ここ最近、立場が上の人の視点や価値観を受け入れるよう促されている感触があります。
また そんなお話しを聴くことも少なくないです。
人が感謝を感じる基準はそれぞれ違うものです。
だから 自分が何か人にして差し上げたからといって それが相手の感謝の対象になるかどうかはわからないですね。
仕事でプロ意識を持ち相手と接している場合、感謝されたからといって、それで一喜一憂しないものですが、自分が認められたことにたいしては嬉しいもので感謝が溢れて逆に、「こちらこそありがとうございます。」という気持ちになるものです。
また 自分にたいして相手が感謝を感じていないことを不思議に感じ、相手の体調を心配される方もいらっしゃいます。
それは相手を信じているが故の心配ですね。
それを心配性と断定するのは、いかにも感謝がないことですが
それはわたしたちを生み出してくださった創造主とわたしたちの関係でも同じように思います。
わたしたちを生み出してくださった創造主は前世の記憶をなくして転生していくわたしたちを記憶をなくしているけれども繋がりだけは覚えてくれているだろうと信じて見守っていてくださっているのではないだろうかということです。
地上に転生してきたわたしたちをいつかは思い出して戻ってきてくれることを信じてくれているのだと思うのです。
実際には、完全に忘れて 地上でやりたい放題やっている悪と呼ばれる存在もいるのですが 自分が生み出した我が子であることは間違いないのです。
やりたい放題やって完全に忘れてしまっていては 思い出すこともないでしょう。
創造主としてみたら
我が子が自分と繋がっていると感じていないことに理解できないでいるように感じているのではないかとわたしは思えるのです。
そんな創造主(神様)の遣いをさせていただいておりますわたしには 同じ働きをするために一緒に転生してきた仲間もいるのですが その仲間が好き放題して、霊的成長もしていないのを見聞きしますと わたしは不思議に思うのではなく悲しくなります。感情があるからです。
だけど 相手はそんなわたしの気持ちはわからず よけいにやりたい放題していて こちら側が悪いと言わんばかりに攻撃してきたりもします。
生み出した創造主からしたら、まさか忘れてしまっていると想いもよらないでしょう。
それに気づかない魂がどれだけ多いことか。
これを人間の親子に置き換えることもできるなあとも思えます。
子供を心配する親にたいして子供は心配はいらないと疎ましがりますが その心配とは、感謝を忘れてしまった我が子が変わってしまったことが理解できないからではないでしょうか?
親に対する感謝を忘れやりたい放題していても、親からしたら子供が自分への感謝がなくなったとは思えないから、どこか体調が悪いのではないだろうか?心を病んでいるのではないだろうかと気を病むのではないでしょうか?
感謝がないなんて思えない。
繋がりを忘れたなんて思えない。
神様や上の立場の者達は、そう感じているようにわたしは思います。
今日は獅子座の新月です。
神様、仏様の想いを感じてみてはいかがですか?
ご両親やご先祖様へ想いを馳せてみてはいかがですか?
自分より立場が上の人の視点や価値観を感じてみてはいかがですか?