この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 反省


今まで自分を支えてくれた人を裏切ったから、どん底を味わうことになって そして人に助けられた。 


そこで感謝が生まれるのは当たり前。 


しかし それでは、自分が誰かを裏切ったことは消えないものなんだ。 


自分が裏切った人にたいしての謝罪と感謝がなければ、いくら助けられた人に感謝がわき上がったとしても それは自分勝手な感謝でしかない。 


感謝を甘く見ている証拠で安く見ている証拠だ。 


それは、感謝とは言わない。 




心からの謝罪なくして罪は消えないし傷も消えない。 


そして 犯した罪を認め、謝罪しない限り心から安らかにはなれないものなのです。 





わたしは2013年頃から内側に繋がるようになり 生きていくために必要なことを教えられて ブログに書くようになりました。 


そして その存在をままのままと呼んでいます。 


ままのままの言葉を指針として成長してきました。 


この自分がままのままと呼んでいる存在はいったいなんだろう?と疑問がわき いろいろと調べたこともあります。 


しかし どれだけ調べても自分自身だとしかわかりません。 


わたしのマスターなのです。 


だから わたしはままのままを信頼しています。 


信頼し過ぎているくらいです。 


そうすると 待ったが入りました。 


信頼し過ぎは良くないのです。 


妄信してしまうからです。 


それに このままのままという存在も進化しているからです。 


ままのままという存在自体が宇宙根源と繋がってはいますがイコールではないということです。 


ままのままはアセンダットマスターのひとりなのだと思います。 


わたし自身は今はまだアセンダットマスターではありませんから。 

でも、アセンダットマスターがするようなことも求められています。 




それが 人々に向けて書いているブログやメールアドバイスです。 



わたしは、その記事の中で日記を書くことをお勧めしています。 

また、反省することや論理的思考を持つこと。 



これが 今の人間が自分の根源宇宙に確実にアクセスする方法なのです。 


だから、しつこく書いてます。 



先記事でわたしはとてつもなく自由だと書いていますが その自由さを持ってこの地上で楽しく生きるためのアイテムがこの論理的思考や反省することなのです。 



今は瞑想がクローズアップされていますが 根本は、論理的思考や反省するために必要なだけです。 



また 先記事でも書きましたように、わたしは一本ヒモを持たせておけばいかようにも遊びますと書いたように、本来ならわざわざ瞑想をしなくても論理的思考や反省はどんな情況でもできるものなのです。 



どんな情況になっても論理的思考を持ち、反省すれば成長できるし生きていけるのです。 



どんな情況でも、今の自分の何が間違いなのだろうか?という反省の心を持つことで その場を切り抜けていけるものなのです。 



窮地に立たされた時こそ、自分の何が間違いなのだろうか? と考えてみてください。 


そこで、救いの手が伸びて 気づかされるはずです。 



わたしたちは 魂で繋がっている同志です。 



心を強く持ってください。 





誰にも必要な気付きがおきますように。 




誰もが神と共に居ます。 

わたしの願いが叶えられますようにと、毎日、心願成就を祈願しています。




反省と感謝はセットです。


感謝ばかりがクローズアップされている昨今ですが

感謝は、わき上がる想いですが 反省は、感謝がわき上がる前に必ず起きる心の在り方です。


反省とは?

はんせい [反省][名・他サ変]みずからを省みて,悪い点がなかったかどうかを考えること。みずからを省みて,自分が悪いことをしたとはっきりと認めること。


とあります。


みずからを省みて自分の悪いところを認める のです。



自分の悪いところを認めるためには、自分の悪いところを意識することからです。


意識するのです。


ボケ〜としていては、意識できません。



だから、反省するためには、意識して生きることをしてからです。


何事にも無関心で注意散漫でいては反省はとうていできないことなのです。



意識して生きること。


意識して生きていないから、感謝も反省も出来ないのです。



でもね。
実際、それが良いということでもないの。


なぜなら、意識して生きるということは 痛みに敏感になるということだから。。。




人は、あまりに強い衝撃を受けた時には 生きるための防衛反応として 鈍感になるものだから。


そうやって、鈍感になって生きてる人は多いものです。




何が良いとか悪いとかは言えないことだけど 時代は もう鈍感では生きていけないように流れているのです。。。



だから 流れに身を任せて、ください。



あなたの痛みを少しでも軽くするよう わたしが寄りそうつもりです。






あれ?また、わたしのお役目が増えたのかしら。。。


なんだ、これ〜

反省する心から感謝が生まれる。

教えを乞う心から感謝が生まれる。


これからも、そうやって生きていきたい。


それが愛を発揮することだと思うから。

自分を癒すために、自分の内側からの気づきを発信して それに共感してくれる人と集い、そうやって、癒されていく。


そうやって、癒されたら最後は気づくんだ。


自分を攻撃していたのは、自分の内側にあったということを。


それに気づいて初めて反省が生まれる。

まあ、依存というのは 依存させるだけの器がある者がすることではないかと思う。


その人をどれだけ受けいられるか だと思います。

どれだけ深い愛をかけられるか です。



依存したい人の特徴は素直です。

とにかく、素直。
また すぐに信じる。


そんなに簡単に信じてもいいの?と心配になるほどすぐに信じる。


まあ、素直に信じてもらえるから 導いていきやすいです。

でも、素直じゃない人は信頼関係を築くまでは苦労します。


そして ずっと 依存させっぱなしはいけないのです。


少しずつ、手を離していかないといけないのです。


行きつ戻りつですね。


少しずつ 自分にできることを増やしていきます。


わたしはよく、自分の位置を知ることと言います。


自立ができていない人は 自分が今、どれくらいできているかを気にしますし 10のうちどの位置にいるかも気にします。


だから、それを教えてあげることです。


それが重要なポイントです。


それがわかれば、自立させていけるのだと思います。


子育てと同じですね。


できること、出来ないことを明確にして 出来ないことはお願いする。

それだけです。


お願い、人にお願いする技術も必要です。

また 出来ないことを認めることも必要です。

ひとつひとつを丁寧に明確にして教えていくのです。


だから、毎日 日記を書いていただくのです。


一日のうちにできたこと出来ないことを明確にして反省して明日に繋げる。


毎日、それの繰り返しです。


毎日、繰り返すことで伸びるし実力がつくのです。



毎日、反省です。


自分で出来るまで、わたしが導いていきます。



また、昨日の記事の内容でのわたしの教えることは その人の位置を教えることだけです。

それだけなのです。


自分の位置を知ることって重要なんだね。

あと 周りの人のもうひとつのテーマ 『依存からの脱却』があります。


今まで そばにいてくれる人に寄り掛かって生きていたため 急に、寄り掛かるな!と言われてしまい ショックを受けている人はいらっしゃいませんか?


依存とは、そもそも 自分に自信が持てないために 頼る人を見つけて その人の言われるままに生きていこうとする他力本願な生き方になります。


他力本願ですので 主体性に欠けますし、自分の意見を持てず、自分の軸はありません。

他人軸で生きようとすることです。

他人軸で生きるということは 自分をなくしていく生き方です。



本来 わたしたちは、自分の人生を生きるために生まれてきているのですから 魂の生きたい生き方ではなく 魂の想いからは離れた生き方と言えるでしょう。


そのため そんな生き方を続けていると 魂が反乱を起こします。


それが 相手に伝わり、相手から見下り判を突きつけられてしまうのですね。

それは、共依存の関係では起こらないようです。

共依存だと、頼られたい人と頼りたい人の組み合わせになります。



さて 見下り判を押されてしまった場合、急に 依存関係を解消されてしまったわけです。。。


それまで 相手軸で生きていた人にとっては、青天のへきれきですね。


わたしから言わせると、 見下り判を押した側に責任があると思います。


それまでは 依存を認めていたわけです。
それを急に、くつがえすなんて 責任感がないやり方です。


依存したい方というのは、自立ができていないのです。
自分の足で立てない赤ちゃんを外に放り投げるやり方です。

なんてことをするヤツだ!と思ってしまいます。


わたしは、自立していただくために毎日メールでアドバイスをしています。

その方たちはわたしの子供のようです。

わたしが親の立場になるので 昼夜関係なく、メールだけじゃなく 電話でも教えています。


依存 という言葉は非常に悪い捉え方だと思います。
なぜなら そこには、信頼があるわけです。


依存であろうがなかろうが信頼していた人から、急に見下り判を突きつけられたら、、、を考えてみてください。


相手軸である杖を急に外されたのです。


ただ よろけるだけではすまないことはわかると思います。


転んで怪我をします。

そして、その状態から立ち上がらないといけないのです。


人の気持ちというのは残酷です。

依存はいけないんだ!

そんな簡単に言い切れるものではないのです。



人が立ち上がるときは、
抱きしめられて誉められて、デレデレに愛されてからです。


わたしは 空ちゃんから そうされたから、自立できました。



依存はいけないんだ、ではないのです。


自立で立つ前には、杖がいるのです。




そして 先記事でも書きましたが 離れるのは、人や物ではないのです。

負の感情だけです。


人は離れていかない。


人が離れていくと考えている人は、本当の意味での自立をわかっていないです。



自立というのは、自分自身の内にある神様と繋がり、誰もが同じ神様と繋がっていることを実感することだからです。



自立するからワンネスがわかるのです。


人や物は離れていかない。

自分自身が成長するためには 毎日の反省が効果的です。

そのため 毎日の日記を書くことをお勧めします。


この成長ですが 反省をしていくにしたがって、霊的な回路が開けてくるものです。

だから より、成長に拍車がかかるのです。


反省が内観になり、内観することによって、霊的な回路が開けてくるから 瞑想するのと同じ効果があります。



わたしはよく、自分の位置を知ることだと言いますが、毎日反省することで自分の位置が確認できるのです。

それが 自分を知ることに繋がります。


瞑想というと 静かな場所に身を置いて自分の内側を見つめることですが 日記を書くのは、まさに瞑想と言えるのではないでしょうか?



日記を書くだけで霊的な回路が開けるなんて眉唾だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

それは 日記を書くというよりも 謙虚に自分自身を見つめるから霊的に開けてくるのです。


霊的な回路を開くようにするためには、謙虚さが必要ですね。



たまに 謙虚さのない方が見えるだとかわかるとか言われますが 自分自身のことはわからないものです。


人のことがわかっても自分自身のことがわからないのは、ホンモノではありませんね。


まあ、自分のことがわからないから 占いや鑑定が流行るのですが。



でも 霊能者であるならば 自分のことぐらいわかってないと話しにならないと思います。

今は自分の魂と一致しない行動や在りかたを見直す時期だと言われています。


そのため さまざまなお試しを受けている方も少なくないでしょう。



しかし、この『見つめ直す』って どうすればよいことかわかりますか?



言葉で書くことは簡単です。



また、『向き合う』という言葉の意味、現実的にどうすればよいことかわかりますか?



言葉の意味も知らずに使っている人が多いなあと思います。



言葉の意味がわからないから進んでいかないのです。


具体的にどうしたらよいかがわかる人は、見つめ直すとか向き合うという言葉は使わないものです。



見つめ直す、向き合うって曖昧な言葉です。






わたしは よく、スットコドッコイと人を表現します。

そのため、スットコドッコイってどういう意味ですか?と昨夜、質問されました。

素直な人はちゃあんと聞いてくるのです。

わたしは聞かれれば必ずわかりやすくお答えします。



スットコドッコイって?

失敗しないと気づけない人という意味です。


失敗する前に気付ける人にならないとね、と話をしました。


失敗する前に気付くには、自分を知ってることです。

自分の力を信じているから間違わないのです。


だけど 人は何かのきっかけでそれを忘れてしまうこともあるようです。

しかし、思い出すだけなんです。

自信をつけるというよりも自信ある自分を思い出すだけなんです。




見つめ直す、向き合う 曖昧な言葉ですが、ようは自信ある自分を思い出すことなんです。


でも、過信しないように、謙虚さを持ってください。


良いもの悪いものなんてこの世には存在しなくて、自分の心が感謝に満ちていれば、良いもの悪いものすべて自分で浄化できてしまうものです。



人のせい、何かのせいにするのではなくて 反省することですね。。。


自分の体調が少しでも悪いときには、今のわたしに何が足りないんだろうと謙虚に考えることで治すことができるのです。

毎日、反省して生きると大病はしないものです。

それが瞑想というものです。

反省ばかりしていると 自分の神聖さ、自分の価値を下げてしまうかもしれない。


反省する心と神聖さを思い出すことはセットですと、以前にも書きましたが このバランスが取れていることがもっとも重要です。


何故なら、反省する心と神聖さを思い出す心が重なり、感謝する心が生まれるからです。


生まれる。


命を宿すのです。



感謝する心は命そのものです。


反省する心と神聖さを思い出す心は、命を宿すのです。


命を宿す

感謝する

創造する



どれも同じです。




命は反省する心と神聖さを思い出す心で生まれるのです。

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