この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 向き合う


『壁を作っているのは、自分であって、恐いんですよね。
でも、それでも進んでいく勇気があるので、いつの間にか超えていた、、と言う毎度なんです。

こうして振り返ると、私が乗り越えられるレベルの壁しか目の前にないんだなあと、思います。
出来ないと言う選択はないんですね。』


自分で壁を造っては越え、造っては越えを繰り返してる。 


毎度毎度のことなのでこんな言葉が出るようになり嬉しく思います。 




しかし この壁ですが どれくらいの大きさなのかわからないです。 


わからないから恐怖心が増す。 




わたしが最初、大きな壁にぶち当たったのは6年前のことでした。 


というよりも それまで10年以上も越えられなくて、とても怖くて、でも迫ってきていて居たたまれなくて、今はないけど 岐南町にたこ焼やさんを営んでいたi神様のところに入り浸っていました。 


そこでいつも会う高校生の坊やにもグチグチ話していたのです。 


そしたら 坊やが「ねーさん、壁なんて案外小さいものかもしれないよ」と。 


それで一大決心して越えてみたのです。 


そしたら その壁、小さすぎて跨いだに過ぎなかった💦 


でも それから、わたしの人生が変わり始めました。 




壁ってホントに自分で造り出してるに過ぎないのだなと感じる。 


そして 越えてみないと、その大きさもわからないし越えた後の景色もわからない。 


越えてみて感じるのは、何も自分は変わらない。 

超人ハルクみたいになっちゃうわけでもないしゾンビにもならない←たぶん😁 




越えても越えても自分自身は変わらなくて 自分じゃないものだけ剥がれていく。 








何故、恐怖心を持ってしまうかというと 

『わからないから』 

これに尽きると思います。 




理解出来ないから怖い。 


漠然と恐怖心だけ持っている人って少なくないですね。 



フルネーム鑑定などわたしと話をされて楽になったと言われるのは、たぶん ワケわからない恐怖心の紐解きをするからかもしれません。 


内観、自分を見つめる作業は まず、そこを越えてからなのです。 




得体の知れない恐怖心があったら 自分見つめなんて出来ないものです。 




わたしが立ち話し程度で人と会話するのは、その恐怖心を紐解くからなのかもね。 

笑い飛ばして終わり😄 




気持ちが楽になる〜ってそんなところから。 




わたしと話すことで恐怖心が紐解けたり和らぐなら、いつでも話しはさせていただきます。 



そんな時のお代はいただかないですよ。 



それくらいの紐解きは日常茶飯事ですから。 






認められたい想いが異常に強い人は自分の居場所次元よりも下で働きたがるものです。 


自分の居場所次元より下では、摂取されるだけで能力は発揮されません。 


自分に自信がなかったり自分のことがわからない人は次元よりも下で働きたがるものです。 


自分を知って自分の能力を発揮できる場所で働きましょう。 


そうすれば辛いことはそうそうないはずです。





大概の人は前世から持ち越したカルマというものがあり、それを刈り取るために、今、そこに居るものです。 


だから、カルマの刈り取りが終わったら、そこに居なくてもよくなります。 

カルマがあるから、そこに居る、その選択をしているということになります。 



例えばわたしですが わたしは元々、専業主婦希望でしたが、学生のころから休みなく働いてきました。 
16歳の頃から54歳まで、ずっと約40年間、働き続けてきました。 


カルマが外れたから、今こうして、専業主婦生活をマン喫しています。


このように、今、やりたいこと!というのは、カルマと関連しています。 


そのため それを越えた先に、本当の使命が存在します。 


それは、平行してやってる方もおられます。わたしもそうでしたから。 



何が言いたいかというと 
今、やりたいことは、カルマの刈り取りのためにしなければならないことであって、本来の目的とは違うことがあるということです。 



これしかない!これが天命だ!と思ってしていることが、本来の天命とは違うことかもしれないのです。 



だから これしかない!と思わず、もっと楽な気持ちになってください。 




やりたいことをやっているはずなのに、なぜか報われない!  
自分にはもっと合ったことがあるはず!
自分は一生懸命にやってるのに! 
誰も気持ちをわかってくれない! 


そう思われてはいないでしょうか? 


カルマをさっさと終わらせて、早く、本来の目的を生きようと思いませんか? 



相談者様とお話しする中で、自分の使命に気付いた!これが天命だ!と意気込んでいる方ほど、カルマなのです。 


う〜ん、違うのになあ〜と言っても、わたしの話しは聴かないです。 

カルマの刈り取りは意気込んでやることではなくて、さっさと終わらせることなのです。 


実際、やりはじめたらすぐに終わることが多いです。 

そのため、次にやりたいことがあらわれて苦悩します。

さくさく終わらせることが目的です。 だから、そこに執着しないで、次に進みましょう。 


負の感情があると無駄に執着するので厄介です。 

そのためには、浄化ワークは必要です。 



天命に進めないのは、カルマに執着する心です。 




わたしには使命がある!のではなくて、カルマがある!のです。 




もっと謙虚になりましょう。

インナーチャイルドと向き合うということは、麻薬中毒の人が薬を断つ時と似てると思います。


はがしていくときの辛さは、死んでしまうんじゃないだろうかと思うほどの恐怖と、どこまで涙が溢れるのかわからないくらい涙が溢れます。


まず、わたしは2012年4月〜5月の一ヶ月間もの間、涙が止まりませんでした。


正確に言えば、仕事以外はです。


涙がボトボトと珠になって溢れます。


わたしは、無謀にもひとりで挑みました。


自分の力で乗り越えたかった。


わたしの場合、インナーチャイルドと向き合うといっても相手がいましたから 相手から殴る蹴るの暴行を受けながら挑んでいました。


相手は自分を映す鏡です。


はがされたくない感情がわたしを痛めつけます。

服はビリビリにやぶられ、身体はアザだらけでした。


地獄でした。


毎日、内観の日記を書きなぐっていました。


一ヶ月で体重は6キロ落ち、ヘトヘトになり、ギブアップしました。。。


その時のわたしはグラウディングコードが20センチほどしかなかったと言われて、死ぬ一歩手前だったようです。


ギブアップしてからのわたしは心から自分自身への謝罪がわき起こり、また 感謝が込み上げて、


その後も、一ヶ月は続かないですが インナーチャイルドの向き合いは幾度となく起きて 現在に至ります。




感謝の前には、必ず 心からの謝罪が起こるものです。



自分は悪くない! そんな感情は、木っ端微塵にされるものです。


だから、頭が下がるのです。


わたしたちは、この地球に生まれることを志願してきたわけですが、実際には この地球に生かされていることを心の底からわかるようになるのです。


生かされているのです。

それが身体ごとわかるようになることが これからの時代を生き抜くためには必要ではないかな と思います。



そのためのインナーチャイルドと向き合うことかなあ と思います。

成長したい、今の自分をなんとかしたい と思うのは向上心の現れです。


そんな時、人はがんばり過ぎてしまうものです。

そんな時は 身体や心をゆるめましょう。


だらだら過ごしてもよいのです。

仕事をおやすみしてもよいのです。


何もしない時があってもよいのです。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



これは、普段からだらだら過ごしている人には逆効果です。


だらだらし過ぎてしまうのも考えものです。


普段からだらだらしている人は、締める!のです。



集中するのです。



ONとOFFです。



楽しみがない、と聞きます。


わたしも以前は、自分の楽しみを持てませんでした。

趣味はナイナイ♪ 状態でした。


趣味を持つと良いというのは、集中できる何かを持つと良いからです。


集中できる何かです。


よくよく考えてみると、わたしには趣味はありました。


趣味は子育てでした。

また、今の趣味は子育てと空ちゃん♪



とかく 人は、大きなことを考えがちですが 趣味や集中できる何かって 今、すでにやってることなんです。


今のあなたは、何に集中して過ごすことが多いですか?


自覚していないだけではないですか?


自覚するだけで スッキリして 人生が好転しますよ♪



なに、なに、なあに?

秋分の日までに内面と向き合ってこなれていない方はこれからは生きづらくなります。


これからは自己責任の時代でもありますし、許せない何かがあると見せつけられていきます。


ここに居るわたしたちは皆、秋分の日以降 人生のステージが上がりました。


精神的に上がったからステージが上がったのではなくて 皆、生まれる前から決めてきているのです。



今まで 内面と向き合うように言われていたのは、ステージが上がるからなのです。


そのステージにふさわしい自分まで成長していれば これからは万端で生きていけるでしょうが そうでない方は生きづらくなると思います。




今のあなたはどうですか?



秋分の日以降と書きましたが まだまだ、10月10日ごろまでは調整期間のようですので 今のうちに向き合って身軽になってくださいね。

自分の命に対しての想いを再確認する現実をつくること と ソウルメイトに出会うということは、自身にとって同じ効果を与えると思います。



それは、魂の目覚め。



自分の命に対しての想いを再確認する現実をつくるというのは、命の危険にさらされるという現実をつくりあげることでもあります。



今朝、ミサイルが北朝鮮から発射されたことが発表されましたね。


あなたはどう感じましたか?



怖い!と身の危険を感じませんでしたか?


また、自分が病気になったことがわかった時、どう感じましたか?



その時に、自分自身が自分の命に対して、どんな想いで生きているかがわかるのです。



命と向き合うということは 自分自身が自分の命に対して、どんな想いで生きているか問うことを言うのです。



自分の命に対して正直に生きていますか?


自分の命に対して素直で生きていますか?


自分の命に敬意を払って生きていますか?


自分の命を粗末に扱っていないですか?




ミサイルが発射されることを北朝鮮、政府のせいにしていませんか?



危険をおかしながらもミサイル発射を許可しているのは、誰だかわかりますか?

人に迷惑をかけてしまう立場だと 直そうと思うから、自分みつめしやすいのだけど
人から迷惑をかけられてしまう立場だと どうしても その相手を見下してしまったりジャッジしてしまうものかもしれない。

そして、それを周りから指摘されないから気づきにくいんだ。

だから、直せないんだ。


許す立場というのは、自分みつめができないんだよ。


相手を許せなくても 自分が困ることがないから。

だけど 実際は、困ることが起きてるの。

そこ、気づかないだけなんだよ。


何に困るかっていうと、パートナー問題。



長年、パートナーとの仲が良くならない悩みを持つ人は、上記のことがあることが往々にしてあると思います。


長年の悩みで慢性化しているから、悩みに入らないんだね。


でも 実際、「許せない」気持ちを持つ人は、パートナーとの間に問題になることが起きてるよ。



自分の気持ちに嘘をついているとか素直じゃないことに 自分自身が気づいていないの。


慢性化していて気付かないんだよ。


自分を見つめる作業は、とても地味な作業で 誰か監視がいるわけじゃないから、継続しにくいよね?

瞑想しても長続きしないのは、こういうタイプだね。


こういうタイプは自分を見つめるとか反省ということは頭にないかもしれない。


だって 悪いのは、相手で自分じゃないと思っているから。


自分が迷惑をかけられているのに、なんでわたしが悪いの!って思っているから。



自分の内面が現実を作り出すなんて話しは信じないかもしれないです。。。


そうやって 人を裁く心を持っているから許せないし、パートナーとの仲も悪くなるのよね。


自分は悪くない!って自己主張してるの。


わざわざ 口に出して言わないけど、心の中ではグチグチ思っているのよ。


人に言わずに、心の中でグチグチ思っているだけの人は なかなか成長しないですね。

言葉には、大概が感情が乗って放たれます。


喜びの感情なら嬉しいですが、怒りの感情だったり嫉妬の感情の場合には、チャクラを傷つけてしまうので うっかり受け取ると、まあ大変\(゜ロ\)(/ロ゜)/


そのため 感情と言葉を切り離して受け取ると傷つかないです。




『ばかやろ〜』と怒りをぶつけられた時は、
怒りの感情とばかやろ〜という言葉に分けます。

分けられた怒りの感情は切り離されると 行き場を失いますから、消滅します。
ばかやろ〜という言葉だけが残りますが

感情が乗っていないばかやろ〜は、意味をもたないため
聞かされた本人は、意味がわからないから、 ただただ、ボケっとします^^


へ?何、言った? 的になります。


ばかやろ〜って何?意味、わかんない〜




その後、ばかやろ〜と言われた人と 普通の会話が楽しめます。


傷つかないから、相手を怖がることもしないし嫌いにもならないよ♪



お試しくだされ♪

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