この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 神様

72c6231b.jpg自分は元々、神なんだ と実感できる人はなかなかいないのかもしれない。


実感できるようになると、『感謝』の本当の意味がわかると思う。




わたしは 『感謝』の意味をなるべく詳しく伝えているつもりだけど、全部も伝えられていない。





人は元々は神なんだ。


だけど、神のまま、地球にはいられないから 肉体を纏った。


肉体を纏った時点で神ではなくなった。


肉体を纏ったから、神という自分自身を肉体で表現しなければいけないんだ。


自分自身の魂は『感謝』という神なんだ。



だから

『ありがとう』と言うのは、自分を名乗っているようなもの。


相手に心を開いているということ。




だから、〇〇〇だから『ありがとう』と伝えたほうがいいね。



ただの『ありがとう』だけじゃ伝わらない。




〇〇〇だから『ありがとう』と伝えるんだよ。



わたしたちは

元々は神であり、感謝の塊だから


自分を肉体を使って伝えるんだ。


神様と言われる本質は 

第1に気が長い。 

第2に仲良くする。 

第3に待つ。 



よって 悪でも何でも、改心するまで待つ。 




だから、このコロナ渦が長引いてます。 



期限? 

気が長いから、ナイ。 




さっき 娘から、「好きなように旅行に行ったり誰もが買い物を楽しめるのはいつ頃なの?」 
と訊かれました。 




今年5月の初めにわたしはコロナのことを投稿しました。 


この地球の人類がコロナの本当の理由がわかったら暴動が起こるから、そのために自粛が必要だと書いたはずですが 神様は暴動が起こらないような形をとっているように思われます。 

たしかに、経済破綻は起こるでしょうし、人類の意識改革も起きるでしょうが 暴動が起こるようにはならないように感じます。 

神様はそれは望まれていないからです。 




この地球上に生まれている魂は、どなたも神御霊です。クローンさえも。 



この近い将来起きるのは、人類の価値観の変化でしょうね。 



今までは、楽しいことやワクワクを求めていましたが、これからは 成長できることやものを求めていくのだと思われます。 


古いい価値観を手放し成長することを選択していく。


すると 人は、ちょっと成長したかと思うと人と比べ優越感に浸ったり卑下したりする。 


そんな身近なことがコロナ渦を向け出す準備となるのです。 


目の前のことに集中して過ごしていてくださいね。 



「わたし」が今、なぜ、ここ で生きているのか。
その「根っ こ」を見極めるためにも、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解る と、大きな心のよりどころを得ることになるのです。


人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかしその姿を保つには相当の努力が必要です。

心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。
本来の人としての姿にもどることを願う。
これこそが神道の祈り です。

神道では、具体的な教えを言葉や文章として遺していませんが、 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきています。


「神のご意志のまま」に、「神の意に背かない」生活を常に心がけ ること。
「教えられたことを忠実に守る」のではなくて
「おのずから神の意志というものを推し量って生きる」信仰が「かんながら」なので す。


「かんながら」の信仰を持ち、信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。




神様の伸縮運動
神様の運動の基本は、『伸縮』運動。 


伸は、行動力、発進力。 
縮は、省みる力、振り返る力。つまり、反省です。 



行動力と省みる力は人としての基本です。 


心が素直なのは省みる力や行動力が強いこと。 

心が捻れているのは省みる力や行動力が弱いこと。




最近は転生回数の少ない人が多く生まれてきていて、宇宙時代の誇り高い気持ちが先立ち、省みることや慮ることがわからない人が少なくないようです。


そのような方は人間離れした印象を受けます。 

しかし、そういう方々は『伸』の力はあるように感じます。 

発進力、行動力ですね。 
しかし 『縮』の力、省みる力が弱い若しくはない。 


一方、転生回数の多い人は 基本の力をねじ曲げられていることが多くて 『縮』の力を失い 自分を卑下する傾向があり、『伸』の力は削ぎ落とされていて、行動力がないことが特徴です。 



どちらの方も 心の捻れを真っ直ぐにする必要があるのかなあと思います。 


心が捻れている人は真っ直ぐになっている状態そのものがわからないので 今の状態がまともだと感じている傾向があり、指摘されても 捻れていることに気づかないです。 


現代人の多くが捻れているため 捻れている人こそが人間らしく 真っ直ぐな人は人間らしくないと判断される方も少なくないです。 




本来 人間は行動力と省みる力が備わっているものです。 


反省しながら行動力を発揮していけるものです。 

そんな自分に戻してくださいね。 



ままのままの教えというものがあり 
わたしは、そのままのままさんの教えを言葉にして降ろすことをさせていただいております。 


そして 次世代に繋げるよう伝え教えることもさせていただいております。 


ままのままさんの教えというのは、古代祭祀を司っていた頃からの礼儀を軸とした教えです。 



今年は、コロナ渦の影響を受けることなく ままのままさんの教えを広めることが出来たと嬉しく感じています。 


神様がコロナをこの世界にお許しになられたのは、パソコンでのコミュニケーションでもなくオカルトチックなテレパシーでもない、古来からの教えを受け継ぎ繋げるためだったように思います。 


仲間と離れていても 誰もが内にある神様という礼儀に気付き心を通わせていくことでそこを通して新たに仲間と繋がっていくことが出来る。 


それは 元々ある神々の秩序をこの世界に反映しているに過ぎないのです。 


古代には当たり前にあった礼儀や神々の秩序をわたしたちは見えないようにされていたのかもしれません。 


しかし こうやって 神々の秩序や礼儀を思い出すことで、新たな自分となり家族や仲間とも言葉を介さなくても心を通じあわせることが出来る。 


誰をも敬い、謙虚でいることで 古来からの想いを感じることが出来るのです。 



有り難いお導きに感謝しております。 


神々の秩序というものがあります。 


秩序は、物事を行う上での正しい順序。また,社会・集団を正しい状態に保つための順序や決まり、を指します。 

神々の、であるから 
このように、神々がこの世を治めるための物事を行う上での正しい順序や社会・集団を正しい状態に保つための順序や決まりがある、ということです。 



そして、それが 日本は古来より連綿と受け継がれていて、 それが伝統もあり、和文化に受け継がれているものです。 



最近 着物や和文化に関心を寄せる方々が多いのは、魂が神々の秩序を思い出すためでもあるのです。 


しかし、着物や和文化にはしきたりや礼儀が関係しますが その中には、個人的に人間が創り出した秩序があるかもしれません。

受け継がれていくのは神々の秩序であり、個人的に人間が創り出した秩序ではありません。 


そこを知らずに、人間が創り出した秩序を伝統という方々がいらっしゃるようです。 


神々の、とつくくらいなので、畏れ多くて尊いものなのです。 

神々を軽んじている者は伝統を受け継ぐことは出来ないものです。 



魂が神々の秩序を思い出すために和文化に関心を寄せるだけのことを和文化に関心を寄せることが選ばれていると錯覚している者もいるようです。 

選民意識甚だしい。 



本当に和文化を受け継いでいく者は謙虚さがあり紳士的であり勤勉さがあるものです。 


新しい物を受け入れ古い物も受け入れ、残っていくものは 神々の秩序に沿った物なのです。 



考え違いされてる者が少なくないと感じる今日この頃です。 





ここ最近、立場が上の人の視点や価値観を受け入れるよう促されている感触があります。


また そんなお話しを聴くことも少なくないです。 




人が感謝を感じる基準はそれぞれ違うものです。 

だから 自分が何か人にして差し上げたからといって それが相手の感謝の対象になるかどうかはわからないですね。 



仕事でプロ意識を持ち相手と接している場合、感謝されたからといって、それで一喜一憂しないものですが、自分が認められたことにたいしては嬉しいもので感謝が溢れて逆に、「こちらこそありがとうございます。」という気持ちになるものです。 



また 自分にたいして相手が感謝を感じていないことを不思議に感じ、相手の体調を心配される方もいらっしゃいます。


それは相手を信じているが故の心配ですね。 


それを心配性と断定するのは、いかにも感謝がないことですが 
それはわたしたちを生み出してくださった創造主とわたしたちの関係でも同じように思います。 


わたしたちを生み出してくださった創造主は前世の記憶をなくして転生していくわたしたちを記憶をなくしているけれども繋がりだけは覚えてくれているだろうと信じて見守っていてくださっているのではないだろうかということです。


地上に転生してきたわたしたちをいつかは思い出して戻ってきてくれることを信じてくれているのだと思うのです。 


実際には、完全に忘れて 地上でやりたい放題やっている悪と呼ばれる存在もいるのですが 自分が生み出した我が子であることは間違いないのです。 

やりたい放題やって完全に忘れてしまっていては 思い出すこともないでしょう。 


創造主としてみたら 
我が子が自分と繋がっていると感じていないことに理解できないでいるように感じているのではないかとわたしは思えるのです。 



そんな創造主(神様)の遣いをさせていただいておりますわたしには 同じ働きをするために一緒に転生してきた仲間もいるのですが その仲間が好き放題して、霊的成長もしていないのを見聞きしますと わたしは不思議に思うのではなく悲しくなります。感情があるからです。


だけど 相手はそんなわたしの気持ちはわからず よけいにやりたい放題していて こちら側が悪いと言わんばかりに攻撃してきたりもします。 


生み出した創造主からしたら、まさか忘れてしまっていると想いもよらないでしょう。 


それに気づかない魂がどれだけ多いことか。 



これを人間の親子に置き換えることもできるなあとも思えます。 


子供を心配する親にたいして子供は心配はいらないと疎ましがりますが その心配とは、感謝を忘れてしまった我が子が変わってしまったことが理解できないからではないでしょうか?


親に対する感謝を忘れやりたい放題していても、親からしたら子供が自分への感謝がなくなったとは思えないから、どこか体調が悪いのではないだろうか?心を病んでいるのではないだろうかと気を病むのではないでしょうか? 



感謝がないなんて思えない。 
繋がりを忘れたなんて思えない。 



神様や上の立場の者達は、そう感じているようにわたしは思います。 




今日は獅子座の新月です。



神様、仏様の想いを感じてみてはいかがですか?


ご両親やご先祖様へ想いを馳せてみてはいかがですか? 


自分より立場が上の人の視点や価値観を感じてみてはいかがですか? 





これからは、土や微生物、植物からメッセージを受け取る時代になるようです。 




人や世界は人工的なもので変えられてしまいました。 


日本古来の考え方も歪められてしまい、受け継がれているものが少ない状態です。 


残されているものはDNAに刻まれています。 




目に見えるようには残されていないのです。 



だから 目に見えないものに意識を向けましょう。 


土や微生物、植物からメッセージを受け取りましょう。 


日本は神宿る国と言われています。


それは、日本国の土壌そのものにメッセージが刻まれている証拠です。 




神宿る国、日本。


資本主義社会は『お金』さえあれば豊かになれるという世界をつくりだした。 


しかし 心は豊かになれなかった。 


そのため それは間違いだと気づく人が増えた。 


しかし その気付いた人を虐殺しようと企む人が現れた。 



『お金こそすべて』『お金が王者のシンボル』と考えてる人種だ。 



そもそも 地球はその人種に地球を貸してあげてるに過ぎなくて、期限が過ぎたから返してもらうように動いてる。 

それは宇宙もわかってること。 



地球に任せておけば、その人種は滅びるのだ。 
しかし その人種はしぶとい。 


宇宙には宇宙連合という組織があり愛で成り立っている。 


愛だから彼らが気づくのを待ってる。気の長い話だ。 


コロナウイルスとやらもその人種が造り撒き散らした、殺人兵器だ。 


しかし 生粋の日本人というのは不思議で、どんな悪と呼ばれるものでもそこから学び、新しいものを生み出す力がある。 



困ったもんだ〜 



それが日本が神国と呼ばれる由縁だと思う。 





金には確かに価値はあるけれど 価値あるのは金だけではなくて、銀も銅も菌も茶もこの世界にあるすべてのものは価値がある。 



これは、思想でもなく宗教でもなく真実なんだ。 






節度、自制心ない方はいらっしゃいます。 


いくら自由な世の中だからと言え奔放過ぎる話を見聞きします。 


先日も書いたのですが、人にバレなくてもご先祖様は見ているもので、宇宙の法則が働くものです。 

御天道様は見ている 

因果応報 


わたしの幼少期はそう教えられたものですが、最近は聞かないです。 



そんなこと言われなくても自制心が備わっていれば良いだけですが。


自制心がないから自由で好きな生活をして楽しく暮らしてる人を見掛けます。 

一方で、自制心があるため、心が苦しく過ごしてる方もおられます。 


どちらが神様から引き立てられるかといったら苦しみながらも過ごしている方なのです。 


楽しく苦しみ感じていなくても、節操なく過ごしてるといずれ天罰が下るものですしバレるものですね。 



その時に気付くのでしょうが公にならないと気付けないのは、あまりに幼稚といえるのでないでしょうか? 


恥ずかしいという気持ちをなくすことで失うものがあるのです。 



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