この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 人生


>わたしみたいな面倒な人には関わりたくないと思われるかもしれないけれど、それでも良い。 


付き合えないなあと思う。。。 



そこ、変える気ないな。 





変える気ないこと、誰にでもあるように思う。 



それこそが自分の個性? 



たぶん 昨日のブログは、自分の意志の確認のために書いていたのかなあと感じました。 



一方、今朝、こんなメッセージが降りてきました。



『今までは誰もが前世のカルマ外しのために生きていたけれど それとはまったく違う本当の自分を生きるようシフトチェンジしている。 


世の中がそう変わっている。 


シフトチェンジしていると言ったところで 乗り越えるべきことをしてこなかった人はシフトチェンジした人生でそれを経験することになるのです。 



やっと晴れ晴れした気持ちで再スタートを切る人たちが多いです。 



しかし 昨日も書いたのだが、自分を大切にしてこなかった人たちは シフトチェンジした人間関係の中で改めてそれを学ぶのです。 



シフトチェンジして浮き足立っていますが、現実を見渡すと、そんなことも言っていられない情況に気づかされるでしょう。 



人によっては 今までの行いが実を結ぶ人もいれば世界が違うだけで今まで同様の苦しみに教われるか明暗が分かれるでしょう。』 




新しい自分が現れてるけれど、変える気ない部分もある。 



変える気ない部分がより強固になったのかもしれないとも言える。 




昨夜は、久しぶり〜の人とメールのやり取りしていました。 



誰もがシフトチェンジしてるなあ〜 


強制終了とも言える。 





この時期、自分の殻が外れてどこが着地地点かもわからない感覚があったけれど そろそろ落ち着いてきて 再スタートを切る方も多いでしょうね。 




誰もが本当の自分でしか生きられない。 



それって宿命なんだろなあと感じる。 



わたしたちは宿命を生きるのです。 



そして 地球は地球で宿命という名の次元上昇をしていくのです。



謙虚さを失わなかったら 必ず、うまくいく。 



自分の人生を生きるって


自分のやりたいことをして生きる

ことではないのです。



自分が魂と一体化して、素直になることを言うのです。




昨日は、先週からザワザワしていることがあって
リセットをしに とある場所に出掛けてきました。


自分が一番、素直になれる場所です。



自分は何者でもなく、ただ、人を許して生きていたいと思える場所です。


自分に素直に生きていたいと思える場所です。




魂の使命なんていらない。

素直であればいいと思うのです。




結局 魂の使命というものは 魂の特性であって 目的ではない と思います。


わたしが人を癒したり浄化しちゃうのは、たまたま そんな魂の特性があるからなのです。




人には認められたいという独特の気持ちがありますね。


その気持ちが向上心をつけたり身を滅ぼしたりもします。


一長一短あるものです。



自分は何者でもない。



ただ 自分に素直でいたい。


それを未来に繋げるために、生きていく。

わたしたちは いろんな次元に身を置いて生きているのです。



例えば、愛する人とラブラブしている次元。
友達と遊んでいる次元。 仕事をしている次元。


様々な次元にわたしたちは身を置いています。


それは職種で異なるし、性格でも異なります。



でも 共通するのが、親と過ごす次元です。


わたしたちは親から生まれてきているので、必ず親が居ます。


生まれてすぐに身を置く次元です。


まずは、その次元からスタートです。


成長するにつれ、学校を楽しむ次元や友達と過ごす次元に分かれてきますが、やはり 一番、大切なのは親と過ごす次元、家族と仲良く過ごす次元です。


わたしたちはそれぞれの次元に意識を置いて生きるのですが、

仕事の次元に居るときに、家族の次元に意識を置いたりもします。


そうすると、仕事がおろそかになります。



だから
今、居る次元に意識を集中させることで そこの次元を取り組むことができます。



しかし 今の世の中、家族と仲良く過ごす次元に身を置いている人が少ないように感じます。


それよりも 自分ひとりだけで居る次元に身を置く人が多いように感じます。



わたしたちはパートナーと出逢い、結婚したら夫婦となり、夫婦次元に身を置くことになり
子供が生まれたら、子供を育てるという次元に身を置くことになります。

それなのに、その次元に意識を置かないのは、子育ての放棄になります。


子育てをしずに、友達と過ごす次元を選択する場合も同じく、子育ての放棄です。



子供を生んだら、子育て次元に身を置くことは当たり前の話です。


だけど、その次元に意識を置かずに、仕事次元や遊び次元には意識は置ける。。。



どの次元にも意識がおけないなら病気ですが
遊びはできるが家族と仲良く過ごす次元には意識を置けない人は、いつまでたっても成長はできないです。


仕事をどれだけ頑張っても 家族と仲良く過ごす次元に意識が置けない人も同じです。




わたしたちは、こんなパラレルな世界で生きているのです。




先日も書きましたが


これからの地球を造っていくのは、子供世代です。


だから、その子供の親は、確実に 子育て次元に身を置くことが必須なのです。


しかし、現実はどうでしょうか?



今は、結婚していても子供がいない人もいます。

また、独身でいる方も非常に多いです。


独身で気楽に過ごしている人は、その次元に身を置いているのです。


それを横目で羨ましそうに観ている人がいる。


独身ならまだしも、子供がいるにも関わらず、羨ましいと その次元に身を置こうとする。


子供がいるにも関わらず、夜な夜な遊び回ろうとする。


独身の友達が楽しそうだからと、子供を置いて、遊び回る主婦がいる。




だれもが 親がいて家族がいるのです。


だれもが親と仲良くして家族と仲良くする次元に身を置けばよいのだけど、それをしていない。



家族と過ごすよりも楽しいことをわざわざ探して回る主婦がいる。


家族と過ごすよりも自分が役に立てることを探して回る主婦がいる。


独身に憧れる主婦が増えているということです。

子供を育てて〇〇ちゃんのママ♪と呼ばれるよりも 自分の名前で呼ばれたい。


人に認められたい。


外で働きたい。



家族を置いて働く。。。何故ですか?


もう、独身じゃないのです。
既婚者なのです。
〇〇ちゃんのママだし、〇☆さんの奥さんなのです。


結婚するということはそういうことです。


家族を持つということはこういうことです。




結局、結婚して子供ができても
独身に憧れ、外でバリバリ働きたい願望がそうさせるのでしょう。


自分の欲求を満たしたいから、家族と仲良くする次元に身を置けないのです。



独身で仕事をしている人の次元と主婦次元は、はっきり言って違います。


どちらが良い悪いの問題ではなく、次元が違うのです。



いくら独身でバリバリ仕事をしていても
親と仲良くしていない人もみられます。



この地球に生きている限りは、親と仲良く過ごす次元に 意識を置くことは必須です。



また、この地球に生まれてきた使命は 誰もが、親と仲良く過ごす ということです。


家族が出来たら、家族と仲良く過ごす というのが使命です。


それをわからずに、違う使命を探したがる。


結婚して、子供がいないなら 夫婦仲良く過ごすというのが使命なのです。




今、アセンションの影響で 地球の波動は上がってきています。


それに伴って、わたしたちの波動も上がってきています。


しかし
いくら、波動が上がってきていると言っても
家族と仲良く過ごす次元は 自分自身が向き合わないと上がりません。


高低差が開くだけです。


波動が上がってきているから、チャネリング?ができるようになるかもしれません。



だけど、家族と仲良く過ごす次元に意識を置かないと 高低差はドンドンと開いていくでしょう。



そうすると、余計に意識が置けなくなります。




わたしたちは多次元に生きています。


好きな次元に身を置くことはできますが
いつまで経っても、家族と仲良く過ごす次元をおろそかにしていては、学びは終わりません。



誰もが その次元と向かい合うことを決めて生まれてきています。



わたしたちの使命は、次の世代の子供を育てることです。



独身の方でも同じです。


この世界は自分の望んだことが現実に現れる世界です。 



自分がこう!と決めたことが現実化する世界でもあります。 


一方で、意志が弱くハッキリしない場合は、無意識層、潜在意で思い描いていることが現実に現れるのです。 




わたしはポコポコと発想を生むという個性を持っています。 

そのため たくさんの現実をポコポコと生み出します。 

その中で生きています。 

そんな中で、自分にとって都合の良い現実を創り出して、自分が楽しんでいます。 



仏教などで覚りを開いた人はたぶん、そのことを知ったのだと思います。 


そして 自分の信じる道を創り上げた、それが宗教なのだと思います。 


それを自分だけで楽しむのではなく、人をそこに招き入れたのです。 



〇〇すると☆☆になるよ 
という教えを刻みこませてたくさんの宗教が出来上がったのだなあと思います。


それは開祖の意向通りに仕上がるでしょう。 



そうやって 幾多の宗教が出来上がったのだと思います。 


その中には権力的なものもあれば本当に民のためになる思想もあったでしょう。 



人の人生には幾多の試練があるものですが、その時の心情に合った教えがあれば そこに依存してしまうこともあるでしょう。 


聖徳太子は仏教を権力のために利用しましたがそれだけではないようで人々の心を癒す役目もありましたね。 




この自分の望んだことが現実に現れるという世界の仕組みは、日本人にとって生きる上で非常に最適なもののようです。 


ここでは、日本人にとってはと書かせていただきます。 



それは、何かと言いますと  今まで、日本人である先祖が創り出してきた思想、宗教が重要な役目を果たしているようだからです。 





そういえば 何かに書かれていましたが、日本人はなかなか殺しても死なないそうです。 

原爆落とされても、放射能汚染されても人工地震、台風起こされても。。。 

生き延びています。 


これは、日本人の資質だそうです。 


わたしは以前から、死なないと公言していますが、それがこのことと関係しているようです。 


今、縄文時代や大和魂を呼び覚まそうという働きがありますが、それもこのことと関係しています。 


死なない人間になるというか死なない!という不屈の精神を持つことが大和魂を呼び覚ますことかなあと感じています。 
また、それだけでなく、日本の農耕民族の習性とも関係しますし先に述べた幾多の宗教が出来上がった背景とも関係します。 


長くなりそうなので、この辺で。 




夫婦の関係は全部が良いことばかり合うことばかりではない。 


それでも何とかやっていけるものだ。 


それは、男も女も同じ。 




だけど それが気になり出すのは、他に気になる人や事が出来た証拠だね。 


今までは許しあえてきたのに他に気になる人や事が出来たら許せない心境になってしまうんだ。 


自分の心の問題で相手を嫌ったり許せなくなるのに相手のせいにしてしまう。 



本来なら、それは反省すべきことなのに、相手のせいにして関係を解消しようとしてしまう。 


関係を解消したらどんなに素敵なことだろうと妄想する。 


そうなると もう、手がつけられなくなるね。。。 



なんやかんやあって夫婦関係を解消したとする。 


解消されたと思うのは一時で また、違う人と繰り返す。 



結局 わたしたちはそれぞれに課題を与えられて生まれてきているのだから そこに取り組んでいきさえすれば、素晴らしい人生が待っているものです。





課題があるうちはそこに全力で取り組むのです。 

そして 課題が終了したら、自分本来の人生を生きるのです。 




使命を生きることにこだわってる人っていらっしゃいます。 



う〜ん、スピリチュアルなことに導かれてる方の特徴でもある。 





人生って『自分』そのものを生きることで、自分の一部だけを取り上げることでもないのです。 



まんべんなく生きていればいい。 





好きな人と一緒に過ごす時間も家族との語らいもお金を稼ぐことも友達との旅行もおうちの片付けもまんべんなくやってることが自分を生きることなのです。 



何かに突出してなくても良い。 




ただ、その時その時を集中した時間を過ごすこと。 



そんな中に使命と呼ばれることが入っていればいい。 


ちりばめられてる場合もあるね。 




それが自分を生きることです。 






自分が何か受け入れてないことがあるならば、これからの人生の中で 受け入れ難いことが起きてくるものです。


それは、受け入れ許すために起きること。 



そうやって、わたしたちは生きていくのです。 



慌てず騒がずです。 




**********************



わたしは たまに、自分がドツボにはまるようなことを口にしてしまいます。 

それは、アルさんが言ってるんだろうと推測します。 


わたしにも 未だ、受け入れてないことがあるようで そのことに関しての発言でした。 

自分の言葉で自分の内側がわかります。 

受け入れてないことを受け入れるために、わたしはわたしを陥れるのです。。。 



困った、困った^^


わたしが去年まで日常的にしていた仕事は、高い倫理観や社会的責任を求められるもので、心得が書かれているテキストがあったので 書き出してみました。 


◎心得◎

1 高度な職業倫理 
2 不断の自己研鑽 
3 下の者への指導、助言 


○その立場の信用と品位を害することの禁止

◯高い信頼性を求められる業務 

◯顧客利益の保護

◯社会的責任の自覚 

◯ニーズや本心、心理的要素、法的問題、業務内容の不備がないことと配慮。 

◯調査能力、正確な説明能力、スキル 確認。 

◯顧客の知識、経験、理解力を洞察する力 

◯細心の注意を払うこと 
◯誠意ある対応 

◯報告、事実関係の確認と原因分析 

◯解決案〜感情的トラブルはお詫びの言葉が必須 
◯損害の発生有無と責任の所在 

◯再発防止策の立案 

◯依頼者の悩みや想いを受け止めて解決案を提示する能力(相談対応能力、問題解決能力、顧客対応能力) 

◯個々人が自己研鑚に努めること 


この内容ってライトワーカーなら必須なのだと思います。 

わたしは、去年までは仕事をしながらそれを会得してきて、これを日常的にこなすことが自分らしく生きることなのだと実感しています。 


だけど これは誰もに求められてることでもないのです。 


餅は餅屋と言いますかライトワーカーでないならこんな内容は求められません。 


自分を律することや責任を負うことはわたしにとって得意なことで好きなことです。 

好きだから続けられる。 


好きなことが見つからないという方はいらっしゃいます。 

わたしは30年間同じ仕事をしていましたが最初の頃はイヤでイヤで仕方がなかったです。 
だけど 論理エンジンもやり始めて自分を取り戻してから変わりました。 



好きなことというのは、自分を取り戻さないとわからないことかもしれません。 



参考になさってくださいね。


人間にはね、絶対に裏切ってはいけない人っているね。 


何があっても信頼してくれる人。

何があっても守ってくれる人。 

何があっても 最後は許してくれる人。 




そういう人ができたら、絶対に離してはいけないし、離れてはいけない。 


一人でもそういう人がいたら、幸せだと思う。 




昨日、話をして気付いたのですが、物を丁寧に扱ったり大切にすることをしていない人が増えているようです。



例えば、出掛ける前に靴を磨いたり、下着を手洗いしたり、帰ってから服をさっと埃を払う、、、、など。 



物を大切に扱うことは、人に対しても同様に言われることです。 



物を大切に扱うことが出来ないと人から大切にはされないよ、と わたしはいつも娘に話しています。 


日々の生活の中で、人や物を大切に扱うことは、当たり前だと思っています。 


靴が汚れたら洗って履いたりとか、服が破れたら繕って着ることは日常だと思うのです。 


クリーニングも同じで手洗いできるものは自分で洗います。 


節約とは違って、それは物を大切にする心なのです。 


お料理するときも捨てるところのないように調理するしある食材で調理する。 

やみくもに捨てないし買わない。 

食材は生協さんで適当にお野菜を頼んでおいて、その中で工夫して調理していますし出掛ける時はお茶や飲物持参します。 



お洋服もわたしは、好きなものだけ買う主義です。 

そのため、20年30年着ている服もあります。

そのために体型は変えないし変えたくない。 


そのため、わたしは好きな物に囲まれて生活しています。



好きな物に囲まれて生活するために物を大切にして生きているのかもしれません。 




このページのトップヘ