この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 人生


貧しくて何も食べるものがない子供や貧しくてひとりぽつんと食事をしている寂しさ辛さを抱えている子供は他の家族が笑いながら食事をしている場所には行けないものです。
家族単位が食事しに行く場所には、家庭が恋しくて本当にその場所が必要な子供はいけなくなると思います。 

必要としている子供は声を上げないし顔も上げない。 

いくらかのお金を持たないと入れなかったり開いていない日や時があるのは違うと思います。 

いつでも温かく迎えてくれる場所。 

いつ行っても空いていてお腹いっぱい食べれて、好きなことができて、どんな悩みを打ち明けることもできて、勉強も教えてもらえる場所。

ひとりで居るときは、そっと迎えに来ても欲しい。 



すべてにおいてオールマイティに備わっている場所。 



そんなわたしで在りたいと思うのです。 


そのためにわたしは様々なことを乗り越えて受け入れてきたのかなあと感じています。

だから 霊的に視ることもちょっと少しでいい。 

ご飯をつくってもてなすことが出来たり気配り心配りが出来た方がいいと思う。 

何かに秀でていたいとも思わない。 



ただただ、居場所でいたいし在りたい。 


そのために まだまだ足りないことはあるから、学んでいきたいし出来ることを増やしていきたいのです。 





この宇宙には様々な法則が存在します。 


それを目の前に差し出されてきたこと(人生)に応用するだけで人生は開けてくるし歩んでいけるのだが、 
法則を知らなかったり応用力がなかったりして、人生をうまく進めていける人が少なくないようです。 



それは経験値が極端に少ないからに思う。 


失敗を恐れてすぐに諦めたり、近道を求めすぎて間違った情報を欲しがりあらぬ方向に進んで行く人が後を絶たない。 



最初、それは、人に感謝がないせいだと思っていました。 


感謝がないから、自分の内側を信じようとせず欲を満たそうとしてくる外側の情報と手を組んだり信用したりするのかと思っていました。 


しかし 
根本的な法則や経験値が少ないことに気づいてわたしは驚いたのです。 


感謝以前の問題だからです。 


先述のように、すぐに諦めたり、経験を踏むことを嫌がりすぐに簡単なやり方を求めたり。 

それでは 法則を学んでいたとしても応用できないでしょう。 



人生は義務教育制度と同じように、基本を学ぶ時期と応用力を試し、力をつける時期があります。 


それを身に付けていれば、社会に出てもなんとかなるものですが、その義務教育制度を疎かにする始末。 

考えがないから、社会に出ても基本もわからず応用力もないのです。 


子供を養育する親や教育者でさえもそれをわかっていない。 



人が遊び呆けている中、わたしはとにかく経験値を増やし、手探りでも法則を探しあててきました。 


その過程で愛を学び感謝を学び自分自身に繋がってきました。 


ふと 周りを見渡すと、何も知らないし出来ない人が溢れていることに気づき、驚いたのです。 




誰もが人生において危機的な状況に陥ることはあると思う。 


その時に、何を考え何をするかは人それぞれだけれど、その時の心の状態がその後の未来を変えることは間違いないだろう。 




わたしはまだ情報も何もないところから、自分を信じて手探りで歩んできました。ホント手探りです。 


周りを見ると、甘いなと思う。 

道がついているからだ。 
しかし 道がついているのに、道のない場所を歩もうとする人がいる。 

わからないというのはこういうことを言うのだろうな。

こちらが道を示しても無視して藪の中に突き進む彼ら。 正直、アホかと思う。これが率直な意見だ。


お金の失敗だってそう。 

一回、失敗したからって、10年20年も それに囚われているって、人生がもったいないと思わないのだろうか? 


一度 それなりのお金を手にしたらしたで それまでとは違う悩みが生まれ、それを克服しながら、それを維持したり運用したりしていくわけだけど それをわからずただ羨んだり恨んだり。 



幾度も試練を克服してくるとある種の根性がつくものです。 


だから 継続も維持できるのです。 


ひとつの山を越えたことのないような人が継続も維持も出来るわけがないじゃないですか。


失敗を恐れず、だけど慎重に粘密に事を進める微細さは継続、維持するには欠かせない。 


わたしは人生、56年間生きてきてそう思うのです。 



うわべしか見れない人間で居続けることが幸せとは思わないし、日本を良い国にしたいと亡くなって逝った人達を思うと、居てもたってもいられなくなるのです。 



心が平和で目覚めていない人が多数の日本。 


誰かが自分の人生の責任を取ってくれることを願っていては、真の幸せは訪れることはない。





正義感(善悪)が強い子供が育つと親は苦労しますね。 


なぜなら 人を裁き、親をも裁くからです。


裁くことは白黒つけて相手を降伏させることで 
結局 それは、戦争の火種になります。 


最近は、物騒で コロナや大量逮捕の話を持ち出して覚醒することを特に話題としている記事が目立ち、記事内容を信じることは良いことで信じないことは悪いことのように書かれています。 

それってどうなの?と思います。 


そういう事実があるよ、と事実のみ伝えて、あとは各々の判断に任せることだと思いますが、悪を憎むことを推進する記事の多いことに胸が痛みます。 


目の前の相手は自分の知らないことを教えてくださる相手だという姿勢を教えてくださるのが神であって、人の知らないことを教えるのは誰でも出来ることです。 


知ったあと、自分はどう考え行動するのかは、各々の判断に任せるより他ないのです。 





最近の若者はどこで仕入れてきたかわからない自分のポリシーを持っている人が少なくないと感じます。 


たかだか20数年生きたか生きないかぐらいの人が大人に意見する時代です。 



様々な情報が飛び交っている世の中ですが その中で生き延びていけるのは、正義を振りかざしている人ではないのは確かです。 



人を憎むことなく、愛を受け入れていきましょう。 






一般的に、日記を書かないということは、日々の生活を振り返らないことでもあります。 


日々の生活を振り返らない要因としましては、振り返らなければならない事がないか振り返ることをしたくないかどちらかです。 

振り返らなければならない事がないのは日々の生活に怠慢さがあることですし振り返りたくないのは、振り返りを先伸ばしにすることでもあります。 

どちらも怠慢さから生じることを知っておくと良いかと思います。 




また 仕事に忙しくて、振り返る時間がなくて寝てしまうということもあるでしょう。  

それは、振り返ろうとしている意欲があると思うので仕方ないとは思います。 


日記は誰かのためにつけるわけではなく、自分のため、自身の今日を振り返り、明日からまた前を向いて歩むためのものであることを自覚してください。 

自分の人生のために、そう活用できたなら、つけないという選択はないでしょう。 





必ずしも 自分の役割と仕事を合致させなくても良いと思う。 


進路を決めるにあたり自分の個性特性を重視することは当たり前かもしれないが、そこに固執し過ぎるあまり、合致させなくても良いと思う。 




自分の進路を決めるにあたりやりたいことが見つからないと言われることもあるけれど 『決めること』はそんなに簡単でもない。だけど、難しいものでもない。 


それは、インスピレーションの場合もあるように感じる。 


イヤな気分がしない、という感覚。 


あと、求められることは出来ること。



求められることは、適性があるとも言えます。 



求められることは自分のベースになることだと覚えておくと良いでしょう。 


進路相談を受けた時に参考になさってくださいね。 



まあ
色々、書いたけど やり直しが出来ないことなどないですし、誰しもプライベート部分は必要なのだから、融通性を持つことも頭に入れておいたほうが良いかもしれないね。




いくら責任を求められる仕事でもプライベートや家庭で求められることがあったらそちらを優先出来るような世の中ですので。 




だから 予防医学がもてはやされるのでしょうね。 



これからは自分が自分を守る時代ですから。 





わたしは ずっと、ずっと そうやって 人に接して、生きてきています。



それは これからも変わらない。




人に対して 大切に丁寧に接することは
自分を慈しむことにも繋がります。



今 こうやって 書いていると、温かな何かに包まれている気がします。


そして 涙が自然と、溢れます。




辛いことなんてなかった。


人に対して大切に丁寧に接して、辛いことなんてなかった。


どんなにわたしを嫌な人と接してもわたしは人を愛した。


愛することをやめなかった。


人を思いやるということは、相手の立場になって考えて行動することだと思う。


わたしは常に相手の立場を考える。


人は その時その時の立場で生きているからだ。


ひとりの人でも 母の立場、妻の立場、職場での立場、社会的立場と さまざまな顔を持っているものです。


さまざまな立場をその時に応じて考えて接していきます。


してほしいこと、してほしくないこと、されたら困ること

常に、考えて行動しています。



思いやりって ただ 手をさしのべるだけではなくて、 相手のことを常に考えて、それに応じた行動をすることなのです。


助けてほしいと言わなくても、本当に困っていたら 助けることなんです。


その人の成長を考えたら、手を出さないことがよいのです と言われるかもしれないですが わたしは掴んだその手は離さない。

助けを求めることができない人がいる。

それは意地をはっていたり、プライドがあったり するかもしれない。

だけど そんな人にも察して、手をさしのべるのです。


それが 優しさかなあ と思います。


待ってるだけでは気づかない人もいる。




人は人の温かみを感じたら前を向けると思うから わたしは 人を思いやることはやめない。


例え、お節介にうつることかもしれないけれど、関係ない。


これが わたしの愛し方です。

真実なんて本当のところどうだっていいんだ。



できる!と思い込んで、その通りに生きれば、そのようになるし



できない!と思い込んで、その通りに生きれば、そのようになる。



それだけのこと。




だから、心の中の負の感情を解放することによって
できる!未来をつくっていくだけなんだと思うよ。



そして
できる!未来をつくるためには、恐怖心を克服すること。


失敗を恐れていては、前に進めないんだ。



恐怖心があるから
できない自分で居たいんだ。


過剰な自信はなくても、恐怖心はないほうがいい。


恐怖心を克服するために、目の前に起こることを謙虚さを持って体験していくだけ。


>わたしみたいな面倒な人には関わりたくないと思われるかもしれないけれど、それでも良い。 


付き合えないなあと思う。。。 



そこ、変える気ないな。 





変える気ないこと、誰にでもあるように思う。 



それこそが自分の個性? 



たぶん 昨日のブログは、自分の意志の確認のために書いていたのかなあと感じました。 



一方、今朝、こんなメッセージが降りてきました。



『今までは誰もが前世のカルマ外しのために生きていたけれど それとはまったく違う本当の自分を生きるようシフトチェンジしている。 


世の中がそう変わっている。 


シフトチェンジしていると言ったところで 乗り越えるべきことをしてこなかった人はシフトチェンジした人生でそれを経験することになるのです。 



やっと晴れ晴れした気持ちで再スタートを切る人たちが多いです。 



しかし 昨日も書いたのだが、自分を大切にしてこなかった人たちは シフトチェンジした人間関係の中で改めてそれを学ぶのです。 



シフトチェンジして浮き足立っていますが、現実を見渡すと、そんなことも言っていられない情況に気づかされるでしょう。 



人によっては 今までの行いが実を結ぶ人もいれば世界が違うだけで今まで同様の苦しみに教われるか明暗が分かれるでしょう。』 




新しい自分が現れてるけれど、変える気ない部分もある。 



変える気ない部分がより強固になったのかもしれないとも言える。 




昨夜は、久しぶり〜の人とメールのやり取りしていました。 



誰もがシフトチェンジしてるなあ〜 


強制終了とも言える。 





この時期、自分の殻が外れてどこが着地地点かもわからない感覚があったけれど そろそろ落ち着いてきて 再スタートを切る方も多いでしょうね。 




誰もが本当の自分でしか生きられない。 



それって宿命なんだろなあと感じる。 



わたしたちは宿命を生きるのです。 



そして 地球は地球で宿命という名の次元上昇をしていくのです。



謙虚さを失わなかったら 必ず、うまくいく。 



自分の人生を生きるって


自分のやりたいことをして生きる

ことではないのです。



自分が魂と一体化して、素直になることを言うのです。




昨日は、先週からザワザワしていることがあって
リセットをしに とある場所に出掛けてきました。


自分が一番、素直になれる場所です。



自分は何者でもなく、ただ、人を許して生きていたいと思える場所です。


自分に素直に生きていたいと思える場所です。




魂の使命なんていらない。

素直であればいいと思うのです。




結局 魂の使命というものは 魂の特性であって 目的ではない と思います。


わたしが人を癒したり浄化しちゃうのは、たまたま そんな魂の特性があるからなのです。




人には認められたいという独特の気持ちがありますね。


その気持ちが向上心をつけたり身を滅ぼしたりもします。


一長一短あるものです。



自分は何者でもない。



ただ 自分に素直でいたい。


それを未来に繋げるために、生きていく。

わたしたちは いろんな次元に身を置いて生きているのです。



例えば、愛する人とラブラブしている次元。
友達と遊んでいる次元。 仕事をしている次元。


様々な次元にわたしたちは身を置いています。


それは職種で異なるし、性格でも異なります。



でも 共通するのが、親と過ごす次元です。


わたしたちは親から生まれてきているので、必ず親が居ます。


生まれてすぐに身を置く次元です。


まずは、その次元からスタートです。


成長するにつれ、学校を楽しむ次元や友達と過ごす次元に分かれてきますが、やはり 一番、大切なのは親と過ごす次元、家族と仲良く過ごす次元です。


わたしたちはそれぞれの次元に意識を置いて生きるのですが、

仕事の次元に居るときに、家族の次元に意識を置いたりもします。


そうすると、仕事がおろそかになります。



だから
今、居る次元に意識を集中させることで そこの次元を取り組むことができます。



しかし 今の世の中、家族と仲良く過ごす次元に身を置いている人が少ないように感じます。


それよりも 自分ひとりだけで居る次元に身を置く人が多いように感じます。



わたしたちはパートナーと出逢い、結婚したら夫婦となり、夫婦次元に身を置くことになり
子供が生まれたら、子供を育てるという次元に身を置くことになります。

それなのに、その次元に意識を置かないのは、子育ての放棄になります。


子育てをしずに、友達と過ごす次元を選択する場合も同じく、子育ての放棄です。



子供を生んだら、子育て次元に身を置くことは当たり前の話です。


だけど、その次元に意識を置かずに、仕事次元や遊び次元には意識は置ける。。。



どの次元にも意識がおけないなら病気ですが
遊びはできるが家族と仲良く過ごす次元には意識を置けない人は、いつまでたっても成長はできないです。


仕事をどれだけ頑張っても 家族と仲良く過ごす次元に意識が置けない人も同じです。




わたしたちは、こんなパラレルな世界で生きているのです。




先日も書きましたが


これからの地球を造っていくのは、子供世代です。


だから、その子供の親は、確実に 子育て次元に身を置くことが必須なのです。


しかし、現実はどうでしょうか?



今は、結婚していても子供がいない人もいます。

また、独身でいる方も非常に多いです。


独身で気楽に過ごしている人は、その次元に身を置いているのです。


それを横目で羨ましそうに観ている人がいる。


独身ならまだしも、子供がいるにも関わらず、羨ましいと その次元に身を置こうとする。


子供がいるにも関わらず、夜な夜な遊び回ろうとする。


独身の友達が楽しそうだからと、子供を置いて、遊び回る主婦がいる。




だれもが 親がいて家族がいるのです。


だれもが親と仲良くして家族と仲良くする次元に身を置けばよいのだけど、それをしていない。



家族と過ごすよりも楽しいことをわざわざ探して回る主婦がいる。


家族と過ごすよりも自分が役に立てることを探して回る主婦がいる。


独身に憧れる主婦が増えているということです。

子供を育てて〇〇ちゃんのママ♪と呼ばれるよりも 自分の名前で呼ばれたい。


人に認められたい。


外で働きたい。



家族を置いて働く。。。何故ですか?


もう、独身じゃないのです。
既婚者なのです。
〇〇ちゃんのママだし、〇☆さんの奥さんなのです。


結婚するということはそういうことです。


家族を持つということはこういうことです。




結局、結婚して子供ができても
独身に憧れ、外でバリバリ働きたい願望がそうさせるのでしょう。


自分の欲求を満たしたいから、家族と仲良くする次元に身を置けないのです。



独身で仕事をしている人の次元と主婦次元は、はっきり言って違います。


どちらが良い悪いの問題ではなく、次元が違うのです。



いくら独身でバリバリ仕事をしていても
親と仲良くしていない人もみられます。



この地球に生きている限りは、親と仲良く過ごす次元に 意識を置くことは必須です。



また、この地球に生まれてきた使命は 誰もが、親と仲良く過ごす ということです。


家族が出来たら、家族と仲良く過ごす というのが使命です。


それをわからずに、違う使命を探したがる。


結婚して、子供がいないなら 夫婦仲良く過ごすというのが使命なのです。




今、アセンションの影響で 地球の波動は上がってきています。


それに伴って、わたしたちの波動も上がってきています。


しかし
いくら、波動が上がってきていると言っても
家族と仲良く過ごす次元は 自分自身が向き合わないと上がりません。


高低差が開くだけです。


波動が上がってきているから、チャネリング?ができるようになるかもしれません。



だけど、家族と仲良く過ごす次元に意識を置かないと 高低差はドンドンと開いていくでしょう。



そうすると、余計に意識が置けなくなります。




わたしたちは多次元に生きています。


好きな次元に身を置くことはできますが
いつまで経っても、家族と仲良く過ごす次元をおろそかにしていては、学びは終わりません。



誰もが その次元と向かい合うことを決めて生まれてきています。



わたしたちの使命は、次の世代の子供を育てることです。



独身の方でも同じです。

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