この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 人生


生きてるだけで可能性はたくさんある。 



願いは自分から掴みにいくものです。 


そのためには いつでもどんな時にも『希望』を持ち続けること。 




自分がしっかり自立できたなら、どんな人生を歩むかの選択肢が増えます。 


そのための努力を惜しまないように。 


努力は決して裏切らないから。 


 
この宇宙は、自分が願い望んだことが叶えられる世界です。 







弱い意思と強い意思の違いって何だと思いますか?


それは、意思の自由さです。



強い意思を持つことしか選択肢がなかったら、強い意思しか持たないです。

だけど 強い意思と弱い意思 どちらでもいいよ♪自由だよ♪と言われているから、意思が弱いのです。


わたしは いつも、愛しか選択しません。


選択肢がないから、自由意思ではないのです。



わたしには自由意思は必要ないからです。



意思の弱い人は自由意思の中で生きています。


どんな選択でも自由だよ と言われて、自由に過ごしています。



自由だから選択肢がたくさんあって迷うのです。

選択肢がなくて迷わなかったら、それしかないのです。



意思を強く持とうと思ったら選択しないことです。


できる♪できない♪なら、できる♪しかないのです。



自分でやる!と決めたことは 石にかじりついてでもやることです。



選択肢のある生活をしているから、成長ができないのだと思います。



これしかない!と決めたら、やるしかないのです。



結局 自由でだらけきった生活をしている人は、意思は弱いのだと思います。

それなりに 自分を律して生きてきた人は 少し、自由を経験したとしても戻ることができるのだと思います。



自由でだらけた生活をしていては いつまでたっても成長はできないですし、自己受容できないと思います。


癒しは、 今まで真面目過ぎて生きてきた人には必要だと思いますが 元々、だらけた生活をしている人には必要はないと思います。


結局 今の時代は だらけた生活をしている人がその自由さを人に見せて、真面目な人をそそのかしているだけだと思います。

だらけることがいかに癒されるかを伝えてそそのかしているだけだと思うのです。


それに騙された人が癒しを求めて、不真面目になっていく。。。


それに気づいて欲しいですね。



真面目な方の中には癒しを嫌う方もお見掛けします。


それは そんなことがわかっているからなのかもしれませんね。


貧しくて何も食べるものがない子供や貧しくてひとりぽつんと食事をしている寂しさ辛さを抱えている子供は他の家族が笑いながら食事をしている場所には行けないものです。
家族単位が食事しに行く場所には、家庭が恋しくて本当にその場所が必要な子供はいけなくなると思います。 

必要としている子供は声を上げないし顔も上げない。 

いくらかのお金を持たないと入れなかったり開いていない日や時があるのは違うと思います。 

いつでも温かく迎えてくれる場所。 

いつ行っても空いていてお腹いっぱい食べれて、好きなことができて、どんな悩みを打ち明けることもできて、勉強も教えてもらえる場所。

ひとりで居るときは、そっと迎えに来ても欲しい。 



すべてにおいてオールマイティに備わっている場所。 



そんなわたしで在りたいと思うのです。 


そのためにわたしは様々なことを乗り越えて受け入れてきたのかなあと感じています。

だから 霊的に視ることもちょっと少しでいい。 

ご飯をつくってもてなすことが出来たり気配り心配りが出来た方がいいと思う。 

何かに秀でていたいとも思わない。 



ただただ、居場所でいたいし在りたい。 


そのために まだまだ足りないことはあるから、学んでいきたいし出来ることを増やしていきたいのです。 





この宇宙には様々な法則が存在します。 


それを目の前に差し出されてきたこと(人生)に応用するだけで人生は開けてくるし歩んでいけるのだが、 
法則を知らなかったり応用力がなかったりして、人生をうまく進めていける人が少なくないようです。 



それは経験値が極端に少ないからに思う。 


失敗を恐れてすぐに諦めたり、近道を求めすぎて間違った情報を欲しがりあらぬ方向に進んで行く人が後を絶たない。 



最初、それは、人に感謝がないせいだと思っていました。 


感謝がないから、自分の内側を信じようとせず欲を満たそうとしてくる外側の情報と手を組んだり信用したりするのかと思っていました。 


しかし 
根本的な法則や経験値が少ないことに気づいてわたしは驚いたのです。 


感謝以前の問題だからです。 


先述のように、すぐに諦めたり、経験を踏むことを嫌がりすぐに簡単なやり方を求めたり。 

それでは 法則を学んでいたとしても応用できないでしょう。 



人生は義務教育制度と同じように、基本を学ぶ時期と応用力を試し、力をつける時期があります。 


それを身に付けていれば、社会に出てもなんとかなるものですが、その義務教育制度を疎かにする始末。 

考えがないから、社会に出ても基本もわからず応用力もないのです。 


子供を養育する親や教育者でさえもそれをわかっていない。 



人が遊び呆けている中、わたしはとにかく経験値を増やし、手探りでも法則を探しあててきました。 


その過程で愛を学び感謝を学び自分自身に繋がってきました。 


ふと 周りを見渡すと、何も知らないし出来ない人が溢れていることに気づき、驚いたのです。 




誰もが人生において危機的な状況に陥ることはあると思う。 


その時に、何を考え何をするかは人それぞれだけれど、その時の心の状態がその後の未来を変えることは間違いないだろう。 




わたしはまだ情報も何もないところから、自分を信じて手探りで歩んできました。ホント手探りです。 


周りを見ると、甘いなと思う。 

道がついているからだ。 
しかし 道がついているのに、道のない場所を歩もうとする人がいる。 

わからないというのはこういうことを言うのだろうな。

こちらが道を示しても無視して藪の中に突き進む彼ら。 正直、アホかと思う。これが率直な意見だ。


お金の失敗だってそう。 

一回、失敗したからって、10年20年も それに囚われているって、人生がもったいないと思わないのだろうか? 


一度 それなりのお金を手にしたらしたで それまでとは違う悩みが生まれ、それを克服しながら、それを維持したり運用したりしていくわけだけど それをわからずただ羨んだり恨んだり。 



幾度も試練を克服してくるとある種の根性がつくものです。 


だから 継続も維持できるのです。 


ひとつの山を越えたことのないような人が継続も維持も出来るわけがないじゃないですか。


失敗を恐れず、だけど慎重に粘密に事を進める微細さは継続、維持するには欠かせない。 


わたしは人生、56年間生きてきてそう思うのです。 



うわべしか見れない人間で居続けることが幸せとは思わないし、日本を良い国にしたいと亡くなって逝った人達を思うと、居てもたってもいられなくなるのです。 



心が平和で目覚めていない人が多数の日本。 


誰かが自分の人生の責任を取ってくれることを願っていては、真の幸せは訪れることはない。





正義感(善悪)が強い子供が育つと親は苦労しますね。 


なぜなら 人を裁き、親をも裁くからです。


裁くことは白黒つけて相手を降伏させることで 
結局 それは、戦争の火種になります。 


最近は、物騒で コロナや大量逮捕の話を持ち出して覚醒することを特に話題としている記事が目立ち、記事内容を信じることは良いことで信じないことは悪いことのように書かれています。 

それってどうなの?と思います。 


そういう事実があるよ、と事実のみ伝えて、あとは各々の判断に任せることだと思いますが、悪を憎むことを推進する記事の多いことに胸が痛みます。 


目の前の相手は自分の知らないことを教えてくださる相手だという姿勢を教えてくださるのが神であって、人の知らないことを教えるのは誰でも出来ることです。 


知ったあと、自分はどう考え行動するのかは、各々の判断に任せるより他ないのです。 





最近の若者はどこで仕入れてきたかわからない自分のポリシーを持っている人が少なくないと感じます。 


たかだか20数年生きたか生きないかぐらいの人が大人に意見する時代です。 



様々な情報が飛び交っている世の中ですが その中で生き延びていけるのは、正義を振りかざしている人ではないのは確かです。 



人を憎むことなく、愛を受け入れていきましょう。 






一般的に、日記を書かないということは、日々の生活を振り返らないことでもあります。 


日々の生活を振り返らない要因としましては、振り返らなければならない事がないか振り返ることをしたくないかどちらかです。 

振り返らなければならない事がないのは日々の生活に怠慢さがあることですし振り返りたくないのは、振り返りを先伸ばしにすることでもあります。 

どちらも怠慢さから生じることを知っておくと良いかと思います。 




また 仕事に忙しくて、振り返る時間がなくて寝てしまうということもあるでしょう。  

それは、振り返ろうとしている意欲があると思うので仕方ないとは思います。 


日記は誰かのためにつけるわけではなく、自分のため、自身の今日を振り返り、明日からまた前を向いて歩むためのものであることを自覚してください。 

自分の人生のために、そう活用できたなら、つけないという選択はないでしょう。 





必ずしも 自分の役割と仕事を合致させなくても良いと思う。 


進路を決めるにあたり自分の個性特性を重視することは当たり前かもしれないが、そこに固執し過ぎるあまり、合致させなくても良いと思う。 




自分の進路を決めるにあたりやりたいことが見つからないと言われることもあるけれど 『決めること』はそんなに簡単でもない。だけど、難しいものでもない。 


それは、インスピレーションの場合もあるように感じる。 


イヤな気分がしない、という感覚。 


あと、求められることは出来ること。



求められることは、適性があるとも言えます。 



求められることは自分のベースになることだと覚えておくと良いでしょう。 


進路相談を受けた時に参考になさってくださいね。 



まあ
色々、書いたけど やり直しが出来ないことなどないですし、誰しもプライベート部分は必要なのだから、融通性を持つことも頭に入れておいたほうが良いかもしれないね。




いくら責任を求められる仕事でもプライベートや家庭で求められることがあったらそちらを優先出来るような世の中ですので。 




だから 予防医学がもてはやされるのでしょうね。 



これからは自分が自分を守る時代ですから。 





わたしは ずっと、ずっと そうやって 人に接して、生きてきています。



それは これからも変わらない。




人に対して 大切に丁寧に接することは
自分を慈しむことにも繋がります。



今 こうやって 書いていると、温かな何かに包まれている気がします。


そして 涙が自然と、溢れます。




辛いことなんてなかった。


人に対して大切に丁寧に接して、辛いことなんてなかった。


どんなにわたしを嫌な人と接してもわたしは人を愛した。


愛することをやめなかった。


人を思いやるということは、相手の立場になって考えて行動することだと思う。


わたしは常に相手の立場を考える。


人は その時その時の立場で生きているからだ。


ひとりの人でも 母の立場、妻の立場、職場での立場、社会的立場と さまざまな顔を持っているものです。


さまざまな立場をその時に応じて考えて接していきます。


してほしいこと、してほしくないこと、されたら困ること

常に、考えて行動しています。



思いやりって ただ 手をさしのべるだけではなくて、 相手のことを常に考えて、それに応じた行動をすることなのです。


助けてほしいと言わなくても、本当に困っていたら 助けることなんです。


その人の成長を考えたら、手を出さないことがよいのです と言われるかもしれないですが わたしは掴んだその手は離さない。

助けを求めることができない人がいる。

それは意地をはっていたり、プライドがあったり するかもしれない。

だけど そんな人にも察して、手をさしのべるのです。


それが 優しさかなあ と思います。


待ってるだけでは気づかない人もいる。




人は人の温かみを感じたら前を向けると思うから わたしは 人を思いやることはやめない。


例え、お節介にうつることかもしれないけれど、関係ない。


これが わたしの愛し方です。

真実なんて本当のところどうだっていいんだ。



できる!と思い込んで、その通りに生きれば、そのようになるし



できない!と思い込んで、その通りに生きれば、そのようになる。



それだけのこと。




だから、心の中の負の感情を解放することによって
できる!未来をつくっていくだけなんだと思うよ。



そして
できる!未来をつくるためには、恐怖心を克服すること。


失敗を恐れていては、前に進めないんだ。



恐怖心があるから
できない自分で居たいんだ。


過剰な自信はなくても、恐怖心はないほうがいい。


恐怖心を克服するために、目の前に起こることを謙虚さを持って体験していくだけ。


>わたしみたいな面倒な人には関わりたくないと思われるかもしれないけれど、それでも良い。 


付き合えないなあと思う。。。 



そこ、変える気ないな。 





変える気ないこと、誰にでもあるように思う。 



それこそが自分の個性? 



たぶん 昨日のブログは、自分の意志の確認のために書いていたのかなあと感じました。 



一方、今朝、こんなメッセージが降りてきました。



『今までは誰もが前世のカルマ外しのために生きていたけれど それとはまったく違う本当の自分を生きるようシフトチェンジしている。 


世の中がそう変わっている。 


シフトチェンジしていると言ったところで 乗り越えるべきことをしてこなかった人はシフトチェンジした人生でそれを経験することになるのです。 



やっと晴れ晴れした気持ちで再スタートを切る人たちが多いです。 



しかし 昨日も書いたのだが、自分を大切にしてこなかった人たちは シフトチェンジした人間関係の中で改めてそれを学ぶのです。 



シフトチェンジして浮き足立っていますが、現実を見渡すと、そんなことも言っていられない情況に気づかされるでしょう。 



人によっては 今までの行いが実を結ぶ人もいれば世界が違うだけで今まで同様の苦しみに教われるか明暗が分かれるでしょう。』 




新しい自分が現れてるけれど、変える気ない部分もある。 



変える気ない部分がより強固になったのかもしれないとも言える。 




昨夜は、久しぶり〜の人とメールのやり取りしていました。 



誰もがシフトチェンジしてるなあ〜 


強制終了とも言える。 





この時期、自分の殻が外れてどこが着地地点かもわからない感覚があったけれど そろそろ落ち着いてきて 再スタートを切る方も多いでしょうね。 




誰もが本当の自分でしか生きられない。 



それって宿命なんだろなあと感じる。 



わたしたちは宿命を生きるのです。 



そして 地球は地球で宿命という名の次元上昇をしていくのです。



謙虚さを失わなかったら 必ず、うまくいく。 



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