この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 現実を生きる


これはわたしの身に起きた嘘偽りないことで こんな関係こそがツインという関係だとわたしは思っていましたが 
ツインと出会ったと言われる方の話しを聴くと 同じ体験をした人はいないのです。。。 


だったらこの関係は何なのかと最初は悩みました。 



形に見えないけれど 体でわかる絶対的安心感。 





わたしはよく、外側の現実を見れば内側がわかると話します。 


それは 人それぞれ内側にある観念が外側に映し出されるからで、 人それぞれ、見ている世界は違うものです。 


だから わたしたちの身に起こっていることは、観念が外側に映し出されたただけと言えるのです。 



そう考えると この現実と言われる世界で起きていることは それぞれの人の世界で起きているに過ぎなくて、
自分の世界は自分の目の前に展開されているに過ぎないことになります。 


そうです。 
わたしたちは皆、自分の世界を生きているに過ぎなくて 人まねしようとしても 内側に同じ観念がなければ、同じ展開は訪れないものなのです。 


目の前に起こることは、自分がつくりだした世界だということになりますね。 



わたしたちは常に進化し続ける存在ですから 進化するために内側が現実世界を作り出していることになります。 


だから 目の前に起きることを真摯に受け止めこなしていくだけなのです。 


しかし 実際には、目の前に起きていることを受け入れることをせず 目の前に起きた原因を外側に求めてしまう人がいます。 


外側の何が原因で事が起きていたとしても 内側がつくりだしたに過ぎないのですから真摯に受け止めるべきことなのです。 


それが自分にとっての真実です。 



今、現在
この世界において コロナが蔓延していますが、コロナの影響を受ける人と受けない人がいます。 


それは 人それぞれ生きている世界が違うからです。 


目の前に起きるすべてのことは、原因は人それぞれ個人の世界の内側にあり、外側にはないということなのです。 




いくら世界的に流行っているように見えたとしても 原因は個人の内側にあるということなのです。 


いくらコロナは嘘だとかかからないと言われる人がいたとしても 
それは言われている人の真実であって、自分の真実ではないということで
自分自身を成長させていくために コロナを作り出している人がいることになります。 


他人の真実と自分の真実は違うのです。 


だから 裁くことではないことがわかりますね。 




わたしたちは日々、内側がつくりだした現実世界を歩んでいるのです。 


ということは 自分の身に起きたことは、自分を成長させるために起きたことだと思えるのです。 


自分の内側がつくりだした現実は成長するために存在するのです。 



心は外側に影響され、現実をつくりだしますが 影響されなかったら 何も映し出さないものなのです。 

他者のブログ記事や体験談を読んで自分の人生を生きていく参考にすることは良いことですがそれを読んで羨んだり卑下することは違いますね。 



わたしたちは自分の人生を歩み成長するために生まれてきているのですから。 


そのためには 自分を肯定することからです。



ブログに書いてあることでも本に書いてあることでも そこに書いてあることを生かすことが大切だなあ と感じます。


生かすって それを身近に感じて、より具体的に頭を使って自分自身で考えることだと思うのです。

すなわち、応用力です。

何を観ても何を聞いても 応用力のあることが幸せの近道ではないでしょうか?

わたしは なるべく具体的に書いているつもりですが、わかってもらえないことも多々あります。

それは やはり、頭の使い方なのではないでしょうか。

日々、何かしら頭を使って生活している人とそうじゃない人の違いは大きいと思うのです。

困ったことがあっても考えて克服する人と逃げ出す人とでは雲泥の差で違います。


幸せになるって 考える力の有無なのではないでしょうか?

誰かが幸せにしてくれるわけではない。


自分自身が幸せになりたい!という力で幸せになるのだと思います。


毎日のメールアドバイスを受けていらっしゃる方から こんなことを言われました。

「スピリチュアルなことは頭でわかっていても応用ができなかったけれど メールアドバイスを受けてから応用力が身に付いた」

うれしい言葉でした。

今までわたしはわかっていなかったのですが 応用力をつけてもらうためにメールアドバイスをしているんだなあ と解りました。


また 大学生の間、塾の講師をしていた娘がこんなことを言っていました。

「塾の講師は教えるんじゃないんだよ。いかに、家庭学習をさせるかなんだよ」と。


自分で考える力、家庭学習は大切ですね。

現実をただ、淡々と 考えもせず 真面目に
不満があっても改善しようとする努力もなく
ただ ただ 我慢して 生きることは



地に足をつける


ということではありません。




これを グラウディングして生きる、 地に足をつけて生きる

と 勘違いしている方がいらっしゃいます。



『乗り越えようと努力すること』


これが、地に足をつけて生きるということです。


乗り越えるべきものがあるのに、お祈りしたら 乗り越えれると思っている人がいます。




結婚したい!結婚したい!と 身体全身で叫んでいるのに
家の中で 世界平和のために祈りを捧げている人がいます。



心はきれいにはなりましょう。
しかし 結婚はできません。
ご縁は巡りません。
だって お嫁さんを探す活動をしていないからです。



これを 本末転倒 といいます。





自分の不満、問題を先送りにしない。



お金が欲しいなら働けばいい。

日銭を稼げばいい。

簡単なことです。



家庭に問題があるのに、仕事に逃げる。

仕事をしても家庭はよくなりません。



そこに向き合うのに、まだまだ 時間も癒しも必要な人もいらっしゃいます。


それでも 何らかの乗り越える努力は必要なのです。


そのための
グラウディング、セルフヒーリング

メールアドバイスです。


自分の癒しを進めながら、現実を乗り越えようと目を向けることのできるツールです。



他にも、その方に応じたツールを用意しています。


話はそれちゃいましたが

言いたかったことは


ただ、もくもくと仕事をしている、お祈りをしているからと言って、

地に足をついていることにはならない


と いうことです。



それが

自分を知るということです。


ありのままを認める ってことです。



自分の状態を知る、自分の位置を知りましょう。




わたしは 地に足をつけて 問題を乗り越えなければいけない と言っているわけではないのです。



まず、自分の状態を知ることです。


グラウディングしていると勘違いしないことですね♪


頭で考えないということは、

今、自分の身に起きてることを理詰めで考えないこと。

エネルギーで降りきているものがありそれが現実化されていたり感覚ではわかっているのでしょうが、それをわざわざ言語化しないで そのまま感覚で受け取ることをしてくださいという意味。


このエネルギーはとにかく足が早いので受信だけしていれば良いです。 
いちいち言語化していたら受け取り損ねます。 

言語化できる方は余程の方なので、言語で受け取りたい方は他の方のブログを参照してください。 



わたしは言葉があまり得意じゃない💦 

頭打ちかもしれません💦




わたしたち人間は宇宙の支配下にあるため どうしても天体の影響を受けてしまいます。 
そのため 星読みが盛んに行われている昨今ですが、宇宙デビューするためには、それを越えていかねばなりません。 


そのため、星読みは参考程度に留めておくのが得策です。



論理を越えていくのです。 



論理を越えて物理、科学の世界へ入っていくのです。 





そのためには まず、何も考えず 目を養うために外の景色を観ましょう。 


目は魂に通じています。 


目を養いましょう。 





普通の暮らし、庶民の暮らしってなんだろう? 




自分の将来に目的ある人は、それを目標として、我慢することは我慢して、目標達成のために生きるのだと思います。 


だから 自分の生活においての優先順位を決めて生活するだろうし計画もするだろう。 





しかし なんの目的もなく生きてる人は、あるだけのお金をダラダラ使ったり、ストレス解消だといって散財する。 


それは本当にお金がなくて困っている人の生活ではない。 




いくらお金に困っていたからといって、目標がないわけではないと思う。 


これは意識の問題だからだ。 




普通の暮らし、庶民の暮らしってなんだろう? 


目的意識なく生活している人を庶民と言うのだろうか。 


目的意識ない生活を普通の暮らしと言うのだろうか? 




意識の低いことを人のせい政治のせいにするのはいかがなものだろう。 


誰かに何かしてもらわないと意識は上げられないものかな? 


自分の人生だろ。 



自分の考え方ひとつで自分自身は変わるんだ。 



人のせい政治のせいにしている人がまとまったところで、何が変わるんだ。 



自分の人生の責任ひとつ負うこともなく生きている者に、この世の何がわかるというのか? 


人のせいにする見方を変えない限り、わからないだろうし、わたしも相手にしない。 


人から相手にされたかったら、今すぐ、自分の見方を変えるべきだ。 






科学的に根拠がない、消費者庁が認可しないものは安全ではない。 


と、誰しも考えるのではないか? 


しかし、この世界では、そうでもないらしい。 





なぜなら、原発は液体化させて海洋放棄すれば安全なのに、それを禁止されてる。 


「安全」を禁止している世の中だから。 



これは、原発利権と石油利権が絡んでいる。 


そもそも、政府がドル発行してるわけではないのに何故、ドルが通貨となっているかと言ったら、石油はドルでないと買えないというシステムが作られているから。 


この世界は、この世界の富の99%を一握りの人たちが握っている。 


その人たちがわたしたちを石油に依存させる生活に誘導した張本人でありドルを発行している人たちである。 


石油とドルは切っても切れない関係があり、その張本人たちは石油利権と原発利権に分かれて支配している。 


わたしたちは石油に依存、電気に依存するように支配されてきたということなのです。 



先日の記事で書いた『物々交換の勧め』であるが 何故、物々交換なのかわかってもらえただろう。 


依存していては何も進まない。 



一握りの人たちは利用して支配してきた。 

ずる賢いからだとも思う。 




地球からしたら、地球にあるものだから、利用してくれればいいとの考えだろう。 

悪用させることも想定内だったと思う。 


依存、悪用ではなく、利用させていただけば良い。 

そもそも 依存しているから支配されるのだ。 


自分の足で立って自分の頭で考えていれば支配されない。 



わたしたちは支配されない人間となる必要がある。 



依存はダメだからと排除する生活ではなくて利用させていただく生活。 



電気も石油もお金も同じように利用させていただく。 

将来的には変わっていくものだから。 



お金は石油引換券でしかないのだから、いずれ紙くずになっていくものです。


だったら、物々交換でいいんじゃない? 



また 安全ではないものが認可されていきます。 


その中で必要ないものには手を出さないように。 
5Gは最たるものですね。 

だったら、テレパシーでいいんじゃない? 




その外に、依存をなくしていくためには科学の力が必要です。 

わたしたちが未来を変えていくのです。 

柔軟な頭を作りましょう。 

そのためには、まずは、人に支配されない人間になっていくのです。 


わたしの目指すところはソコです。 



共感力と洞察力は違います。 


共感力は、人の意見や感情を全くその通りだと感じること。また,その気持ちであり、空気を読む力でもあります。 

感情エネルギーがわかる人も共感力が高いと思います。 


一方で 洞察力は 物事をよく観察して,その本質を見抜くこと。物事の奥底まで見通すこと。


です。 



本質を見極める力です。 

魂部分、本質部分がわかる力ですね。 



この洞察力を養うために、魂の繋がり深いツイン〜は出逢うのだと思います。 



共感力は感情エネルギーを読む力で、洞察力は魂エネルギーを読む力と言えますね。 


間違いやすいので、覚えておくと良いでしょう。 



自分のことはわからないのに人のことはわかるといったチャネラーさんやヒーラーさんは感情エネルギーを読んでいるのでしょう。 


これからは、本質を見極める力が必要となってきます。


感情とは、もうおさらばの時代に入ったのですから。 


洞察力を養いましょう〜





つい、10年ほど前までの わたしは人の話をまったく理解できなくて、論理力も読解力も洞察する力もまるでない人間だったのです。 


お喋りは出来ても会話が出来ない。 


だから、人からバカにされるだけで 誰からも教えてもらうこともなく生きてきました。


自分はどうしてこうも人からバカにされてしまうのだろう? 

どうして、わたしと話すと人は離れていってしまうのだろう? 


ずっと 悩んでいました。 

そのため 能力開発にのめり込んだりもしました。 

悩んだ時に、手に取ったものが 娘の学習教材でした。 


娘のドリルを一緒にやりながら、大人向けのものを探して巡り合ったのが『論理エンジン』です。 

論理エンジンの創始者である出口汪さんは、あの出口王仁三郎さんのお孫さんです。 

その出口汪さんの本を片っ端から読み、論理エンジンもやり始めました。 

それと同じくしてスピリチュアルな回路も開いてきたので わかりやすくスピリチュアルなことを読みながら読解力や洞察力をつけてきました。 


わたしがそんな勉強を始めたのが2005年頃です。 


その時に勉強してまとめたのが、わたしのメインブログであるライブドアブログの初期の頃のものです。 


その時は、ヘミシンクをよく聴いていたので、木全さんのブログを読んでいまして 勉強させていただきました。 


賢い人の頭の構造に興味を持ちながら、自分なりに独自に勉強して頭に叩き込んでいきました。 


そのあとは、実践です。 

論理力って重要です。 

人間関係を築く上で基本となるからです。 


よく、わたしは人の立場になって考えましょう と書いていますが、これは論理が基本となるのです。 


人の立場をどうやって知るかといったら まずは、論理力がないとわからないのです。 


論理とは、思考の法則・形式。思考や議論を進めていく筋道。ある事物間に存在する法則的な筋道。

です。 


筋道がわかることで、読解力がつきます。 

読解力とは、文章を読んで,その意味・内容を理解する力を指します。 


また 洞察力も養われます。 

洞察力 どうさつ 物事をよく観察して,その本質を見抜くこと。物事の奥底まで見通す力です。 



基本は、客観的視点で筋道立てることができることですが それが出来てくると その肉となる内容や意味がわかり、観察力が養われるので本質を見抜くことが出来てくるのです。 



だから、基本となる論理力(筋道立てる力)が必要となるのです。



社会に出て、何故 人間関係を築くことが難しいかといったら 相手の知識、経験、理解力を洞察する力がないからではないですか? 



読解力、洞察力はサイキックではないのです。 


相手のことがわかるのは、読解力や洞察する力なのです。 



だから、わたしのセッションは料金をいただかないのです。 


電話で話をするくらいなら、料金は発生しないでしょ^^ 



たまに、ままのままさんの能力は使わせていただきますが ほぼ、わたしの洞察力です。 


ピッとかぺっ で終わるから、いただきようがない^^ 



話しはそれてしまいましたがf^_^; 



論理力(筋道立てる力)を養うといいよ♪というお話でした。 



わたしは、内観の仕方を幾度となく書いていますが、学ばない姿勢は話しにならない。


どんなことでも自宅学習は大切です。


学校で教えてもらっても復習しないでは話しにならない。


理解できないのは仕方がないって放り投げるのは、いかにも自分を大切にしないことだと思う。


なぜ、理解できないのかも わたしは今までの記事の中に書いているし、克服方法も書いています。

ちゃんと読んでる人ならわかると思う。


わたしのブログは癒しブログではなくて実践ブログです。




何度も何度も同じことを説明するのは骨が折れる。


理解しようとしない人は たぶん、成長したくないんだろう。


お尻に火がついてから、教えてくださいと言われても教えられるものではない。



わたしのライブドアブログを全部読んでもらってから、質問があれば受け付ける という風にしようかな?

一昨日、昨日と基本的な生活を送ることの大切さを書いてきたわけですが これは、あくまで基本的なことであり、人それぞれ基本的にするべきことが違います。

なぜなら、一番に優先すべきことは『生きること』だからです。


生きていくために稼ぐことをしずに、基本的なことに重きを置くことは違うからです。


人によって生活リズムは違いますし特性もありますね。


家族の多い人と一人暮らしとは違うし、小さな子供がいるのに ほっポリだして掃除をガシガシ出来ないです。


だから、一人一人基本的にするべきことは違うのです。


しなければならないことではなく、するべきこと。


それは、この地球に生まれてきて 人として生きるということです。


人として、です。



ブログを始めた当初は、書いていました。


でも 最近、書かなくなったのは わたしがフォローできるようになったからです。


出来ることまでは自分でやっていただいて、それ以上のことはわたしが介入します。


それはわたしの役割のひとつでもあるのです。


努力している人の手を繋ぎ引き上げます。



全部ができなくてもいい。

わたしの手が伸ばせるところまで来てくれればいい。

手を繋いだら絶対に離さないから。


それでも 手を振り切って離れていく人もいます。

奈落の底に落ちてもわたしは引き上げるチャンスを待ちますし、叱咤激励します。


手を繋げるところまで、上がってきてほしいだけです。





わたしは、昨日書いた、やるべきことをやってきてる人間ですが すべての人がそれをやらなければいけないわけではなくて 人を引き上げたり導く役割があるから、それをやってきていることがあります。
だから、役割に応じて やるべきことは違うのです。



しなければならない ではなくて、やるべきことを見つけてくださいね。


見つけて努力していたら、わたしが引き上げに参ります。


また 導く役割があるならば、昨日書いたやるべきことは必須です。

それをやらずに、手を繋ぐ人を増やして 一緒に奈落の底に落ちていく人を見るので 思い余って書かせていただきました。

このページのトップヘ