この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 人生


次元の旅をする〜 



わたしは次元の旅をしているように感じます。 



今、この次元では この生活をしているけれど、違う次元では 違う人と違う生活を楽しんでいる。 



元来、わたしたちは お金を稼ぐとか生きる目的を見つけるといったことよりも 自分本来のやりたいことをやってると うまく次元の流れに乗って旅をしながら生き続けるのかなあ〜と感じます。 



この感覚は、以前にもありました。 


空ちゃんと楽しく過ごしていた頃。。。 



ただ、楽しくて 未来を考えるというよりも ただただ、楽しい時に身を委せていました。  


今も空ちゃんは、隣に居ます。 




わたしは空ちゃんと一緒にいることで 自分らしく生きられるようです。 


この世界においての肩書きも何もなくても 心配事もなく生きていられる〜 

◎◎◎をしなくちゃ生きられないとか〇◎〇がないとどうとか、は関係ナイ 



ただ 自分の『したい』ことをしてるだけで、自分の世界が作られていく。 

そして、そこにゲストとして色々な人が立ち寄ってくれて自分の世界が作られていく〜 


この次元じゃない人がたまに入り込むことはあるけれど、会話はナイ。 

会話ができない。会話にならない感じ〜 





自分のやりたいことを選択すればいいんだと思いますよ♪試してみてください♪


欲しいなら、今のままの自分ではいられない。



欲しいのでしょう。 


その手に掴みたいのでしょう。 


だったら、鎧を捨てて、武器を捨てて、ありのままの姿になるのです。 




何もいらない、あなただけが欲しいのです。 


あなたがわたしの源泉なのだから。



あなただけが欲しいのです。





何も知らなかったらそのまま生きていけたのに、周りを見て知ってしまったから、知らなかったあの頃には戻れない。 


周りの世界と自分との関係。 


自分がちっぽけな存在に感じる。 


知らなければ苦しむことなかった。 


見なければ苦しむことなかった。 





そう感じている人がいるだろう。 



どんな世界を見たところで、人は自分の人生を生きるために生まれてきている。 


周りがどんな世界であろうと、自分を生きるために生まれてきているんだ。 




周りと比べることはない。 


自分のやりたいこと、自分が楽しめることをすればいい。 



それが人の役に立つことなんだ。 


だから わざわざ、人の役に立てることをやらなければならないわけではなく、ただただ 自分が楽しめて喜んでいられることをすればいいんだよ。 


あなたは、人生を楽しんでいますか?





知らなきゃいいんだよ。 
自分の趣味に没頭している人生が一番、幸せだと思うよ。 

知らない世界なんて見る必要はない。迷うだけだ。 




自分のこれからの人生を考えていくのに、人の動向って関係あるだろうか? 


自分がやりたい、できる 
そんなことを頭において考えるものだと思うけど 

旦那がどうとか彼氏がどうとか子供がどうとか関係ないのではないのかなあ 


折り合いをつけることは大切だけど、自分の人生を明け渡してしまうのはどうかと思う。 


自分がない。 


自分がどうしたい!がない。 


それがなければ、人生は決まらない。 




自分がどうしたい!がないから、人生が定まらないんだよ。 


あなたはどうやって生きていきたいの?



人としての根本的な道理がまったくわかっていない人がいます。 


どれだけ説明してもわからないし、教えても理解できないのです。 




それはたぶん、失敗したり傷ついたり奈落の底に落ちてみたいのだと思う。 


嵐の時、外に出て飛ばされたいのだと思う。 



痛いことや傷つくことに鈍感というか とりかくやりたいだけなんだと思う。 


人にたいして悪気なくトゲのあることを言い放つのも ただ、言い放ってみたいのだ。 


周りにいる者はたまったものじゃないが本人は楽しいのだろう。 



やりたいなら、やればいい。 


人としての根本的な道理がわかるまでやり続ければいい。 




そんな人の周りには、そんな人を相手に学びを深めていく人がいるものです。 



誰もが師となるものですね。 



恐怖心 
裁く人というのは、人に恐怖心を植え付けるのが得意なようだ。 


裁かれる恐怖というものがある。 



その恐怖はいったいどこから来ているのだろうか。 



それは、人の内にある自信のなさが生み出しているのです。 


何故、自信がないかといったら 人生で100%の自分の力を発揮して生きていないからなのです。 


それは、今の自分にOKを出していないから。 


何故、自分の人生にOKが出せないかといったら 細部に辺り、曖昧で優柔不断で開けたら閉めるという作業や閉めたかどうかの確認作業や検証することを怠っているからなのです。 

最善を尽くしていないのです。


自分が感じる不安を100%払拭していないことも考えられます。 


自分が自分の行動に100%、OKを出せるまで 取り組んでいないからなのです。 


そのためには、計画性や人の意見を聞く耳を持つことが必要で、他者を信じたり頼ることも必要なのです。 



自分に自信を持つということは、ひとつの物事を完成させることでもあるのです。 


ひとつの物事を完成させるためには、自分だけの意見に固執していては到底、つくりあげることができないものです。 


だから、周りの意見を聞き、良いと思ったことはすぐに行動して、今までの言動を改め前を進みながら、最善を尽くしていくのです。 


自分が最善を尽くした結果が自信に繋がるのです。 


根拠のないものではないのです。 


根拠があるから、胸を張れるのかもしれません。 




わたしでも やはり、最善を尽くしていない時は、モヤモヤとした気持ちになります。 

何かが足りないと感じると、それを探すのに躍起になり、他のことは手につかなくなります。 

それがわかり、対処して、事なきを得ると安心に包まれます。 


これで、間違いない!と確信できるものなのです。 

その繰り返しです。


だから、モヤモヤとする気持ちは 何かを見落としていますよ、というサインだから、悪いものではないのですよ。   



見落としていることをわかっていながらも改善しないというのは、自分を信じ過ぎてることでもありますね。 


他者の意見を聞き入れられないのですから。 


自分の固執した考えだけで生きてきた人は、それを曲げられないのかもしれません。 


それは、置いておいて まずは、


自信を持つということは、最善を尽くす結果で得られるのだと言うことです。 


そして それが恐怖心を越えものになるのです。 



人は必ず死ぬと誰が決めたのだろうか? 


それは、何か刷り込みのように思える。 


なぜなら、わたしは 今までの人生の中で 自分の心を見つめ感情の手放しで 自分の内に蔓延る病や老化の元となるものを浄化してきたからだ。 


そして それは、未だ継続している。 


まだまだ 継続していくつもりだ。 


肉体を終わらせないためにすべきことを中心にした生活に勤めている。 


それがわたしの行であり仕事だ。 




その体験の結果、自分の内側と繋がり、神様に使われる身となった。 


また 名前を見るだけでエネルギーを読むこともできる。 


そして 指先ひとつや目の動きでエネルギーを動かすことができ、空気中に浮いてる黒い邪悪に見えるものを握り潰すこともできるようになった。




すべて この行の賜物である。 




これは わたしに限ったことではないように思う。 

だから、伝えていきたいと思う。 




何事も成せば成る。 


成せば、成るしかないのだ。 






想いを共有できる幸せ。 
自分の気持ちをわかってもらえて共有できることが嬉しい。 

魂が震える。 




それを越えると、自分の魂、本来の役割が見えてくるものです。


魂はワンネスですが それぞれの役割の違いがわかってきます。 


違いがあるから認めあえるようになってきます。 


それを経て、自分自身と繋がるように促されていくようです。 



最終的には、自分自身に繋がるのです。 





かに座上弦の月を越えて、今までやってきた基礎的なことを試されるようなことが起きる予感がします。 


今までやってきた基礎が理解できていれば容易いはずです。 


だから わたしが教える段階ではないのかもしれませんが 崖っぷちにいてわからない人には個別で答えを教えています。 


本当は、落ちないとわからないものです。 

落ちてみるのも楽しいです。 

でも それは、自分の選択によるものです。 


いくら わたしが答えを教えたところで そう選択するとは限らない。 


落ちてみたい♪ワクワクする♪と思うなら、落ちてみるのもひとつです。



そんなこれからの季節です。 



今までを振り返って自分の足で地を踏みしめて歩んでください。





人間、持ちつ持たれつだと思うんだ。 


何か辛いことがあって 助けられたり癒されたら 次はお返ししたいと思うものだとわたしは思うんだ。 


それを 癒されっぱなしでいたら 相手は逃げていく。 


いくら誰かを癒したり助けたりしていても、誰でもいいときが続くとは限らなくて、辛いことが起きて泣きたくて慰めてもらいたくなるときもある。 


そんな時には、今まで自分が助けてあげたり癒してあげたりしていた人に甘えてしまうかもしれない。 


そんな時に、突っぱねられたら、今まで助けてあげたり癒してあげたりしたことが無駄に感じることがあるんだよ。 


そんなことで人間関係が壊れてしまうことがある。 


人として、助けられっぱなし、癒されっぱなしは良くない。 


助けられたら、力はなくても意識は向けてあげなくちゃいけないと思うんだ。 



人を助けたことのない人は、そんな人のキビを知らない。 


助けられて嬉しい、癒される、ってだけなら誰でもできる。




人から嫌われたり人間関係がうまくできない人というのは、こんな人間関係の持ちつ持たれつがわからない人が多い。 



人と関わると煩わしいと感じる人は、人のSOSのサインがわからない人だ。 

サインがわかるようになるのは、日々の経験であって 誰もが一足飛びにできることではないことを知ってほしい。 


人生経験が乏しい人は、そうやって 鍛えられていくものだなあ と感じる。 




助けてもらうばかりで助けたことのない人は、人の気持ちがわからないものだ。


そこから逃げるな、と言いたい。 





人それぞれの役目は違うもので そのままの自分でできることなら、すぐにでも自分の役目は見つかるけど、それなりの人材になっていないとできないことなら、そうなるための人生経験が必要なんだ。 


前世体験があまりなく、人生経験が乏しい人は 往々にして、まずは体験させられる。 


その体験を集約した自分ができることが自分のお役目となる。 



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