この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

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わたしは ブログでいろいろとキツい内容の記事も書いていますが

わたしがどこにメスを入れるか というと


『自分に嘘をつかない』

これだけなのです。


自分を軽んじることをしている人や事には、非常に敏感に反応します。



その人の魂の痛みを感じるからです。


でも、それだけなんですよ。



あとは、ゆるいですし、甘いです。



自分の魂に素直に生きていること、それだけです。



嘘つきは泥棒の始まりって言いますよね?



相手にも自分にも嘘ついちゃいけないのよ。


それに、約束は守るの。



自分にした約束も守るのよ。




魂は泣くから。。。


泣いて、泣いて、うずくまってしまう。。。



わたしは、それを視ていられない。


辛くなる。。。



わたしはあなたの魂と永遠の友達だから。。。


宇宙からのお友達なの。


魂の自由意思


魂の自由意思というのはね

魂がどんな選択をしても自由なんだ ってことなんです。


魂が!です。

肉体が!ではないのです。


魂が泣いてるのに、手を出さない友達がどこにいますか?



肉体が右往左往しているときに、魂が応援している時には わたしも一緒に応援します。


肉体が悩んでいる時に魂が喜んでいるときもあります。
そんなときはわたしも一緒に喜びます。



わたしはいつも魂に添います。

命の使い方ってあると思う。 


命の花を開きたいって気持ちもあるし、永遠に開いていたいという気持ちもある。 


花が開くと、蜜蜂や蝶々たちがやってきて、花粉を運んだり蜜を吸いにきて賑やかになるの。 


とても楽しいし嬉しい気分になる。 


でも 花が開ききってしまうと、葉が枯れたり落ちてしまい、終いには開ききった花は枯れたりしおれてしまう。 


花が開いている時期は短い間なのかな? 


そうではないはず。 

わたしは、そう思うの。 



命の使い方ってあるはず。 

自分という花の開かせ方ってあると思うの。 




自分の人生を花開かせたい!という気持ちはわかる。 

だけど 開ききったあとはどうするの? 

枯れてしおれてもいいの? 



人は自分だけで生きてるわけではなくて 愛する人や支えてくれている人がいるものだと思う。 


その人よりも自分が枯れてしまったら、どう感じるかしら? 


『死』というものは自分も辛いけど、残された人の方がうんと辛いとわたしは思うんだ。 


だから、愛する人や支えてくれている人を悲しませないためには、自分という花の開き方を考えた方が良いとわたしは思うのです。 


継続して、咲き続ける。 
永遠に、咲き続ける。 


誰にたいしても開いて見せるのではなくて、大切に感じている人にだけ開いて見せる。 


わたしは開き続けていたいから、そんな開き方をしています。 


だから、表立ったことはしないのです。 



花開いた姿に群がるのは、蝶々や蜜蜂だけではないから。 


愛する空ちゃんを悲しませないために、空ちゃんの前では100%開くけど、他の人の前では?%です^^ 


まあ、?%でも そこそこ威力はあるからね。ハハハ〜 






古い時代に樹の精霊の神気を繋ぎ自然崇拝していた人たちがいました。 
その人たちの想いと自然界の神IMG_3031

々両方の想いが繋がった場所。 
天地の繋ぎ、命を生み繋げる想いが込められています。 



これがわたしです。 

わたし、そのものです♪



外に歩みだします。 




なぜ わたしたちの命が尊いと言えるのでしょうか?

それは、わたしたちは、この宇宙をつくられた創造主である源から生まれでた存在だからです。


そして わたしたちには、宇宙の源と同じ力が備わっているのです。


そして それを、この地球で表すために生まれてきているのです。


死ぬということは、それを体現できないことになります。


だから わたしたちは命を守る義務があるのです。

守る義務があるくらいわたしたちの命は尊いのです。


確かに、死んでも魂は永遠ですが、地球でその力を現せなくなることは、悲しいことです。


だから、命は大切にしましょうね。

愛する人に先立たれたり 伴侶に先立たれた方は、強い悲しみ苦しみ、孤独を味わうことになります。


これは その想いを抱えながら、霊的成長をしていくという生まれる前に決めてきた目的でもあります。


悲しみや苦しみを乗り越えながら、孤独の中で霊的成長を果たすのです。



魂は知っています。


そうやって、霊的成長をするために決めてきたことを。



孤独が一番、人を成長させます。


だから、あえて 孤独に身を置くのです。




わたしも自身の成長の時にはひとりでした。



わたしたちは、ひとりで生まれてきているのです。


そう考えると、恐怖心はなくなりませんか?

生を受けるということは、生きるということ。


古代の人たちは 早くに命を落とすことが多く、死ぬことに恐怖を抱いていた。


死ぬこと、離れること、別れ。


その恐怖から、様々な知恵が生まれた。



そして、自然と、天気を司る存在に敬意を払い、命の恵みに感謝するようになっていった。


しかし、命との別れとは縁が切れずに 辛い想いを強いられた。


死にたくない。
離れたくない。
別れたくない。

それは、愛する者と永遠の別れを意味するんだ。


だから、永遠の命が欲しいし、命を呪った。


欲しいものは命。

そこで、執着が生まれた。


生を受けて、さまざまな感情が生まれる。


それを残したいと考えた。

次、生まれてきた時にわかるように。




古代の人たちは、命を敬い、命に感謝し、命を呪って生きていた。


お祭りや残された壁画や土器はそれを想いとともに残している。


また 信仰も同じだ。


長生き、永遠の別れによる痛みから逃れたいがために、あらゆるものを信じ、そして 排除していった。



そうやって 古代の人たちは 命と向き合って生きてきたのだ。



しかし 現代人はというと、そこには目もくれず、遊びほうけている。


命を大切にしない人が増えた。


それは、長い転生の末、命を守るという想いが薄れてきたからだ。


執着があるうちは まだ、いい。


痛みを感じないように、ハートを閉じるようになった。


そのため 生きる意味さえわからなくなっていったのだ。



わたしたちは どこから来て、何を目指しているのだろう。。。


生きる意味もわからぬまま、生まれてくる魂が多い。


魂そのものが行き場を失っているのが現代だ。


それを、自身にわからせるために 地球ではあえて、別れを体験させる取り組みが成されている。



別れ、辛い別れ。


それを あえて、体験することで 自分の命の尊さを知ることになり、自分は命そのものだと気づくことになる。



わたしたちの源の命は祈りを込めて願っている。

自分が命だと気づくように。


源から分かれた命だと気づくように。


そして ただ、戻るだけだと気づくように。。。


気づいたら、源との約束を思い出すでしょう。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

NHK Eテレで放映された『日曜美術館 特別編 「◯△□の伝言〜井浦新“にっぽん”美の旅4〜』

FBで繋がらせていただいています雲龍様からこちらの番組内で雲龍様の笛の音の「CD遮那」を使って頂いていると教えていただき、さっそく観せていただきました。
そして、なんとなく浮かんだので、書き留めました。


だいぶ、はしょって書いたけれど、古代の人たち 縄文の人たちは こんな想いで生きていたのかなあと感じました。


今、その時の想いを思い出すことを叫ばれていますが、それよりももっと 遥か宇宙の頃、源と繋がっていた頃を思い出すほうが より思い出しやすいように思います。

雲龍さんの笛の音は、それを呼び覚ましてくださる音だと感じました。


宇宙にいた頃を思い出し、源とのやくそくを思い出す音です。



わたしの雲龍さんの笛を聴いた感想がこちらです。


宇宙風、わたしがまだ 風と呼ばれる存在だったことを思い出しました。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


わたしがかつて風と呼ばれる意識の頃、 出会った同じ存在。。



ノドを鳴らし、オトを奏でる。

木々をすり抜け、葉を揺らす。

光という衣をまとって色をつくりあげる。

わたしという風の色と混ざりあい造り上げる。


それがオト。


渦を巻き上げ、それぞれの風となり、オトを奏でる。



ふれ合った時のオト、離れた時のオト、溶け合った時のオト、惹かれ合った時のオト。




オトを奏でながら、わたしたちは

揺らぐ。

震える。

はしゃぐ。

抱き合う。。。




離れても、思い出すことを約束して 舞い上がる。

『生まれる』原理は、『愛する行動』『愛されている確信』で『生まれる』のです。



在るというエネルギーと成すというエネルギーがあります。



在るは子宮で成すは精子。


在ると成すで産まれる。


愛する行動が成す。

愛されている確信が在る。



愛する行動の根底にあるのが、愛されている確信。


在るのです。


愛されている確信があるから愛する行動が起こせるのです。



愛されている確信こそが、命そのもの。




そう考えると、『生まれる』のではなくて もうすでに、『生まれている』ことに気づくでしょう。



ニワトリが先か卵が先かを問われたら、卵が先なのですね。。。



もうすでに在るのです。

いのちは在るのです。


幸せは在るのです。

絶ちがたい人と人との結び付き


絆が深い=運命の人



離れようとしても離れられない関係があります。

感情に翻弄され もう、一緒にいたくないと感じていても離れられない関係があります。


それは、絆が深いから。


人は そんな深い絆のある関係を求めて、また 嫉妬する。



当人は苦しく感じるのに、第3者からは羨ましく思われるものです。



そばにいなくても 心は離れない相手がいることは人に勇気を与えてくれるから。


絆を求めて人は歩むものかもしれません。

79d60612.jpgひとりでも生きていけるように強くならなければいけない
って考えてる人が多い世の中のように感じます。


そのために、自分の『好き』を探求して生きていく。


そういう方は、成功している!と言われるようになるかもしれませんが、寂しい人生です。


動機が『ひとりでも生きていけるように』だからです。



物事を成すためには、動機が大切です。

それが原動力になるからです。

ひとりでも生きていけるようになるための力って本当のパワーと言えるでしょうか?




一方で、愛する人と一緒に生きていきたい、家族仲良く暮らして生きたい という動機で同じように努力をしている人がいるとします。


どちらが心が豊かなのかわかりますか?



元々は、どちらも家族との関係が良くない状態だったり どちらも愛する人がいないとしても
最初から、そこを求めるのと求めないのは、心の豊かさが違います。



人生最後まで、ひとりで生きるって寂しくないですか?


潜在意識が『ひとりでも生きていけるように強くならなければいけない 』と感じているなら、魂がいくら相手を求めていたとしても 人生は潜在意識優先に創造されていくもので、魂がいくら伴侶を乞うていても魂は潜在意識に寄り添うのです。


わたしは魂の想いがわかるので見ていて歯がゆいです。。



魂は潜在意識の選択に寄り添います。


さっきも FBのコメント欄で書いていたのですが わたしはこのお盆は、自分の生まれてきた目的である核を撲滅すること中心に動いていました。


いつもお盆というと7月15日頃からご先祖様がプカプカと帰っていらっしゃいます。そして、ご回向をさせていただき、うちで楽しく過ごしていただきます。


しかし、今年は、この核撲滅に関しては 戦争で亡くなった方の霊との交流がありました。

日本を守るために命をかけて挑んだにも関わらず、戦後、復興はしましたが また、同じことをしようとしている日本のある一部の人に対して強い怨念を持っている霊が 今もなお、苦しんでいらっしゃいます。

以前、お手玉遊びでも書いたように、わたしを信じていただいて魂の昇華をさせていただきました。

念を持って存在することって苦しいのよね。

成仏して光りに還りたいわけではなくて、その想いを知ってほしくて、また、それを繋ぐ人に出会いたいのです。

プカプカ浮いてる霊さん 誰もが、この世界から核のなくなることを望んでいます。

その想いに答えるために、わたしたちは生かされていると思うんです。


プカプカ浮いてる霊さん でも この世を生きている霊さんも同じで 結局は、魂同士が繋がりたいのだなあって思います。


人と人との出会いも同じで、魂同士が繋がりたいのです。


魂と繋がる時のポイントは、互いの神聖さを信じあうことだと思います。


負の感情を抱いていることを知っても、何かの間違いだと思えばいいのです。



そうすることで 魂同士が会話して、安心していただけます。



どんな魂も神聖な存在です。

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