この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 反省


何か失敗して落ち込んでいるのに追い打ちをかけるように厳しい言葉を投げ掛けられた経験はないですか? 



本当に反省していたら、厳しい言葉は投げ掛けられないはずなんですよね〜 

落ち込むことは反省とは言わないのです。


反省とは我が身を省みて前を向くことなのです。 

下を見ていませんか? 


前を向いてください。 




前を向いていたなら、厳しい言葉は投げ掛けられないはずなのです。 



それでも もし、投げ掛けられたなら、そんな輩はほっといたらよろし。 


そ〜いう人はどこかのドブにハマりますから^^


気にしないことです。 





今まで読まれてきた方ならわかるかと思うのですが



人への気配り、思いやり、人の気持ちを推し量ることがこれからの時代の必須となります。



それは
わたしがいつもお話しをしています、お掃除をすることが基本になるのです。


人は埃で死ぬことはないと言われますが 心はカビます。



カビた心は、カビたものを造り出し、増殖します。



それが 今の世の中ではないでしょうか?



ほうきと雑巾さえあれば掃除は出来ます。



きれいな心を保つのは自分にしかできないことです。



人任せにせずに、ご自分でなさってください。



また、そのような方は、癒しが必要と言われますが、他力本願では、いつまで経っても癒されません。



心を強く持ってください。


人を批判したり人の揚げ足を取ったりする人は、そういうことをすることが好きなのです。 

自分では気づいていないけどそれをするのが好きで好きでたまらないのです。 


だから 指摘されても直らず、ついつい、人を批判したり人の揚げ足を取ったりするのです。 


直らないのは楽しいし好きだから。 


だから、それを認めることだ。 


認めないから直らない。 

自覚とも言う。 



なんて自分は意地悪な人間なんだ、なんて卑下する必要はない。 


ただ、淡々と、そういう人間なんだと自覚していればいい。 


自覚したら気をつけようと思えるものだ。 


無自覚だから気をつけることができない。 




無自覚な人ほど質が悪いのです。 


省みることが出来ないから。 



自分に闇と思える部分があっても良いのです。 


自覚したら直そうと努めることができるから。



大概の人は前世から持ち越したカルマというものがあり、それを刈り取るために、今、そこに居るものです。 


だから、カルマの刈り取りが終わったら、そこに居なくてもよくなります。 

カルマがあるから、そこに居る、その選択をしているということになります。 



例えばわたしですが わたしは元々、専業主婦希望でしたが、学生のころから休みなく働いてきました。 
16歳の頃から54歳まで、ずっと約40年間、働き続けてきました。 


カルマが外れたから、今こうして、専業主婦生活をマン喫しています。


このように、今、やりたいこと!というのは、カルマと関連しています。 


そのため それを越えた先に、本当の使命が存在します。 


それは、平行してやってる方もおられます。わたしもそうでしたから。 



何が言いたいかというと 
今、やりたいことは、カルマの刈り取りのためにしなければならないことであって、本来の目的とは違うことがあるということです。 



これしかない!これが天命だ!と思ってしていることが、本来の天命とは違うことかもしれないのです。 



だから これしかない!と思わず、もっと楽な気持ちになってください。 




やりたいことをやっているはずなのに、なぜか報われない!  
自分にはもっと合ったことがあるはず!
自分は一生懸命にやってるのに! 
誰も気持ちをわかってくれない! 


そう思われてはいないでしょうか? 


カルマをさっさと終わらせて、早く、本来の目的を生きようと思いませんか? 



相談者様とお話しする中で、自分の使命に気付いた!これが天命だ!と意気込んでいる方ほど、カルマなのです。 


う〜ん、違うのになあ〜と言っても、わたしの話しは聴かないです。 

カルマの刈り取りは意気込んでやることではなくて、さっさと終わらせることなのです。 


実際、やりはじめたらすぐに終わることが多いです。 

そのため、次にやりたいことがあらわれて苦悩します。

さくさく終わらせることが目的です。 だから、そこに執着しないで、次に進みましょう。 


負の感情があると無駄に執着するので厄介です。 

そのためには、浄化ワークは必要です。 



天命に進めないのは、カルマに執着する心です。 




わたしには使命がある!のではなくて、カルマがある!のです。 




もっと謙虚になりましょう。


ずっと書きたいと思っていたことがあります。 

それは、ご老人のこと。 




昭和初期から戦前に生まれた方々というのは、戦争を経験されているだけあって そこでの体験に基づく感情や学びがあるものです。 


そして その人達が子供を生み育てています。 


そこには、ある種のこだわりがあるようです。 





最近では、体の弱くなったご老人は、ホームや施設に入られることも少なくありません。 


また わたしの周りのご老人を見ていると、自分勝手な考えの方もいらして驚きます。 



きちんと子育てをされてこなかったご老人は、子供に見放される傾向があります。 


そのため、自身の内省を促すために病気になられています。 

それで苦しまれている方は大勢いらっしゃいます。 

「死ぬに死ねない」という状況を自身が作り出しているのです。 




魂は、亡くなるまで、成長したいと願う存在です。 
亡くなるまで反省を促されているのです。 


また 反省を促され、その相手からの許しを待っているのです。 



怒りや憎しみがあったとしても それを子育てに影響させてしまっては、巡り返ってくるのです。 



自分でつくったカルマは自らが刈り取る他ないのです。 



しかし そのようにして生かされている人々を、甘い蜜を吸わせて利用しようとされる方々もいらっしゃるわけで。 


だから 反省できないご老人が増えていくのです。 


清き一票も利用されるのです。 




少数派について追加ですが、少数派には、必ず厳しく指導してくれる人や反面教師となってくれる人がいるものです。 


それがわかるかどうかが鍵だと思います。 


そこをわからずに、離れたりするのは魂の望む通りに生きていない証拠です。 


だから 何度も何度も、向き合わされる現実が起きるのが特徴です。 



自分を成長させてくれるために、現れるのです。 

それは、上司であったり配偶者であったり姑であったり恋愛関係であったり、様々な関係性となって目の前に現れてくれます。 


配偶者となって現れてくれても離婚してしまったら、同じような人に出会わされていくものです。 

そこを乗り越えないと、魂の目的は達成されませんが、魂の目的が達成できなくても自由に生きていくことはできますが、次の転生では同じことを繰り返すのでしょうね。 


自分を成長させてくれるために目の前に現れてくれることを排除する人も見受けられます。 


わかるだけに、辛いです。 





昨日、ある方に、「あなたはどんな人になりたいの?」と聞きました。 

すると、「人を支えられる縁の下の力持ちみたいな人になりたい」 と言われました。 


縁の下の力持ちになる人というのは、人口の7%にその素質があるそうです。 


周囲の人が作り出す矛盾を引き受けそれを甘んじて受け、不平を言わずに生きていける素質です。 


そのような方は周囲の理解は得られず、ひたすら苦労して生きていくようです。 


昔はそれを認める社会でしたが、今は世の中が大変低次元になってしまったので、それを認める社会ではなくなりました。 

結果、素質がある人は自分の素質を伸ばせずに苦しんでいます。 




わたしに集まる人はそのような方が多いです。 


縁の下の力持ちとは将来、長になるべき人です。 


少数派とも言えます。 




わたしは自己紹介で「他人の矛盾を一人で引き受け、苦労してきました。 また 一人で忍耐してそれを恨みに思わない生き方です。」と書きましたが、同じだなあと思います。 




わたしたちは生まれる前に青写真を書いて生まれてきていますが絶対にそうなるということでもなく、そうなる素質を持って生まれてきているということなのでしょう。 



素質があるからこそ、辛くて苦しい現実が起こるのです。 


素質があるから、相手を許したり受け入れる現実を作り出すのですが、相手を許すかどうかは自分の努力次第、相手を受け入れるかどうかも自分次第。 


生まれ持った素質をどう生かすかは、自分次第で努力次第です。 



努力なければ、魂が望んでいても、そうはならないのです。 




許したり受け入れることができるには、まずは自分を省みることからです。 


いくら素質があったとしても自分を省みることができない人はそう導かれていかないものです。 



わたしのライブドアのブログは2000件もの記事がありますがその中の大半が反省について書かれています。 


わたしは反省マシーンのように歩んできて、毎日、反省をするために日記を書いてきました。


わたしにとっては、生きること=反省のようです。 


日々、反省しながら生きてきて、今があります。




いくら素質があったとしても反省がなく人を許し受け入れる努力のない人は周りにも見受けられます。 



同じなのに、同じなのにと寂しく憤りを感じずにはいられません。 





過去に人を傷つけてしまった過ちは取り戻せないけれど、そこに囚われて生きるのは違うと思う。 

今を生きるためには、囚われて悔やむことではなくて、きちんと謝罪することなんだ。 


謝罪の気持ちを伝えること。 


伝えないと、伝えるまで引きずるものです。  


伝えたからといって、許されることとは別問題だけど、伝えなくちゃ相手に謝罪の意思は伝わらない。 





わたしは、間違ったと自覚した時点で謝ります。 
謝罪の意思を伝えます。 
そうやって、歩んでいるせいか、変なことには巻き込まれません。 


逆に、嫌な想いをさせられたことはあります。 


謝罪してくる人もいればそうでない人もいます。 

謝罪してこれば許します。 
過ちを認めることは自分に素直になることだから。 


だけど、謝罪してこない人にたいしては、やみくもには許さないです。 


わたしは許す力が大きいので、うっかり許してしまいますが、戻します。 

その人の学びをとることはしないのです。 



大切なことは自分の過ちに気付き認めて謝ることなのですから。


人から何かしていただいてありがたいなあと思うことや何かの気付きを得てありがたいなあという気持ちは素晴らしいことです。 


だけど その感謝している自分に酔ってはいませんか? 



わたしってスゴいでしょ、見てみて〜♪ 

感謝がわき上がってウキウ楽しくて仕方がない♪ 

それに引き換え、隣のあの人は、まだ感謝できなくてかわいそう。。。 




感謝する心というのは本来、とても静かなものです。 

ウキウキ、ワクワクするものではありません。




今まで居た暗くて長い長いトンネルを抜け出て、気分が良い気持ちはわかりますが わき上がる感謝をうまく受け取れない方がいます。 


わたしがいくら諌めても聞かないです。 


わたしが間違ってると言わんばかりに主張します。 



こんなに感謝できるわたしはスゴいのだから、できない人には慈悲の心を持たねば。 

とか 

スゴいわたしが癒して差し上げるのだから、感謝されて当然。 

とか 

スゴいわたしが、許して差し上げるの。 

とか、妄想が膨らみすぎて、開いた口がふさがりません。 





これでは、感謝している自分に酔っているだけで 本当に感謝してる状態ではないですよ。 


もっと 深く、自分を見つめましょう。 


深く深く、見つめましょう。 



静かな自分に出会うと、自分の愚かさに気づかされるものです。 




自分が経験してきているから書いています。 





少しでも、人を導いていこうとか自分が手本となって想いを伝えていきたいという気持ちがあるならば、今の自分は人様の前に出る資格があるのかを考えるべきだとわたしは思うのです。 


表に出る人はついてきてくれる人に影響を与えます。 

人の人生に影響を与えるのです。 




だから わたしは毎日毎日、自分の行いを反省します。 


信頼されていることに甘んじるのではなく 信頼されているから、自分を律しようと思えるのです。 


信頼されるって重いものです。



そこには、信頼を失いたくないといった感情は働かなくて ただただ、その重さを受け止めているわたしがいます。 


『有る』からです。


信頼は有るのです。 

だから、幸せも有るのです。 



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