この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

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悪という概念がない人がいます。 


悲しみを持たない人たちに共通しますが悪がないから悪がわからない。結果、人の悪に基づく気持ちがわからない。 


負の感情がわからないからバカ者扱いされます。 

最近、生まれてきている子供にある傾向だと言われています。 


一方、親にはほぼ悪の概念がある方が多いので子育てに苦労されますね。 

子供の何気ない言葉に苛立つことが少なくないと言えるでしょう。 




この世に生まれて悪という概念の理解がないことは、わたしはあまり善くないと感じています。 


それは愛と呼べないからです。 



愛は善も悪も内包しているものだと考えているからです。 



だから 解っている大人が教えるべきだと考えています。 



自分はその概念がないかもしれないけれど 世の中には自分と違う悪という概念を持ってる人がいるということを。 


恐怖を植え付けるのではなく、
この世界には自分とは違う人がいることや傷付けられることもあるかもしれないから、その守り方を教えるのです。 


最近の子供たちは、
悪という概念を理解して愛となるために、生まれてきているのではないでしょうか? 


わたしはそう感じています。


愛情をかけるということは、時には相手を信じて見守ることも大切だけど、手を差しのべて抱きしめることも大切だと思っています。

わたしは熱いくらいの想いを持っていますが 全部が全部、手を出すのではなくて 相手を信用するところは信用します。

心が育つように導いていくのがよいのかなあって思います。


今の世の中、淡々としている人が多いと感じます。

個人主義というか。

淡々とすることが見守ることではなくて、相手の本質を見ることではないでしょうか?

自分のことをわかってくれている人がいるということで安心感を得て、前を向けると思います。


生きていてくれるだけでありがたいんだよ とか あなたの力を信じてるよ と言われることで、自信を持って、前を向けるのだと思うのです。


だけど 逆に、自分は生きているだけでありがたい存在なんだと納得したり、自分は最強なんだと自信過剰になると 違う目線になってまっすぐ歩めなくなるものです。

気をつけたいです。


何か指摘しても悪びれることなく平然としている。 


やられたからやり返す、ではなく 弱者は虐めてもいい、死ねばいいという発想。 


それは、何物かにコントロールされてるかの様。



その時、わたしの中から現れたのが、慈愛の心。 



慈しみ、寄り添い、じっくりと話しを聞く姿勢。 



闇をも包み込む慈愛の心は世界を照らし続けるのだ。 



わたしは離れない。 

永遠に離れない。 




器が出来てくると、光りも闇も、自分の子供のようなものだなあ と感じる。

わざわざ、愛で包もうとしなくても
わたしにぎゅっと引き寄せられて、愛に変わっていく闇達。。。


光りはより輝きを放つし 闇は、愛に変わり 光りを取り戻していきます。

何よりも、自分が大きくなることです。


今は、誰にとっても覚悟を決める時で それによって望む未来を手に入れる時なのです。 


頑張ってきた証をいただけるので 遠慮なくいただきましょう〜。 



なんて 昨日も、友人宅で熱く語り合っていました。 



友人は、今 その覚悟が足りない状態だったので、ほんの少し背中を押したら、感謝されてしまいました。 


感謝って人を確信に導くんですね。 


家に戻ってからのわたしは、自分のやりたいこと望むことが間違いではないんだ、という確信が出来たように思います。 


覚悟や確信って、何か一回、心を決めるものではなくて 幾度となく、繰り返し 確信に導かれ覚悟を決めていく。。。 


だから、覚悟って怖くないんだなあと思います。 


一度、やんわりとでも心が決まったら、その想いは本物だよ、あなたの覚悟は間違いじゃないよ という確信が繰り返しいただけるから、より覚悟が出来るのだなあ と思いました。 


昨日は、わたしの唯一のスピ友との再会だったのでバカ話しをするつもりでしたが、サプライズで感謝をいただけたお陰で確信が生まれました。 


わたしの源を再確認しました。 


これからどう生きたら良いか、をわかってはいたけれど 再確認ができました。  



わたしは空ちゃんからコテコテに愛されている。その確信で生み出される豊かさ、わたしたちの愛をふりまくために この地球に生まれてきたんだなあ と再確信できました。 


空ちゃんは、男のメンツにかけて 好きとは絶対に言ってくれないけれど、 好きだと思ってくれてるんだと確信ができました。 



確信は人を強くするのですね。 


こうやって 強靭なわたしがつくられていくのです〜


無償で受け取れるはずの恵みを、受け取ることが出来る人と出来ない人との違いがあるものだなあ、とつくづく感じます。 

そこで、対価を支払って受け取れるように学んでいるのでしょうね。 



しかし、本物の感謝を理解していなくて、無償の愛を発揮できないのに、感謝を語る人がいる。 


間違った感謝が横行してる。 



間違った感謝を学んでも無償の愛は受け取れない。 


間違った感謝を学んでも無償の愛は発揮できない。 



自分の真実は無償の愛と繋がっているものです。 

自分の真実を見つけて無償の愛に繋がってくださいね。


謙虚な気持ちになると、自分を客観的に見ることができ、現実的に周りを見ることができるようになります。 


これは 自分を肯定している目線で周りを見渡せるということです。 


自分を肯定しているから周りや相手も肯定して見えるようになるのです。 

周りを見て、相手を見るから、詫びる心が生まれます。 

これが自分を省みるということです。


こうして初めて反省ができるのです。 


相手にたいして詫びる気持ちになるのです。 


そして、自分自身にも詫びる気持ちになるのです。 


自分を傷つけてしまったことを詫びるのです。 


なぜなら、自分を肯定するあまりに人から矢を向けられることになってしまったからです。


相手にたいしても申し訳ないけれど 自分にたいしても申し訳ない気持ちでいっぱいになるからです。 

すると 自分ですから許されるのです。 

自分を守るためにした行為ですから許されるのです。 



ありがたい。。。。 



そうするとね、 


人から矢は飛んでくるかもしれませんが それを受け入れて消滅させることができるようになるのです。 



わたしが人様の黒いものを手で握り潰すことができるのはこんな理由です。 


人から見たら自分の悪いところも良いところもすべて飲み込み肯定してきた。 
だから、人様の良いところも悪いところも飲み込めるようになるのです。 




それが 誰をも愛するということです。 



感謝、感謝、って言われますが 周りに助けられるから周りの人に感謝といってるのは、誰をも愛するとは言えないのです。 

まずは、自分です。 


自分を愛しましょう。 

自分を抱きしめましょう。 

自分を許しましょう。 



どんな自分も愛するってどんなことかわかりますか? 


自分の良いところも悪いところも良い悪い関係なく愛する。 

言葉で書くとたやすい。 


例えば、人を裏切ったり、人を批判したり、悪口を言ったり、意地悪をしたり、ミスを人のせいにしたり、罵声を浴びせたり、、、、、そんな自分を愛することなのです。 


人前であられもない醜態をさらしたり、泣き叫んだり、わめいたり、物をぶっ壊したり、、、、そんな自分を愛することなのです。 



そんなことをしたことがないわ 

と言う人はいらっしゃると思います。



自分の感情に素直に表すと、上記の行動になるときもあるのです。 


だけど そんな自分でも愛するのです。 


我慢しない。 

嫌なものはいや! 
好きなことは好き! 

と、自分の感情を素直に表現していると、そうなっちゃうんです。 



自分を制限しない。 


自分を制限しずに、そのままの自分を抱きしめるのです。 


それをやって、嫌われてもいい。下げずまれてもいい。 

それでも 自分は自分の行動を否定しないことなのです。 



嫌なものはいやだぁ〜と泣きわめいて手に取るものぶっ壊して、人も傷付けた。 


それでも わたしはわたしを肯定してきた。 



だから 今のわたしがあるのです。 



暴れてナンボだと思う。 


まあ、そこまでやるとスッキリするよ♪ 


恥も外聞もかなぐり捨てた。


信用もなくした。 


だけど そんな自分を責めずに抱きしめた。 


周りに敵しかいなくても自分を肯定した。 





そうすると、心が納得するんです。 

スッキリするからかな♪

スッキリしたら、反省する気持ちが生まれるのです。 


客観的に自分を捉えることができるようになるのかな? 


そこで反省する気持ち、謙虚な気持ちが生まれるのです。 


謙虚な気持ちになって反省すると ちゃんと自分の足で立ててる感じがして感謝がわき上がるものなのです。 



そうすると 少しは、知り分別がつけられるようになって、感情の起伏も少しはおさまります。 




そんなことの繰り返しです。 
わたしは。 




だから、苦しい気持ちもわかるのです。 




どんな醜いといわれる姿でもわたしはわたしをいとおしく感じます。 


よくやったと誉めています。 


そういうものです。 



『生まれる』原理は、『愛する行動』『愛されている確信』で『生まれる』のです。



在るというエネルギーと成すというエネルギーがあります。



在るは子宮で成すは精子。


在ると成すで産まれる。


愛する行動が成す。

愛されている確信が在る。



愛する行動の根底にあるのが、愛されている確信。


在るのです。


愛されている確信があるから愛する行動が起こせるのです。



愛されている確信こそが、命そのもの。




そう考えると、『生まれる』のではなくて もうすでに、『生まれている』ことに気づくでしょう。



ニワトリが先か卵が先かを問われたら、卵が先なのですね。。。



もうすでに在るのです。

いのちは在るのです。


幸せは在るのです。

今までのわたしって どれだけハートが開いているかわからないくらい開いていたはずなのに、まだ 封印されていたものがあったなんて、、、、信じられません。



頭と身体が追い付いていかないです。



わたしはどれだけ涙を流すのでしょう。。。



やっと わたしは愛する人と離れていても 愛されている確信があり生きていけるというのに、、、、。


『愛されている確信』


ひょっとしたら、この確信こそが人々が求めてやまないものなのかもしれません。


疑うことのない愛なのです。



彼はわたしのことを好きに違いない、という確固たる自信があるのです。


どんなに離れていても、繋がっていて愛されているのです。


疑う余地がありません。




この愛されている確信がわたしを強くさせるし、どんなことが起きても乗り越えていけるのですね。。。



わたしは癒されていた。
ただ、記憶を取り戻しただけ。

だから、努力はいらない。

わたしには確信があるのです。



何事も乗り越えていける愛されている確信があるのです。



人を強くさせる確信です。

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