この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

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愛の中に身を置くということは

なにものにおいてもジャッジしないということになり
ただ 自分の存在そのものが愛なんだと気づき続けている状態になります。



その状態で この地上に足をつけることは、今の世の中では不可能だと思います。



だから もし、自分が愛の中に生きていると認識をされている方がいらっしゃるようでしたら

自分は地上に足をつけて生きてはいない

と認識をしてください。



そのような方は 人間としては生きてはいないということです。


鳥かスズメか白鳥か。。。?
神様、仏様、女神様でもないでしょう。


子育てをしたり家庭を守ったり家族を養うことは出来ないのですから。

そして

永遠に、許し続ける。


愛し続ける。


信じ続ける。

9dd322f1.jpg永遠を得たいならば、信じ続けることです。


どこまでもどこまでも 自分を信じて生き続けることです。


少し 良くないことが起こると 自分の力を疑ったり あきらめてしまったり

そんなことは、しないことです。




永遠に愛し続ける。


永遠に信じ続ける。


永遠に。。。

いくら 楽天家のわたしでも そこまで楽天家にはなれません。


人を思いやることは 際限はないけれど、
そこまではお人好しにはなれません。




その時、あなたはどうしますか? どう感じますか?
というお試しは数々、あります。



どこまで あなたは許せますか?

どこまで 広い心を持てますか?


とのお試しだったのかもしれません。



だけど 今のわたしが下した判断に間違いはありません。


わたしを裁きたければ裁けば良いのです。


今のわたしは 周りを見渡し生きています。


不思議な世界のこともわかるし、地につけて生きる意味もわかります。


だから、どんな生き方も自由ですが 正しい生き方はあるのです。



今は まだ、お金というエネルギーのある世界です。


自分が生きていくお金を生み出すためにすべきことは お金に関わる対象のすべての人、物を大切にすること 愛することです。

それができて 初めて、余裕が出来て 余裕を愛することができるのです。


人が生きていくためには優先順位があるのです。

誰もが最優先すべきは自分の命です。


自分の命を守るために、どう生きるか!どう感じるか!だと わたしは思うのです。




楽しむために生まれてきた とか 人に役に立つために生まれてきた という方も 自分の命がなかったら 楽しむことはできないし お役にも立てないのです。



わたしは自分の命を守るために、自分のすべきことをして過ごしています。



お金は天下の回りものです。


だから、愛するのです。

自分の話を聞き入れてもらえないぐらい寂しく、怖いものはない。。。



話せばわかる、と言われるが
話しても聞き入れてもらえないと 孤独を感じてしまう。




取り合ってもらえないと それ以上、話しはしたくないと 口をつぐんでしまう。



そして 他の人とも 話ができなくなる。




結局、そのようになってしまうのは


『自分にとって良きことしか耳に入れない、入らない。


感謝をされることは耳に入れるけれど 謝る言葉は聞き入れない。
聞きたくない、聞く必要ない。

謝られると その問題を思い出さなくてはいけないから 聞きたくない。

だから、人に謝らせない。
聞く耳を持たない。


自分に非があるとは一ミリも思わない。


自分にとって不利益になることは耳に入れない。』



そんな人のそばにいるからなのです。



自分の意見を聞き入れてもらえないと 人は、自由を奪われた感じがして 孤独になっていきます。


だから、誰も信じられなくて 人との交流を断ってしまうのです。



それか
その人の言うことを信じて生きていくしか道はないと思ってしまうのです。


その人に気に入られるように接し、良いことしか言わないようになっていきます。




そんなマインドコントロールが徐々に解け始めています。




しかし 独裁者は まだまだ存在します。


そんな独裁者から離れていく人が増えています。

しかし、そんな独裁者を丸飲みするのです。




出来ないことはない。



ゲートは開かれて、恐れを乗り越えたのだから。


手放したのではない。


乗り越えたのだから。



愛は丸飲みすること。


ゴックンするの♪

e2b99e17.jpg自分が何ができるかわからない。

でも、自分を発揮したい。
自分を試したい。



そんな想いで動かれる方がたくさんいらっしゃいます。


その想いに賛同してくれる人、批判される人と出逢っていきます。



そして 自分が何者であるか何を求めているかを知ることになるのです。



愛と光りと調和を求めると言葉で言うのは、容易いことです。


どう行動することが愛なのか、どう行動することが調和なのかを学習していくのです。



自分で行動してみないとわからないです。

体験してみないとわからないのです。



愛と光りと調和


言葉だけでは伝わらない。




愛するとは何なのか!

光を輝かせるとは何なのか!

調和を持って生きるとはどういうことなのか!



自分で考え、行動してください。



体験してみないとわからない。



愛することの重みはわからない。


何をすることが感謝をして生きるということなのかわかってください。。。


口先だけの愛と光りと調和は もう、いらない。。。

愛がなんたるかがわからない人は愛を語ることはできない。



だけど 愛し愛されることは出来るのです♪


現実を見る、地に足をつける ということは


わからないことにいちいち意識を置かないことなのです。



愛し愛されている現実を見てさえいれば前に進むのです。

男性性の父性愛は見守る愛。


女性性の母性愛は受け入れる愛、菩薩の愛とも言います。



人には、女性性と男性性の両方、持っています。


見守る、引き寄せない、干渉しない愛と受け入れる、受容する愛です。



このバランスが取れていることが大切ですね。



どちらも
『意識する』ことは必須条件です。



意識して、行うことがグラウディングです。



グラウディングをしましょう。


常に、意識して生きましょう。

愛されている感覚がないと、反省はできないと思います。



今まで 反省をすることを書いてきましたが、根底に愛されている感覚がないと反省はできないような気がします。


反省しても、それを受け入れてくれる器や相手がいないと 反省した気持ちが持続しないのだと思うのです。


だから 今まで、わたしが首をもたげていると、魂が頭の上を旋回したのでしょう。


反省しなさ〜い と旋回したのです。



わたしは魂を感じるから反省できるのかもしれません。



このように、反省することと魂は密接な繋がりがあるのだと思います。



親が子供に『反省しなさい!』と叱ったところで そこに子供が愛情を感じないと反省はできないのだと思います。



そう考えると、


親は、真の愛情を持って子供に接することで 子供がまっすぐに育つのだと思います。



真の愛情を持つためには、自分自身に繋がること、自分の親との愛を深めることですね。


人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから


『怖れるものは何もない。
出来ないことは何一つない。』

と、思えるのですが


この想いって、完全ではないのです。



できないことは何一つない。。。という想いは、

『すべてを受け入れます』
という意味でもあるのです。



だけどね


すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて

引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。



『すべてを受け入れる』って女性性で

『引き受けない』のは男性性

なのです。



『すべてを受け入れる』想いと
『引き受けない』想いの奥にあるのは、

『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで

『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。



『すべてを受け入れるから引き受けない』


だから、


見守れるし、待てるのです。



見守る愛です。


見守る愛って全知全能という意味なのです。





見守る愛って


継続して、相手を信じて待つことができる。




これが 神様の愛なのですね。


人間の愛ではないのです。



だから、


この見守る愛を目指そうということは、もう 肉体を脱がないとできないことじゃないのかなあ〜なんて わたしは思っています。


いくら わたしの魂が神様だとしても
肉体を着ている限りは、神にはなり得ないから。



だから、


人間においては


この『見守る愛』はできないけど


ギリギリまで待つ。

そして、いざというときは引き上げる。受け入れる。



これが

人の愛だとわたしは思うのです。



人は肉体を持つから、最終的には 腕で抱きしめるし足で駆けつけるのだと思います。

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