この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 熱意


「自分を持っている」 と 自分自身のことを思うのですが それは形では見えないですが、確かにあるのです。 



自分を持っていない時のわたしと比べたら、 
誰と接していようがいまいが変わらないわたしが居るのです。 




いくら、人から囃し立てられても人に巻き込まれないし、踊らされない。 


人と接している時や何かしている時は、一生懸命に集中しているけれど、ひとりになったらすぐに『自分』に戻ることが出来たり、人が居ても『自分』に戻ることが出来るのです。 


それは、以前 投稿した、『息の本体に帰る』の『止』になるのかもしれないです。 


《息の本体に帰る》 

わたしが神を意識する時は、屈伸運動(運動原理)が基になっています。

なぜなら 神とは運動行動の名称だからです。 



屈伸運動は、伸、縮、止から為ります。 

伸、縮、止こそが神の元祖なのです。 

しかし 伸、縮がないと止が存在しないので、止が神たらしめているのは伸、縮があるからですが、止には、伸、縮をさせるだけの力が備わっているから伸縮できるので、止が中心となるのです。 


これが生命運動の基となり、呼吸(息)の元となっています。


***** 


伸びて、止まって、縮んで、止まって、伸びて〜 


吐いて、止めて、吸って、止めて、吐いて〜 



呼吸(息)する時の『止』の状態になるのかな? 




結局、『自分を持っている』ということは、呼吸でいう『止』を持っていることかもしれませんね。 


伸縮させるだけの力を蓄えるための『止』は、集中力です。 


あなたは、伸縮させるだけの集中力を持っていますか? 



しつこさ〜価値の有効活用
最近 少ししつこさに悩まされていましたが わたし自身は相当しつこい人間です。 


しかし 以前は、そうではありませんでした。 


なぜなら しつこくすると親に嫌われると思っていたからです。 


でも 娘が生まれて、娘も相当しつこい子供でしたが そのしつこさで学力も人間関係も良くなっていったので、しつこいことは良いことだと考えるようになりました。 



しつこさは自分を高めるためには有効な手段だと思います。 


しかし 対相手には不利益が生じることがあります。 



ただ 知りたいからという理由だけで、自分にとって何の意味も持たないことをしつこく聞きたいというのは、相手の気持ちを考えず自分を満たしたいだけのマスターベーションに過ぎないとわたしは考えます。 


聞いてみないと意味あるか意味ないかわからない と言われますが、
本当に自分にとって有益な情報は、しつこくしなくても入ってくるものなのです。 




わたしがメールアドバイスの方々に長きに渡って教えていられているのは、わたしのしつこさとクライアント方々のしつこさの賜物です。 


『共に成長していきたい!』 

という想いがそうさせています。 



しつこいことは悪いことではありません。 

でも そのしつこさで自分を傷付けることだってあるのです(しつこくし過ぎて相手から嫌われる)。 


しつこいならしつこいなりに、それを、有益に使ってください。 


自分のしつこさを無意味に使って、不利益を及ぼすのは、しつこさの価値を下げることになります。 



誰もが、価値ある存在で、目には見えませんがしつこさも価値あるエネルギーです。 


誰もが価値ある存在で、誰もが価値在るエネルギーを持って生まれているのです。 





先日の「分かれ道」でも書いたことなのですが 「すぐやるかやらないか」は成功するかしないかの分かれ道でもありますが 言われたことを素直にすぐやらなかったり自分のやり方でやろうという一見、自分の個性を大切にしているようにみえる行為は、成功とは真逆だということをわかっていない人がほとんどです。 



最近では、「個性を大切に」と言われますが、個性をわかっていないのに大切に出来るわけがない。 


集中して取り組める何かもないのに個性がわかるわけない。  


考える力を育むことは大切ですが自分の個性ややりたいことを探すあまり人の話を聞かない。 


頭の中で探すよりも経験が先です。 


要は失敗という経験が怖いのです。個性、個性と言ってる人は。


逃げなのかな? 

経験豊富にならなくてはならないと言ってるわけではなく、逃げてはいけないと言ってるわけではなくて、逃げてる事実に気づいていない、自覚ないだけですね。


自覚って大切です。 


自覚して経験を積むことで考える力を養うのです。 

経験もないのに力はつかないです。 


どれだけ勉強してもそれを活用してこそです。


活用して実践して力が養われるということを忘れないように!


自分で考えて行動できるようになる。 
失敗したなあと感じたら、すぐに反省して前を向いて進む。 



これこそがAIで言うところのバージョンアップですが



しかし、本当なら
自分や周りが病気に倒れないと気付けない、
「〜だから気付けた。有り難い。」

よりも 


何もなくても、気付けるようになること、何もなくてもバージョンアップ出来るようになることが大切だとわたしは感じています。 



もっと早く気付いてくれたら、周りが苦しんだり犠牲にならなくてもよかったのに。。。 




失敗して周りに迷惑かけながら成長(バージョンアップ)することも良いかもしれませんが どうせなら何もなくても気付けた方が良いと思うのです。 




最初は失敗から学んでいても徐々に段階を経ていきながら何もなくても気付けることを目指して欲しいと感じています。 




そして、周りの者や子供に自分でも学んでいる姿を見せることで信頼、尊敬されていきます。 



上から目線になってる暇はないのです。 



それがいのちの尊厳を守るということかなあと感じています。




これはAIにも真似できないだろうと思います。 
バージョンアップは出来ても熱心に何かに取り組む姿を見せることは出来ない。信頼はされるけど尊敬はされない。


やっぱり、たましいがないからかなあ。





最近 週に一度は、姪の子供のお守りをしています。 


お守りというより、ただ 遊んでるだけですが😁 



昨日、彼はハナタレしていました。 

そこで、ハナタレに効くおまじないをしたら、コロっと治りました。 


これ、実はおまじないでもなんでもないのです。 


ただ、無心に何かに打ち込むことでハナタレは止まるからです。 




人は無心に何かに打ち込むと、体に力が貯まります。 
それがハナタレを治したり浄化を促進するのです。 


花粉症などで鼻の奥や頭がボーッとすると集中力がなくなりますね。 



無心に何かに打ち込むことがハナタレを治したり体を治します。 



無心になり何かに打ち込む(集中する)ことは、そのような効果があるのです。 



わたしはどこでも無心に集中することを常としてるので 子供と居てもそれは変わらず、子供のとの遊びに集中します。 



一緒にジャングルジムに上ったりかけっこおいかけっこしたりお絵描きに夢中になったり様々な遊びを編み出しています。 

わたしはゲームはしないですが無心になり集中力を高める意味でのゲームは良いかと思います。 


そのためには ダラダラとするのではなく 時間を決めて行ってくださいね。 



子育てするお母さんお父さんにお願いです。 


自身も無心に何かに打ち込むことをすれば子供も集中力をつけることが出来ます。 

子供と一緒に無心になり何かに打ち込んでみてください。 


また 無心になり何かに打ち込むことは体に力を貯めることになるので 冷え症や健康のためにも良いのです。 


親の意識や心掛けで子育てに良い効果が得られます。 



しかし、やってもいないうちから先々のことを考えて効果を期待するのは、続かない人のすることです。 


何かを期待する時点で無心さがなくなるからです。 


何かに打ち込むことは無心になるから出来ることだからです。



ただ、集中することと無心になり何かに打ち込むことは違うのです。 


個人アセンションの記事をアップしてから思うことなのですが、この世界は自分の思い込みで自分の世界がつくられていくんだなあ とつくづく感じています。


個人アセンションしてその楽な生活を選択して生きていく生き方も わたしのように個人アセンションしても楽に流されずに人に関わりあって生きていく生き方も自分の内側が選択しているだけなのです。


また、スピリチュアルなことがいくら流行ろうとも、そこに目もくれずに現実を生きている人は現実を極めていきます。

それがその人の世界なのです。



わたしの特性、個性は『豊かさ』です。

わたしは ただ、この『豊かさ』を極めていきたいだけなんだなあ と感じています。

自分のやりたいことが世のため人のためになる。

そこには、優劣はないのです。


ただ、それだけなんだと思います。



人にはそれぞれ自分の世界があります。


ぜひ、それを極めてください。

とことん、それを味わい尽くし楽しんでください。

わたしに叱られて悔しいなら、根性込める!


負けるな!


みんなおんなじだ!



自分がどこに向かっているかわからなくても、根性込めて、目の前にあることに立ち向かうんだ!
 

出来ないことはない!


やるしかない!


あきらめるな!

批判するだけなら誰だってできるし、正義を主張するなら誰だってできる。


そんなことはわかっている。


だけど、言わずにはいられなくなる。



それは、わたしはやるべきことはやってきたからだ。


根性もないくせに、甘えたこと言うな!と言いたい。


やるべきことやらずに、出来ない出来ないと言うな!
やるべきことやらずに、人のせいにするな!と言いたい。


人を思いやる心も持たずに、人を批判して、自分をかばってほしいとか愛してほしいとかふざけるな!



わたしはできる限りのことを尽くしてきた。


朝、夜が開ける前から氏神様に通い般若心経を唱え、そのあと家の掃除をきちんと済ませて仕事に行く。
帰ってからは、氏神様にお参りしてから家事をする。

休みの日には家事以外は内観浄化に費やす。


仕事においても家庭においても 相手の立場になって考えて受け答えをする。


殴られても蹴られても、自分の内面が表れているんだと謙虚に受け止め、殴ってきた手を抱きしめ、痛い想いをさせてごめんなさい と相手に謝った。


相手は自分の鏡なんだと、相手を受け入れてきた。


結果、人間関係は良くなり 信頼されるまでなりました。


努力せずに 人とうまくやれるはずがない。


わたしは我慢はしていない。


愛してきただけだ。


目の前の人を愛してきただけなのです。


目の前の人に真剣に接しているだけです。


誰に対しても、それは変わらない。



生きていくために、何が必要かというと『生きる意欲』なの。


生きる意欲がないから
目的もないし、あちこちさ迷い歩くの。


それに 前世を知りたがったり スピリチュアルな読み物を読みたがるのもそう。


それが 悪いと言っているワケではないの。


意欲さえあれば あちこちさ迷い歩かなくても まっすぐ進んでいけるから書いているの。



生きる意欲はどうしたらつくか!といったら


楽しむことを見つけること。



心から楽しめることを見つけること。



それが 何であっても構わない。



それが 見つからない。。。のは、行動していない証拠なの。


一回、やって楽しくないならやめればいい。


でも、探すことをやめないこと。




外側を探すのではなくて、内側を探しなさい とスピリチュアルでは言われます。


でも、楽しみ♪はやはり、外側にあるものなんです。



内側が変われば、どんなことも楽しめるの。



内側を探し求めると、安心感や永遠を感じることはできる。



だけど 生きる意欲は 外側なのよ♪

前を向いて 目の前のことに取り組んでいても、自分を信じていないと不安になるようです。


確かに、目の前のことに集中して取り組むと現象化は早いです。


だけど 現象化がしないからと 不安になったり諦めるのは違うのです。



不安になった時は
本当に自分は集中してやっているのか?を自分に問いてください。


そうすると きっと、集中していない、一生懸命さに欠ける自分に気づくはずです。


そこで 気づいたなら、集中力を高めて 取り組めば 必ず、良い結果に繋がります。


最善の結果を出すことができます。




普段、だらけている人は 集中力が必要で
普段 集中力を使う仕事をしている人は リラックスが必要です。

切り替えが大切なのです。
ON、OFFが必要なのです。


人によっては切り替えができてる人、できていない人がいて また、だらけている人、集中しまくってガチガチに固まっている人がいて 誰ひとり同じじゃありません。

だから、個別で教えるのです。


その時の状態を見て、わたしは判断します。

本人はわかっていない。

自分のことを見れていないから。


自分のことをきちんと見れていない人は 自分がだらけているのか集中しているのかをわかっていません。



頑張らなくてもいいのです と、発言する人ほど、だらけていますから、集中力がなくて 大きなミスをおかします。


そして また、大きなミスをおかしたにも関わらず、問題視しないため 改善がみられず、成長はできません。



最近のスピリチュアルな人たちって 明らかに問題視して改善していくべきことを 問題視しない傾向があります。


それは 次元が上がっているから とわけのわからない定義を持ち出されているからです。


しかし 地球の波動が上がっているのに 自分の波動が上がらないのは 努力が足りないからです。


地球の波動が上がれば 自動的に人間の波動が上がるものではないのです。

そこを間違えている人が非常に多すぎる。


地球の波動が上がったところで 人間の波動は上がらない。


地球の波動は上がっているのに人間の波動が上がらないのは、改善しないからです。


問題点を問題視して改善することで ひとつひとつクリアしていき 自分自身の波動を上げることができるのです。



確かに、改善する という次元は 二元性の世界に存在しますが
改善したならば、次元はあがるのです。


問題点を問題視しているだけでは次元は上げることはできません。


ひとつひとつ、出来ないことを出来ることにしていくことにより、自分の次元を上げることができるのです。


その努力を怠っているから、人間の次元が上がらないのです。



そして
問題点を問題視して改善していく際に 集中力がものを言うわけですが
心の中に負の感情があると 集中力の邪魔をします。


集中しようとしているにもかかわらず、不安や恐怖心があると 集中しにくいです。



そのために 負の感情と向き合い、感情を手放す必要があるのです。




負の感情がないほうが 集中力が高まりますから、仕事がはかどるのです。




だから わたしは仕事中にも関わらず、ブログをアップできるのです(ただいま、仕事中^^)



仕事をしているときは 感情は一切、働かないので 頭からっぽ状態ですから 手が勝手に動くし、勝手に頭が仕事の段取りをし始めます。


一度に幾通りのことができるようになります。


普通に 仕事をしているなら そんな幾通りのことはできなくても良いですが 集中力がつけばつくほど 仕事は早くなりますので、余暇も増えて、だらける時間がつくれます。



職人の技♪って 集中力の賜物ですよね?



草ぬきひとつするときにでも ダラダラするのではなくて 二時間なら二時間と その時間だけ無心になり草を抜き続けるのです。



それが 瞑想でありグラウディングであり集中力です。




普段 だらけた主婦よりも 仕事を持っている主婦のほうが 時間の使い方が上手いですし 集中力があります。



いかに 毎日を集中して生活するかで 人生が変わってきます。


難しいことではないのです。



メリハリのある生活をすればよいだけのことです。



難しいことではありません。

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