この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 介護

さきほどの記事で

本来なら、実子がお世話をすると書きました。



ここを 詳しく説明をしたいと思います。



親が病気になったり年老いてきたり介護が必要となる場合は
子供の成長を促すためです。



親の介護を通して、親との絆を確認して、親に感謝をして、親から卒業することを学ぶのです。



しかし、最近では 親の介護が必要となると、自分では手に負えないと 介護施設に入所させる人が少なくありません。



それが 当たり前のような風潮もあります。



本当にそうでしょうか?



家族で介護をしていく。。。と考えられないのでしょうか?



他の家族とのことも考えて、最大限出来ることをして、出来ないことは 施設を利用する ことは必要ですが 最初から丸投げされる方もいらっしゃいます。



その場合、

待ちます。

お年寄りは、待つのです。


自分の子供が 向き合ってくれるまで
弱い身体にムチ打って、待つのです。



待って、待って、待ちくたびれて

それでも 親は 子供の幸せを願います。

成長を願います。



親が子供の幸せを願う心は とても尊いものです。


親は 子供のために死ねるのです。


子供の魂の成長を確認できたら、自ら 命を切ることをします。




親の愛って、すごいです。




そんな親の愛から、目を背けて 幸せと言えるでしょうか?


親の愛は あなたを強くたくましくしてくれるものであって、切り刻んだり、打ちのめすものではありません。




親からの愛を 優しくないと感じるのは あなたの心が 素直じゃないからです。



ただ、素直になってください。


初めて、抱かれたあの日のように 無防備な笑顔を見せてください。



それだけで
あなたの親は、生きる意欲を持つことができるのです。


そうして
あなたの成長を促す役目を果たせるのです。



あなたが、親から 目を背ければ背けるほど 苦しみます。



それが あなたの幸せですか?




あなたは幸せですか?

人は 「世の中の人のためになりたい!」と 願って生まれてくるといいます。


今日、次のような質問をされました。



『認知症になったり 年老いて歩けなくなったりして 人の役に立てなくなっても長生きをしているご老人がいらっしゃいますが その場合にはどのように考えたらいいですか?』



認知症になったり介護を必要とされている方は、人のお役に立てないと考えることは間違いです。


そのような方は、自分を介護してもらうことで 相手にお徳を積ませたり、成長させようとしているのです。



本来ならば 実子がお世話をすることが当たり前の話です。

自分を育ててくれたご両親なのですから。


だけど、実子が介護ができない事情が生じたり、放棄をした場合には 他の人の手に委ねることになります。


その時には、その方に委ねることになり、その方の成長を促す役目を負うことになります。



人は 役に立ちたいと考えるとき 自分の得意なことで役に立ちたいと思いますが
ご老人は、その身体で お役に立ちたいと考えます。


動かない身体、働かない思考で役に立ちたいと考えます。


それは、とても素晴らしい行為です。


尊い魂です。


その尊い魂をお持ちのご老人の介護やお世話をさせていただけるということは とても有り難いものなのです。


お徳を積まさせていただけるということをおろそかにしてはいけません。


ただ、自分からは何もできなくても 人の成長を願い、 その身を委ねることでその人の成長を促し、お徳を積まさせる行為は 頭が下がります。




お年寄りの方でね

自分はなんの役にも立てない!人から介護されるなんて口惜しい!


と、嘆かれる方がいらっしゃいましたら どうぞ、教えてあげてください。




あなたの魂は、
わたしを成長に導いてくれる、お得を積まさせていただける尊くて、勇敢な魂だと 教えてあげて、感謝してください。


ありがとうございます と、どれだけ深々と頭を下げてもあまりあるくらいのお徳を積まさせていただけて ありがとうございます と抱きしめてください。





人の役に立ちたいと実践している方にでも同じことが言えます。


人の役に立っていると思い上がること自体がごう慢な気持ちだと気付いてください。


人の役に立っていると思っていても、実際には お徳を積まさせていただいているのです。


育てていただいているのです。




世界中の方々に この世のからくりを知っていただきたいです。



誰もが 尊い魂を持っています。


誰一人、いらない魂はないのです。



人がひとり生きるということは、感謝すべきことなのですね。



生きていてくださり、ありがとうございます。


わたしたちにお徳を積ませていただき、ありがとうございます。


生かしていただき、ありがとうございます。



合掌

さきほどの記事で

本来なら、実子がお世話をすると書きました。



ここを 詳しく説明をしたいと思います。



親が病気になったり年老いてきたり介護が必要となる場合は
子供の成長を促すためです。



親の介護を通して、親との絆を確認して、親に感謝をして、親から卒業することを学ぶのです。



しかし、最近では 親の介護が必要となると、自分では手に負えないと 介護施設に入所させる人が少なくありません。



それが 当たり前のような風潮もあります。



本当にそうでしょうか?



家族で介護をしていく。。。と考えられないのでしょうか?



他の家族とのことも考えて、最大限出来ることをして、出来ないことは 施設を利用する ことは必要ですが 最初から丸投げされる方もいらっしゃいます。



その場合、

待ちます。

お年寄りは、待つのです。


自分の子供が 向き合ってくれるまで
弱い身体にムチ打って、待つのです。



待って、待って、待ちくたびれて

それでも 親は 子供の幸せを願います。

成長を願います。



親が子供の幸せを願う心は とても尊いものです。


親は 子供のために死ねるのです。


子供の魂の成長を確認できたら、自ら 命を切ることをします。




親の愛って、すごいです。




そんな親の愛から、目を背けて 幸せと言えるでしょうか?


親の愛は あなたを強くたくましくしてくれるものであって、切り刻んだり、打ちのめすものではありません。




親からの愛を 優しくないと感じるのは あなたの心が 素直じゃないからです。



ただ、素直になってください。


初めて、抱かれたあの日のように 無防備な笑顔を見せてください。



それだけで
あなたの親は、生きる意欲を持つことができるのです。


そうして
あなたの成長を促す役目を果たせるのです。



あなたが、親から 目を背ければ背けるほど 苦しみます。



それが あなたの幸せですか?




あなたは幸せですか?

人は 「世の中の人のためになりたい!」と 願って生まれてくるといいます。


今日、次のような質問をされました。



『認知症になったり 年老いて歩けなくなったりして 人の役に立てなくなっても長生きをしているご老人がいらっしゃいますが その場合にはどのように考えたらいいですか?』



認知症になったり介護を必要とされている方は、人のお役に立てないと考えることは間違いです。


そのような方は、自分を介護してもらうことで 相手にお徳を積ませたり、成長させようとしているのです。



本来ならば 実子がお世話をすることが当たり前の話です。

自分を育ててくれたご両親なのですから。


だけど、実子が介護ができない事情が生じたり、放棄をした場合には 他の人の手に委ねることになります。


その時には、その方に委ねることになり、その方の成長を促す役目を負うことになります。



人は 役に立ちたいと考えるとき 自分の得意なことで役に立ちたいと思いますが
ご老人は、その身体で お役に立ちたいと考えます。


動かない身体、働かない思考で役に立ちたいと考えます。


それは、とても素晴らしい行為です。


尊い魂です。


その尊い魂をお持ちのご老人の介護やお世話をさせていただけるということは とても有り難いものなのです。


お徳を積まさせていただけるということをおろそかにしてはいけません。


ただ、自分からは何もできなくても 人の成長を願い、 その身を委ねることでその人の成長を促し、お徳を積まさせる行為は 頭が下がります。




お年寄りの方でね

自分はなんの役にも立てない!人から介護されるなんて口惜しい!


と、嘆かれる方がいらっしゃいましたら どうぞ、教えてあげてください。




あなたの魂は、
わたしを成長に導いてくれる、お得を積まさせていただける尊くて、勇敢な魂だと 教えてあげて、感謝してください。


ありがとうございます と、どれだけ深々と頭を下げてもあまりあるくらいのお徳を積まさせていただけて ありがとうございます と抱きしめてください。





人の役に立ちたいと実践している方にでも同じことが言えます。


人の役に立っていると思い上がること自体がごう慢な気持ちだと気付いてください。


人の役に立っていると思っていても、実際には お徳を積まさせていただいているのです。


育てていただいているのです。




世界中の方々に この世のからくりを知っていただきたいです。



誰もが 尊い魂を持っています。


誰一人、いらない魂はないのです。



人がひとり生きるということは、感謝すべきことなのですね。



生きていてくださり、ありがとうございます。


わたしたちにお徳を積ませていただき、ありがとうございます。


生かしていただき、ありがとうございます。



合掌

お年寄りというものは

いかに自分をお世話させることによって 家族を成長させるか のために長生きをするんだ。

そのために生きるんだよ。


お年寄りをお世話することによって
お徳を積まさせていただける
そんな存在なんだ。



それを 家で介護をしたくないというのは、現実をみないことに繋がります。。。


長生きをするのは、家族を成長させるため。。。



わかってください。



老人ホームに入れたらいけないと言っているわけではないのです。


自分がどこまで、一生懸命に向き合っているか なんです。


できることをしてください。


できないことは任せればいい。



できることから逃げないで!!!



家族を学ぶことは、調和を学ぶこと。


愛を学ぶこと。

お年寄りの介護について

なんのために お年寄りがいらっしゃるかと言ったら


自分の身を差し出して、自分のお世話をしてもらおうという方の心は尊いものです。


させていただける有り難さを感じることが大切です。


自分の心をお年寄りの方は移してくださいます。
自分がイライラしていると 相手もイライラする。


ご老人(親)の介護をさせていただくことで お徳を積むことになる。


そんな お徳を積まさせていただける機会を与えられたことに 感謝をすべきなんです。


それを やりたくないとか 兄弟で 押し付けあったりするとは バチ当りがすることです。


自分が育てていただいた恩返しができるのに、嫌がるのは 心根がくさっている。


させていただける有り難さ、喜びを感じることが 大切です。


わたしは 毎日、毎日 姉のお舅さんのそばに いさせていただいています。

いつも ありがとう と声をかけています。


もう わたしのことは わからないけれど それでも 愛する姉のお舅さんです。


おトイレで手をつなぎ 歌を歌ったり、お顔をフキフキしたあと ペタペタ クリームを塗りながら お顔をつまんで遊んでいます。

グランディングコードがクルクル回って しっぽをはやしたみたいになっているので 地球に繋げると しゃきっ としてくれます。


わたしは たくさんのことをおじいちゃんから 教えられます。

もう 認知と言われますが それでも 教えてくださいます。


相手は いつでも 鏡となってくださるのです。

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