この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 意識


今までは、物質世界だったため物質に価値を見いだしていく生き方だったと思います。 


だけど 世界はシフトしていて どんどん、精神性の高いことに価値を見いだしていく生き方になっています。 


そのため、そんな時代の中 物質に価値を置く人は取り残されていく傾向にあります。 



所有という概念が外されています。 

そして、執着も。





世界は変化しています。 


その変化に、ついていけるように わたしたちの現実が起こるように思います。 



今まで素通りしていた、親との関係も見直すことを求められています。 



それは、意識の変容が必要となってくるからです。 




そこを見つめずにおざなりにしておくと これからの人生が生きづらくなります。 


まだまだ、見えていない人もいるかもしれませんが、あえて見つめるようにしてほしいと思います。 


そこに意識を置くのです。 



今まで無意識に過ごしていたことに、意識を置くようにして生活するのです。 


無意識に過ごしていたら心の葛藤はないかもしれないですが あえて意識を向けてみるのです。 


すると イライラ、モヤモヤした葛藤から逃げていたと自覚するでしょう。 



自覚することが大事です。 



ひとつひとつ自覚して生きるのです。 




そうすると 自分の中に意識の変容が起きてくるでしょう。 



自分では考えつかなかった想いがわき上がるのです。  




わたしたちはそうやって意識の変容を促されています。 




昨今、意識を上げると良いとか波動を高めると良いとか言われていますが、どうしたら意識を高めることが出来るかわかりますか?


それは、集中力を高めることに他ならないです。


瞑想やグラウディング、胆を鍛えるとか言われますが それは集中力をつけることに繋がるからです。


また 先記事に書いた、観察力や注意力を高めることも同様です。



最近は、開けたら閉めない人が増えています。

それも 丁寧に閉めない。
しっかり閉めない。



日常生活の中で、意識を高める方法はいくつもあるのです。



意識を集中させて日常生活を送ることが、意識を高めるための基本中の基本です。


事実はシンプルです。




まずは、開けたら閉める。
確実に閉める。
丁寧に、音をたてずに閉める。
きちんと閉めたか確認する。


これを守って、日常生活を送ってみてください。

人のことが好きとか嫌いとかって形がなくてわかりづらいものだけど

一緒にいると楽しいから好き

一緒いると嬉しいから好き


という居心地の良さで判断できるものなんですね。




わたしは、なんとなくイヤとか何故だかわからないけど好き といった感覚で物事を判断します。



居心地の良いものに囲まれて過ごしていたい

という気持ちは誰にでもあるように思います。


だけど その居心地の良さを忘れて生きてる人もいるような気がします。


そこにいると、動けなくなるから。



動きたい場合は、居心地の良い場所を避けて、アクティブに動くのだと思います。



居心地の良い場所が嫌いなわけではなくて、好きなんだけど 今は、そこには居たくない という理由です。




誰もが居心地の良さ、安心を求めているわけではないのですね。



だけど この世界を取り巻くエネルギーは、自分本来の居心地の良い場所に向けて進んでいくように動いています。


それは、抵抗しがたいものになってきています。

もがいてももがいても、人は居心地の良い場所に向けて動き出しています。

意識が上がると、『受け入れる』ということが出来るようになってきます。

そうすると、『受け入れない』ということがどういうことかわからなくなってくるのです。
そして、受け入れることができない人の気持ちを推し量ることができなくなるのです。


つい 以前は、受け入れることができない自分だったのに それを忘れてしまうのです。


意識が上がると そんな不都合が生じるのです。


意識が上がるということは神の意識に近づくことですが、近づいてるだけで神ではないのです。


もっともっと、意識を上げていくと 受け入れることができない人の気持ちもよくわかるようになってくるものです。


意識を上げるということは、すべてを見通せるようになることをいうのです。

たぶん わたしはずっと、いじめられてきたのだと思うけど、ある時から見方を変えた。

それは 相手のことを一番に考えて行動するようになったからだ。

まあ、いじめに屈しなくて いじめを逆手に取ったんだな。


いじめている方って 明らかに心が弱い。

声は大きいけど、心は弱い。



今は、こんな考え方はしないけど
かわいそうな人なんだ、と哀れみを持つようにしたんだ。


そして それに、応えるようにしていたら 暴力は止まっていった。


後は、言葉の暴力。

言葉の暴力というのは、その言葉にマインドコントロールされるから 質が悪い。

思考できなくなる。


だから、まずは感情から耳を塞ぐこと。


また 言葉と感情を切り離して、言葉だけ自分に取り入れるんだ。


例えば、 『バカヤロー』と怒りの気持ちを乗せられて殴られたとする。

それは バカヤローという言葉と怒りの気持ちと殴られる痛みに分けられる。


切り離された怒りの感情は自分には取り入れない。
すると、『バカヤロー』と言われても その言葉は意味を持たないから、『バカヤロー』ってなんだっけ?意味、わかんない って思うんだ。

で、殴られた痛みに対しては 『あら、痛い?』としか思わなくなる。



ただ、単に バカヤローと言われて 痛みを感じた に過ぎない状態なんです。


だから、ボケ?っとする。


ほんと、アホになったんじゃないかと思ったけど そうなることで 相手は怒りをぶつけてこなくなる。

だって 相手にしないから。。。



結局、相手は相手にするから、いじめてくるんです。

相手の土俵に乗るから攻撃されるのです。


怖い怖いと震えていると、よけいにやられるから 平然としている。


感情をぶつけられるから恐怖を感じるのです。


だけど 怒りの感情を感じなかったら平然としていられるから 相手は相手にしてこなくなります。



平然としていられると、相手は 逆に恐怖を感じるようです。

そしたら、手は出さなくなるし 暴力も振るわなくなる。



そして、こちらは、何事もなかったかのように声をかけます。



わたしは そうやって、いじめを克服しました。





今でも バカヤローと言われることありますが、意味わかんない〜って思います。


わたし、おバカなんです^^

そういえば、以前 このブログに批判めいたコメントを残したり、FBにさまざまなIDでメッセージを送りつけてこられた方がいらっしゃいました。


わたしのこのブログは、わたしのお部屋そのものなので このお部屋を乱したり汚したりするものは排除させていただいておりますが、なんとか読ませていただきました。



しかし 人の意識とは不思議なものですね。



好きな方と一緒になれない苦しみ

苦しみの中にいると人の意識はどんどんと低下して、あり得ないものを引き寄せてしまうようです。


でもそれは、本当の自分とは違うものです。

苦しみが引き寄せてしまうだけなのです。



渦中にいると、苦しいだけですが、意識が上がると そんなこともあったわね と笑い話しになるものです。



でも それは、恥ずべきことでもなくて、自分の歴史の一部だから、大切にしたいものです。



自分を受け入れて、自分が放った言葉をのんでいくことで 本当の自分に辿り着けるのです。



お元気でしょうか?


懲りることなく、ブログを読みに来てくださると嬉しいです。

少し前までは気にならなかったのに、最近 引っ掛かりを感じることはありませんか?


それは、浄化のサイン。


もう あなたの一部から離れますよ〜というサインです。



どんなこだわりも思い込みも しっかり感じ切ることで卒業を迎えます。



新しい自分になり、新しい人生を生きる前には そんな心がモヤモヤすることが起きるものです。


新しい人生のスタート地点には新しい出逢いが待っています。

何が言いたいかというと、事件は会議室で把握できるものですし、対処もできるということです。


現場に行かなければいけないということでもないのです。


現場でないと出来ないことでもないということです。


この世界は、人の心の持ちようで如何様にも変わります。



人のために尽くしたいと、そばでいたとしても心を変えるまでするのは難しいのです。


絶望している人に手を差し伸べても手を払いのけられます。

手を払いのけられた人は傷付くのです。

傷付かない人がされることなら構わない。

また 現場に出向いたことで、憎しみを持つ人を増やしてしまうかもしれない。

憎しみが復興の手助けをする場合もあります。


そのような方がまだまだ、多いです。



わたしは憎しみの中では息ができなくなります。

だから、会議室でないと意識を向けることができないのです。


これが わたしの特性です。


だけど わたしと同じような特性を持ちながら、現場に出向いて身体を悪くされる方もいらっしゃいます。


だから、わたしはあえて書かせていただいております。



自分の居る場所で事件を知っても 想いはあっても現場に行けない人もいるということです。


想いがないわけではないのです。


現場に行かないから、想いがないわけではないのです。



離れていても、惨状がありありとわかり動きが取れない人もいるのです。


まあ、このような特異体質は稀かもしれませんが あるのです。


現場に行くから誇らしいものでもない。


現場に行くなら、自分の力を最大限に出し切ることです。


どのような場合でも 自分の力を知り、最大限に発揮することが美しい姿だとわたしは考えています。


だから、自分を知ることが大切です。


生半可な想いで生きているんじゃないんのです。



現場を見なくても すべてがわかることがどれほどのことなのか、わからない人にはわからないことなのです。


だから、わたしのテリトリーは会議室だけで良いのです。

事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!


という名言があります。


うちの娘は、わたしにこれをよく言います。


「お母さんは被災地に行ったこともないのに、わからないでしょ!どんな生活して、どんな想いを抱えているかわからないでしょ!口、はさまないでよ!」


わたし、わかります。


現場に行かなくてもわかります。


わかるとしか言えませんが




人は自分のわかる範囲でしか物事を考えられないように出来ているようです。


そのため わたしという存在は理解できる範疇を越えているようです。



わたしの中では 常に、事件は会議室、わたしんちで起きているのです。





このわたしが被災地に出向いたら、何も出来ません。

会議室の中だから、できるのです。



わたしはわたしのことをよくわかっています。



この世の中には、人を惑わせる存在がたくさんあり、それによって 人々は影響を受けて それが良いとか悪いとかジャッジをしてみたり、憑依されて本来の自分ではない体験をしています。


何故 憑依されるかというと 本来の自分自身を否定しているため、自分が引き寄せるから憑依されて 自分じゃないものになる体験をしてしまうのです。


人を惑わせる存在自体は良いものでも悪いものでもないのです。



ただ 自分の心のあり方で引き寄せてしまうだけのものなのです。




自分本来の生き方をしたいというならば、自分の心のあり方に着目して直していくだけなのです。



惑わせられてる人生が楽しいのなら、心のあり方を見つめなくてもよいのです。




何故なら わたしたちの人生は 魂よりも心のあり方を優先して進んでいくものだからです。



それが自由意思と言われる所以です。



しかし 今、これから進む地球では、魂主動で生きる方のみしか乗船できないようになってきています。


そのため ふるいにかけられています。


これから進む地球は魂主動で生きる方のための地球です。


それ以外の方は木星で体験していくことになります。



自由ですよ♪



この世界をお楽しみくださいませ♪

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