この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 豊かさ

人間の器が大きくなるということは責任が増え、責任感も増すということです。


そして、器に応じての豊かさや住まいが与えられるものです。



住まいは大きくても器が出来ていない人は、その住まいに応じての器を求められます。


住まい(器)が大きくなればなるほど、メンテナンス 維持を求められますね。

結局、メンテナンスや維持ができてこそなのです。

それが出来ないことには豊かさは入ってこないし器も大きくはならないのです。



メンテナンスや維持することはいわば、その器を持つ上での責任なのです。



小さな家に住んでいる人が大きな家に憧れて、一生懸命にお金を貯めて家を建てたとします。


住んでみて初めて、その維持費やメンテナンス費に驚くのです。

そして、それに合わせて、せっせと働き続けます。
働かなきゃ維持が出来ないからです。



自分の器以上のものを求めると、結局 働き蜂になるか破綻します。


自分の身の丈に合わない夢は無謀です。



先に器だけを大きくすると求められることも大きくなるものですね。


身の丈に合った生活をするのは基本です。



しかし この世の中、不思議なもので 身の丈以上のものを求められることもあります。


それは 将来、その器になるための修行のようなものです。


今はホント小さな器なのに、求められるものは巨大です。

挫折を繰り返しますが、何度も立ち上がり、結果 その器に育っていくのです。


このように 人はそれぞれなる器が違うものです。


今は合っていても 合わなくなると離れていきます。


器が大きくなればなるほど 最低限のメンテナンスや維持費がかかってくるものだから、シンプルに生きようとしてもシンプルではなくなってしまう場合もあります。


それは その人の持って生まれた器によるものです。



器というものは個性とも言いますし、豊かさや住まいでも現されます。



豊かになりたければ、まずは今の自分の器を知ることです。

そして、メンテナンスをしっかりとして その維持をすることが基本なのです。

そして、求められることをしっかりとこなすことです。


求められることというのはいわば基礎固めです。

基礎が出来ていない建物は崩れてしまいますね。


求められることはできること。



その人の器以上のものは求められないものです。

例外はありますが それでも、その人のなりたい器が基準となるのです。





今の世の中 責任を逃れて、小さな器で生きていく人が多いです。

分相応、自分の身の丈に合った生活をすることは基本ですが、自分を低く見積もる人も多いですね。


自分自身を軽んじて生きて楽しいのかしら?とわたし的には感じます。





自分の可能性や自分の内に秘めた力を信じて生きていきたいものですね。

この世の中は 豊かじゃない人が集まって いかに豊かになるかを模索しているんだけど、結局 豊かにはなれないんだ。


なぜかというと、頭を下げないから。


自分の豊かさがないのは、豊かさのある人との縁を切って、自分ひとりで生きようとしているからです。


だから、いつまでたっても豊かにはなれない。



豊かな人は平和で優しくて落ち着いていて温かみのある人なんだ。


でも そこには近づかない。

反発するんだよ。

自分も豊かになりたいくせに、反発する。


近寄って、豊かさも温かさももらえばいいのに、自分がその豊かさを精製したい。



根本的な豊かさがない人は自分で精製はできないのです。


だから まずは、豊かな人と繋がって、自分の根本的な部分を癒すことが大切なんだよ。



みんな、わかっていない。



根本的な豊かさを得ると人は、生かされているだけで有り難いと思えるものなのです。



それが基本です。



それがないのに、豊かさを得たいと紛争する。



豊かを知らないのに、豊かを求める。。。


求めようがないよね?



まずは 豊かさと繋がること。

繋がったら離れないこと。

離れているなら、頭を下げてでも繋がること。




豊かさは豊かだから、イヤとは言わない。

豊かさは豊かだから、すぐに許してくれる。

そういうものだよ。

豊かになればなるほど、頭を下げさせられる。



お金持ちになりたいとか心が豊かになりたいとか言われるけれど なってみないとわからないことがあります。



人は豊かになればなるほど、頭を下げさせられることに出会います。



これでもかこれでもかと頭を打ち付けられます。


豊かになるということは、より謙虚になるということ。



神様から大目にみてもらっているうちが花かもしれません。


自分の心次第で豊かさは手に入るものです。 



自分に繋がる何かを否定していると、豊かさはなかなか手に入りません。 


それは、ものであったりお金であったり想いであったりするものです。 





人は誰もが同じように豊かさを手に入れることができるものです。 






何かあったら、自分に何か非はないだろうかと振り返る謙虚な心や理由がわからなくても神様が何か良い考えがあってなされているのだと思い感謝する心、人の幸せを願う心さえあれば、豊かさは無限に増えてくるものです。


増えてこなければ感謝の足りない証拠です。 




子供が学校にいかないとかいじめにあうとか数々の問題が降りかかってきたとしても、謙虚さ、感謝の心や幸せを願う心を絶やさないことなのです。 

 そして それを続けること。 




そうやって生きれば、豊かさはわいてきます。 



お試しください。 




誰もが、幸せな笑顔で生きていくことを願っています。 





ただ、ただ 与えていただいた命に感謝して生きるだけ。

役目?

そんなものはわからないけれど 求められることを丁寧に、生きてるだけ。


でも そうやって生きていると、天からごほうびがもらえるそうだ。


ありがたいなあ。。。

真の豊かさとは、自分だけが幸せになるのではなくて 自分と家族とそのまた、周りの人々が幸せになること。



そのためには まず、自分を許せる人になること。



みんなみんな、おんなじだね。


曖昧でもいい。


許しあっていけたらいい。


そうすれば、仲良くいられる。


許し合っていられる。

『執着』

それは、心の貧しさから起こります。


執着をなくしたいと躍起になっても なかなか外せないのは、満足できないから。


満足できないから、満たされたい満たされたいと執着してしまうのです。

満足できてしまえば執着しなくなります。




物質的に豊かになればなるほど 心も豊かになることもあります。

だから、まず 物質的に豊かになることは有りですね。

どちらが先でも構わないのです。


だから、元々 お金持ちの人の心はゆとりがある方が多いです。 執着がないのです。


それは 育ちとも言えるけれど、前世からのカルマもあると思うのです。


しかし、本来では、物質だけでは心が満たされないもので 物質だけで満足できる人は見えていないことがあるのも現状です。



最終的には、心が豊かになること。


心が豊かになればなるほど物質にも恵まれていき、許しが起きるようになっていきます。


満たされれば満たされるほど、人を許せるようになっていきます。


それは際限なく許せるようになっていくのです。

執着が外れ心が豊かになればなるほど人を許せるようになっていくということです。


そうなると人は、疑うことがなくなります。

人を信じます。

信じる力も増していくのです。





しかし そんな人間を見たこともない人は、普通じゃないと映るでしょう。

人を疑って生きている人は、疑うことが普通だと感じていますが、疑わず誰をも許している人に対しては、バカじゃないだろうか と思うのです。



人を許す人は、そんな人に対しても許してしまうし、それが普通のことなのです。


しかし 疑うことが普通だと感じている人が許す人を見て感謝を抱かずに暴言を吐いてしまった場合には、宇宙の法則が働きます。



創造主、神様という存在は そのような許す人を守るからです。


人を許す人は、創造主、神様から守られる存在になるということなのです。



執着を外すとそのような未来が待っています。


人はそうやって、成長できるようになっていきます。



人を許すという行為は、疑ってかかる人からしたら思いもよらない行為で怖いことに映るでしょう。

だけど 一度、許されたら その気持ちの良さに歓喜し、自分の過ちを反省するのです。

そして 自分も人を許す人となっていくでしょう。



そうやって 人を許す人が増えていくと 世の中は良い世界に変化していくのです。




人を許していきましょう。


許さない!と、気持ちを縛りつけていないで 気持ちを楽にして、許されることに身を委ねてくださいね。


あなたは許されています。


執着を握りしめた手をゆるめてくださいね。

お金や物質で心を豊かにする生活をやめる



それ以外の自分のやりたいことや欲求で心を満たそうと考えるようです。


結局は心を満たしたいのです。


心を満たすことで安心し安定します。


衝動、欲求、やりたいことがあるうちは、心は満たされていないのです。

継続して、安定していないということですね。




お金が欲しいと思うことも自分のやりたいことをやりたいという欲求も満たされない心から生まれます。


同じです。


お金や物質で心を豊かにすることをやめたところで 心が満たされるとは限らないですよ。



心が満たされてる時って心が静かです。

温かでゆとりがあります。

その温かさは何でつくられるのでしょうか?


コミニュケーション。


人とのコミニュケーションを大切にしてください。


ジャッジしてもいい。


それを自身が許してさえいれば。。。


心が満たされるには、温かさ、温もりですね〜

人に対しての奉仕や思いやりって 常に、自分を愛するように相手にも というスタンスで求められると思うのです。


自分が自分のことを愛していないのに、相手を愛しなさいとは求められないのです。


まずは 自分を満たしてから。


自分が満たされれば満たされるほど、相手からは求められます。



〇〇〇さんみたいな思いやりを持てるようになりたいとか奉仕ができるようになりたいとか思うかもしれないけれど それは比べることではなくて、自分は自分なのです。



例えば、ヒーリングという技術が自分を支えている(生計を立てている)うちは それで相手に奉仕したり癒したりするのだと思います。


だけど そんな技術がなくても 生計を立てているならば、相手に奉仕したり癒したりするためにはその技術は必要ないのでしょう。


それは、ヒーリングという技術で生計を立てているなら ヒーリングという技術で相手に奉仕をすることを求められることを意味します。

それ以外は求められないものです。

しかし、奉仕の心が強い人は他人の優れたものを見ると自分もそうなりたいとか自分の技術だけでは役に立たないのではないかと考えてしまうようです。

でも、それは考えすぎというもので、
まずは 自分が生計を立てている技術で相手に奉仕したり癒したりすることを求められているに過ぎないのです。


他者への想いは参考にはならない。


参考になるのは、常に自分なのです。



この時期は、手放しを促すエネルギーが優勢ですので エネルギーに煽られて、大切なものを手放さないように注意が必要です。


自分は何で生計を立てているかをもう一度、考えてください。


手放すべきものは感情だけです。

大切な技術や仕事ではありません。

金銭的物質的な豊かさのない人はお金持ちを羨むというよりも違う面で勝ちたいと思うのだろう。


お勉強で勝ちたい、容姿で勝ちたい、精神性で勝ちたい、等 違う面で有利に立ちたいと思うのかもしれない。

また そのような方は、自分と正反対の人を見ると やたらと攻撃したり、攻撃できないときは、お金持ちでも〇〇〇はできないんだね と小バカにする傾向があります。


結局は 物質的金銭的に豊かさのある人を裁く気持ちがあるから豊かさから遠のくのだと思うのです。

金銭的物質的豊かさを求めている人はとても多いです。


人と会話していてもブログを読んでいても、多いです。



精神性を高めていても、この気持ちのある人は物質的金銭的に豊かにはなれないものです。



「貧しいながらも幸せです」とか「貧乏人のひがみですが」と言葉を出すこと自体が裁いている証拠で、自分はわかっていないのです。


なぜ、わたしがこんなことを書いてるかと言ったら 自分を知ることが豊かになる一歩だから。


結局、物質的金銭的に貧しい人は 裁く気持ちや本当の自分を知ろうとしないから豊かになれないのです。




精神的にも金銭的にも豊豊かになると、人に対して寛容になります。


また、人に対しての寛容さが身に付いている人はより豊かになっていくのです。


貧しさを経験している人は反骨精神があり、ど根性はあるかもしれませんが、人に対しての寛容さはなかなか望めないですね。


なぜなら 寛容さのある人は 自分が人よりもできないことがあったり物質的金銭的に低くてもそれを受け入れ納得しているからです。


そして、少しでも人の優位に立ちたいと思う人を見かけると その人の思う通りにさせて、その人が気づくまで待つことができるのです。

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