この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 意識

自分の縛りを取ると意識が変わる。


それだけのことなのに、周りが違って見えるものなんだ。



だけど 〜しなきゃいけない って自分を縛ることも人生にとっては意味があることなんだ。



この世界は人間の頭では考えられないことが起こっています。



人生のからくりがわかると地球から逃げたしたくなる。



根底にそれがあるから、目覚めたくないって頑張っちゃうのかもしれない。



人生の主導権を魂に明け渡したら、もう逃げられない。



いくら自由意思だろうと魂に主導権を明け渡したら、逃げられない。。。


夏休みか終わる時期になると 自殺する子供がいたり学校に行きたくないと言う子供も出てきます。 



わたしは幼少期から空想の世界に生きていたので、人から違った目で見られることもありいじめっ子の標的でしたし、子分にしたてられることもありました。 


それが自分の日常でした。 

家庭では親のしつけが厳しく、いじめられていることが言えない環境でもありました。 


親や姉は性格がキツくやられたら徹底的にやり返すの主義です。そのため泣いて帰ることは出来なくて、平静を装うこともありました。 


そうなると行き場がなくなり よけいに空想の世界に逃げていました。 



もし うちの親が普通の親なら、いじめられていることを話していたと思います。 


教師からもいじめられてもいましたから、行き場がなかったです。(教師の捌け口) 

学校では、病弱ないじめられっ子同士でつるんでいました。 



転機が訪れたのは、転校生の存在で 転校生とお友達になってからはいじめられることはなくなりました。 


だけど それまでに身に付けた逃げることは大人になっても影響を及ぼすことになるのです。  




いじめられてる子って 
自分本位の性格ではなくて 優しくて気弱で自分の意見を言えないのです。 
人のこともよく見てるしわかるのです。

自己犠牲が強い。 

自分が我慢すれば良いと思ってしまう。 



だから 留まってしまう。 


逃げる選択肢がないのか、向き合おうとしてしまう。。。 



痛みに意味はない。 




わたしは無意識に空想の世界に入ることで逃げましたが、逃げる選択肢を持っていない人たちがいます。 




逃げていいんだよ、と言われないと逃げられないし  そこから引っ張り出されないと逃げられないのです。 




それは その子の世界ではない場所に、引きずりこまれているからです。 


そんな時、魂はそこに居ない。外れています。 


だから 突発的に憑依されて自殺してしまう。 





わたしは魂を落としたことがあるのですが、自分が自分じゃなくなりました。 
乗っ取られないように処置していただいたので助かりましたが、

何で助かったかというと、お水です。 


わたしは和歌山県橋本市のゆの里のお水を愛飲しております。 


意識はお水で変えられます。 



自分に合ったお水を飲むこと。 

合わないお水は乗っ取られます。 


お水って重要です。 


合うお水がわからない場合には、住んでいる場所のお水をとにかく飲むことです。 



保護される方々もいらっしゃるかと思いますが、とにかくお水を飲ませてください。 


意識はお水で変えられますし魂も戻ってきます。 





自分の人生は自分が意識した通りになります。 


〜したい! 
〜でいい! 
〜しかない! 
〜しない! 
等 


自分の人生は自分の思っている通り、感じてる通り、になっていきます。 


意識的でも無意識に意識したことでも人生は動き出すものです。



人生が動き出すと、わたしってこんなこと意識してるんだな?とわかります。 

体もそのように整えられて、周りもそのように整えられていくので、後戻りはできないと感じます。 

意識するとは決心するとも言います。 


「決める」とそのように人生が動くものです。 



もし 物事が動かないと思われているのなら、決めていないのかもしれません。 


よく、心を見つめてみてくださいね。 


意識的でも無意識でも決めてないことは進んではいかないから。 




わたしはあることを無意識に決めたせいか、そこに到達すべく体も周りも整えられてしまいました。 
走るしかない〜っ 





今の現状は自分に何を気付かせたいのだろう? 


自分は何を学ぶべきなんだろう? 


今の自分に足りないものはなんだろう?





意識の変容が起きると、このように考えられるようになってきます。 



現実に起きることは、すべてにおいて 自分を成長させるために起きているんだ、ということが自覚できるからです。 




意識の変容が起こる前は、今の自分に置かれている立場や現状に不満ばかりで、それが自分の内面が引き起こしているなんて思いもよらないものです。 
そして、それは人のせい、社会のせいとしか思えないものです。 




『すべては自分の内側にある想いが引き起こしていたことだった』 



これに気付くために、目の前に問題が山積みされるのです。不快になることも起こるのです。 



意識の反転です。

考え方がガラッと変わります。

それを経て、意識の変容がなされていくのです。






今までは、物質世界だったため物質に価値を見いだしていく生き方だったと思います。 


だけど 世界はシフトしていて どんどん、精神性の高いことに価値を見いだしていく生き方になっています。 


そのため、そんな時代の中 物質に価値を置く人は取り残されていく傾向にあります。 



所有という概念が外されています。 

そして、執着も。





世界は変化しています。 


その変化に、ついていけるように わたしたちの現実が起こるように思います。 



今まで素通りしていた、親との関係も見直すことを求められています。 



それは、意識の変容が必要となってくるからです。 




そこを見つめずにおざなりにしておくと これからの人生が生きづらくなります。 


まだまだ、見えていない人もいるかもしれませんが、あえて見つめるようにしてほしいと思います。 


そこに意識を置くのです。 



今まで無意識に過ごしていたことに、意識を置くようにして生活するのです。 


無意識に過ごしていたら心の葛藤はないかもしれないですが あえて意識を向けてみるのです。 


すると イライラ、モヤモヤした葛藤から逃げていたと自覚するでしょう。 



自覚することが大事です。 



ひとつひとつ自覚して生きるのです。 




そうすると 自分の中に意識の変容が起きてくるでしょう。 



自分では考えつかなかった想いがわき上がるのです。  




わたしたちはそうやって意識の変容を促されています。 




昨今、意識を上げると良いとか波動を高めると良いとか言われていますが、どうしたら意識を高めることが出来るかわかりますか?


それは、集中力を高めることに他ならないです。


瞑想やグラウディング、胆を鍛えるとか言われますが それは集中力をつけることに繋がるからです。


また 先記事に書いた、観察力や注意力を高めることも同様です。



最近は、開けたら閉めない人が増えています。

それも 丁寧に閉めない。
しっかり閉めない。



日常生活の中で、意識を高める方法はいくつもあるのです。



意識を集中させて日常生活を送ることが、意識を高めるための基本中の基本です。


事実はシンプルです。




まずは、開けたら閉める。
確実に閉める。
丁寧に、音をたてずに閉める。
きちんと閉めたか確認する。


これを守って、日常生活を送ってみてください。

人のことが好きとか嫌いとかって形がなくてわかりづらいものだけど

一緒にいると楽しいから好き

一緒いると嬉しいから好き


という居心地の良さで判断できるものなんですね。




わたしは、なんとなくイヤとか何故だかわからないけど好き といった感覚で物事を判断します。



居心地の良いものに囲まれて過ごしていたい

という気持ちは誰にでもあるように思います。


だけど その居心地の良さを忘れて生きてる人もいるような気がします。


そこにいると、動けなくなるから。



動きたい場合は、居心地の良い場所を避けて、アクティブに動くのだと思います。



居心地の良い場所が嫌いなわけではなくて、好きなんだけど 今は、そこには居たくない という理由です。




誰もが居心地の良さ、安心を求めているわけではないのですね。



だけど この世界を取り巻くエネルギーは、自分本来の居心地の良い場所に向けて進んでいくように動いています。


それは、抵抗しがたいものになってきています。

もがいてももがいても、人は居心地の良い場所に向けて動き出しています。

意識が上がると、『受け入れる』ということが出来るようになってきます。

そうすると、『受け入れない』ということがどういうことかわからなくなってくるのです。
そして、受け入れることができない人の気持ちを推し量ることができなくなるのです。


つい 以前は、受け入れることができない自分だったのに それを忘れてしまうのです。


意識が上がると そんな不都合が生じるのです。


意識が上がるということは神の意識に近づくことですが、近づいてるだけで神ではないのです。


もっともっと、意識を上げていくと 受け入れることができない人の気持ちもよくわかるようになってくるものです。


意識を上げるということは、すべてを見通せるようになることをいうのです。

たぶん わたしはずっと、いじめられてきたのだと思うけど、ある時から見方を変えた。

それは 相手のことを一番に考えて行動するようになったからだ。

まあ、いじめに屈しなくて いじめを逆手に取ったんだな。


いじめている方って 明らかに心が弱い。

声は大きいけど、心は弱い。



今は、こんな考え方はしないけど
かわいそうな人なんだ、と哀れみを持つようにしたんだ。


そして それに、応えるようにしていたら 暴力は止まっていった。


後は、言葉の暴力。

言葉の暴力というのは、その言葉にマインドコントロールされるから 質が悪い。

思考できなくなる。


だから、まずは感情から耳を塞ぐこと。


また 言葉と感情を切り離して、言葉だけ自分に取り入れるんだ。


例えば、 『バカヤロー』と怒りの気持ちを乗せられて殴られたとする。

それは バカヤローという言葉と怒りの気持ちと殴られる痛みに分けられる。


切り離された怒りの感情は自分には取り入れない。
すると、『バカヤロー』と言われても その言葉は意味を持たないから、『バカヤロー』ってなんだっけ?意味、わかんない って思うんだ。

で、殴られた痛みに対しては 『あら、痛い?』としか思わなくなる。



ただ、単に バカヤローと言われて 痛みを感じた に過ぎない状態なんです。


だから、ボケ?っとする。


ほんと、アホになったんじゃないかと思ったけど そうなることで 相手は怒りをぶつけてこなくなる。

だって 相手にしないから。。。



結局、相手は相手にするから、いじめてくるんです。

相手の土俵に乗るから攻撃されるのです。


怖い怖いと震えていると、よけいにやられるから 平然としている。


感情をぶつけられるから恐怖を感じるのです。


だけど 怒りの感情を感じなかったら平然としていられるから 相手は相手にしてこなくなります。



平然としていられると、相手は 逆に恐怖を感じるようです。

そしたら、手は出さなくなるし 暴力も振るわなくなる。



そして、こちらは、何事もなかったかのように声をかけます。



わたしは そうやって、いじめを克服しました。





今でも バカヤローと言われることありますが、意味わかんない〜って思います。


わたし、おバカなんです^^

そういえば、以前 このブログに批判めいたコメントを残したり、FBにさまざまなIDでメッセージを送りつけてこられた方がいらっしゃいました。


わたしのこのブログは、わたしのお部屋そのものなので このお部屋を乱したり汚したりするものは排除させていただいておりますが、なんとか読ませていただきました。



しかし 人の意識とは不思議なものですね。



好きな方と一緒になれない苦しみ

苦しみの中にいると人の意識はどんどんと低下して、あり得ないものを引き寄せてしまうようです。


でもそれは、本当の自分とは違うものです。

苦しみが引き寄せてしまうだけなのです。



渦中にいると、苦しいだけですが、意識が上がると そんなこともあったわね と笑い話しになるものです。



でも それは、恥ずべきことでもなくて、自分の歴史の一部だから、大切にしたいものです。



自分を受け入れて、自分が放った言葉をのんでいくことで 本当の自分に辿り着けるのです。



お元気でしょうか?


懲りることなく、ブログを読みに来てくださると嬉しいです。

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