この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 自分を愛する

最近の人の傾向って変わっているな と思います。



すべて 自分本意なんだね。


自分勝手に自分の意思だけ主張して、我慢がない。

そして 自己主張しないから、わかっているかと思ったら 自己都合。


相手を想って自己主張しないと思っていたら
自分の不利になるから自己主張しないだけ。


ということが往々にしてあります。



相手を想う、思いやることがまったくない人が目立ちます。




結局は 豊かさがないのです。



心の豊かさがないのです。



心が渇れているのです。



人に思いやりも持てないから渇れるのです。



すべて、自分本意で生きているから渇れるのです。



そんな人が 日本を変えたいとやっきになっていますが

自分本意の世の中をつくりたくてやっきになっているだけなので

神様も味方はしてくれません。

相手にすらされません。

だから 神社でいくらお詣りをされても叶わないのです。


お願い事は献属が取り次いでいただけるものですが 自分勝手のお願い事は取り次ぎしないから 賽銭箱の周りに落ちていますね。


知らずにそこでお詣りをして、その念をもらってきます。。。




だから、わたしはめったに神社には行きません。


入れないです。。。





自分本意の人は自分本意の生き方があり、神様からご加護がいただけないという生き方です。


ご加護がいただきたいなら、自分本意をなくしましょう。




人を思いやる気持ちがない人は 神様が救いたくても 神様の目からは見れない人なのです。


神様の目から見れない人は救いあげることなど到底無理なことです。


せめて、神様から見える人になっておくことです。

わたしの主義は

「まずは自分」

です。



自分が癒されてから動きます。

癒されていないと動かないです。



それが 自分を許す、労る、愛する ことだと思っています。



だから、仕事をしていても 頑張りがきかないです。

ネジが切れたら動かなくなる習性があります^^


急に止まるから要注意なのです。


ヘタレで根性なしなのです。



それは わたしの身体の中に「頑張らなければいけない」という感情がないせいだと思います。


「頑張らなければいけない」という感情がある人は 身体が大丈夫じゃなくても無理して動けてしまうものです。
そして 頑張り過ぎて身体を壊すのです。


わたしはその感情がないので 身体が自動的にstopするのです。


便利な身体です。



このように 感情を身体から外していくと 自分の器以上のことはできなくなるものなのです。


できなくなるって悪いことでもなんにもないのです。


身体や心に正直に生きるということなのです。



自分に正直に生きると 世間的には不都合かもしれませんが 自分にとっては楽になるのです。


そうやって 自分らしく生きている方が増えています。


自分を愛する、ということがわからない人がいます。


それは 痛みに鈍感だからだと思うのです。



わたしも かつて、

わたしはストレスなんて無縁だわ!

と言っていた時期があります。



また、どんな楽曲を聴いても どんな映画を観ても感動したことがありませんでした。


『感動する』ということがわかりませんでした。

また、『感謝をする』ということもわかりませんでした。


ありがとうございます と言うことが 感謝をすることだと思っていました。



だから いつも、お前は心がない!思いやりのかけらもない!と叱られてばかりいました。



これは すべて、ハートが閉じていたからです。


それを知らなかったから、叱られていた。。。



今なら、わかりますが 当時のわたしには理解ができなかった。。。

当たり前です。


ハートを閉じてしまうような躾をされて 心がない思いやりがない と言われていたのですから。。。


ハートというものは、あまりに辛い出来事があると 感じないように閉じてしまうのです。

そうやって、身を守るのです。




ハートを開くって大切です。



どうしたら ハートを開くことができるのでしょう。



それは 自分が好きだなあ と思えることを思いっきりすることです。


でも 理性があると、なかなかできない人も多いでしょう。


また、好きなことが見つからない。。。という人もみられます。



趣味がない。

何をしたら良いかわからない。




本当は やりたいことは山ほどあるのでしょう。


だけど 自分で自分に制限をしているのです。



最初はどんなことでも勇気がいるものです。



結局は 勇気 なのです。


勇気がないと何もできません。


そして それをすることの責任です。



何か、それをすることの責任を取れないから勇気が出ないのです。



わたしたちの人生はすべて、責任がついて回ります。




結局 自分を愛する、ハートを開くことは
自分の行動に責任を持つことなのです。



気持ちが浮いて、ハメを外しても その行動に責任はついて回るのです。



自分が好きだなあ と思えることを思いっきりするにしても 責任はついて回ります。


だけど そこを越えていかないと 自分を愛することはできないのです。



自分を愛するということは、自分の行動に責任を持つことと隣り合わせなのです。




わたしは 自分を愛することに一生懸命な時は、人を傷付けていました。

そして その度に責任を取ってきました。


でも どれだけ人を傷付けても わたしは自分を愛することをやめませんでした。

その度に、責任を取ってきました。




そして 今の自分がいます。

花を咲かせるには、

まず、大地の役目を求められます。


大地を耕して、土壌を良くするのです。

水分もたっぷり与えて、栄養もたっぷり与えなければいけません。

太陽の陽も浴びるのです。



そうやって 土壌を良くしてから 種を蒔きます。


種を蒔くと芽が出てきます。


太陽の陽を浴びて、水分もたっぷり与えて、光合成を盛んに行います。


すくすくと伸びます。


栄養や陽を浴びるほど、しっかりとした根っこや茎になります。


線が通って、軸もしっかりしていないといけません。



そうやって すくすくと育ってから、花は開くのです。



人生の花を開くのも同じことです。


根っこがあって、土壌が安定して 茎がまっすぐに伸びて、軸があること。


それがあって、花が開くのです。




それが 花の咲かせ方です。

先ずは 本当の自分を取り戻す。。。

と書きましたが、


この熊本大地震をスタートに

思い込みを外される〜♪
という流れがやってきているようです。


今までは、自主的に自分のこだわり、思い込みを外そう!という流れで来ましたが

この熊本大地震をスタートに

能動的に思い込みやこだわりを外されるという流れになってきているようです。



勝手に、外されていく〜♪
って

向き合うべきことがこんにちは♪とやってきて、向き合わざるを得ない状況になるってことです。



いと、楽し♪



今まで、自分の心に蓋をしていた人は特に、向き合わされる感情、事件が起こることになっていきます。


その大きな出来事の最たることが熊本大地震なわけですが、他の方にとってもそのような大地震的なことが起きて、向き合わざるを得なくなってきますよ♪ってことです。


待ったなし♪で〜す。




今まで コツコツ向き合ってきた人は これからも、コツコツ向き合っていくのでしょうが

今まで 野放しで来た人にとっては 非常に、大変な情況になるかもしれません。



しかし それは、すべて 自分を取り戻すために起こっていることなので、真摯に受け入れていくしか手だてはないようです。


ここで イヤイヤしていても、ありとあらゆる手段を使って、向き合う方向になってくるということです。


そして

一ま〜い、二ま〜い とはがされていくのです。



軽〜くなった自分を想像してみてくださいまし。



雪崩のように、叩き込んできますよ♪



お楽しみに♪




そして 、9月までが助走期間となり それからが本番です。



だから なるべく 9月までのうちにはがせるものははがしておいた方がよいのです。


9月には もっと大きな波が押し寄せてきま〜す♪


今まで自分だと思っていたことが 間違いだったと気づかされますし

今まで思い込んでいたことが まったく逆転もしますしね♪



誰もが、再構築されていくようですね。




だから 今のうちに、はがせるものは はがしておいてくださいまし〜

人を助けることと、愛することは、同じようで 同じじゃないですね。。。



うまく、説明できないけど


人を助けなくてもいいから、愛することができればいいと思います。


実は、先ほど書いた

外側の体験こそがカルマの解消に繋がることなのです。



瞑想ばかりしていても 内側を癒すばかりで 体験がないのです。



体験は外側にあるものです。


この地球には、瞑想をしに来ているわけではなくて 体験をしに来ているのです。



体験するため、体験をしやすくするために瞑想があるのです。



出来ないことを出来ることに変えるのも体験ですね。




人は体験で自信がつくのです。



地べたに張り付いているだけでは、体験できません。



また、地球を癒す役目がある方は、体験で地球を癒します。


仕事や旅行などでもそうですね〜


うちの娘は、根からのヒーラーですので、よく出歩きます。

旅行大好きです。


瞑想やグラウディングは まだまだ出来ないわ〜という方は
あちこちの体験を楽しんでみてください。


童心に還って、大騒ぎするだけでも良いですよ^^


遊園地は良いですね♪



お子さんがいる方は、子供連れで 一緒に楽しまれると良いでしょう。



人の役に立たなくても自分のためになることで癒されますしね〜


人の役に立つことで自分は癒されるんだ!と考えている方でも
自分だけのために時間やお金を使うことに罪悪感を持つことはないですよ♪



わたし、娘が小さかった頃は 一緒に砂遊びをしながら 砂の中に手を入れて、癒されてました^^


草むしりも癒されます。

泥遊びは楽しいです。


おままごとも楽しいです♪


小さな頃に出来なかったこと、親から止められていたこと をやってみるのもいいですね〜


自分自身の心底の癒しがなければ、カルマの解消がないと思うし
カルマの解消のために目の前の人に対しての感情と向き合わないと、心底の癒しはなかなか起こらない。


これは 卵が先かにわとりが先か
と同じレベルの話しになるのですが


どちらでもよい。



でも わたしからすると、心底の癒しを体験したほうがカルマを解消しやすいのだと思うのです。


それがワクワクすることをしましょう〜と言われることなのです。


でも ワクワクすることなんて、そうそう見付からないです。


心の欠乏感を抱いている者にとっては、特に。。。です。



だから、わたしは観念浄化ワークをお勧めするのです。



これは ただ、やるだけ で 心のお掃除ができてしまう優れものです。



なかなか瞑想が出来ない、グラウディングが出来ない というのは、継続力持続力が持てないからなのです。


継続力持続力って 心の中にモヤモヤしたものがたまっていたら出てこないものなんです。


だから、まず 手っ取り早く 継続、持続できるように身体を造り上げることが必要です。



最初から、瞑想をしなさいと言われても出来ないです。


わたしはグラウディングコードを繋げるのに、3年かかった人間ですから^^



それでも 観念浄化ワークすらもしたくないと言われる方もいらっしゃいます。



それは その汚れた身体で何かを表現したい方です。


汚れた。。。というのは、失礼ですが\(__)



でも その身体で何かを体験したいから、そこに行き着かないのですね。


だから、そこを探すしかないっです。。。



創造って、癒されちゃったら なかなか出来ないです。


癒されないから出来ることかある。



わたしのブログを読んでいらっしゃる方は、向上心が高い方です。


だから、まず ここは、目の前のことに取り組むことを忘れて 手当たり次第、やってみるのもひとつです。


癒されない何かを探すためには、自己主張が必要です。


内側に目が向けられないのは、外側を観たいのです。


外側を観ることで新たな発見もあるでしょう。


外側も大切だよ♪



体験は外側でして
内観は内側に目を向けることです。



なんでもアリ♪

今の自分の感情をストレートに包み隠さず出すことなんだ。


別に、誰かが聞いてなくてもいい。


自分だけが聞いていればいい。



今、わたしは辛いんだ〜
怖いんだ〜

自信がないんだ〜

自分が嫌いだ〜


と、叫ぶんだよ。

泣いて叫ぶんだよ。

顔ぐちゃぐちゃにして、泣き叫ぶんだよ。

いいカッコしてるんじゃないんだよ。


地団駄ふんでいいんだ!

お皿を割ってもいいんだ !

壁に穴を開けてもいいんだ!


感情を押さえないで!!!


他人のことをかまってる場合じゃない!


どう思われたって関係ない!



辛いもん!
辛いもん!
辛いもん!


と思いっきり、出すんだよ!!!



それが 自分を愛するってこと。



誰かに迷惑かけたら、後始末はいたしましょう〜

自分は愛されていないという想いを抱えている人は、多いと思います。



自分を愛することが出来ればそんな気持ちは吹っ飛ぶのですが


そんな人に、

自分を愛しなさい と言ったところで 突き放されたように感じます。


そんな時に

その人の立場になって、思いやってあげるのです。


どんなスピリチュアルな正論を言うよりも
相手を思いやるのです。


それを寄り添う。。。と言います。



寄り添うって、具体的にどういうことかわかりますか?



常に相手を思いやる態度を示すことです。

そばにボケ〜っと立ってることではありません。
その人と同じ立場に立つ。
その人と同じ視点で観る。
その人と同じ場所に行く。




と いうことです。



スピリチュアルで

寄り添いましょう〜


と 言われていることは、実は こういうことなんです。



依存をさせるさせない。。。
と いうことも聞きますが、


そもそも依存ってなんざましょ。。。



思いやりを示すのに、出過ぎるから依存をさせると言われるのですが

引き際を知っていれば、依存はさせません。


依存はしている方よりもさせる方に問題があるのです。




愛されていないという人に対して

依存はいけないわ

と、ボケ〜っと見てるだけのカウンセラーさん



これは、アポです。(小さいマルは取ってください^^)



カウンセラーの資格なしです。



人を導いていく仕事をされている方は

そのことをわからなければ

人に関わってはいけません。



たまに、◯◯◯さんでは ダメだったからと わたしのところにいらっしゃるクライアントさんもおられます。


ボケ〜っと立っていたり、突き放すカウンセラーさんを経て、わたしのところに行き着きます。。。


思いやり。。。

それだけです。


どれだけ、相手に一生懸命になれるか。。。

です。



まあ、これは わたしの身体と相談しながら です。

わたしも いろんなものをかぶってしまいます。


最善を尽くしても、わたしが機能しなくなるときがあります。


そんな時はお手上げです。

また、わたしの光りが強すぎて 近寄らないで!と言われたこともあります。


でも

わたしは どなたに対しても
最善を尽くすのです。



それが わたしです。



だから、悔いはないですけどね。

残念な結果に終わる場合もあります。

わたしの気持ちが伝わらなかった、わたしの想いが伝わらなかったんだなあ。。。と思います。


力不足。




わたしにも不得意なことがあります。


低い波動に身を置くことです。。。


息ができなくなるから、無理です。。。


わたしがせっかく上げたクライアントさんを 横から茶々を入れてくるカウンセラーさんもいらっしゃいます。

また、下がります。

わたしは関われなくなります。


お願いだから
わたしに関わっている方は、他のカウンセラーさんに相談しないでほしいと思います。


わたしは、関われなくなりますから。。。


せっかく、わたしがここまで上げたクライアントさんを引きずり下ろす。。。


恐ろしいことでございます。


自由ですけどね。。。



でも 自分の娘なら、張り手してでも 戻します^^

このページのトップヘ