この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 愛

癒されて、癒されて、心底 癒されてしまうと
人の役に立ちたいとか認められたいとか という気持ちはなくなってしまうんだね。


だって 癒されきってしまうと それだけで、この状態が世のため人のためになっていることを実感出来てしまうから それ以上、手を出そうとは思えなくなるのです。



誰かを喜ばせたいとか役に立ちたいとかない。



ただ、ただ 愛の中に、身を埋めていたい。。。



それが 世界を平和に導くことだと実感出来てしまうから。。。

人の幸せを願うということを考えてみました。


自分が人のために何かをして差し上げることで喜ばれることは、とても嬉しいと感じます。


だけど もし、相手が喜んでくれなくても わたしはさせていただくと思うのです。


相手が喜ぶことをしなさいと わたしはよく、姉から言われます。

あなたはいつも自己満足で人の気持ちがわからない。

とも言われます。



だけど わたしは いくら、相手がしてほしいことであっても 相手のためにならないことだったら身体は動かないのです。


相手のエゴを満たすためにわたしの身体は動かないように出来ています。



幸せと言うのは、相手のエゴを満たすことだと思えないからです。



相手が自分の意思で考え、行動することが 本当の幸せだと考えます。


だから、自分のエゴを満たすことが幸せと考える方とは意見が合わないのです。



だけど わたしはいつもいつも 相手の立場を考えて行動します。


相手のエゴは満たしてあげられないけれど わたしはわたしの考えで行動します。



わたしは 相手のエゴを満たすことはできないけれど いつもいつも、相手が自分の意思で考え行動できるよう願って行動しています。



人から与えられた幸せは本当の幸せとは言えない。


自分で乗り越えた時の言い様のない高揚感、安定感、安心感こそが幸せだと知っているから。



だから、誰もが 感じてほしいなあ〜 と願っています。



わたしの力で 一瞬、心が楽になることはあるだろう。

だけど それは、永遠ではない。


永遠の喜びを得るためには、自分の力で立つことなのです。

愛の中に身を置くということは

なにものにおいてもジャッジしないということになり
ただ 自分の存在そのものが愛なんだと気づき続けている状態になります。



その状態で この地上に足をつけることは、今の世の中では不可能だと思います。



だから もし、自分が愛の中に生きていると認識をされている方がいらっしゃるようでしたら

自分は地上に足をつけて生きてはいない

と認識をしてください。



そのような方は 人間としては生きてはいないということです。


鳥かスズメか白鳥か。。。?
神様、仏様、女神様でもないでしょう。


子育てをしたり家庭を守ったり家族を養うことは出来ないのですから。

信じていてくれる。。。という確信があることが 中心で居ることだと思います。

宇宙の自由意思も信じていてくれるという確信の元にあるものです。

信じていてくれる確信

愛されているという確信

この確信が、人を強くする。

自分の想いや願いを強くするのです。

この確信を持ってください。

それが ブレない自分をつくる方法です。

わたしたちは愛そのもの。。。


と、実感すると このように動くことができるのです。



では、どうしたらそのようになれるのかといったら

それは

魂本来の癒し です。



結局、魂本来が癒されていないと 人のために動くことは出来ないのです。


だから、魂本来の癒しを優先にする必要があると思います。



わたしは 何をするよりも魂優先に動いてきました。


だから、今のわたしがあるのです。



自分をみつめることを何よりも最優先にしてきました。


病気になったり、急に仕事が暇になったりした時にはそんな時期ですね。


宇宙がちゃんと、自分みつめの時間をつくってくれているのです。


ありがたいです。



だから、その実感がないときは


まだまだ、わたしは癒されていないんだわ〜


って思っていればよいのです。



そこを 〜しなければいけない!と頑張る必要はないのです。


そんな時期に世のため人のためには、動けないものなのです。

そこを自覚してください。


癒されていないのに、癒されたふりをしているから苦しいのです。


癒されていないから、 自分が楽しめることをしてみるのです。


だけど それに罪悪感を抱く方がおられます。


今まで、精一杯頑張ってきた方です。



また、癒し癒しと遊びすぎて、そこから抜け出せなくなっている人もみられます。


でも、そんな方は しっかり癒されているのですよ。


でも 魂の感度が鈍いから気付かないのですね。


ちなみに、わたしが厳しく指導するのは、このようなタイプです。




癒されていない人に、わたしは無理なことは言わないですよ。




しっかり癒されているのに、怠けて 動かないからです。


怠け病です。




結局、魂が癒されていないと 世のため人のために、動けないよ ってことです。


まずは 自分の魂を癒すことをしましょうね♪

わたしたちは愛そのもの。。。


だとわかったら、



あなたは何をしますか?


公園そうじ?


町内ごみ拾い?


家中、ピカピカにする?


目の前の人に笑顔をふりまく?


人を怒らせないように努める?


丁寧に物を扱う?


物を粗末にしない?


食事を残さない?


暴飲暴食は慎む?


席を譲る?




自分が愛そのものだとわかると


人の役に立つことの意味がわかると思います。



それまでは、にわか感謝です。



こんなことが出来たぐらい、誇らしいことでもなんともないのです。

当たり前なことです。

わたしたちは愛そのものですから。。。



出来ないことは、何一つありません。



わたしは愛ですから^^

人から指摘されたら、必ず直す努力をする


それだけでよいのです。


直す努力が出来なくて、
どうして出来ないんだろう!と思い煩う必要はありません。



ただ 黙々と努力を続けるのです。


根性込めるのです。


それがグラウディング。



出来ませ〜ん
と、泣いていても、グラウディング力はつきません。



出来なかったら、出来ない人生を歩むだけです。



それが 自由意思。



だから、わたしはグラウディングしなさいとは言いません。



だけど、根性はつきません。



ただ、それだけです。



グラウディング力、根性なくても 生きていけます。


だけど、いざと言うときには、わかりません。



わかりません。

03c5d032.jpg結局、思いやりというものは


人様の役に立ちたい!などという大それたことではなく


ほんと、目の前の人に そっと手をさしのべるだけのことなのです。



相手を想えば、自ずとどう自分が動けばわかりますね。


辛い想いをしている人がいるなら そっと、肩を抱いてあげる


それだけでよいのです。



それもせずに 大きなことをしたがる。



傲慢な証拠です。



自分が悪いと感じたなら、すぐに謝る。



謝れないのは、高飛車な証拠です。



わたしは何一つ、難しいことを言っているわけではないです。



わたしが書いていることを読んでいれば、自分がどう動いたらよいかがわかると思うのです。


でも 結局、読んでいなくて 読んだふりをしているのでしょう。



人との付き合いは、ほんの些細なことで良くも悪くもなるものです。



心の中の傲慢さが表れると、人を傷付けます。


嫌な気分にもさせますね。


いくら、口先で謙虚さを装っていても、心の中が横柄だと そのように、態度や言葉に表れるものなのです。



いくら 講演で 世のため人のために、説いたところで その人に謙虚さや思いやりある行動ができなければ人は付いてきません。



いくら、自分のやっていることが 人のために喜ばれているとしても 身近な人の手助けができなければ、それは 口先だけのことなのです。



自分が人のために役に立つことがしたいと思っているなら、誰に対しても 頭を下げることは忘れませんし、身体が自ずと動き微笑みは絶やさないのです。




愛とは?と語らなくても、

そっと、微笑むだけでよいのです。




自分という存在は、愛そのものです。




思い出してください。




自分が愛そのものだということを。。。

静寂な中に身を委ねると、そこに 『愛』が生まれる。


そして

わたしは

自分自身が

『愛』だと 知る。



わたしたちは『愛』そのもの。。。

負のスパイラルにはまっている方の中に

『自分を信じれない、相手を信じれない』

という方々がいらっしゃいます。

そのため そのような方々には そこから抜け出すため たくさんの問題が起こります。


人を信じることさえできれば、起こり得ないことが起こるのです。


わたしのそばにもひとり存在します。

その人には どうしてこんなことを起こるのかわからないようなことが起こります。

そのため いつもイライラ、カリカリしています。
そして、わたしにその怒り、苦しみをぶつけてきます。

わたし以外の人との間に起こった怒りもわたしにぶつけてきます。


怒鳴る、叩く、蹴飛ばす、罵声を浴びせる

は日常茶飯事です。


その人の心の内側にある言い様のない苦しみがわたしに助けを求めます。

助けてよ!
苦しいよ!

心はそう悲鳴を上げながら、身体はわたしを痛め付けるのです。



わたしは反論もしなければ、逆らうことも諭すこともしません。

その人は わたしを信じていないから、わたしの言葉を聞き入れないことを知っているからです。


でも、お互いの魂はわかり合っています。


わたしだから、その人が安心して怒りをぶつけられるんです。


わたしは このように、どれだけ叩かれても、蹴っ飛ばされても 怒りを生じないようにつくられていますので
その人の怒りを受けることができるのです。


他の人なら、ストレスで去っていくでしょう。。。



わたしは その人がいつかは気付いてくれると信じています。

信じているから、その人の怒りや悲しみ、嘆き、苦しみを受けるのです。


どれだけ わたしは痛め付けられても わたしはその人から離れないですし、愛しているのです。


だから

叩かれても、蹴っ飛ばされても
『手が痛かったね』と言葉をかけられますし、けろっとして 笑顔を見せるのです。



わたしは そういう人間です。


ブログやメールアドバイスで 実践する方法を書いていますが
すべて 自分が乗り越えてきたことです。



『自分を信じられない』という人の苦しみを感じ、身体でも受けて 生きています。


幼児虐待する人の気持ちもわかります。

辛くて寂しくて苦しくて どこにぶつけていいのかわからなくて だから、目の前の赤ちゃんに手を出してしまう。。。

いけないことをしているという自覚はあってもやめられない。。。

だから、赤ちゃんが犠牲になってしまうのでしょう。。。




わたしは よく、他者への奉仕は余録でいいのです と書きます。


人の傷みを受けられる人間にならないと
本当の奉仕はできないと思うからです。




わたしみたいな人間を増えることを願っています。


覚醒するとは こういう人間になることです。





わたしは一旦、自分の弱さから その手を離した経験があります。

そのあとの その相手の嘆き、苦しみは凄まじいものでした。。。

その経験があるから わたしは手を絶対に離しません。


人は簡単に別れを決める。
わたしからするとそれは、ただの逃げだと思います。


愛しているから、わたしは受け入れます。


魂は尊いものです。

誰一人、いらない魂はないのです。



わたしは愛そのもの。
わたしは宇宙そのもの。
わたしは地球そのもの。


わたしの光りはいつも万全です。

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