この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 自分を愛する

だから、人からのいいねや評価は当てにしない。

ダメなことならば、すぐに返って教えてもらえるの。


その時に、きちんと反省して 次に繋げるの。


そうやって 生きていれば そうそう自分にとって嫌なことも起こらなくなるものなの。



自分を自分で認めて生きているだけなの。


公衆の面前ですべって転んでも
あら、転んじゃった ってケロッとしてる←つい、さっきやった〜

その時に 駆け寄ってくれた人に笑顔でお礼を言ってる

ありがたいなあ〜
助けられてるなあ〜

って感じるよ。




誰にでも、微笑んでいられるようになるよ♪



最初は、どんなことでも努力は必要なの。

でも、続けてやってると 自然にできるようになるものなんだよ。



それは、どんなことでも同じなんだよ♪

わたしは、自分を高めることが大好きです。


だから、フアッションも好きだしお化粧することも好きだしお勉強もするだし内観することも大好きで得意なんです。


そんなわたしだから、人からは自己中心的だと言われたり自意識過剰だと言われてきました。

それで叩かれて、精神的にもおかしくなった時期があります。


自分のことにしか目が向かないのです。


人に対する奉仕精神は持ち合わせてはいますが、それよりも自己愛の方が優勢です。


今では、自分を高めることが大好きだと言えますが、昔は努力は嫌いでした。 お勉強も嫌いでした。


だから、人に誇れる得意なことがなくて、スポーツも絵画も音楽も才能はありません。


そして、いつも きれいなお洋服を着てきれいにお化粧をして 綺麗だね〜 と言われることが好きでした。


結局は、内面よりも外見ばかりを気にしている女でした。

だから、他になんの得意なことも見つからず、心はいじけていたのです。

外見ばかりを気にしていたせいで 綺麗で居続ける努力はしていました。


それって 自分では当たり前のことだから気付かないのですが、今 思うと、得意分野なのです。


それしか努力していなかったわたしだけど、それが自分にとって得意分野、誇れることになるとは思っていませんでした。

頭はないけど綺麗、綺麗にしていたわたしです。

あの頃のわたしがそのことに気づいていたら、もっと違った人生があったかもしれません。


だけど 気づかずに、自分に自信のないまま 親の勧める人と結婚をしたのです。



なぜ、こんなことを書いているかというと わたしのように 何にも得意なことがない と思って生きていても 足元を見てみると 自分に誇れることってあるよ ってことなんです。

そこに気づけるか気づけないか、なんです。



好きな人を振り向かせるために、お洒落やお化粧を頑張ってることって誇れるものなんです。


自意識過剰と言われても極めることって大切です。


それを頑張っていたら、それを後押ししてくれる人が現れたり苦手分野を手伝ってくれる人も現れるものなんです。


そこで、相手に対して感謝がわき上がります。



苦手なことをイヤイヤやっていてもストレス感じるだけですが 自分は好きなことをして苦手なことは誰かがやってくれたら、ありがたい〜♪って気分になりますよね?


自分はただ、好きなことをしてるだけなのに、苦手なことを手伝ってくれたりしたら嬉しいですよね?



相手に対してのありがたいという感謝の気持ち

これがあるから、好きなことに集中できるのです。


だから、自分のやっていることが人のためになると確信が持てるのです。


これが わたしの考え方です。


まずは、相手に対しての感謝です。


好きなことをさせてくれてありがとう♪

と、わたしは主人にも娘にも空ちゃんにも感謝しています。


わたしは料理は苦手ですが、独創的なものをつくります^^


それでも食べてくれる主人や娘に感謝です。

社会人一年生の娘ですが 未だに、わたしの手作り弁当を持ってきます。


ありがとうと言われれば何でもつくる母です^^


単純♪

どんな日本にしていきたいの?


どんな経済発展していきたいの?


待機児童をなくしたいなら何をすればいいの?


原発0にするためには何をすればいいの?



家族が仲良く暮らしていける世の中にするためにはどんな政治をしたらよいのかがわかる人はいませんか?



根本的には、家族仲良く平和に幸せに生きていける世の中になること。


個人主義、それぞれの価値観を持つことを認めあうことも大切だけど それによって家族崩壊するっておかしくないですか?


『愛』という世界は、自分の好きを追求していったら 必ず、家族仲良くしよう!ご先祖様を大切にしよう!という想いが出てくるものなのです。


それなのに、自分の好きを追求したら、家族から離れご先祖様を無視した生き方になるのは、愛の世界にいないということなんです。


なんのための瞑想かといったら それに気づくためなんです。


自分勝手に生きるための瞑想ではないのです。


すべては『愛』に気づくためにあるのです。



『愛』を選択しない人もいる。。。


それはわかってる。


ただ、『愛』を選択して生きているつもりでも 結果、愛の世界に生きていない人がわんさかいます。

勘違いしてる人がわんさかいます。




家族が仲良く暮らしていける世の中にするためにはどんな選択をして生きたらよいかわかっていますか?


家族と仲良く平和に幸せに生きていくために、あなたの『好き』があるのです。


愛する人と仲良く暮らしていくために、あなたの『好き』があるのです。

あなたの『好き』はなんですか?

毎日、毎日 何らかの気づきがあるし、やることあるし、いろいろ忙しいの。


だから、忘れていることもある。


いっちばん、やらなきゃいけないことを忘れていると 必ず、何らかの形でサインが降ってくる。


ありがたい。


って言うか


それは何かというと、願いが叶うと信じること。

わたしは人よりも信じる力が強い方で 今まででも叶えてきたけれど
まだまだ、力が足りないようなのです。



だから、信じなさ〜い♪と目の前に垂れ幕を垂らされます。



信じてないわけではないけれど、つい、忘れてしまう。。。


それって、信じてないってことで半信半疑ってことなんだなあ〜



結局ね
夢を叶えるには、夢は叶えられるんだ!って信じるだけなんだよ。



それだけなんだよ!

人の役に立ちたいよりも自分のためになることをする。



わたしは今はライオンまで成長してきていますが、以前はサルでした。


ライオンのほうがどう猛で狂暴ですが、今のほうがゆったりと暮らしています。


それは、オリに入れられてはいるものの、以前は狭いオリでしたが、今は広大なオリだからです。

魂的には強くたくましくはなり、一度怒らせたら狂暴ですが、少々のことでは怒らなくなり、おとなしくなってきました。


それは、人の役に立ちたいからと、サーカス村で過ごしているわけではないからです。


お客さんに喜んでもらうことは好きだし嬉しいけど、お客さんのために働いているわけではなくて、自分が楽しいし学べるからやっているんです。


人のためじゃない。


自分のためなのです。



自分のためにならないことを強要されたら、動きません。


自分のためにならないことには、見向きもしないです。


だからわたしは、人のためになりたい!と言ってる人の気持ちはわかりません。


人のためになりたい!と言って頑張ると、人の期待を背負い過ぎるからです。


人のためになりたい気持ちよりも自分のために働きます。


だから、自分が自分で働きたい環境をつくって、そこで働いています。


オリは自分でつくっているのです。


だから、周りからは、『結局はあなたの言う通りになる』と言われます。

仕事内容は変わっていますが、最初に勤めた場所から30年間、変わっていません。


それは、わたしが自分の出来ること出来ないことをきちんと把握して、出来ることは一生懸命に頑張るからです。


毎日、反省をして自分をわかっているから、自らオリを作れるのです。


それが自分の居場所です。


自分の居場所は自分で作るものです。


人から用意されるものではありません。



自分の意思を反映させて作るものです。



このオリは快適です。


空ちゃんこそいないですが自由を満喫できます。


たまに、こっそり抜け出して空ちゃんとのデートを楽しみます。



わたしはオリをつくって入っていないと、人間として生きていけないから 人として生き抜いて目的を果たすためには、まだまだここからは出ないです。


自分の意思でオリを作って生きています。


魂はどう猛なライオンですが身体は体力がないから、他の人に比べたら狭い空間にいないと生きられないのです。


世間にさらされたら、わたしはエネルギー抜かれて死んでしまうから。




わたしは、発達障がいやグレーゾーンと呼ばれる人と同じだから、これはわたしが生きていくための知恵なんだと思います。




生き抜いてナンボだと思います。

わたしは自分のことをサーカス村に居るどう猛なライオンだと思っています。



普段は、おとなしくオリの中に入っています。

お客さんを喜ばすのは好きだし、楽しいです。



だけど 何かのきっかけで 自分の譲れないものに危害を加えられたり、離されたりした時には、暴れます。


わたしが暴れると、物が壊れるし地震は起きるし雨風を降らせます。


雄叫びを上げ、生きている目的を失い、生命力が一気に落ちます。。。



が、そこで 神様からお叱りを受けるのです。



何をやってる!と、一喝され 周りを見渡すと、周りの者は震え上がりわたしを怖がります。


そこで わたしは反省をし、壊したものを再生し、自分の入るオリも作り、自らオリに入るのです。


自分の譲れないもの

これは、自分の気持ち次第で自分から離れたり隠れたりします。


それに翻弄されるわけですが、どう猛なライオンですから、厄介です。


以前は、サルでしたが進化してライオンまで大きくなってしまいました。



わたしは前世が人魚(カッパ)でして、見世物小屋に売られた経験があります。

そのため、晒し者にされたトラウマがまだ、残っています。

だから、無理難題を突き付けられる(自分ではそう感じる)と、キバを剥きます。




困ったものです。



わたしが怒ると、地響きがなり身体から湯気が出ます。



おとなしくしなくちゃです。


身体は小さく体力はないのですが、魂はライオンなんです。


バランスが悪いのが欠点です。

わかろうとすることは素晴らしいと思うけど 自分に響かないものに興味を持つ必要はないのだと思う。



人を見ていると、実際には興味がわかないことでも人がやっているから、人が行ってるからと同じことをしようとしている。


自分が興味がわかないことに首を突っ込む必要なんてないし、同じように感じる必要もないし、 自分いじめはやめようよ。



高尚に自分を見せたいと思っても、元々 興味がわかないから そうならないのです。


自分をよく見てみようよ。



自分は何をしている時が一番、楽しいですか?







ちなみにわたしは泥遊び好きです^^

爪の中に泥が入ってもなんのその〜

お砂場も好き♪

波動を上げても、自分を大切にすることの意味を知らない人が多いと感じます。


大切にされないことが前提の生活をしているから、自分が自分に対して、笑顔でいるとか 人に優しく接するとか声かけするといった程度のことはできても、大切にすることまではできていない。


なぜなら

人に優しく接することが大切にすることではないし
人に笑顔でいることが大切にすることでもないし
声かけしたり、あいさつすることが大切にすることではないからです。



大切にするって、相手に対して一生懸命に、親身に接することで、通りいっぺんの優しさを与えることではないのです。



人から一生懸命に、親身に接してもらわないと 大切にされてる、愛されてる、って心に響かないものなの。


心に響くくらいの愛を与えることができるのは、大切にされてるって心に響いたことがある人でないと出来ないものだと思うの。


だから、わたしは 自分を癒す方が先だと思うのです。


ただ優しくするのと、大切にすることは違う。



その違いを知ってほしいと思う。。。

愛してほしい ってとても曖昧な言葉だと思う。


愛してほしいを突き詰めて聞いてみると、大切にされたい だと思う。


大切にされたい



大切にされないことが当たり前でいる人が多いような気がする。



大切にされないことが当たり前。


大切にされないことが当たり前だから 人に求めない、人を頼らないように生きようとしている人が多いのだと思う。



大切にされないことが前提の生活。



与えたら入ってくると言われても与え方がわからない。


大切にされたいなら人を大切にすればいいとわかっていてもどうしたら人を大切にできるのかがわからない。


だから、与えない。
大切にできない。


いくら、人を愛していても大切にできなかったら、愛されてるとは思われない。



自信のなさってそんなことからだと思うのです。

結局、自分を救ってほしい、守ってほしいと願っても 本当に自分を救い守れるのは自分自身なんだ ということに気付かないと、そこから抜け出すことは出来ないのです。


それまでは 人を頼り、親を頼るのだと思います。

本当に自立できるまでは、それでいいのだと思います。


よちよち歩きでいるのに、自立しろと言っても出来ないのです。


自立する前には、人を頼ってください。




わからないなら、まずは信頼できる人の言うことを聞いて生きるのです。


その中でヌクヌク暮らしたら、自立したくなります。


成長したくなります。


自分を試したくもなります。


その前に しっかり頼って甘えて癒されてください。


準備が出来たら旅立ちです。



中途半端に外に出ても自立したことにならないのです。

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