だから、愛されていないと感じる子供が増えています。



継続して与え続ける精神力が親には必要なのです。

親になるというのはそういうこと。


継続力がなかったら、日々の生活はどうなるの?

毎日、確実に 三食必要だし、睡眠も必要だし、規則正しく過ごせない。



規則正しく過ごすためには、継続力が必要なの。


出来ることをコツコツして積み上げていくから集中力がついてくるの。



集中力をつけるためには継続力が必要です。


そして 集中力が『愛』になる。



根底に『愛』がある集中力は、人の心に響く魔法に変わります。



それが 大切にすることなのです。



この人間界では魔法を使うことを大切にすると言います。



人の心を動かす。


想いひとつで人を変えるのです。

わたしたちは 人として生きていくのは、もちろんだけど 最終的には、奥底にある巨大な力を発揮させていくんだろうな と思うのです。


12日の満月は、その巨大な力を発揮させるための枠組みをつくる働きがあるんだろう と思います。


そのためには、蟹座である家族がキーワードです。


誰もが 魂の家族を持っています。 そのため、魂の家族がわたしたちを動かし、修正させて、初心に戻らせているのだと思います。




あなたの本当の大切なものは何ですか?

本当に大切な人は誰ですか?

今のあなたを作り上げた元となるべき人は誰ですか?



そこと出逢うように、見つめるように促されていくでしょう。。。



本当に大切にすべき人を大切にしていないと、最後に大切な人をなくすことになります。



こう書くと、人は短絡的に 家族が自分の魂の家族なの?とかツインフレームは大切じゃないの?とか思いがちです。


物事を短絡的に考えないでください。


深読みができない人は目の前に起きることを真面目にコツコツ取り組んでいればよいのです。


そうしたら 必ず、大切な人は離れていきません。
最初に伝えておきます。


言われたことをやること!



今は 骨組みをつくるときです。
骨組みをつくっているときは、まだ 本当の大切なものが見えていなくてもよいのです。


言われたことをやること!



それしかありません。


変な情報は入れないこと!

軸がつくれなくなるからです。

あーだこーだとできないいいわけをするのは、余計な情報を入れるからです。


これを守っていけば、大切な人は離れていきません。




あと 情報を正しくダウンロードできない人がブログを書き、発信しています。

それを真に受けて 短絡的に考えたり、深読みしなくて 惑わされて、違う行動をしてしまいます。

また 大切なものや人を取り違えます。


深読みができない人は目の前に起きることを真面目にコツコツ取り組んでいればよいのです。


そこ、自覚してください。

厳しいことを書きますが、重要です。



深読みできない自分を自覚すること!


主旨とずれてしまいましたが、押さえておくように。

結局、人とつるまないことだと思います。


自己成長というのは、ひとりで黙々とすることだと思います。


学校の勉強や資格試験の勉強にしても 自宅学習をいかにしているかですから。


誰かに頼っていたり、仲間仲間と仲間にすがっていては成長は出来ないと思います。


競争しあうのは良いと思います。


だけど 仲良しこよしでじゃれあっていては成長していかない。



まずは、それなりに成長してからなのです。


自己受容できるのは。


人を見下ろしてから、人と仲良くできるのです。


自分の通ってきた道だから、受け入れられるのです。


人を見下ろしてみて、人をバカにしたりするのは、まだまだ 成長できていない証拠です。


人を見下ろしてみて、自分との違いでジャッジするのは 見下ろしているのではなく、同じ位置にいる証拠です。


人を見下ろしてみるとわかるのですが 良いところがたくさん見えるものです。


良いところが見えないのは、上にいない証拠です。


人の良いところがよく見えるから、受け入れることができるし、同じ道を通ってきた自分も受け入れることができるのです。

そうやって 自己受容を深めることができるのです。




だから まず、人から離れて 黙々と自分を高めることをすることです。


人より上に立つことです。


そのためには、強い意思が必要ですね。

自己受容を深めるために 何をしたら良いのか?




自分を信じた。

とことん、信じた。


アホだとかバカだとか言われながらも、自分をとことん信じた。


周りにはバカにされ続けたけれど。。。


あと、わたしは けったいな人間とは付き合わなかった。


寂しいからと、友達を作らなかった。


自分をバカにしてくる人は相手にしなかったし、自分から誰かにすり寄ることもしなかった。


悪口を言う人や変な信仰している人やスピスピしている人は避けたし、まともな人しか相手にしなかった。


ヤバイなと思うと、すぐに手を引いた。


それも 自分の直観を信じるってことだと思う。




結局、人を見る目がない人が自分に自信がないと言ったり、自己受容できないのではないのかなあ。。。



友達はつくらない主義ではないが 自分を高められない人と居てもつまらないと感じたから、すぐに嫌になった。



わたしは 自分を成長させてくれる人が好きだ。


今では、誰といても成長させていただけると思えるけど 以前のわたしは、成長させてもらえる人を厳選して付き合っていたと思うなあ〜



イベントもアホな集まりには顔を出さなかった。

講演会でも わざわざ、お金を取る必要あるのかと思えるような内容もあり、 ダメだと思ったら すぐに引く、という姿勢でいました。


わざわざ 人とつるまなくても寂しくはなかったよ。


結局 自信がないと言ってる人は、付いてる相手が悪いんだよ。


自分の悪口を言われていても離れられなかったりとか ただ、だべ話しかしないとかお金に汚い人とか、わかった時点で付き合わないことだと思う。


自分の身の役に立たないと思った時点で離れることだと思う。



変な人に近寄らないように最善を払うことだと思うな♪



それが 自己受容を深める第一歩だと思います。

自分の使命に気付くと 目標設定が出来て 人生を計画しやすくなります。


そして 今まで生きてきた道筋の意味がわかり、過去を受け入れることができます。


過去を受け入れると癒されますので、前を向いて進むことができますね。


そのためには、自分の使命がわかったほうがいいのかもしれませんが 結局、誰かから教えてもらっても 自分が納得できなかったらわからないほうがよいのです。


その時には、ただやりたいことをする という目標でもよいのです。



目標設定することが大切です。


やりたいことがなくても不満があれば不満解消がやりたいこと、目標になるのです。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪




一生懸命に生きていたって ダラダラ過ごしていたって 自分自身は何も変わらない。

価値も変わらない。


ただ、人からの評価は変わると思います。

だけど それを気にしなければそれはそれでいいだけです。



その生き方で自分が納得していれば良いのだと思うのです。



これが自分の人生なんだ!と胸を張って生きていれば良いことだと思うのです。


自分の生き方に何か不満があるなら そこを改善するだけなのです。  



自分の人生を自分自身が納得して生きていくことができていれば それは良い人生だと言えると思うのです。



不満って 人それぞれです。


そこを改善しながら生きていくのです。



そのためには努力は必要ですね。



不満がないなら、努力はいらないです。


だけど 不満があるなら改善する努力がないと、永遠に不満は解消できなくて、不満のある人生です。



結局、 人生とは自分の不満を改善しながら生きていくことだと思います。




そうやって 生きていくと 好きなことに出逢い、やりたいことに出逢っていくのだと思います。



だから まだまだ、人生に不満があるうちから 自分の指命を知りたいと思わなくても良いのだと思います。

この世界は良い悪いがない世界で 自分がどう感じ、どう行動するか が大切だと言われます。


しかし、いくら 成功者と呼ばれる人でも
尊敬に値するかどうかは、その人の愛の水準がすべてです。


知性は愛のためにその能力を使われたときに 初めて本物の知性と呼ばれます。


愛に基づいていなければ 科学や宗教、医学の進歩も結局、水の泡に過ぎないのです。



だから、わたしは正しいことはある といつも言っているのです。

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