この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

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何か衝撃的な体験をすると わたしたちの日常はとてもたやすく崩れてしまうものだと感じることがあります。 


それが魂レベルでわかることが覚醒ということかもしれません。 




これまでのわたしは 今まで生きてきて、それを仕掛ける側にいたように思います。 


安定してくると、それを壊して進んでいく。 


そんな自分を責めていた時期もありましたが、こと訳がわかると、それが自分の役割だったのかな、と思います。 


今あるものを壊すことや壊れていくことを恐れないで。


壊れるのは所詮、幻想にしか過ぎないのだから。 

壊れたら また、つくり上げていけばいい。 


ありのままの自分は残るのだから、つくり上げることは出来るのです。 


壊れても、本当の自分は残っていくのです。




第二次世界対戦で、特攻隊に志願して逝った人達は日本国に対する忠誠心だけではなかったと思うのです。 


日本国を守るため無駄死にするためでもなくて、死を持って何かを変えたい❗という想いの表れだったのではないかなあと感じています。 



そして その想いで亡くなられた方が新たに今、転生してきています。 




わたしは死を持って何かを果たすことには反対です。 


生きること、生き延びることが大切だと信じて、過ごしています。 


だけど 死を持って何かを果たしたい❗と強い想いを持つ方も実際にはおられます。 


遺された人は辛いですね。 


何かのきっかけで、特攻隊で逝ってしまった過去世を思い出してしまうと その想いが強くなり、そのような現実を引き寄せてしまうことがあります。 

無駄死ににはならないでしょうが遺された人は辛いです。 




******** 


悪には二種類あります。 
それは、必要悪と本物の悪。 


本物の悪は周りを巻き添えにして自滅します。 


破壊することが目的なので自分も周りも破壊します。 


それはもはや人間とは見なされません。 


人間と見なされない生物はあちらこちらを破壊しています。 


生物はそれぞれ周波数というものを発しているので、そこに同調すると彼らに巻き込まれます。 


今はそんな世の中です。 

だから、波動を高めることを叫ばれるのです。 


そこに周波数を合わせないように過ごしてください。 




最近のわたしは、特に 自分の頭で考えてはいけません、と上から言われます。 

そんな生物と直接対峙してはならないという意味です。 


そういうことは上が行います。 


宇宙の法則です。 


成敗するのは上がやることで人間ごときが出来ることではないのです。 


しかし 自分の力を過信するものは対峙したがり、巻き込まれてしまう。 


それを見たら上は悲しみます。 


遺された、、、ではないですが悲しみます。 



さてさて 本物の悪が宇宙の法則にかかるとどうなるかですが、通常は魂は残りますが、本物悪の場合は魂ごと生滅させられます。 

悪の因子ごと消すのです。 



人間がいくら戦って勝ったとしても本物悪の魂は残るし改心しなかったら、また 生まれかえってきます。




宇宙を信じてください。 

そして、祈ってください。 



ちなみに、わたしはそこら辺にウヨウヨしてる輩は手で握り潰します^^ 

素敵なお手手(#^.^#) 





お腹の中に芽生えたひとつの魂が最初に聴く音。

それが、生命の根幹に鳴り響く音霊。



絶え間なく響くお母さんの血潮のざわめき、それが潮騒。

子宮の壁をドードーと打つ大動脈の拍動音、小川のせせらぎのような大静脈の摩擦音。

そして、それらの彼方に高らかに鳴り響く心臓の鼓動。



それは、何か宇宙空間の遠い彼方の銀河星雲の渦巻きを銅鑼にして悠然と打ち鳴らすような生命を育む絶対的な響きを想像してしまう。


生命の根幹に鳴り響く音霊。それがお母さんの心音。


わたしたちが求めて止まない『宇宙』というのは、もしかしたら お母さんのお腹の中にいた時の記憶かもしれない。 




前世や宇宙での記憶もあるけれど 自分にとって あまり関係ないことなのかもしれない。 

この地球において、歴史(資料として残ってある書物などで確認できる)は確かに存在するけれど、今を生きるためには必要ないかもしれない。


天のサイクルで歴史は繰り返すと言われているため、占星術が取りざたされていて それを知ることで未来を知ることが出来、そこに自分がどう乗って生きていくと幸せに生きることが出来るかを知ることは出来る。 


しかし そんなことを知らずとも、素直に、お母さんのお腹での宇宙を感じることが出来たら、幸せになろうと考えるのではなく、幸せであると感じるのではないだろうか? 



わたしたちはこの世に生まれて来る前からperfect。





わたしは ブログでいろいろとキツい内容の記事も書いていますが

わたしがどこにメスを入れるか というと


『自分に嘘をつかない』

これだけなのです。


自分を軽んじることをしている人や事には、非常に敏感に反応します。



その人の魂の痛みを感じるからです。


でも、それだけなんですよ。



あとは、ゆるいですし、甘いです。



自分の魂に素直に生きていること、それだけです。



嘘つきは泥棒の始まりって言いますよね?



相手にも自分にも嘘ついちゃいけないのよ。


それに、約束は守るの。



自分にした約束も守るのよ。




魂は泣くから。。。


泣いて、泣いて、うずくまってしまう。。。



わたしは、それを視ていられない。


辛くなる。。。



わたしはあなたの魂と永遠の友達だから。。。


宇宙からのお友達なの。


魂の自由意思


魂の自由意思というのはね

魂がどんな選択をしても自由なんだ ってことなんです。


魂が!です。

肉体が!ではないのです。


魂が泣いてるのに、手を出さない友達がどこにいますか?



肉体が右往左往しているときに、魂が応援している時には わたしも一緒に応援します。


肉体が悩んでいる時に魂が喜んでいるときもあります。
そんなときはわたしも一緒に喜びます。



わたしはいつも魂に添います。

命の使い方ってあると思う。 


命の花を開きたいって気持ちもあるし、永遠に開いていたいという気持ちもある。 


花が開くと、蜜蜂や蝶々たちがやってきて、花粉を運んだり蜜を吸いにきて賑やかになるの。 


とても楽しいし嬉しい気分になる。 


でも 花が開ききってしまうと、葉が枯れたり落ちてしまい、終いには開ききった花は枯れたりしおれてしまう。 


花が開いている時期は短い間なのかな? 


そうではないはず。 

わたしは、そう思うの。 



命の使い方ってあるはず。 

自分という花の開かせ方ってあると思うの。 




自分の人生を花開かせたい!という気持ちはわかる。 

だけど 開ききったあとはどうするの? 

枯れてしおれてもいいの? 



人は自分だけで生きてるわけではなくて 愛する人や支えてくれている人がいるものだと思う。 


その人よりも自分が枯れてしまったら、どう感じるかしら? 


『死』というものは自分も辛いけど、残された人の方がうんと辛いとわたしは思うんだ。 


だから、愛する人や支えてくれている人を悲しませないためには、自分という花の開き方を考えた方が良いとわたしは思うのです。 


継続して、咲き続ける。 
永遠に、咲き続ける。 


誰にたいしても開いて見せるのではなくて、大切に感じている人にだけ開いて見せる。 


わたしは開き続けていたいから、そんな開き方をしています。 


だから、表立ったことはしないのです。 



花開いた姿に群がるのは、蝶々や蜜蜂だけではないから。 


愛する空ちゃんを悲しませないために、空ちゃんの前では100%開くけど、他の人の前では?%です^^ 


まあ、?%でも そこそこ威力はあるからね。ハハハ〜 






古い時代に樹の精霊の神気を繋ぎ自然崇拝していた人たちがいました。 
その人たちの想いと自然界の神IMG_3031

々両方の想いが繋がった場所。 
天地の繋ぎ、命を生み繋げる想いが込められています。 



これがわたしです。 

わたし、そのものです♪



外に歩みだします。 




なぜ わたしたちの命が尊いと言えるのでしょうか?

それは、わたしたちは、この宇宙をつくられた創造主である源から生まれでた存在だからです。


そして わたしたちには、宇宙の源と同じ力が備わっているのです。


そして それを、この地球で表すために生まれてきているのです。


死ぬということは、それを体現できないことになります。


だから わたしたちは命を守る義務があるのです。

守る義務があるくらいわたしたちの命は尊いのです。


確かに、死んでも魂は永遠ですが、地球でその力を現せなくなることは、悲しいことです。


だから、命は大切にしましょうね。

愛する人に先立たれたり 伴侶に先立たれた方は、強い悲しみ苦しみ、孤独を味わうことになります。


これは その想いを抱えながら、霊的成長をしていくという生まれる前に決めてきた目的でもあります。


悲しみや苦しみを乗り越えながら、孤独の中で霊的成長を果たすのです。



魂は知っています。


そうやって、霊的成長をするために決めてきたことを。



孤独が一番、人を成長させます。


だから、あえて 孤独に身を置くのです。




わたしも自身の成長の時にはひとりでした。



わたしたちは、ひとりで生まれてきているのです。


そう考えると、恐怖心はなくなりませんか?

生を受けるということは、生きるということ。


古代の人たちは 早くに命を落とすことが多く、死ぬことに恐怖を抱いていた。


死ぬこと、離れること、別れ。


その恐怖から、様々な知恵が生まれた。



そして、自然と、天気を司る存在に敬意を払い、命の恵みに感謝するようになっていった。


しかし、命との別れとは縁が切れずに 辛い想いを強いられた。


死にたくない。
離れたくない。
別れたくない。

それは、愛する者と永遠の別れを意味するんだ。


だから、永遠の命が欲しいし、命を呪った。


欲しいものは命。

そこで、執着が生まれた。


生を受けて、さまざまな感情が生まれる。


それを残したいと考えた。

次、生まれてきた時にわかるように。




古代の人たちは、命を敬い、命に感謝し、命を呪って生きていた。


お祭りや残された壁画や土器はそれを想いとともに残している。


また 信仰も同じだ。


長生き、永遠の別れによる痛みから逃れたいがために、あらゆるものを信じ、そして 排除していった。



そうやって 古代の人たちは 命と向き合って生きてきたのだ。



しかし 現代人はというと、そこには目もくれず、遊びほうけている。


命を大切にしない人が増えた。


それは、長い転生の末、命を守るという想いが薄れてきたからだ。


執着があるうちは まだ、いい。


痛みを感じないように、ハートを閉じるようになった。


そのため 生きる意味さえわからなくなっていったのだ。



わたしたちは どこから来て、何を目指しているのだろう。。。


生きる意味もわからぬまま、生まれてくる魂が多い。


魂そのものが行き場を失っているのが現代だ。


それを、自身にわからせるために 地球ではあえて、別れを体験させる取り組みが成されている。



別れ、辛い別れ。


それを あえて、体験することで 自分の命の尊さを知ることになり、自分は命そのものだと気づくことになる。



わたしたちの源の命は祈りを込めて願っている。

自分が命だと気づくように。


源から分かれた命だと気づくように。


そして ただ、戻るだけだと気づくように。。。


気づいたら、源との約束を思い出すでしょう。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

NHK Eテレで放映された『日曜美術館 特別編 「◯△□の伝言〜井浦新“にっぽん”美の旅4〜』

FBで繋がらせていただいています雲龍様からこちらの番組内で雲龍様の笛の音の「CD遮那」を使って頂いていると教えていただき、さっそく観せていただきました。
そして、なんとなく浮かんだので、書き留めました。


だいぶ、はしょって書いたけれど、古代の人たち 縄文の人たちは こんな想いで生きていたのかなあと感じました。


今、その時の想いを思い出すことを叫ばれていますが、それよりももっと 遥か宇宙の頃、源と繋がっていた頃を思い出すほうが より思い出しやすいように思います。

雲龍さんの笛の音は、それを呼び覚ましてくださる音だと感じました。


宇宙にいた頃を思い出し、源とのやくそくを思い出す音です。



わたしの雲龍さんの笛を聴いた感想がこちらです。


宇宙風、わたしがまだ 風と呼ばれる存在だったことを思い出しました。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


わたしがかつて風と呼ばれる意識の頃、 出会った同じ存在。。



ノドを鳴らし、オトを奏でる。

木々をすり抜け、葉を揺らす。

光という衣をまとって色をつくりあげる。

わたしという風の色と混ざりあい造り上げる。


それがオト。


渦を巻き上げ、それぞれの風となり、オトを奏でる。



ふれ合った時のオト、離れた時のオト、溶け合った時のオト、惹かれ合った時のオト。




オトを奏でながら、わたしたちは

揺らぐ。

震える。

はしゃぐ。

抱き合う。。。




離れても、思い出すことを約束して 舞い上がる。

『生まれる』原理は、『愛する行動』『愛されている確信』で『生まれる』のです。



在るというエネルギーと成すというエネルギーがあります。



在るは子宮で成すは精子。


在ると成すで産まれる。


愛する行動が成す。

愛されている確信が在る。



愛する行動の根底にあるのが、愛されている確信。


在るのです。


愛されている確信があるから愛する行動が起こせるのです。



愛されている確信こそが、命そのもの。




そう考えると、『生まれる』のではなくて もうすでに、『生まれている』ことに気づくでしょう。



ニワトリが先か卵が先かを問われたら、卵が先なのですね。。。



もうすでに在るのです。

いのちは在るのです。


幸せは在るのです。

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