この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 愛


このわたしの中に居るままのまま さんという存在はとても立派な方だと思う。(自分のことなのに、変f^_^;) 


自分に厳しくて それでいて他者にはそれを求めず、優しくて慈愛に溢れていて、とても親切なの。 
人が何か困っていたら率先して手伝い、重い荷物も軽々と抱えるの。 


何年か前、何回かの悟りの時に体験した『怖れるものは何もない。出来ないことは何ひとつ、ない。』という存在がそうだったんだ、、、と納得。 


とてつもなく大きくて安心できて、委ねられる存在。 



それがままのまま さんであり、わたしが目指すところなのだと思う。 



今のわたしでも、人から慕われるし安心できるし頼れる存在だと言ってもらえるけど 比じゃない。 

それでいて 女子力も高い。 


まるで、うる星やつらのラムちゃんみたいな存在。 



比じゃない。



たまに、そんなままのまま さんがうっかり顔を出す時がある。 


おちゃめでかわいい♪ 

2016年には、こうやって書いたけど わたしは、この神の愛を目指して修行をしていくのでしょう。





『人の愛』 この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま
URL:
http://mamanomama777.m.blog.jp/article/50837019?guid=ON


人の愛
2016.03.01

人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから 


『怖れるものは何もない。 
出来ないことは何一つない。』 

と、思えるのですが 


この想いって、完全ではないのです。 



できないことは何一つない。。。という想いは、 

『すべてを受け入れます』 
という意味でもあるのです。


だけどね 


すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて 

引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。 



『すべてを受け入れる』って女性性で 

『引き受けない』のは男性性 

なのです。 



『すべてを受け入れる』想いと 
『引き受けない』想いの奥にあるのは、 

『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで 

『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。



『すべてを受け入れるから引き受けない』 


だから、 


見守れるし、待てるのです。 



見守る愛です。 


見守る愛って全知全能という意味なのです。 





見守る愛って 


継続して、相手を信じて待つことができる。


これが 神様の愛なのですね。 


人間の愛ではないのです。 



だから、 


この見守る愛を目指そうということは、もう 肉体を脱がないとできないことじゃないのかなあなんて わたしは思っています。 


いくら わたしの魂が神様だとしても 
肉体を着ている限りは、神にはなり得ないから。 



だから、 


人間においては


この『見守る愛』はできないけど 


ギリギリまで待つ。 

そして、いざというときは引き上げる。受け入れる。 



これが 

人の愛だとわたしは思うのです。 



人は肉体を持つから、最終的には 腕で抱きしめるし足で駆けつけるのだと思います。 




謙虚な気持ちになると、自分を客観的に見ることができ、現実的に周りを見ることができるようになります。 


これは 自分を肯定している目線で周りを見渡せるということです。 


自分を肯定しているから周りや相手も肯定して見えるようになるのです。 

周りを見て、相手を見るから、詫びる心が生まれます。 

これが自分を省みるということです。


こうして初めて反省ができるのです。 


相手にたいして詫びる気持ちになるのです。 


そして、自分自身にも詫びる気持ちになるのです。 


自分を傷つけてしまったことを詫びるのです。 


なぜなら、自分を肯定するあまりに人から矢を向けられることになってしまったからです。


相手にたいしても申し訳ないけれど 自分にたいしても申し訳ない気持ちでいっぱいになるからです。 

すると 自分ですから許されるのです。 

自分を守るためにした行為ですから許されるのです。 



ありがたい。。。。 



そうするとね、 


人から矢は飛んでくるかもしれませんが それを受け入れて消滅させることができるようになるのです。 



わたしが人様の黒いものを手で握り潰すことができるのはこんな理由です。 


人から見たら自分の悪いところも良いところもすべて飲み込み肯定してきた。 
だから、人様の良いところも悪いところも飲み込めるようになるのです。 




それが 誰をも愛するということです。 



感謝、感謝、って言われますが 周りに助けられるから周りの人に感謝といってるのは、誰をも愛するとは言えないのです。 

まずは、自分です。 


自分を愛しましょう。 

自分を抱きしめましょう。 

自分を許しましょう。 



どんな自分も愛するってどんなことかわかりますか? 


自分の良いところも悪いところも良い悪い関係なく愛する。 

言葉で書くとたやすい。 


例えば、人を裏切ったり、人を批判したり、悪口を言ったり、意地悪をしたり、ミスを人のせいにしたり、罵声を浴びせたり、、、、、そんな自分を愛することなのです。 


人前であられもない醜態をさらしたり、泣き叫んだり、わめいたり、物をぶっ壊したり、、、、そんな自分を愛することなのです。 



そんなことをしたことがないわ 

と言う人はいらっしゃると思います。



自分の感情に素直に表すと、上記の行動になるときもあるのです。 


だけど そんな自分でも愛するのです。 


我慢しない。 

嫌なものはいや! 
好きなことは好き! 

と、自分の感情を素直に表現していると、そうなっちゃうんです。 



自分を制限しない。 


自分を制限しずに、そのままの自分を抱きしめるのです。 


それをやって、嫌われてもいい。下げずまれてもいい。 

それでも 自分は自分の行動を否定しないことなのです。 



嫌なものはいやだぁ〜と泣きわめいて手に取るものぶっ壊して、人も傷付けた。 


それでも わたしはわたしを肯定してきた。 



だから 今のわたしがあるのです。 



暴れてナンボだと思う。 


まあ、そこまでやるとスッキリするよ♪ 


恥も外聞もかなぐり捨てた。


信用もなくした。 


だけど そんな自分を責めずに抱きしめた。 


周りに敵しかいなくても自分を肯定した。 





そうすると、心が納得するんです。 

スッキリするからかな♪

スッキリしたら、反省する気持ちが生まれるのです。 


客観的に自分を捉えることができるようになるのかな? 


そこで反省する気持ち、謙虚な気持ちが生まれるのです。 


謙虚な気持ちになって反省すると ちゃんと自分の足で立ててる感じがして感謝がわき上がるものなのです。 



そうすると 少しは、知り分別がつけられるようになって、感情の起伏も少しはおさまります。 




そんなことの繰り返しです。 
わたしは。 




だから、苦しい気持ちもわかるのです。 




どんな醜いといわれる姿でもわたしはわたしをいとおしく感じます。 


よくやったと誉めています。 


そういうものです。 




今は、誰にとっても覚悟を決める時で それによって望む未来を手に入れる時なのです。 


頑張ってきた証をいただけるので 遠慮なくいただきましょう〜。 



なんて 昨日も、友人宅で熱く語り合っていました。 



友人は、今 その覚悟が足りない状態だったので、ほんの少し背中を押したら、感謝されてしまいました。 


感謝って人を確信に導くんですね。 


家に戻ってからのわたしは、自分のやりたいこと望むことが間違いではないんだ、という確信が出来たように思います。 


覚悟や確信って、何か一回、心を決めるものではなくて 幾度となく、繰り返し 確信に導かれ覚悟を決めていく。。。 


だから、覚悟って怖くないんだなあと思います。 


一度、やんわりとでも心が決まったら、その想いは本物だよ、あなたの覚悟は間違いじゃないよ という確信が繰り返しいただけるから、より覚悟が出来るのだなあ と思いました。 


昨日は、わたしの唯一のスピ友との再会だったのでバカ話しをするつもりでしたが、サプライズで感謝をいただけたお陰で確信が生まれました。 


わたしの源を再確認しました。 


これからどう生きたら良いか、をわかってはいたけれど 再確認ができました。  



わたしは空ちゃんからコテコテに愛されている。その確信で生み出される豊かさ、わたしたちの愛をふりまくために この地球に生まれてきたんだなあ と再確信できました。 


空ちゃんは、男のメンツにかけて 好きとは絶対に言ってくれないけれど、 好きだと思ってくれてるんだと確信ができました。 



確信は人を強くするのですね。 


こうやって 強靭なわたしがつくられていくのです〜

癒されて、癒されて、心底 癒されてしまうと
人の役に立ちたいとか認められたいとか という気持ちはなくなってしまうんだね。


だって 癒されきってしまうと それだけで、この状態が世のため人のためになっていることを実感出来てしまうから それ以上、手を出そうとは思えなくなるのです。



誰かを喜ばせたいとか役に立ちたいとかない。



ただ、ただ 愛の中に、身を埋めていたい。。。



それが 世界を平和に導くことだと実感出来てしまうから。。。

人の幸せを願うということを考えてみました。


自分が人のために何かをして差し上げることで喜ばれることは、とても嬉しいと感じます。


だけど もし、相手が喜んでくれなくても わたしはさせていただくと思うのです。


相手が喜ぶことをしなさいと わたしはよく、姉から言われます。

あなたはいつも自己満足で人の気持ちがわからない。

とも言われます。



だけど わたしは いくら、相手がしてほしいことであっても 相手のためにならないことだったら身体は動かないのです。


相手のエゴを満たすためにわたしの身体は動かないように出来ています。



幸せと言うのは、相手のエゴを満たすことだと思えないからです。



相手が自分の意思で考え、行動することが 本当の幸せだと考えます。


だから、自分のエゴを満たすことが幸せと考える方とは意見が合わないのです。



だけど わたしはいつもいつも 相手の立場を考えて行動します。


相手のエゴは満たしてあげられないけれど わたしはわたしの考えで行動します。



わたしは 相手のエゴを満たすことはできないけれど いつもいつも、相手が自分の意思で考え行動できるよう願って行動しています。



人から与えられた幸せは本当の幸せとは言えない。


自分で乗り越えた時の言い様のない高揚感、安定感、安心感こそが幸せだと知っているから。



だから、誰もが 感じてほしいなあ〜 と願っています。



わたしの力で 一瞬、心が楽になることはあるだろう。

だけど それは、永遠ではない。


永遠の喜びを得るためには、自分の力で立つことなのです。

愛の中に身を置くということは

なにものにおいてもジャッジしないということになり
ただ 自分の存在そのものが愛なんだと気づき続けている状態になります。



その状態で この地上に足をつけることは、今の世の中では不可能だと思います。



だから もし、自分が愛の中に生きていると認識をされている方がいらっしゃるようでしたら

自分は地上に足をつけて生きてはいない

と認識をしてください。



そのような方は 人間としては生きてはいないということです。


鳥かスズメか白鳥か。。。?
神様、仏様、女神様でもないでしょう。


子育てをしたり家庭を守ったり家族を養うことは出来ないのですから。

信じていてくれる。。。という確信があることが 中心で居ることだと思います。

宇宙の自由意思も信じていてくれるという確信の元にあるものです。

信じていてくれる確信

愛されているという確信

この確信が、人を強くする。

自分の想いや願いを強くするのです。

この確信を持ってください。

それが ブレない自分をつくる方法です。


人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから


『怖れるものは何もない。
出来ないことは何一つない。』

と、思えるのですが


この想いって、完全ではないのです。



できないことは何一つない。。。という想いは、

『すべてを受け入れます』
という意味でもあるのです。



だけどね


すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて

引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。



『すべてを受け入れる』って女性性で

『引き受けない』のは男性性

なのです。



『すべてを受け入れる』想いと
『引き受けない』想いの奥にあるのは、

『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで

『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。



『すべてを受け入れるから引き受けない』


だから、


見守れるし、待てるのです。



見守る愛です。


見守る愛って全知全能という意味なのです。





見守る愛って


継続して、相手を信じて待つことができる。




これが 神様の愛なのですね。


人間の愛ではないのです。



だから、


この見守る愛を目指そうということは、もう 肉体を脱がないとできないことじゃないのかなあ〜なんて わたしは思っています。


いくら わたしの魂が神様だとしても
肉体を着ている限りは、神にはなり得ないから。



だから、


人間においては


この『見守る愛』はできないけど


ギリギリまで待つ。

そして、いざというときは引き上げる。受け入れる。



これが

人の愛だとわたしは思うのです。



人は肉体を持つから、最終的には 腕で抱きしめるし足で駆けつけるのだと思います。

わたしたちは愛そのもの。。。


と、実感すると このように動くことができるのです。



では、どうしたらそのようになれるのかといったら

それは

魂本来の癒し です。



結局、魂本来が癒されていないと 人のために動くことは出来ないのです。


だから、魂本来の癒しを優先にする必要があると思います。



わたしは 何をするよりも魂優先に動いてきました。


だから、今のわたしがあるのです。



自分をみつめることを何よりも最優先にしてきました。


病気になったり、急に仕事が暇になったりした時にはそんな時期ですね。


宇宙がちゃんと、自分みつめの時間をつくってくれているのです。


ありがたいです。



だから、その実感がないときは


まだまだ、わたしは癒されていないんだわ〜


って思っていればよいのです。



そこを 〜しなければいけない!と頑張る必要はないのです。


そんな時期に世のため人のためには、動けないものなのです。

そこを自覚してください。


癒されていないのに、癒されたふりをしているから苦しいのです。


癒されていないから、 自分が楽しめることをしてみるのです。


だけど それに罪悪感を抱く方がおられます。


今まで、精一杯頑張ってきた方です。



また、癒し癒しと遊びすぎて、そこから抜け出せなくなっている人もみられます。


でも、そんな方は しっかり癒されているのですよ。


でも 魂の感度が鈍いから気付かないのですね。


ちなみに、わたしが厳しく指導するのは、このようなタイプです。




癒されていない人に、わたしは無理なことは言わないですよ。




しっかり癒されているのに、怠けて 動かないからです。


怠け病です。




結局、魂が癒されていないと 世のため人のために、動けないよ ってことです。


まずは 自分の魂を癒すことをしましょうね♪

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