この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 意識

少し前までは気にならなかったのに、最近 引っ掛かりを感じることはありませんか?


それは、浄化のサイン。


もう あなたの一部から離れますよ〜というサインです。



どんなこだわりも思い込みも しっかり感じ切ることで卒業を迎えます。



新しい自分になり、新しい人生を生きる前には そんな心がモヤモヤすることが起きるものです。


新しい人生のスタート地点には新しい出逢いが待っています。

何が言いたいかというと、事件は会議室で把握できるものですし、対処もできるということです。


現場に行かなければいけないということでもないのです。


現場でないと出来ないことでもないということです。


この世界は、人の心の持ちようで如何様にも変わります。



人のために尽くしたいと、そばでいたとしても心を変えるまでするのは難しいのです。


絶望している人に手を差し伸べても手を払いのけられます。

手を払いのけられた人は傷付くのです。

傷付かない人がされることなら構わない。

また 現場に出向いたことで、憎しみを持つ人を増やしてしまうかもしれない。

憎しみが復興の手助けをする場合もあります。


そのような方がまだまだ、多いです。



わたしは憎しみの中では息ができなくなります。

だから、会議室でないと意識を向けることができないのです。


これが わたしの特性です。


だけど わたしと同じような特性を持ちながら、現場に出向いて身体を悪くされる方もいらっしゃいます。


だから、わたしはあえて書かせていただいております。



自分の居る場所で事件を知っても 想いはあっても現場に行けない人もいるということです。


想いがないわけではないのです。


現場に行かないから、想いがないわけではないのです。



離れていても、惨状がありありとわかり動きが取れない人もいるのです。


まあ、このような特異体質は稀かもしれませんが あるのです。


現場に行くから誇らしいものでもない。


現場に行くなら、自分の力を最大限に出し切ることです。


どのような場合でも 自分の力を知り、最大限に発揮することが美しい姿だとわたしは考えています。


だから、自分を知ることが大切です。


生半可な想いで生きているんじゃないんのです。



現場を見なくても すべてがわかることがどれほどのことなのか、わからない人にはわからないことなのです。


だから、わたしのテリトリーは会議室だけで良いのです。

事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!


という名言があります。


うちの娘は、わたしにこれをよく言います。


「お母さんは被災地に行ったこともないのに、わからないでしょ!どんな生活して、どんな想いを抱えているかわからないでしょ!口、はさまないでよ!」


わたし、わかります。


現場に行かなくてもわかります。


わかるとしか言えませんが




人は自分のわかる範囲でしか物事を考えられないように出来ているようです。


そのため わたしという存在は理解できる範疇を越えているようです。



わたしの中では 常に、事件は会議室、わたしんちで起きているのです。





このわたしが被災地に出向いたら、何も出来ません。

会議室の中だから、できるのです。



わたしはわたしのことをよくわかっています。



この世の中には、人を惑わせる存在がたくさんあり、それによって 人々は影響を受けて それが良いとか悪いとかジャッジをしてみたり、憑依されて本来の自分ではない体験をしています。


何故 憑依されるかというと 本来の自分自身を否定しているため、自分が引き寄せるから憑依されて 自分じゃないものになる体験をしてしまうのです。


人を惑わせる存在自体は良いものでも悪いものでもないのです。



ただ 自分の心のあり方で引き寄せてしまうだけのものなのです。




自分本来の生き方をしたいというならば、自分の心のあり方に着目して直していくだけなのです。



惑わせられてる人生が楽しいのなら、心のあり方を見つめなくてもよいのです。




何故なら わたしたちの人生は 魂よりも心のあり方を優先して進んでいくものだからです。



それが自由意思と言われる所以です。



しかし 今、これから進む地球では、魂主動で生きる方のみしか乗船できないようになってきています。


そのため ふるいにかけられています。


これから進む地球は魂主動で生きる方のための地球です。


それ以外の方は木星で体験していくことになります。



自由ですよ♪



この世界をお楽しみくださいませ♪

想いは現象化すると申します。


その通りです。


相手に心から感謝をしていれば、仲良くできますし
口先だけの感謝であれば、すぐにそのメッキははがれます。


現象化が早くなってきました。



自分の想いが心の中にしまっておけない世の中になってきました。



イヤなことはイヤだとしか言えなくなってきました。


好きな人には好きとしか言えなくなってきました。



わかりやすい世の中です。

たまに


僕の過去は〇〇〇なことがあったから、こんな性格なんだ


とか


母子家庭だから とか 親が悪かったから


とか


言われるけど。。。



考えすぎじゃない?



そんなことないよ としか思わないから伝えるけど

信じてもらえなくて スピリチュアルカウンセリングを受けてきて

やっぱり、あなたのことは信用ならない!

って言われる。。。



そんなに自分を病気にしたいの?




ウツって言われたいの?



まあ、自分が弱い立場になって守られたいんだね♪




そんな気分なんだね♪



世の中には 本当の病気になっても 生きるために働かなきゃいけない人もいるんだ。


稼がなきゃ生きてけないし 養っていけないからね。



そんな人から比べたら

自称ウツさんは幸せだよ♪



今 そんな自称ウツさんを守ろう!保護しよう!という働きがあります。




守る、保護するだけで育てません。


それって 飼い殺しだよ。



それをわからずに 守られています。。。





それが 〇〇のやり方ですね。

先日 わたしは神様の領域を体験していると書いていますが

ホント、その通りで

すべて、許さざるを得ない体験をしています。




昨夜も 食後のひとときを邪魔されましたし

休み返上で仕事していますし

ボールぶつけられてもニッコリします。。。




あっ あり得ないこともおこったわ!


ママさんが怒ってる。。。と言われて、

怒ってはいないけど、 ゲッ!と思っただけ と言いました。

怒りはわいてこないのです。

怒りがわくシステムというのは

ゲッ!と思った瞬間、心に亀裂が入るのですが 亀裂が入った0.00004秒の内に憑依されるから 怒りがわくのです。


わたしの場合は亀裂が入らない^^ので、ゲッ!だけで済むのです♪

 

とまあ、そんなこんなで わたしの周りは忙しいです。



わたしがニッコリすることで 周りの人は、穏やかになっていくのです。



よかよか♪




でも このようなことは、わたしだけが起こるわけではないのです。



以前、書きましたよね?



これからは 許していく時代になる。。。と。




この神様の領域が だんだん、わたしたちの領域に入り込んできて わたしたちは、すべてを許していくようになるのです。



わたしたちは 皆、そのような存在なのです。




許さざるを得ない状況が訪れます。

わたしは基本、人には興味がないのです。


自分を知りたいの。


何者かとかどこから来たとか。。。ということよりも ただ、自分を知りたい。



自分で自分のことはわかるけど
だけど、もっともっと 自分を知りたいの。



魂の目的がわかったところで
魂は勝手に目的に沿ったことをやってるものなので、そこにいちいち干渉しない。



それよりも わたしは自分が知りたい。



だから わたしは人と接するのかもしれない。


認められたい、喜ばせたいよりも 自分を知りたい。


まだまだ わたしの探求は止まることを知りません。



わたしの根拠のない自信は こんなところからきているのです。

問題視しないって はっきり言って 愛ある行動とは言えないです。


ちゃんと、見ないから。


人として生まれたなら ちゃんと見て行動しましょうよ。



いくら 安心感を得て不安感がなくなったとしても見ることは大切なことです。


見た上で 何をすべきかを考えるのです。



見た上で 優しく微笑むのです。


見た上で 安心感を送るのです。



問題視するって 負の感情を抱くことではないのです。


問題視しないと 感謝もわかない。


問題視しないと 愛もわかない。




気にならない、気にしないのは 愛のない行動の証拠です。

宇宙の真理に気付くと 人は守られている、という安心感を感じることができて不安感がなくなるという


これが 一種の覚醒と呼ばれるものらしい。




この不安感がなくなると、目の前に起こることに対して 問題視しなくなるらしい。


問題視しない という視点を持つことで より良い人生を送れるようになるようです。



しかし この問題視しない という視点は、いかにも この世界においては 一般的ではないようです。


そのため 問題視しないことを問題視されることになるようです。




人は ある出来事を問題視して そこから抜け出そう!解決しよう!とするから 成長できるものだとわたしは思っているため
問題視しない行動はいかにも、人らしくないなあと判断してしまいます。



だから 問題視しないことが決して良いことだとは思えないのです。


だからといって 不安を感じる生き方も決して良いこととは思えないです。




どちらもバランスが大切かなあ と思います。




目の前に起こることに不安を感じることなく、対処していけばよいのではないかな と思います。


問題視しなければ 向き合うこともしないからです。


問題視しながらも安心感と自信で前に進んでいけばよいのだと思います。


だから 不安感がなくなるだけでは 片手落ちなのです。



不安感がなくなったら
自信をつけることをするのです。



不安感がなくなることがすべてではない。



覚醒することがすべてではないのです。



覚醒してからが 人生の本番です。



だから まず、不安感をなくすことから。。。ですね♪

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