この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: ADHD、アスペルガー

発達障害とか障害者とか 最近、耳にしますが


この世に生まれている人って みんな、何かかんか障害を持ってるんじゃないの?


憎しみが強い人は憎しみ障害だろうし 悲観的な人も悲観的障害と呼べるだろうし やたらと視力が良い人も視力障害だろうし

上から見たら、みんなみんな 何らかの障害を持っている人たちの固まりだと思うわ。


それを 自分は障害者じゃないと言う人はおかしいと思う。


自分を完璧だと思うほうが頭がおかしいんじゃない?って思う。


障害者と健常者の線引きってどこなの?



何かしてもらったらありがとうと言えないのはありがとう障害だと思うし
悪いことしてもごめんなさいが言えないのはごめんなさい障害だと思う。


そして そんな障害者の中から選挙でまとめる人を選んだりしているわけで
また 障害者が親として子供を生んで育たり 障害者である教師が子供を指導したりしている。


そして、完璧じゃないことに腹を立ててる。



みんなみんな、完璧じゃないから、人を責め立てるのはおかしいと思わないのかな?


完璧じゃないのに、大きな決断ができるわけないじゃない?

それを自己主張で押し込もうとする。



みんながみんな完璧じゃないから マトモな判断ができないの。



その中で生きているの、わたしたちは。



だったら、何をしたらいいかと言ったら
まずは、自分は障害者だと腹を括って 自己主張せず、毎日 反省して生きること。


そして、誰もが障害者だからと許し合うこと。



そしたら 少しはマトモな判断ができる人が現れるはずだと思う。



それでも障害者には変わりはない。



自分を過信せずに、毎日反省して生きていく世の中になれば この世界は少しは変わっていくのだと思います。

わたしは魂を視て話をするくせがあるのですが、自閉症やアスペルガー、発達が気になる方々の特徴として感じるのが 人間的じゃないな と思うのです。


例えば、天才的に賢い!と感じたり 明らかに異星人?と感じます。



秀でた何かを持っているので興味をそそられます。


わたしはそれを見付けるのが得意なのですが、本人はまったく気付いていません。


それそのものが、自分にとって当たり前にあるものだからです。


だから、謙遜するか 逆に誉めすぎ!と最初は嫌われてしまいます。

わたしとしては、本当のことだから 信じてもらおうと必死になります。

すると、徐々にわかってもらえて、Happy♪



自分にとって当たり前のことは それが人よりも秀でているってわからないようです。


わたしは子供時代はグレーゾーンでしたから、いろいろと苦労しました。


秀でた何か?って、なんにもない〜 と思って40年以上も過ごしてきたので、結構 暗い人生かもしれないです。



このように、秀でた何か?を見つけにくい人もいるのです。

でも、あるの。


わからないだけで。。。


自分のことって自分じゃわからないことはたくさんある。


だから、周りにいてくれるのだと思います。



わたしは子供の頃から叱られてばかりいました。
それは、普通に人が出来ることが出来なかったから。


未だに、事務仕事は苦手です。


だけど 本業は事務仕事でもあります。


それは 苦手なことを頑張ると、秀でた何かがムクムクと顔を出してくるからですよ♪


それを親がわかっていると良いなあ〜と思います。


親がわかっていないと、ひがんでいじけて、秀でた何かも影を潜めてしまいます。。。


自分がわかっていたら、ちゃんと自信を持ってください♪



できますよ♪

この世の中が間違った原因は

学力さえつければ、上に立てる、人を導く、教えることができる

という考え方で 社会が成り立っていることではないでしょうか?



昔は 違ったはずです。


人を導く者は、品格があり理性があったと思うのです。


しかし 今では、全く品性は関係ないとでも言うような方々が 上に立ちやりたい放題しています。



人を導く意識レベルにない方々が どのように教育できるのでしょうか?


『導く』『教える』意味がわからずに 上に立っている。


勉強ができればいいという問題ではありません。


人として 品性のかけらもない人が 上に立っていいわけがないのです。



教育現場、医療現場等 不祥事が多いのはそのためです。






いつの頃かはわかりませんが
きっと、自分の生きている分野に不平のある者が 自らを省みずに、下剋上を起こしたのでしょう。



人が生まれてくるには、生きる目的がありますが 魂の目的というものもあります。


魂は分野に分かれています。


医療系魂、教育系魂というように。。。


だから、医者の息子は医者になるし
商売屋の息子は家を継ぎます。


それが 家系です。


だから、自分の適性は自分の家族や先祖を辿れば見えてきます。


でも、そこを否定して 違うものになろうとして歪みがくるのです。


自分の適性というのは、いわば、土台です。


自分の適性以外のことをやろうとすることは、自分の土台を無視する行為です。


美容師の娘が美容師を目指せば、親が美容師だという土台があるから、仕事もツテで探せます。


医者も同様ですね。


医者の息子は医者を継げば、土台があるから、継ぐだけですが
弁護士になろうとしたら、その土台は 医者になる土台に比べたら、弱いのです。



生きるということを考えた時に それは、最も不利なことなんです。


わかりますか?


医者の息子は自分の病院を継げますが
美容師の息子は 自分の病院がないから、よほどの努力がないことには勤務医止まりです。


そこをわからずに、勉強さえすれば医者になってステータスを得ることができると 勘違いする。


そこで 自分の愚かさに気づかされ、不満を持つのです。


意識が高ければ、その不満を原動力に変えることができますが
低ければ、。。。。



結局は、意識が低いと 争いができるのです。




だから

根底に、生きることの大切さを知っている者は、無謀なことはしないはずです。

チャレンジっていい言葉かもしれませんが
死と隣り合わせなんですよね。



今、就職活動をしている人に知っていただきたくて書いています。


自分の土台を無視して生きるということは、自分の過去を否定して生きるということを死ってください。


家を出て、働くことに夢を観ることは構いませんが、現実を見てください。



今のあなたをつくっているのは


紛れもなく

あなたが生きてきた過去なのです。


あなたを生んでくれた親、兄弟親類縁者があなたをつくっていることを 感じてください。



誰一人欠けても、今のあなたはいないのです。



あなたの土台を無視しないでください。



その中に あなたの生きるというヒントがあるのです。

そして

もうひとつ重要なことは


感謝をして生きるということを 言わないことです。



わざわざ 人にしゃべらない。


ひっそりとするってことなんです。




これだけ 記事を書いているわたしが言うのも 憚れますが、



伝えたい人にだけ伝わればいいのです。


目の前の相手に伝わればいいのです。


いちいち、見せびらかさない。


品位を保つことが大切です。



それが 自分を愛することなのです。



自分に自信があるからできることです。


だからね


相手に感謝して生きているから、


自分の出来ないことをできるようにしようと


努力して直すことができるんです。



だから

ADHD傾向を克服していけたのです。



目の周りの相手がいてくれたから、直していけたのです。



感謝しかありません。



まだまだ 出来ないことはありますが

人を不愉快にさせることはなくなりました。



相手に感謝が出来ないうちは、努力は出来ないです。


相手に 申し訳ないっと謙虚な気持ちになれてからがスタートです。


それから努力ができるのです。


そして 感謝がわき上がるのです。


そして 継続することができるのです。



継続出来ないのは、感謝が足りないから。



文句が出るのも、感謝が足りないから。




感謝をすることの大切さをおしえてくれたのは、あなたです。



ありがとうございます。

内観して浄化して


自分をみつめていくと、


相手に対して感謝の気持ちがわいてきます。



それで、終わりじゃないのです。



『生きる』のです。



わきあがった感謝を持って、地上を生きるのです。


それが


感謝をして生きるということなのです。



『生きる』ってどういうことかわかりますか?



形にするということです。


『形にして残す』のです。



ただ、ありがとうじゃないのです。


感謝しているから、どう形にしますか?


感謝しているから、何を残しますか?


感謝しているから、何をやり遂げますか?


感謝しているから、どう生きますか?

自分の子供やご自身がADHDやアスペルガーと診断される方は多数いらっしゃると思うのですが
全員が全員 同じ悩みを抱えているわけではないのです。



症状的には同じでも、育った環境や背景で 悩みは異なります。

また、悩まない方もいらっしゃいます。



それは どういうことかというと、

人は どうやって生きていくかを決めてきて、自分という素材をつくるからです。


その症状を生かして進む人と否定して進む人がいるのです。


ADHD、アスペルガーと例えを出しましたが
これは 性格、個性でも同じことが言えるのですね。



だから わたしは ADHD、アスペルガー という症状は 病気とは判断しません。


人は できないことができるように生まれてくるのです。


部分的に能力を落として生まれてくるのです。


それならば

幼少には、そう診断されたとしても 努力して直していけるということなのです。



わたしが まさに、そのタイプです。


ADHD傾向が強いのだと思います。


だけど、まあ 克服していますし、

そう生まれるのは、理由があるのです。


こうやって 書いているのは、理由がわかったから書いているのです。



人は 誰一人、同じ人はいません。


同じ人生はありません。

だから 人の人生って参考にはならないのです。



ニンジンは美白のダイコンにはなれないです。


でも、外側の情報ばかり観ていると、憧れるのです。


なんとか近付くことはできるのですが 素が違うので そのものになるのは無理なのです。


だから 自分の個性を知ることが大切なのです。


個性を知る。。。ってね、もっとも 身近にあるんですよ。


自分のご先祖様、親、兄弟、親類、縁者です。


だから、自分をつくっているのは

自分のご先祖様、親、兄弟、親類、縁者なのです。



そこを否定しないことです。


否定していると見えてこないです。




『目の前に差し出されたことに一生懸命に取り組む』


って 何をか況んやです。



『目の前に差し出されたことに一生懸命に取り組む』


これをすることで 自分の個性がわかってきます。

自分の求めていることがわかってきます。




誰に聞かなくても、わかってきます。




自分捜しのヒントはご先祖様、親、兄弟、親類、縁者にあるのです。


『人のことを自分のこととして捉えることができない、またはそれが不得意な生まれながらの体質というか特徴を持っている人はたくさんいる。自閉症とかアスペルガーとか発達障害とか呼ばれる人たちにはそういう人が多いことが知られている。
ところが世の中には、人のことなのに自分のこととして捉えてしまうよう な人もたくさんいて、そのような人は、人の悩みを自分の悩みのように悩 み、人の苦しみを自分の苦しみのように苦しんでしまう。カウンセラーと か絶対にできないタイプだ。病んだ患者が来ると、 病んでしまうからだ。 でもどっちもピュアでやさしい人が多い。』


わたしが思うに、このアスペルガーと言われる方々は 根底に、怒りや憎しみや恨みという負の感情を持っていないから
相手の立場になって考えるという発想にならないのだと思います。


ないものは、想い計れないのです。。。


負の感情がないなら、愛があるでしょう と言われますが、

そもそも 愛 ってなんでしょう?


『愛』とは、尊敬、尊重することです。


心配することではないのです。



相手の立場を想いやるという行動は 『愛』に基づいた行動から生まれることが 本当だと思いますが この人間界では 『心配』『恐れ』からの行動から 相手の立場になって考えるという行動をする人が多いのが現状です。


真の愛を持った人は、心配はしないのです。


尊重はするけど心配はしないのです。


それを 多くの人は、誤解して


相手の立場になって考えられない人はよくない人だ!


と 判断するのです。



そして、

心配する人、人を憎む人、恨む人 怒りのある人 恐れのある人

が いるから

自分を守るために、配慮が必要なんです。



未だ、負の感情を持っている人がいて

そういう人たちと 仲良くしていきたいから
配慮が必要なのです。






本来ならば、


尊敬しあってさえいれば 、それでいい話です。


わざわざ 気を使う必要なんてありません。




もう 誰にも気を使わない生活を実践されている方もいらっしゃいます。


それは それでいいのです。


学びがないのでしょう〜 。


自分のコミニュティーだけの中で 気のあった者同士で 生きていくのもいいでしょう。


学びがないのでしょう〜。



本当に 学びがないのか 避けているのかは、わかりませんが。。。



この地球は まだまだ、学びの場だと思います。




話しはそれてしまいましたが


アスペルガーと言われる方々は
そのような 感情を持って生まれていない人間なんです。


そして 元々 怒り、憎しみや恨みを持って生まれていない人は
人が恨む、憎むということが理解できません。


どんなに、攻撃されても 相手を恨むことはできずに 自分を責めることしかできません。。。


一方、怒りや憎しみや恨みを持った人間は、自分を責めずに、人を責めます。


自分に非があることはわからないのです。


自分に非がないと思うから、相手を責めるし、憎むし恨むのです。


人から攻撃され、自分を責めた人間は、自殺を考えるでしょう。。。


そうするしか、術がないからです。




自分にないものを認めあうために この地球に生まれてきているんだと わたしは考えます。



わたしは 両方の気持ちがわかります。




また、共感力の高い方は 人の立場を思いやることに長けていますが
負の感情を共感し過ぎて、 人の辛さを自分の辛さだと思い込み その感情に翻弄されます。


わたしも元々、共感力は高い人でしたから わかりますが

自分の中の負の感情と向き合えば なくなるのですよ。。。


と 今度は、共感力が低くなり 苦労しますが。。。


一長一短ですね。



共感力の高い人もアスペルガーも 紙一重だと思います。



人の立場になって考えれる人間とできない人間。


根底に真の愛があり、人の立場になって考えることができる人間でありたいです。

人は いろいろ気付きを経て 成長していくんだけど、
わたしは 内観浄化をしながら気付きを得てきました。


そして 内側からの声を信じて生きてきました。


それを まとめて、ブログに綴っています。。。



わたしの内側は、わたしに物事の道理を教えてくれています。


人として生きるためにはどのような考え方をしたらいいのか どうしたらいいのか また、人と接するための心掛けなど、詳しく教えてくれます。



わたしは 内観浄化を経て、 自分の内側にあった観念を浄化してきました。


だから、
わたしは 人から攻撃されたり 何かされても、怒ったり憎んだり恨んだりしないし、 気にならないです。



だけど 相手の方に 怒りや憎しみや恨みの感情を持っている場合には
わたしの 言動で わたしを怒ったり憎んだり恨んだりしてくるのです。


それは
わたしの内側にないものは わたしは感じ取ること、思いやることができないからなのです。



相手の立場になる。。。


わたしは、
憎んだり恨んだりする人の立場になって考えることができないのです。


憎むとか恨むという発想がないから そういう人たちを思いやることができないのです。


配慮ができないのです。。。



そういう配慮が出来る人というのは
憎しみや恨みが根底にあるからこそ、できることではないのかなあ と思うのです。



『人から恨まれたくない』という気持ちがある人は 気をつけます。


だけど 根底に『恨み』がないから『恨まれたくない』という発想が湧かないのです。

すると 相手は 自分を軽んじてきた。。。と、思うようで 憎まれたりします。。。

まあ、
まだ わたしに この学びがあるから 憎まれたり恨まれたりするわけですが。。。




なぜ わたしがこのようなことを書くかと言うと



憎しみや恨みを持っている人は
『憎しみや恨みを持っていない人はいない』
と 思い込んでいるからです。



誰もが 自分を普通だと思っています。


でも 現に、自分が持っている感情を持っていない人間がいるのです。


また、自分が持っていない感情を持っている人間もいる ということです。



地球は そんな人たちの学びの場です。



それが 個性です。



この地球で学ぶために生まれてきているのに

その感情は自分に持っていないからわからない、素通りしていい と思わないでください。



自分にはないけど、相手にあるものを認める、受け入れる努力をしてください。


現に、わたしはこれで苦労しています。

ないから。。。

怒りや憎しみ、恨みの感情を持っている人を受け入れることをしていくと、 世の中が よくなっていくんだと思うのです。




自分の内側にまだ、怒りや憎しみ恨みがある人は その感情を受け入れてください。


また、自分の内側にその感情がない人は どうぞ、目の前の相手のそんな感情を受け入れ、認めてあげてください。


受け入れ、認めるということは
配慮するということです。


相手を怒らせないように、憎ませないように 思いやりを持って、接するということです。


その根底にあるのは、恐れでなく、愛であることを忘れないでください。



わたしも まだまだです。



わたしの配慮が足りないばかりに 怒りをかったり 憎まれてもいます。


怒りをかったり、憎まれてしまうことは 自分を傷付ける行為です。



自分を大切に思うなら、配慮する人になりましょう。

このページのトップヘ