この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 認めることと受け入れること

個性を認める、認めあうって言うけれど、認めるだけじゃ成長しない。 

認めるって響きはいいけど、 そのものを肯定するだけで受け入れてるわけではないのです。 


相手や他人の意見などを認めて、自分の中に取り入れたり、迎い入れることが受け入れるってことなのです。


だから、認めるって ただ、肯定するだけなのです。 


自分は自分、あなたはあなたという境界線を引くことであり、対等であることを意識することが認めるということです。 


わたしたちは魂においては対等ですが 

人間においては 上下関係、立場があります。 

だから、人間同士の付き合いは必ずしも対等ではありませんね。 

だから、認めるだけでは手落ちで、受け入れてこそなのです。 


相手を認めるだけだから、相手の心は開かないのです。

相手を認めるだけだから、相手は成長しないのです。 

まずは、自分が相手を迎い入れること、手を広げて引き入れる、取り入れることが必要なのではないでしょうか?

個性を認めるのではなくて 個性を受け入れるのです。 

そうしたら、相手の個性も変化するものです。

認めるって 

魂は信頼しても、人間的には信頼しないことだとわたしは感じています。

認めても相手は変わらないけれど 受け入れたら相手は変えられるのです。

相手は変わる。 

自分次第で変わるのです。 

自分の内側を見つめて想いを手放しただけだと 相手は変わらない。 

「手放したら感謝がわき上がってきた」 と、言われる方はいらっしゃいますが、本当に感謝していたら、相手は離れていかない。 相手の心が変わるから。

薄っぺらな感謝では相手は変わらない。

相手の心が変わってこその感謝で、それが受け入れるということです。 

相手は変えられる。 

自分の想いひとつで変えられる。 

それが受け入れるということ。 

愛するということ。 

感謝するということ。 



自分の不満をそのままにせずに 解決するように内観したり、行動に移すことで受容できるようになり 結果、相手も変わるということです。

しかし 、認める、自己受容のままだと
意識はあっても干渉しなくなるため
社会的立場云々にこだわることもなくなりますからいちいち、そこに目をつけなくなります。

それ自体は、なんら問題もないのですが
わたしたちは 社会の中で生きているため、各々が足並みを揃えて生きていくのが 本来の姿なのです。

この受容のプロセスを何回も何回も繰り返していくと 自分本来の姿に気づかされます。

それは 人を干渉しない という姿ではなくて 人を受け入れていくという姿なのです。

意識はしているけど干渉しない、見守る愛 というのは 聞こえは良いですが それは、ただ受け入れる度量がないだけなのでは?と思ってしまいます。

このように スピリチュアル業界では、見守る愛まがいのことを勧めているようにしかわたしには、思えません。

人を想い、人を愛することは もっと、深いものだと感じています。

確かに、信頼をしているから見守ることができるし 気づいていながらも干渉をしずにいられます。

待つという作業ですね。

いつまでも待つ、根気よく待つ。。。

この見守る愛は男性性特有の受容です。

しかし これでは、女性性と男性性の統合はできません。

女性性と男性性の統合は 待つという見守る愛よりもすべてを受け入れる、丸ごと包み込むという愛なのだと わたしは感じています。

丸飲みする愛です。

わたしは 女ですから、空ちゃんの見守る愛を 丸飲みしています。

愛すればこそ♪

こだわりがないということは、干渉しなくなるというチンケなものではなくて、
好きも嫌いもなく、良いも悪いもなく、出来る出来ないに関わらず
素直に、丸飲みすることだと思っています。

それが 女です。



まず、不満を感じたら、その不満を改善しようと考えて、その答えを求め始めます。


求めれば、それに対する答えを受け取ることが出来ます。


答えを受け取れば、そこで、気づきが起こります。

気づきが起こると、反省することができるようになります。


反省できると、感謝ができるようになり、ハートが開きます。


ハートが開くと、癒しが起こります。


癒しが起こると、自分への拘り、制限が無くなります。


制限がなくなると、 そこにこだわらなくなるので、そこに干渉しなくなるのです。


ここまでが、認める、自己受容までのプロセスです。



この見守る、自己受容というものは 意識はそこにありながら干渉はしない というものになります。


しかし、スピリチュアル業界では


意識があって干渉しない
ということがわかっていないのが現状です。


意識がなくて、干渉しないのが気にならないというもので
意識があって、干渉しないというものが見守る愛というものです。


気にならないのと、見守る愛はえらい違いです。



ここまでが 自己受容であり認めるということです。



ここからが 自分の意識を上げる作業になります。


それが

相手を認めるといという作業です。


少し戻りまして


気づきが起こると、反省することができるようになります。


反省できると、感謝ができるようになり、ハートが開きますね。


そして 相手の立場になって考えることができるようになってきます。


相手は自分を映す鏡だということがわかるようになり、相手に思いやりの感情が溢れてきます。


今までの行いを悔い改めることができるようになります。


そうなると、
相手に対して学ばせていただきますと謙虚な気持ちになってきます。


すると、相手や対象物が変化してきます。


相手や対象物自体も気づきが起きてくるのです。



ここまでが受容のプロセスになります。


続きます。


『respect』とは、日本語訳で尊敬の意味を現す。 
外に、尊敬,敬意.尊重,重視;顧慮,配慮;注意,関心.(よろしくという)伝言,丁寧なあいさつ.という意味があります。


ちなみに、尊敬するの意味は、その人の人格・識見・業績・行為などをすぐれたものとして尊び敬うことです。 



一方で、受け入れる という言葉があります。 

受け入れるの英訳は、acceptです。 

そして、意味は 相手や他人の意見などを認めて,自分の中に取り入れることです。 




最近よく、この『respect』という言葉を耳にします。 


「わたしは彼を、respectしています」 

という風に使われますが、尊敬しているだけで、受け入れているわけではないことに気付きませんか? 


『respect』には受け入れるという意味はありません。 


その人の功績を称える、というような場合に、使われるのが本来の目的ですね。 




本当にそのような意味で、この『respect』を使っているでしょうか? 





わたしは、人から「僕は貴女をrespectしています」と言われることがありますが、妙にイラっとするのです。 

その意味がわかりました。 


賛美されてるだけで、わたしの行いを受け入れていてくれてるわけではないということですから。 



都合の良い言葉です。 
『respect』って。 



『respect』や『wonderful』と言われるよりも『accept』と言われたほうが嬉しく感じます、わたしは。 




見守る愛と勇気を与える愛


人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから 


『怖れるものは何もない。 出来ないことは何一つない。』 

と、思えるのですが 


この想いって、完全ではなくて、
できないことは何一つない。。。という想いは、 

『すべてを受け入れます』という意味でもあるのです。


だけどね 
すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて 
引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。 



『すべてを受け入れる』って女性性で 『引き受けない』のは男性性なのです。 



『すべてを受け入れる』想いと 『引き受けない』想いの奥にあるのは、 

『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで 

『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。



『すべてを受け入れるから引き受けない』 


だから、 


見守れるし、待てるのです。 



見守る愛です。 


見守る愛って全知全能という意味なのです。 


これが女性性と男性性の統合されている状態です。 

そして、エネルギーとして発現されてる時には、勇気を与える愛になります。 


見守る愛と勇気を与える愛はセットなのです。 





まずは気づきと書きましたが

まずは

自分をありのままに見ることについての気づき

相手をありのままに見ることについての気づき

二種類あることに気づいていただけたと思います。

一般的に

自分が気づきを得ることを覚醒と呼ぶ方もいらっしゃいますが ただの気づきです。

しかし 自分のありのままの姿がわかったところで 相手のありのままの姿がわからないと うまく人間関係は築いていけませんね。

自分も相手も同じように ありのままを見ることができるようになることが必要となってきます。

それをワンネスと呼ぶこともあるようです。

しかし ワンネスとは、相手と自分の隔たりがないことを認識することを指します。

そこは 魂レベルで です。

実際には わたしたちは別々の肉体をまとっていますから ワンネスを体験しようが わたしたちは別々の人間で それぞれの立場で生きている人間です。

ワンネスを体験した方は それぞれの人間的立場を見ない傾向があります。

それが よけいに人間関係を悪くします。

気づいた人、気づかない人と分けて考える人もいます。

気づきなさい!気づきなさい!と 声を張り上げる方も見かけます。

ワンネスを体験していない方にとっては、迷惑な話です。

気づきというものは 自分の速度で経験していくものだからです。

ちょっと 自分が気づいたぐらいで 相手の立場を考えず わきまえない行動は ワンネスに基づく行動とは言えないものです。

気づいたなら ひっそりとして 自分の学びを深めてください。

気づいていない人を思いやることができない自分だと認識をしていただきたいと存じます。

気づいただけ、認めただけの人間だと自覚することが必要なのです。

気づいただけでは、相手の立場になって考えて行動ができないことをよく認識していただきたいです。




このように 気づいたからと 気づきなさい!気づきなさい!と 気づきなさいと触れ回る人ほど ありのままを見えていない人だと言うことです。









これで 『受け入れる』と『認める』の違いをわかっていただけたでしょうか?


最終的に『受け入れる』ためには、まずは『認める』ことからです。


『認める』認識をする、気づくことです。


気づきを得るためには、心や身体を柔らかくすることですね。




認めるは

物事を、ありのままで見ることです。



感情を加えて見ないことですね。



『認める』と見方を変えることができますね。


認め続けると 高い視野で物事を見ることができます。



物事をありのままで見た状態で
自分のありのままの立場でできることをします。




これは いろんなパターンがあるので ここには書くことができませんが
メールアドバイスやフルネーム鑑定なので 具体的にお話しをさせていただいております。


また わたし自身に起きたことは 具体的にブログ内で書いています。





人って穿った見方をしてしまうものなので
わたしに現状を教えてくださることで
物事のありのままの姿は こういうものだよ とお伝えさせていただいております。



心の素直な人は 物事をありのままにとらえることができますが
素直でないと 物事をねじって見るので 物事の本質がわからなくなりますね。


何故 その発想になるかわからない と感じることは多々あります。



この物事をありのままに見るということを『認める』ということで 受け入れることではない ということを わたしは伝えたかったので ここまで くどくどと書いています。



ありのままに物事を見る という『認める』行為まではできるようですが そこから先の『受け入れる』という行為が苦手な人が多いようです。


また ありのままに見るという『認める』ことが最終的にすることだと思われている方が多いので くどくどと書いています。



ありのままを認めた先には受け入れるという学びがあるのです。



だから 人生は気づきが出発点だと認識をしていただきたいと思っています。



気づきは出発点です。



そして 気づきを得るために『癒し』があるのです。



癒されていないから『気づき』が起こらないのです。



癒されていないから物事をありのままに見ることが出来ないのです。



気づきを得るために 癒されることを自分に許可してくださいね。

結局


『受け入れる』=『相手の立場になって考えて行動をする』


ということだから


受け入れたら

相手の立場になって考えて行動ができる


ということです。



だから

口先だけで 「受け入れています」 と言ったところで

相手の立場になって考えて行動をしていなければ、受け入れていない証拠です。



「受け入れる努力をします」 という言葉は
「相手の立場になって考え行動をし続けます」
という意味ですね。



覚えておきましょう。



相手を受け入れたいなら、まずは 相手の立場になって考え行動をする努力をしてくださいね。




だから まずは、『認める』ことから始めましょう。


相手の立場をまず、理解してみる ことです。



忙しく仕事をしている人がお相手なら

相手に対して、そのような認識を持つことです。


彼は忙しく仕事をしている人なんだ。

お仕事を一生懸命に頑張ってる人なんだ。

と認識を持つことです。


そして そんな方のために自分は何をすべきかを考えるのです。


考えて 考えた中で 自分の立場で自分のできることをするのです。




相手の立場になって考えて行動をするということは

相手の立場を理解した上で 自分に何ができるかを考えて実行することなのです。




相手の立場になって考えたことを
自分の立場でできる範囲で実行するのです。



自分のできる範囲で実行するのです。



自分のできる範囲ということは、見栄を張らない、無理をしない、ことを指します。



自分のできる範囲は 人それぞれです。



自分のできる範囲で相手の立場になって考えて行動をしてください。



それが 


『受け入れる』であり


本当の『奉仕』というものです。

つまり

認めたなら
認めた という行動をしましょう

ってことです。

認めただけでは 自分の心のねじれは直らないのです。

行動をすることで直すことができるのです。

認めた!認めた!と口先だけで言っていても ねじれは直らない。

気づくだけでは直らないのです。

気づいたら直すのです。

直す努力をするのです。

三日坊主でなく 直し続ける努力をするのです。

信じて直し続ける努力をするのです。

相手を受け入れるということは

相手の立場になり考えることを常にし続けることです。

そうすると いつか、相手は変わっていきます。

相手の頑なな心が溶かされて変わっていくのです。

愛し続ける。

大切にし続ける。

信頼し続ける。

これが『受け入れる』ということです。

継続することですね。



継続することで ねじれがニュートラルに戻るのです。



『受け入れる』ということは

自分の間違いに気づき、その間違いを直すことです。


それは 相手を尊重する様を示します。




これは 受け入れるを論理的に示しただけで具体的ではないです。


意味がわかんな〜い と思われた方も少なくないと思います。


自分の間違いに気づくことは 認めることですね。

その間違いを直すことは 実行するということです。



『認めていることを実行すること』

それを受け入れる と言います。


相手の間違いに気付いた そのあと、教えるという行動をしなくては受け入れた意味にはならない ということです。



相手の優しさに気付いた そのあと 感謝を自分の行動で現す ということです。



相手の悲しみに共感した そのあと 涙をぬぐってあげたり、抱きしめてあげる。。。



気付いたなら それに伴う行動をしましょう


ということです。



それが『受け入れる』です。


認めるだけ、気づくだけならサルでもできる。


その気づいたら 何をしたらよいか がわからなければ 本当の気づきは生まれない。


どうやって ねじれを直したらよいかがわからなければ 行動に移しようがないですね。



思いやりを示す

配慮する

も『受け入れる』ことを意味します。




わたしが今まで書いてきていることです。



人の気持ちになって考えて気付きを得るのです。
気付きを得たなら行動に移すだけです。



気付きを待つのではなく、 自ら気付きを得るために行動をすることが 『学ぶ』ということですね。

学ぶためにそのような行動になるのです。


学びたいならば
率先して 自ら、相手の立場になって考えて行動をしてくださいね。



成長したいなら
自ら相手の立場になって考えて行動をしてくださいね。



成長したいなら
相手の言葉をよく聞いて配慮ができるようになりましょう。



相手を受け入れるということは 配慮できる人になるということです。




原理としてはこのようなことです。



だから 今まで、受け入れなさい 学びなさい 配慮しなさい 思いやりを行動にしなさい 感謝を行動に表しなさい と書いてきたのです。



わたしのブログをきちんと読んでいれば わかるはずです。

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