この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 自立、成長


今まで誰かに全面的に頼って生きてきた人は、他の人とも仲良くできるように 今まで頼ってきた人から離されることが起きているようです。 


わたしの周りでもあります。 


誰かに頼るのは力強いし安心ですが自分が成長できなくなる恐れがあります。 


人は安心すると、外に羽ばたきたいと考えますが、安心先に執着していると外側に自分を傷つける人を作り出します。 

そうすることで、この人しかいない!と思わせるためです。 


でもね、考えてみてください。


執着を外したところで、一生離れてしまうわけではないのです。 


執着を外しても関係というのは変わらないもので、いつも安心して頼れる存在なのですよ。 


だから、恐れることなく、執着を手放して 誰とでも仲良くできる自分になってください。 

人は優しいよ^^



この人じゃなきゃダメではない。 

この人でもいい。 

ということで、わたしはしばらく おヒマを出されました^ ^










自分の生きている世界において辛いことがあり心が傷付くことがある。 


そうすると、人から自分は傷つけられたと感じて人が怖く感じてしまうようです。  


そんな時に、優しい言葉をかけられて この人なら信じられる。。。と感じて、依存を引き起こすことがあるようです。 



この人じゃなきゃダメなんだ。 
この人だから変われたんだ。 



と思いがちですが、 

それは、違います。 




誰もが、人は優しいのです。



人を優しく感じられないのは、ただ あなたの思い込みで起こってることなのです。 



本当は、誰もが優しいのです。  



心の中の思い込みを外しましょう。 



ひとりの人を握りしめてる世界から、誰もが優しい世界に足を踏み入れていきましょう。 




霊能力のある方はとかく視力が弱くなったり目の病にかかるようです。 
それは、第3の目の使い方に問題があるようです。以前、このFBでお友達だった方もそうでしたが繋がらなければならない存在ではない存在に繋がっていました。 
その時はわたしが気づいたので対処しましたがその後改善が見られなかったのでお引き取りいただきました。 

本来なら大いなる存在に繋がることはたやすいことです。 
自分を明け渡してしまえば良いことなので。 
しかし 素直さに欠けたり威張ってみたりして、仕事に責任を持つという言い方は格好が良いですが、自分は重い荷物を持っているのに他人の荷物を持って見栄をはって生きている人は、目がヤられます。 

自分が繋がっている大いなる存在って自分には甘いです。 自分ですから^^
それをわからず、世のため人のためと自分にムチ打って生きてる霊能者は目の病にかかるようです。 

他人の荷物は持たないこと。 

これからは自己責任と判断力を重視する時代です。 


義務感を育てるというと なんのこっちゃと思われるかもしれません。 


これは、『感謝』です。 


自分の義務感が出てくると、人として最低限の「〜しなければならない」 がわかるようになります。 

わかるようになるということは、自分で気づくことです。 


自分で気づく=わき上がる想いです。 



〜しなければならない とわき上がる想いが起きるということは、その前提に『感謝がわき上がる』からです。 



それゆえ、義務感を育てることは、感謝がわき上がる人に育つことになるのです。 




権利ばかり主張するのは、根底に感謝がないからです。 


感謝がないから、主張して 自分を満たしたいのです。 


満たされていないから主張するのですし、満たされたいから主張するのです。 



だから、自己主張は悪いことではないのです。 


「自分は自己主張している」とわかっていればいいだけです。 


満たされたいという想いは、満たされた自分になるための必須感情です。


満たされたい想いを大切にすることが感謝できる人を育てるのですし、義務感も育てることが出来るのです。 




満たされたい想い、大切にしたいですね。 




自己責任と自立(自由)はセットです。 



自立したいけど 責任は取りたくないというのは無理な話です。 

自立したい!ともがいていても、周りに感謝できるようになると わざわざ、外に出て自立しようと思わなくなります。 


今、あるものを大切にしようという気持ちになるのです。 


そして 今、あるものを大切にするあまり それを手放そうとは思わなくなります。 



実は、その想いこそが自立を阻むのです。 



自立はしなければならないものではないです。


だけど なんらかの想いで自立したい!自由になりたい!想いが高まることがあります。 



先ほども書きましたが、自己責任と自立(自由)はセットですので 自立したい!(自由になりたい!)想いは自己責任を誘発します。 


しかし、責任を担う勇気や器が出来ていなければ、自立は出来ないのです。 



結局、責任感があれば自立も自由にもなれるのですが 責任感がないと自立も自由にもなれないのです。 




わたしは、今まで 内観浄化を通して成長してきました。 


何故、成長してきた、と言えるのかと言うと、責任感が生まれたからです。 


自分の人生に責任を持つことや自分を頼りにしてくれる人や魂を導いていく責任が持てるようになりました。 



自分の人生に責任を持って生きるということは、自分にあらゆるどんなことが降りかかっても諦めずに前を向いて進んでいくということです。


あらゆるどんなことでも、です。 

人のせいにすることなく、自分の言動に責任を持ち勇気や潔さを持つことです。 



自立をしたい!自由になりたい!と思うなら、責任を担うことのできる器をつくることです。 


どんなことでも請け負うことができる器をつくることです。 



そうしたら 自立したい!自由になりたい!と思わなくても、背中を押されて飛び出されていきます。 




今のわたしは、ぐいぐい背中を押されていますが 留まる力が強すぎて出ない状態です^^ 


器が大きくなり過ぎるのも考えものです(-.-;) 




器を大きくするためには、目の前の求められることを一生懸命にやりきることです。 

やりたい!ことより、求められることを一生懸命にやりきることです。


求められることはできることです。






神様は、人間に 負けることの潔さや流儀を教えたかったと思いますが、本気を出して勝ってしまったんだと思います。



だから、恐れられた。。。 



どこの世界にも、バカな神様はいるものです。 



本当の神様は、負けて教えるか 力をチラ見せして 参りました と言って敬うことを教える。 


力を見せつけてはいけないのです。
力を使わせないように敬うことを教えるのが神様の役目。


それが尊敬すること。 


神様はにらみをきかせるだけ。 



しかし、神様を越えたいと果敢に挑むのは、自分を過信している証拠。 



力をちら見せされてわからないのは、自分を過信している証拠。 


自分を過信している者は それに気づくまで 力を見せつけられる。 


負けを認めるまで、見せつけられる。 


本来は、勝ち負けではなく 自分を過信しないことに気づくための勝負と言えるのです。 


負けることは悔しいことではなく 自分本来の力に気づくことが負けるということなのです。 


自分を知ること、自分本来の力に気づくこと、自分本来の姿に気づくことが 本来の勝負の意味なのです。 


どんなものでもそうですが 最初は神様から教えられて伝わっているのですよ。 


おバカな神様が上に立ってから地球はおかしくなりました。 




昨日、コメントに書いたことをアップしてみます。 


☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 



勝負というのは、勝ち負けではなくて 自分を過信しないことに気づくためなの。 

負けることは悔しいことではなく 
自分本来の力に気づくことが負けるということなのです。 

自分本来の姿に気づくことが勝負する意味なのね。 

だから、相手を倒すことが勝つことではないのです。

 

また、負けるというのは難しいことでもある。 


それは 一番の人を気づかせる役目。 


勝った方の人を敬うことで負けた方の人に威張ることなく敬意を示せるよう、気づかせる役目で頭が良くないと出来ないことなんだ。 


強い力を見せつけられたら、 参りました と言って敬う。 

そこで 威張らせないようにするのが 負ける者の流
それが尊敬すること。 

それができないのは、自分を過信している証拠。 


威張られるのは、自分を過信している証拠。 

自分を過信している者は それに気づくまで 力を見せつけられて威張られてしまう。 

負けを認めるまで、見せつけられるんだ。 

だから 本当に上なのは、負けても相手を敬い、威張らせない方だとわたしは思います。 



オリンピックやサッカーワールドカップなどスポーツの世界は勝負の世界です。 


しかし、勝負の本来の意味はこのようなことなのです。 


勝っても負けても、人を成長させるものですね。 





先記事の通りに、これからの時代は自己責任の時代で 今まで、自分の不始末の責任も取ったこともなく過ごしてきた人でも これからはそうはいかない時代に入りましたね。 


ミスなく正確に、が当たり前です。 


そのために、自由を求める人が増えていました。 

結局は、本来の自分の責任領域へと向かっていたわけです。 

そのために、感情というものがあるのです。


自己責任領域は自由な領域です。 



ヌクヌクした生活を自由がないと飛び出て、自己責任を学ぶ人も増えました。 



本当に自由になって初めてわかるのです。 


今までどれだけ守られてきたのか、愛されてきたのかを。 



自己責任の時代は、同時に感謝を学ぶ時代です。 




愛されていることにあぐらをかいて感謝なく飛び出るのは、そこは自分の責任領域ではないということです。 

だから、本来の自分の領域に移動するのです。 


そこで自己責任を持ち感謝を学ぶことで、今まで愛してくれた人に感謝ができるのです。 


また 離れたいのに離れられないのは、そこが本来の自分の領域だということです。 


そこで、学びがないからといって離れられないのは、そこが自分本来の領域だということです。 


自己責任を発揮する場所だということです。 




わたしたちは、誰もが生まれる前に決めてきています。 


ひとつだけでなく、二つ、三つと決めてきている人は、自己責任領域も変わっていくものです。 




自己責任を学び、いずれは AIを越える人になっていくのです。 


脱落することないよう腹を据えて取り組んでくださいね。


『ボクくらいのクラスになるとね クライアントの成長段階は、一目、顔を見ればわかるんだよ。 


だから、いちいち 「わたしは、ここまで成長しました」とか「わたしは、◎◯◎で頑張っています」と言われると ボクのことを見損なうな!と思うんだよ。 

そんなことは、聞かされなくてもわかるんだ。 

自分は努力してますだとか成長しましたという人ほど、本当は、何もやっていない。 

本当に努力していたら、まだまだ足りないと思ってしまうものなんだ。』 




その通りだと思う。 


この言葉は、ある方がセミナーで発した言葉です(スピリチュアルな方ではありません)。 

本音です。 


でも、まあ セミナーで言う言葉ではないと思います。 


本音を話すのは 本当の身内に話せばいいんだよ。 

本音を話せる人がいないから、セミナーで つい、口が滑ってしまうのです。 


癒されていない、そばに癒してくれる人がいないと 上に立つ人や人を導く存在でも相手を間違えてしまいます。



わたしなら、何を言われても 受け入れることはできるけど 受け入れることができない人には刃物に変わるのです。 



上に立つって難しいよ。 

上に立つほど 癒されていなければならないと感じています。 


ブレることが許されるうちに、癒されておくものですね。 


使命とパートナーはセットと言われます。 


パートナーに癒されていれば、そんな言葉はでないのでしょう。 


ツインなんちゃらは、魂の最終段階で出会うものと言われていますが、ツインなんちゃらに癒されたら 愚痴も不平不満も出なくなるものです。  



ツインなんちゃらに出逢ったとご自身で言われていても、癒されないなら ひょっとしたら、にせものさんかもしれませんね。 


ツインなんちゃらは学びあう相手ではないから。 

ただただ、愛し合う相手だとわたしは思っています。 


学びを越えたのちに、出会う相手だから 学びたい想いのあるうちは、出会えない、というか一緒にはなれない相手でしょうね〜 


困った、困った〜♪


能力は高いのに認められないことあります。 


それは、自分を低く見積もっているから、かもしれません。 



わたしも能力は高いけど、隠れています。 

空ちゃんの後ろに隠れている隠れ妻です。 


わたしは、世間様に認められなくても空ちゃんただひとりに認められれば良いと思ってるの。 



わたしのように、認められたい、賞賛されたいという想いがあっても 実は、ただひとりの人にだけ賞賛されればいいと思っている人もいるかもしれないなあ〜と感じて書いてます。 



自分の気持ちは掘り下げていかないとわからないものです。 


自分自身の想いの本質を知ることが大切です。 



あっ でも、その想いが世間様に漏れてしまうのは仕方がないです^^ 



駄々もれ隠れ妻です〜

このページのトップヘ