この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 受け入れること


先記事の 

『日本人の強さの本質は、主君に忠誠を尽くす特性そのものこそが日本人魂だったのです。

それは、

強さをくじき、弱きを助ける正義性、
嘘をつかない、
だまさない、
裏切らない、
うばわない、
親切にする
といった日本人に埋め込まれてきた遺伝子のはたらきです。』


これって モロ、わたしだし、これが元にわたしが創られています。。。 



今までわたしは『受け入れる』ことを題材に書いてきましたが、『受け入れる』ことは、闇雲に受け入れることではなく、礼節を重んじるながら受け入れるこです。




大和魂は縄文を思い出せば蘇るものではなくて、神様と呼ばれる存在、すなわち自然と共存していた時期に、自身が神様(自然)を畏れ多い存在だと思い出すことなのです。 



自然の前では、ただただひれ伏してしまう。。。 

そんな自分を思い出すことなのです。 





日本人の封建的特徴の一つは、「進んで人に従おう」とする性格にあり、日本人はアメリカ人のように、自分で考える訓練を受けていません。


また、「民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない」という論理のうえに徳川幕府が築かれていたため、かなり闇雲に従うという本能によって、明治維新後の日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力してきました。

そのため、かなり自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていないという現状を生み出しました。。


そして、日本人大衆層は、自分の親戚縁者はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えるようにもなりました。


また、現代の日本人の間には宗教心が欠如していますが、その特性は「真の太陽神」に祀ろうことにより発揮されるようです。

そのため、
アメリカ(GHQ)は日本の精神性をコテンパンに打ちのめし、二度と立ち上がれないように洗脳しようしていましたが、日本人の強さの本質は、主君に忠誠を尽くす特性そのものこそが日本人魂だったのです。

それは、

強さをくじき、弱きを助ける正義性、

嘘をつかない、

だまさない、

裏切らない、

うばわない、

親切にする

といった日本人に埋め込まれてきた遺伝子のはたらきです。


その特性は神話や日本の伝承、伝説、おとぎ話に織り込まれるようにして刻み込まれています。



そして、
『闇雲に従うという本能』
これは言い換えれば、「主君に忠誠を尽くす」という日本人の特性そのものです。


日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに
真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすいという特性がありますが それを「主君に忠誠を尽くす」という日本人の特性でカバーされているのです。 



禍転じて福となす




どこかのブログの転載です。

違いを受け入れると世界が広がる。


違いを受け入れられないと 気づきが降りてきても気付かないしサインも見逃すし物事は動かない。 

違いを受け入れることがこの世界を生きやすくなる知恵を授かることが出来るのです。 


それは  受け入れない場合でもステージは変わりますが、受け入れた場合はステージが上がります。 


この違いを覚えておくとよいでしょう。 





感情は進化するためのアイテムです。


感情は惑星と同じ働きをします。


わき上がる感情を無視しないでください。


感情があなたを導くからです。


抵抗をしないで、その感情を味わってください。


ただ、ただ 味わい その感情に身を委ねるのです。


そうすると、違う場所に連れていってくれます。



そうやって わたしたちは旅をします。



感情という魔法の絨毯に乗せられて、地球を旅します。


感情に導かれて、本当の自分、対の魂に出逢うのです。


抵抗は禁物です。


『respect』とは、日本語訳で尊敬の意味を現す。 
外に、尊敬,敬意.尊重,重視;顧慮,配慮;注意,関心.(よろしくという)伝言,丁寧なあいさつ.という意味があります。


ちなみに、尊敬するの意味は、その人の人格・識見・業績・行為などをすぐれたものとして尊び敬うことです。 



一方で、受け入れる という言葉があります。 

受け入れるの英訳は、acceptです。 

そして、意味は 相手や他人の意見などを認めて,自分の中に取り入れることです。 




最近よく、この『respect』という言葉を耳にします。 


「わたしは彼を、respectしています」 

という風に使われますが、尊敬しているだけで、受け入れているわけではないことに気付きませんか? 


『respect』には受け入れるという意味はありません。 


その人の功績を称える、というような場合に、使われるのが本来の目的ですね。 




本当にそのような意味で、この『respect』を使っているでしょうか? 





わたしは、人から「僕は貴女をrespectしています」と言われることがありますが、妙にイラっとするのです。 

その意味がわかりました。 


賛美されてるだけで、わたしの行いを受け入れていてくれてるわけではないということですから。 



都合の良い言葉です。 
『respect』って。 



『respect』や『wonderful』と言われるよりも『accept』と言われたほうが嬉しく感じます、わたしは。 




まずは気づきと書きましたが

まずは

自分をありのままに見ることについての気づき

相手をありのままに見ることについての気づき

二種類あることに気づいていただけたと思います。

一般的に

自分が気づきを得ることを覚醒と呼ぶ方もいらっしゃいますが ただの気づきです。

しかし 自分のありのままの姿がわかったところで 相手のありのままの姿がわからないと うまく人間関係は築いていけませんね。

自分も相手も同じように ありのままを見ることができるようになることが必要となってきます。

それをワンネスと呼ぶこともあるようです。

しかし ワンネスとは、相手と自分の隔たりがないことを認識することを指します。

そこは 魂レベルで です。

実際には わたしたちは別々の肉体をまとっていますから ワンネスを体験しようが わたしたちは別々の人間で それぞれの立場で生きている人間です。

ワンネスを体験した方は それぞれの人間的立場を見ない傾向があります。

それが よけいに人間関係を悪くします。

気づいた人、気づかない人と分けて考える人もいます。

気づきなさい!気づきなさい!と 声を張り上げる方も見かけます。

ワンネスを体験していない方にとっては、迷惑な話です。

気づきというものは 自分の速度で経験していくものだからです。

ちょっと 自分が気づいたぐらいで 相手の立場を考えず わきまえない行動は ワンネスに基づく行動とは言えないものです。

気づいたなら ひっそりとして 自分の学びを深めてください。

気づいていない人を思いやることができない自分だと認識をしていただきたいと存じます。

気づいただけ、認めただけの人間だと自覚することが必要なのです。

気づいただけでは、相手の立場になって考えて行動ができないことをよく認識していただきたいです。




このように 気づいたからと 気づきなさい!気づきなさい!と 気づきなさいと触れ回る人ほど ありのままを見えていない人だと言うことです。









これで 『受け入れる』と『認める』の違いをわかっていただけたでしょうか?


最終的に『受け入れる』ためには、まずは『認める』ことからです。


『認める』認識をする、気づくことです。


気づきを得るためには、心や身体を柔らかくすることですね。




認めるは

物事を、ありのままで見ることです。



感情を加えて見ないことですね。



『認める』と見方を変えることができますね。


認め続けると 高い視野で物事を見ることができます。



物事をありのままで見た状態で
自分のありのままの立場でできることをします。




これは いろんなパターンがあるので ここには書くことができませんが
メールアドバイスやフルネーム鑑定なので 具体的にお話しをさせていただいております。


また わたし自身に起きたことは 具体的にブログ内で書いています。





人って穿った見方をしてしまうものなので
わたしに現状を教えてくださることで
物事のありのままの姿は こういうものだよ とお伝えさせていただいております。



心の素直な人は 物事をありのままにとらえることができますが
素直でないと 物事をねじって見るので 物事の本質がわからなくなりますね。


何故 その発想になるかわからない と感じることは多々あります。



この物事をありのままに見るということを『認める』ということで 受け入れることではない ということを わたしは伝えたかったので ここまで くどくどと書いています。



ありのままに物事を見る という『認める』行為まではできるようですが そこから先の『受け入れる』という行為が苦手な人が多いようです。


また ありのままに見るという『認める』ことが最終的にすることだと思われている方が多いので くどくどと書いています。



ありのままを認めた先には受け入れるという学びがあるのです。



だから 人生は気づきが出発点だと認識をしていただきたいと思っています。



気づきは出発点です。



そして 気づきを得るために『癒し』があるのです。



癒されていないから『気づき』が起こらないのです。



癒されていないから物事をありのままに見ることが出来ないのです。



気づきを得るために 癒されることを自分に許可してくださいね。

結局


『受け入れる』=『相手の立場になって考えて行動をする』


ということだから


受け入れたら

相手の立場になって考えて行動ができる


ということです。



だから

口先だけで 「受け入れています」 と言ったところで

相手の立場になって考えて行動をしていなければ、受け入れていない証拠です。



「受け入れる努力をします」 という言葉は
「相手の立場になって考え行動をし続けます」
という意味ですね。



覚えておきましょう。



相手を受け入れたいなら、まずは 相手の立場になって考え行動をする努力をしてくださいね。




だから まずは、『認める』ことから始めましょう。


相手の立場をまず、理解してみる ことです。



忙しく仕事をしている人がお相手なら

相手に対して、そのような認識を持つことです。


彼は忙しく仕事をしている人なんだ。

お仕事を一生懸命に頑張ってる人なんだ。

と認識を持つことです。


そして そんな方のために自分は何をすべきかを考えるのです。


考えて 考えた中で 自分の立場で自分のできることをするのです。




相手の立場になって考えて行動をするということは

相手の立場を理解した上で 自分に何ができるかを考えて実行することなのです。




相手の立場になって考えたことを
自分の立場でできる範囲で実行するのです。



自分のできる範囲で実行するのです。



自分のできる範囲ということは、見栄を張らない、無理をしない、ことを指します。



自分のできる範囲は 人それぞれです。



自分のできる範囲で相手の立場になって考えて行動をしてください。



それが 


『受け入れる』であり


本当の『奉仕』というものです。

つまり

認めたなら
認めた という行動をしましょう

ってことです。

認めただけでは 自分の心のねじれは直らないのです。

行動をすることで直すことができるのです。

認めた!認めた!と口先だけで言っていても ねじれは直らない。

気づくだけでは直らないのです。

気づいたら直すのです。

直す努力をするのです。

三日坊主でなく 直し続ける努力をするのです。

信じて直し続ける努力をするのです。

相手を受け入れるということは

相手の立場になり考えることを常にし続けることです。

そうすると いつか、相手は変わっていきます。

相手の頑なな心が溶かされて変わっていくのです。

愛し続ける。

大切にし続ける。

信頼し続ける。

これが『受け入れる』ということです。

継続することですね。



継続することで ねじれがニュートラルに戻るのです。



『受け入れる』ということは

自分の間違いに気づき、その間違いを直すことです。


それは 相手を尊重する様を示します。




これは 受け入れるを論理的に示しただけで具体的ではないです。


意味がわかんな〜い と思われた方も少なくないと思います。


自分の間違いに気づくことは 認めることですね。

その間違いを直すことは 実行するということです。



『認めていることを実行すること』

それを受け入れる と言います。


相手の間違いに気付いた そのあと、教えるという行動をしなくては受け入れた意味にはならない ということです。



相手の優しさに気付いた そのあと 感謝を自分の行動で現す ということです。



相手の悲しみに共感した そのあと 涙をぬぐってあげたり、抱きしめてあげる。。。



気付いたなら それに伴う行動をしましょう


ということです。



それが『受け入れる』です。


認めるだけ、気づくだけならサルでもできる。


その気づいたら 何をしたらよいか がわからなければ 本当の気づきは生まれない。


どうやって ねじれを直したらよいかがわからなければ 行動に移しようがないですね。



思いやりを示す

配慮する

も『受け入れる』ことを意味します。




わたしが今まで書いてきていることです。



人の気持ちになって考えて気付きを得るのです。
気付きを得たなら行動に移すだけです。



気付きを待つのではなく、 自ら気付きを得るために行動をすることが 『学ぶ』ということですね。

学ぶためにそのような行動になるのです。


学びたいならば
率先して 自ら、相手の立場になって考えて行動をしてくださいね。



成長したいなら
自ら相手の立場になって考えて行動をしてくださいね。



成長したいなら
相手の言葉をよく聞いて配慮ができるようになりましょう。



相手を受け入れるということは 配慮できる人になるということです。




原理としてはこのようなことです。



だから 今まで、受け入れなさい 学びなさい 配慮しなさい 思いやりを行動にしなさい 感謝を行動に表しなさい と書いてきたのです。



わたしのブログをきちんと読んでいれば わかるはずです。

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