この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 許す

何かの記事で、これからは横の繋がりが大切になるのだから人に親切にすることだと書かれていて、

自分のことに中途半端でもそんな人が人に親切にするのだから、周りから助けがあり、結果人と人が繋がり、良い関係を築いていけると書かれていました。


わたしは、「まずは自分」で、自分がきちんとしてから相手に親切にすると今まで伝えてきたので、わたしと意見は違うなあと感じていました。



すると、今朝ですが、ある言葉が降りてきました。


「人を許して人に対して改心するよう促し大目に見ていくと、周りから助けられ守られる」


そうだな、と思いました。



人を許して、人に対して改心を促し大目に見てくださっているのは、この地球です。


これが地球の意思です。


宇宙の法則で沙汰されないよう、地球がどこまでもどこまでも私たち人間に対して改心するよう促し大目に見てくださっているから、私たちはまだまだ

この地球に住まわせていただいているのです。


だから、私たち人間も、目の前の相手を許して大目に見て待つことで改心を促せるのだろうと考えます。



そんな意思を持つ地球だから、宇宙から一目も二目も置かれているのです。



この地球は、どんな邪悪な宇宙人も人間もウイルスも受け入れる意思を持っています。


だから、悲惨な戦争が起きることもあるのですが、すべては、この上に住まわせていただいている人間の成長のために、その身を投げ出してくださっているのです。



しかし、地球もそろそろ進化の時期に来ています。


宇宙は、地球の意思を最優先しながら、次元上昇を試みています。



こんなに大目に見てくださっているなら、わたし達も人を許して改心を促すように大目に見ていこうではありませんか?


そのためには、自分の持つ劔を相手に向けずに自分の心を切ることに務めることです。


人を裁かないことです。


人を許して大目に見ていくことです。


そうすれば、自ずと周りの人だけでなく、神様から守られていきます。



本当ですよ。

わたしは実践者ですから。



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自らの心の中にジャッジする心がある者は、自分を誇示したがり、優劣をつけたがる。 


これからの世は ますます、そのような者が増えるだろう。 



しかし、そのようなことには注目せずに 寛容な心を持つことが これからの時代には必要なことでしょう。 


自らを高めることは自身にとって良いことであるが 優劣をつけることは、自らを落とすことになるので戒めることです。 


また、そのような者には、自分を見せないことです。 


見せたら、攻撃の対象になるかもしれません。 


だから、控えるのです。 


それが 真の賢さです。 


真の賢さは見せつけるものではなく、にじみ出るものなのです。



にじみ出る、、、、とは、口に出さなくても解らせる力でもあります。

その力があるから許せるのです。 

許されたものは、その力をまざまざと見せつけられているのかもしれません。 
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これは、割れなべに綴じ蓋ということだと思う。 

結局 わたしは謝られなくても、言葉を発しなくても許すから 相手は謝らないし言葉を発しないのです。 


許すというのはくせ者です。


成長を止めることにもなりかねないからです。 


なりかねない。 


必ず、ではない。 なりかねないです。 


これはどういうことかと言うと 


通常なら、どんなことでも許されるなら 自分が謝るようなことをして悲しませないように努力しようと考えるものですが 
どんなことでも許されるなら どんな悪いことをしても大丈夫だろうと考える人が現れることが考えられるからです。 


それでは成長できないですね。 


そうならないために わざと許さないこともあります。 


相手を見ながら使い分けします。


誰でも許すことはしないのです。 



許すということは、さまざまな情況を想定して、その人にもっとも最適に働くように考えた中でのひとつの行動です。


情報処理能力がつかないと受容することは難しいものです。 




真の豊かさとは、自分だけが幸せになるのではなくて 自分と家族とそのまた、周りの人々が幸せになること。



そのためには まず、自分を許せる人になること。



みんなみんな、おんなじだね。


曖昧でもいい。


許しあっていけたらいい。


そうすれば、仲良くいられる。


許し合っていられる。

許すという行動を具体的に書いてみたいと思います。


許す対象ととなるものに対等になって、意識を向けることから始まります。


最初は、心がざわついたり嫌がったりもがきます。


それは、対等になれないからです。


対等になるというのは、対象ととなるものに敬意を払うことでもあります。


敬意を払うことでもあります。


敬意を払うためには、自分の方が優れているという思いをなくすことや人をジャッジする気持ちをなくすことです。

そして、決しておごり高ぶらないことなのです。

それは、自分に自信がありながら それを表には出さず、謙虚でいることなのです。


自分に自信があるから人を許すことができるのです。


だから まず、人を許せる人になるためには、自分に自信をつけることなのです。



覚えておいてくださいね。

裁かれても許す

理不尽なことをされても許す



そんなお試しが降ってくることがあります。


そんな時には、同じ土俵に乗らないことなのです。




人は自分が批判されたり非難されると、自分を守ろうとして相手を攻撃しようとします。

それが、相手の思うつぼなのです。


他者から非難されたり批判されることを引き起こさないことが大切なのです。


そのためには、自分を律することであったりそうならないための努力が必要なのです。

また、そこに近づかないことも大切です。


非難、批判されることをしない そこに関わらないのです。


それが、自分を守ることになるのです。


それは、逃げることではないのです。



どこまでも許すことができる器があるなら、関わることも良いでしょう。


許すこと、受け入れることが難しいと考えるなら関わらないことが一番です。




しかし 許すことができる人に対しては そんなお試しが降ってくることがあります。


許す(相手を受け入れる)と相手が変わるからです。


相手の心が変化します。


自分がどこまでも理不尽なことを言っても、どこまでも許されると人は癒され、心がゆるむのです。


わたしはそれが見たいのかもしれません。


人が癒された瞬間です。



人が癒され、固まっていた心が溶けるのをわたしは魔法と呼びます。




魔法は許す心から生まれます。



それは 空ちゃんにコテコテに愛されているからできること。

空ちゃんに愛されているから誰をも許して生きられるのです。


射手座の満月のキーワードは、『許し』です。


今、この時点で許せるか許せないかで 夏至以降の進路を決めていきます。
そして、それは約7年間は続くようです。



だから この夏至の前の射手座の満月が非常に重要なんです。



『許し』

何故、許せないのでしょう?



それは、自分自身を知らないから。
自分の本質を知らないから。
現実を見ないから。



一生懸命頑張っても報われない人は一生懸命の矛先が違うのです。

また、自分を色メガネで観ているから自分を知ろうとしないのです。



この時点で許せない想いが強いと、これからの人生は厳しいものになります。


自分の人生は自己責任と言われていますが、実際はところどころに神様からのご加護がいただけているのが現状です。
しかし、ここをクリアできないと 神様から見つけてもらえなくなります。 だから、本当に自己責任です。



そして 許せない想いをつけて夏至をスタートさせるのです。




でも それも人生です。


どんな人生を歩むのかは、自分自身です。

自分の納得する人生を歩んでくださいね。


そして、これからは現実を突きつけられて生きるのです。


これから夏至以降は、地に足をつけていなくても 安心です。


嫌がおうでも誰もが、現実を見せられる世界になっていきます。

人間関係を良くしようとするあまり 我慢をされる方や無意識に我慢をしてしまっている方がおられます。


我慢をするという行為は自分を縛りつける行為です。


自分の心を縛りつけるので 心が縮こまってしまいます。


それを無意識にされている方が多い世の中です。


そのため 我慢しなくてもいいんだよ と 心のしばりを緩めるように言われていますね。


心を縛りつけるような我慢を続けると それがストレスになり、病気になってしまうこともあり得ますね。。。


だから、我慢は良くない と言われています。


我慢を止めると心が楽になりますね。


自由にもなります。


人間関係の上で自由になると 人といさかいを起こします。


我慢せずに自由に口に戸を立てることなく喋るからです。


結果 人間関係は悪くなります。


そしたら なぜ、我慢しなくてもいいんだよと言われるのでしょうか?


人間関係を良くするために我慢をしてきたのに、我慢をやめて人間関係が悪くなってもよいのでしょうか?


我慢をやめると一般的に人は 負の感情からとき離れるため、意識が上がります。


意識が上がると、今まで我慢してきた人とは合わなくなるのです。


次元が異なるのです。


我慢をやめて自由になり、口だけ達者になると 人を傷付けるような言動をするので 人間関係が悪くなってしまうのですね。



やれやれ┐(-。ー;)┌

今までの世の中は だらしない人やいい加減な人をダメな人間だと決めつけて よそに追いやってきたけど これからは、そんな人でも認めて許していくようになっていきます。

そのため 今までの社会的常識が通用しないと感じるかもしれませんが それは通用しないわけではなくて 社会的常識そのものは 自分を律するために必要であり、他者を裁くためにあるものではないということを指しています。

自分を律するために法律も規律も常識もあるのです。


自分のためのものさしなのです。



元々、人を裁くためにあるわけではないということです。



人が己れを律することができないのは、その人しかわからない事情があるものです。




それならば、自分はミスをしてもよい、自分は迷惑をかけてもよい、自分の事情をわかってもらいたい というものとは違うものです。


そこは常に自分を律していきたいものです。



そうしたら 自分への許しがないじゃないか と思われるかもしれません。


それは 他者を許すことで 自分の拘りがなくなるという意味で 自分自らが、だらしなくいい加減になるわけではないのです。

自分には自分の常識はあってもよいのです。


他者に当てはめないだけで。。。



それが 自分を許すということです。



他者を許したところで自分は変わらない。


安心してください。

以前 わたしが鈴木真奈美さんのメルマガをお勧めしていたこともあり わたしの読者の方は 真奈美さんのメルマガを読んでいらっしゃるかもしれないので 補足として書かせていただきます。



憎むのでなく許すということ


これは、人生において難しいレッスンです。


だけど 必ずしも、許さなくてはいけない わけではないのです。


この時期に 真奈美さんの身に起きたから 憎むのでなく許すのです。



はっきり 申し上げますと

自分の大切なペットや子供は ご主人様や親のために その身を犠牲にして気づかせます。



そうやって ご主人様や親の成長のために動くのです。


だけど それは、絶対ではないのです。



本人が 大切なペットや子供がそう行動する前に 気付けば 行動しないものなのです。



それを知ったら、自分を責めるかもしれません。


だけど あえて、書かせていただきます。



自分の大切なペットや子供を犠牲にしないためにも 気付かなくてはいけないのです。


歩みを進めなくてはいけないのです。



わたしは 人を犠牲にしたくないから、自分を高めることをやめません。




自分が上がらないと そのしわ寄せはくるものです。


だから 二度と、同じ過ちを犯しません。




最初に書いた


『だけど 必ずしも、許さなくてはいけない わけではないのです。』


これについては

人生には段階があります。

人を許さないことで、相手に気付きを与えることもあります。


だから 自分は人を許せないからよくない、と思わないでいただきたいです。

今は そんな段階。


許せない という感情で守られているたましいもあるのです。


そんなときは 人を許すために 大切なペットや子供は 動かないものです。


安心してください。

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