この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 自立、成長

子育て、自分育てをしていますか?



詰まるところ、成長するって 自分育てなんです。


自分を育てるには まず、自分を育ててくれた両親に感謝をすることなのです。


両親に感謝ができないうちから、大きな口は叩けないし、子育てもできないのです。


今は 核家族化が進んでいますが
やはり、持つべき者は親なのです。


ベビーシッターに頼むより、保育園に頼むより両親なのです。


自分がやりたいことがあるからと 家から離れてひとり住まいをして、そのまま 就職して結婚。


家を出た時点で、親と向き合うことを放棄しています。


そのまま、就職、結婚、子供が出来ても 親との関わりが場合ないには 仕事や夫婦生活、子育てに支障が出るのは、当たり前です。


人には必ず、親がいます。

今、誰もが そこと向き合うことを求められています。




親が亡くなってからでは、親孝行はできないし、感謝もできないのです。



今 誰もが 親に感謝して生きることを求められていますよ。


親に感謝を表して生きることが 自分育てになりますし、その背中を見ている子供は まっすぐ育つものです。



自分の子育てに悩んでいる方は ご自分のご両親と向き合ってみてください。


人間関係で悩んでいる方も ご両親と向き合ってみてください。



誰でも尊い存在です。


ありがとうの気持ちを素直に表してくださいね。

誰に感謝するよりも、ご両親に感謝を表してくださいね。。。



それが できると、自分が愛されている、守られていると 実感できますよ。


それが グラウディングです。

今日は春分の日



この宇宙元旦は、この地球が五次元世界に移行すると言われているのだけど。

仕事をする際や日常で、時間内にこれだけのことをやらなきゃならないとか納期が決まっていると言われて完璧に仕上げることを求められることってあると思うのだけど、

それって5次元世界に移行するために起きることなのです。




集中力を高めるには、求められていることを冷静に判断して集中して事を成す。それを日々、確認して集中力を高めていきますよね。


万が一、できないことがあったとしても、悲観的にならず、冷静に受け止め出来るように努力するだけですよね。




でも、人によっては、何かあると絶望したり悲観的になったりして感情に左右される人もおられます。


そんな人達は、この春分の日に、自分を五次元に引き上げてもらえると妄想を抱いていて、

それで、この春分の日が盛り上がっているのだと思うけれど、


そもそも、三次元にズブズブで集中力を高めることもしてない人が五次元に引き上げてもらえるわけないでしょ。


わたしからしたら、悲観的になることや絶望することって怠慢としか言いようがなくて、

わたしにとって今日はただの通過点でしかありません。、。



五次元宇宙では、集中力の他にさまざまな力が存在しているので、絶対的に、五次元=集中力ではないですが、今回は集中力を例えにさせていただきました。




自立とは? 
自立している人というのは、自分の責任範疇を明確にして、それに一生懸命に取り組み、出来ないときには 相談、協力を仰ぎ、教えを乞うことの出来る人のことを言います。 



人を頼らないことを言うのではありません。 

素直に頭を下げて教えを乞うことが出来る人のことを言います。 



そのためには、頭や心を明晰にすることが必要です。 


そのための観念浄化ワークです。 


明晰になったなら 負の感情がなくなったということですから、感情に左右されず何事にも意欲が出るはずです。 


そうしたならば 目の前に出された課題に取り組むだけ。 


感情に左右されないのでサクサク進みます。 


出来ないことはないくらいサクサク進みます。 


しかし 人間ですもの得て不得てあり、学力も違うものですから 出来ることまではサクサク出来ても出来ないことは進みません。 


進まないからストップするのではなく 調べたり人に教えを乞うてみたり協力を仰いで学びながら進みます。 


出来ないことを出来るようにして、 ひとつの物事を成し遂げて成長していきます。 



目の前のことに取り組んでいる時は自分の責務に責任を持つため
自分の責任の範疇を定期的に明確にするものです。 


そのため 周りを見て動きますが、人の仕事を取ってまでやろうとはしないものです。 


自分の責務を全うすることが最優先だと考えるからです。 




このことからもわかるように 
自立している人というのは 


1.負の感情に左右されないこと 

2.出来ることと出来ないことを明確にすること 

3.自分の仕事(目の前に出された課題)の責任を持つこと 


この3点が出来る人のことを指すのだと思います。 



このうちの2.ですが 
出来ることと出来ないことを明確にするために 日々の見直しのため日記を勧めていますし、メールアドバイスは、日々の見直しの場です。 


自分で気付いていないことをお教えしたり下を向いている時には前を向くように促しています。 



出来ないことを出来るようにするためには 最初は人を頼ることからだとわたしは考えています。

最初は何事も努力が必要です。 

努力が必要な時には見守ってくれる人がいてくれたほうが励みになるのです。 


そんなメールアドバイスです。 


自分で答えを出せるようになったら卒業です。


『ボクくらいのクラスになるとね クライアントの成長段階は、一目、顔を見ればわかるんだよ。 


だから、いちいち 「わたしは、ここまで成長しました」とか「わたしは、◎◯◎で頑張っています」と言われると ボクのことを見損なうな!と思うんだよ。 

そんなことは、聞かされなくてもわかるんだ。 

自分は努力してますだとか成長しましたという人ほど、本当は、何もやっていない。 

本当に努力していたら、まだまだ足りないと思ってしまうものなんだ。』 




その通りだと思う。 


この言葉は、ある方がセミナーで発した言葉です(スピリチュアルな方ではありません)。 

本音です。 


でも、まあ セミナーで言う言葉ではないと思います。 


本音を話すのは 本当の身内に話せばいいんだよ。 

本音を話せる人がいないから、セミナーで つい、口が滑ってしまうのです。 


癒されていない、そばに癒してくれる人がいないと 上に立つ人や人を導く存在でも相手を間違えてしまいます。



わたしなら、何を言われても 受け入れることはできるけど 受け入れることができない人には刃物に変わるのです。 



上に立つって難しいよ。 

上に立つほど 癒されていなければならないと感じています。 


ブレることが許されるうちに、癒されておくものですね。 


使命とパートナーはセットと言われます。 


パートナーに癒されていれば、そんな言葉はでないのでしょう。 


ツインなんちゃらは、魂の最終段階で出会うものと言われていますが、ツインなんちゃらに癒されたら 愚痴も不平不満も出なくなるものです。  



ツインなんちゃらに出逢ったとご自身で言われていても、癒されないなら ひょっとしたら、にせものさんかもしれませんね。 


ツインなんちゃらは学びあう相手ではないから。 

ただただ、愛し合う相手だとわたしは思っています。 


学びを越えたのちに、出会う相手だから 学びたい想いのあるうちは、出会えない、というか一緒にはなれない相手でしょうね〜 


困った、困った〜♪


『自分に責任を持って生きてくことが誰にとっても抗えないという時期において、

まず自分は、これからどうするの?どうしたいの?ということを真剣に考える時期なのだということなのです。

 
そこを経て、
あくせく、お金を求めて働くのではなく、自分のやりたいことや好きなことをしたほうが収入は増えますよ、ということなのです。』 



昨日の記事を抜粋しましたたが 

そこを経て 

と書いていますよね? 


その前は、
自立のために、これからどうするの?どうしたい?ということを真剣に考える時期なのだということなのです。


これは やりたいことや好きなことを何かに書き連ねて眺めることでもないしふわふわとして、やりたいことやどうなりたいかを思い付くまま書き出すことではありません。 


 

自立する目的で、と書いていますよね? 



今、甘えていたり 頼っていたり する場所からの自立目的が前提で 

自分のやりたいことやどうなりたいかを真剣に考えなさい 

と書いています。 




誰かに甘えたままではいられないのですよということを書いているのです。 


読み取る力のない人は、 
「これからは自分の好きなことをやって生きていけるんだ〜」と喜ばれていますが、喜ぶことではないのです。 


自分の人生に責任を持って生きることを決められないうちは、真剣にやりたいことや好きなことはわからないということなのですから。 




この夏至を境に、大きな気付きを得られた方がいらっしゃいますね。 


その中で印象に残ったことがあります。


『今までわたしは条件付きの愛を求めていたのだと気付いた。
それを経て、自分を労り慈しむという意味がわかった』と言われました。 


ここに、気付きのプロセスを見たような気がしました。 



『気付いたら前を向けるんだよ』とわたしはいつも言っています。 


だけど 正直、気付いても前を向けない人もいます。 
それは その気付きは偽物だからです。 


本物の気付きを得ると、必ず人は前を向けるのものなのです。 



この方は、偽物の気付きと本物の気付きが体で理解できたと思います。 


気付く時というのは、思考も言葉も介入しないものです。 

魂からダイレクトに体に響きます。 


だから 腑に落ちるのです。 





わたしが自分の言葉で気持ちを説明させたりするのは、思考を整理させるためです。 


思考が整理出来ていないと魂が動けなくなるからです。 



わたしはいつも相手の魂を見ています。 


窮屈そうに縮こまっていて、それでも宿主に寄り添おうとしています。 


今回の方は、
良かったなあと思います。


魂、大喜びです。 





未だに、誰かに依存したいと考える人はいるもので わたしはそういう人からは一線を置いてるのですが、見ていることは見ています。 


見ていると 常に依存先を探す行動をされています。 


こまめなブログチェックなコメントなど。 


そこに力を注ぐなら自力で立ち上がることをすれば良いのにと思います。 


また 人が仲良くしている間に割って入ろうとして失敗します。 
相手にされないのです。 



依存したい人はいるけど、依存させようとする人は少ないのかもしれませんね。 



しかし せっせと依存先をを見つけるため奮闘してます。 




見ていて、面白いなあと思います。 




あなたの周りにもいらっしゃいませんか?




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 


今まで人任せで生活していた人や荒れた暮らしをしていた人は福祉を頼る方法があるかもしれないが因果応報という言葉があるように、ツケが回ってくることは覚悟したほうが良いかもしれない。 


確かに優しくて親身になってくれる人もいるかもしれないがそうそう頼れるとは限らない。 



自分でそれなりに働いてきている人は世間を知ってるためシビアな考えを持っているもので、
そんな現状から逃げて生きてきた人はツケが回ってくるものだと思う。 



家族に元々、縁の薄い人や離婚して母子家庭や父子家庭となりお金に苦労して生きている人や病気で苦しんでいる人、様々な人がいるわけだが、自分のその境遇を自分が選択しているのだと知ってる人は多くないと思う。 


そんな人は福祉の力を借りたり優しく親切にしてくれる人に出会うかもしれない。 



どんな境遇でも自分や人を責めることなく受け入れることで好転することを知ってほしい。 




たまに見かけるのだが、自分自身がさほど心が豊かでもないのに、行政に働きかけたり手を差し伸べた行動を起こしている人がいる。 

手を差し伸べたら手を差し伸べた分だけ依存させようとする。 

しかし、依存させようとしても体調を崩されたりしてそうならないように天空が動いてるようにも見える。 


今は、自立を促されるということですね。





意識の持ち方で人生は変わるなあとつくづく感じた昨年末でした。 

また 最後に大きな大きな学びをいただきました。 


平林さんと年末にずっと話し込んでいて、それに気づいたのです。 


平林さんは、わたしが話すことを瞬時に自分の言葉にして確認を求めてきます。そうやって 潜在意識に落とし込んでいます。 わたしも普段からそうしていることに気づかされました。 

そして、これが学びの原点なのだと気づいたのです。 



実践するためには、自分の言葉にして潜在意識に落とし込む。 
そうやって刻み込んでいく。 


一昨日のまやさんのコメントに書いたように、学びとは、自分の言葉で伝えることが出来るようにすること。 


その確認のために、試験があるに過ぎないのだということにも気付きました。 

人生の学びも同じで、学んだことを自分に取り入れて身に付けて繋げていくことなのです。 



だから 実践しかないのです。 

覚えたことを口に出してみる、そうやって身に付いていく。刻み込んでいく。 



一回で出来るかもしれない。 
何度か繰り返さないと出来ないことかもしれない。 


だけど 諦めなければ出来るようになる。 



普段、書いてること言ってることをもっと深く教えられた気がしました。 



意識して物事に取り組むことの重要性に気づいたのです。


学び続ける姿勢とは?を 噛み下して教えられたのだと思います。 


また 自分を振り返ると、無意識にやってきていたことで、意識ないから止めたことに気づかなくて、歪みが生じて理由がわからなかったことがありました。 


年末に爆弾落とされた原因がそれだったことに気づいたのです。 


気付けない自分でいないようにしないとなあ、と感じています。 


元来、省みるという機能を持ったものが霊なのです。 


霊を正常に保つために学びがあるのだなあと思います。 

学びがないと曲霊といって邪悪に転ぶようです。 


生かされていることに感謝するエネルギーって すごく身近にあるエネルギーなんです。



それは


『笑顔』『笑い』


だから


笑って生きていればいいんです♪


平和ボケしている。。。と言われますが

危機感なんていらないです。



楽しいときは、笑うです。




落ち込んだりすることがあっても


笑える場所があればいい。



そこが あなたの帰る場所です。


自立していないのに自立したと見なされる場合があります。 



大学生になった。 
就職した。 
結婚した。 
子供が生まれた。等。 



実際は 精神的に自立していないのです。 


そんな時、人は どんな心理状態になるかと言うと、 

「人を頼ってはいけない。甘えてはいけない。自立しなければならない。」 


実際には、精神的に自立していないのに、そう考えてしまい、行動しようとします。 


でも それは悪いことではないようです。 


物の貸し借りの場合において、借りた物を大切に扱いお返しすることは自立した考え方と言えるからです。 


借りたものを汚したり壊してしまってもただ許されては自立していると言えないのです。 


許されることを当たり前と思うことは自立していないということだからです。 



家で許されていても社会に出たら許されないことはたくさんあります。 


社会に出て許されないことをしてしまう前に、家で出来るようにしておくことはmustでしょう。 



冒頭の、「自立していないのに自立したと見なされる」場合ですが、人生の区切りには、そうやって自立を促すことは家庭内でしなければならないことでしょうね。 



それが成長するということです。 



大人になってもオムツしている人はいないのだから、オムツ外しを急かす必要はないと思いますが、世間を見ていると、急かすのもわかるような気がします。 


それだけ自立出来ていない大人が多いのでしょうね。 



成長過程において、その時期になってもやってない人は、大人になってから戻ってやり直すと言われています。 


大人になってから中学生の恋愛に憧れたり趣味にハマッたりする人も少なくないです。 




年齢に合った生き方で歳を重ねていきたいとわたしは感じています。





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