この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 人として生きるために


人から何かしていただいてありがたいなあと思うことや何かの気付きを得てありがたいなあという気持ちは素晴らしいことです。 


だけど その感謝している自分に酔ってはいませんか? 



わたしってスゴいでしょ、見てみて〜♪ 

感謝がわき上がってウキウ楽しくて仕方がない♪ 

それに引き換え、隣のあの人は、まだ感謝できなくてかわいそう。。。 




感謝する心というのは本来、とても静かなものです。 

ウキウキ、ワクワクするものではありません。




今まで居た暗くて長い長いトンネルを抜け出て、気分が良い気持ちはわかりますが わき上がる感謝をうまく受け取れない方がいます。 


わたしがいくら諌めても聞かないです。 


わたしが間違ってると言わんばかりに主張します。 



こんなに感謝できるわたしはスゴいのだから、できない人には慈悲の心を持たねば。 

とか 

スゴいわたしが癒して差し上げるのだから、感謝されて当然。 

とか 

スゴいわたしが、許して差し上げるの。 

とか、妄想が膨らみすぎて、開いた口がふさがりません。 





これでは、感謝している自分に酔っているだけで 本当に感謝してる状態ではないですよ。 


もっと 深く、自分を見つめましょう。 


深く深く、見つめましょう。 



静かな自分に出会うと、自分の愚かさに気づかされるものです。 




自分が経験してきているから書いています。 





お金があれば余裕ができると考えるのではなく、 余裕があるから丁寧な仕事ができてお金が入るのです。 


考え方は逆です。 


心に余裕が出来てくると、丁寧な仕事や生活が出来てくるものです。 


そうなると 人からも良い評価を得られます。 


そして それが収入に反映されるのです。  




宝くじに当たり高額なお金を得たとしても 心にゆとりがないと そのお金を使ってストレス発散してしまい、残らないです。 


お金を得ることを努力するのではなく 心に余裕を持って生活することに意識を向け、そのことを努力するのです。 




心に余裕を持つためには まずは、家族良く、夫婦仲良く過ごすことです。 


それが第一に心を安定させ、ゆとりある生活をすることなのです。 


家族仲良く、波風立てることなく過ごすことなのです。 


そのためには 大人である親が目の前に起こることを学びだと思い謙虚に過ごすことで 周りの家族がそれに習ってくるのです。 


大人が見本を示すのです。

自分の親は見本となる親ではなかったとしても、自分が見本となる大人として生きればよいことです。 



努力は叶う。 



我が子が可愛ければできるはずです。


守りたい人がいればできるはずです。 






一生懸命に努力していると喜びもありますが苦しみもあります。

そして、一生懸命に努力していると、弱音を吐きたくなる時があると思います。 


弱音と愚痴は違うと思うのです。 


愚痴は、努力していない者の言う言葉で弱音は一生懸命に努力している者が慈悲を求める想いのように感じます。


そんな時は、神様が手を差しのべてくださるものです。 


弱音をはきたくない!という気持ちはわかりますが、一生懸命に努力していれば、神様が慈悲を示してくださいます。 


あまりに強情だと神様も逃げていかれます。 


ご注意を。 

病気だから、障がい者だから、◯◯だから と許されると思っていませんか?


権利ばかりを主張して義務を果たさない。


義務をなんだと考えていますか?



ぎむ [義務]道徳上または法律上,人がそれぞれの立場に応じて当然果たさなくてはならないこと。


当然果たさなくてはいけないことを横に置いて、権利ばかり主張する。


けんり [権利]自分の意思によってある物事を自由に行うことのできる資格。ある利益を自分のために主張し,また,それを享受することができる法律上の資格。


自由に主張し、利益を得る法律上の資格。


自由に主張が出来て、権利を得ることはしても 当然果たさなくてはいけないことを横に置いて逃避する。



権利を得るって

権利は有るから得ることが出来るのです。



権利は有る


有ることは容易ではないから、ありがとうございます と感謝できるのです。


容易ではないものが有るのです。


手に入れるのが容易ではないものが有るってどういうことでしょう。


権利は手に入れるのが容易ではないものを指すのです。


手に入れるのが容易ではない権利を与えていただけているのに、それぞれの立場において当然果たさなくてはならないことをおざなりにするのです。


それぞれの立場において、


病気だから、障がい者だから、◯◯だから というのは 立場です。


どんな立場であろうと、果たすべきものが義務というものです。




どんな立場であろうと 自由に享受できる権利が有るのに 義務を果たさない行為は、感謝からはかけ離れた行動です。




病気だから、障がい者だから、◯◯だから と 自分にラベルを張ることは自由ですが 権利は有るのだし義務も有るのです。

自分に言い分けをするようなラベルを貼るのはおよしなさい。


それが真の平等です。



人に恐怖を与えることで支配している人がいる。


恐怖を与えられている人は支配をされているから、与えている人は支配することが良いことだと思い込み増長する。


一方、恐怖を与えられていても、恐怖は愛じゃないと支配を嫌がり離れようとすると 与えている人は不満が起きる。


また 一方で 与えるものはすべて感謝して受け取る人は、恐怖さえも感謝に変えてお返しするから 与える人は心が満たされて癒される。



何を与えられたかが大事なのではなく どう自分が受け取ったかが大切なのです。


拒否したのか、イヤイヤ受け取ったのか、感謝して受け取ったのか で相手との関係も変わります。




すべては、自分次第です。



完ぺきな人なんていない。


ただ 自分が愛に満たされていれば、人を変えることはできるし、自分は幸せです。



世界を変えたい、良くしたいと思うならば、自分の心を愛で満たすことです。


自分の心が満たされていれば、目の前の相手や周りにいる人はおのずと良い方向に導かれるものです。

そこで 自慢もしないし卑下もしない のです。


あれこれ 外側にふれて、内側がざわついたとしても それは、その人の成長過程で起こることなのです。


わたしもその成長過程をふんで今があります。


一足飛びに出来ることではなくて ひとつずつ段階をふんでいくだけです。

逆らいたいお年頃の時は、その時を楽しむのです。



今を楽しむのです。

人と比べて卑下をしずに、純粋に楽しむのです。

穏やかな生活をしたくないのなら、それはそれで良いのです。

言いなりになりなくたい!逆らいたい!時あります。


言いなりになりなくたい!逆らいたい!気持ちは良くも悪くもないのです。


だから、気にせず 逆らって生きていれば良いのです。


ひとしきり逆らえば、そのうち収まるから。


逆らいたいお年頃なんだね〜って思えば良いのです。


感情を味わい尽くすと、収まるね。


収まったら、人の言うことを素直に聞いてもいいかな?って思うようになるものです。

一昨日、昨日と基本的な生活を送ることの大切さを書いてきたわけですが これは、あくまで基本的なことであり、人それぞれ基本的にするべきことが違います。

なぜなら、一番に優先すべきことは『生きること』だからです。


生きていくために稼ぐことをしずに、基本的なことに重きを置くことは違うからです。


人によって生活リズムは違いますし特性もありますね。


家族の多い人と一人暮らしとは違うし、小さな子供がいるのに ほっポリだして掃除をガシガシ出来ないです。


だから、一人一人基本的にするべきことは違うのです。


しなければならないことではなく、するべきこと。


それは、この地球に生まれてきて 人として生きるということです。


人として、です。



ブログを始めた当初は、書いていました。


でも 最近、書かなくなったのは わたしがフォローできるようになったからです。


出来ることまでは自分でやっていただいて、それ以上のことはわたしが介入します。


それはわたしの役割のひとつでもあるのです。


努力している人の手を繋ぎ引き上げます。



全部ができなくてもいい。

わたしの手が伸ばせるところまで来てくれればいい。

手を繋いだら絶対に離さないから。


それでも 手を振り切って離れていく人もいます。

奈落の底に落ちてもわたしは引き上げるチャンスを待ちますし、叱咤激励します。


手を繋げるところまで、上がってきてほしいだけです。





わたしは、昨日書いた、やるべきことをやってきてる人間ですが すべての人がそれをやらなければいけないわけではなくて 人を引き上げたり導く役割があるから、それをやってきていることがあります。
だから、役割に応じて やるべきことは違うのです。



しなければならない ではなくて、やるべきことを見つけてくださいね。


見つけて努力していたら、わたしが引き上げに参ります。


また 導く役割があるならば、昨日書いたやるべきことは必須です。

それをやらずに、手を繋ぐ人を増やして 一緒に奈落の底に落ちていく人を見るので 思い余って書かせていただきました。

あなたの当たり前は世間の当たり前じゃない。
あなたは ただ、自分の思い通りの世の中にしたいだけではないのか?

と、誰かに言われたことを思い出しました。

まあ、確かに^^


そう感じる人もいるんだなあ〜


自分の思い通りにしたい?


この世界は 誰がどんな生活を選択しようと自由なんだ!
って 自由を履き違えていませんか?




わたしの思考は、根源はワンネスだから、そういうワンネスじゃないことを言われると思考がストップするのです。

また 昨日、FB内で起きたことは 未だに意味不明です。



言いたいやつらには言わせておけ!と言われます。
そこを気にすることはない と言われますが 指摘されたことは直したいだけなのです。

気にするもなにも開けたら閉めなきゃって思うだけです。


開けたら開けっぱなし

これが自由ということですか?


生きる上での基本的なことができてこその自由。


地球に生きる上での根本的なことも出来ずに、何が自由を得られるというのだろう?


それは、地球に逆らうということ。


自由と逆らうと履き違えてる。


穏やかな生活をしたいならば、気づかなきゃね。


穏やかで何もないから不安になると言われることがあります。


穏やかに過ごせることが一番です。


現実的には何もなくても心が騒ぐことがあります。


それは、穏やかとは言えない。



穏やかに過ごすことは日々の努力からですね。





まあ、わたしはだれよりも根本的なことはわかっているという自負心があるから、それが人には腹が立つのだろう。

『やることは、きちんとやってるの わたしは。
やることやってもいない人に、ガタガタ言われたくないわ。』

という自負心。


目の上のタンコブ的な存在です^^


見せつけ過ぎると、弘法大使様からお叱りを受けます。

でも、たまにはちらみせするよ^^


印籠みたいなものですね〜


やることやってるという印籠を持ってるから、穏やかな生活を送れるし 何をしていてもおとがめないのですよ〜


結局、自由というのは 神様全部に許されるってことなんです。

やる!と決めても、感情が邪魔をして出来なくなることがあることもわたしは知っている。


だけど、書かずにはいられないのです。


努力することの素晴らしさを知っているからです。


最初は、苦しいかもしれない。


だけど、だんだん馴れてくるものなのです。


それか 続けることが出来ないからどうしたらよいですか と相談すればよいのです。


相談を受けたら、やみくもに、やりなさい!とは言えないものだから。


また ここまでは努力したけれど この先が難しいです、との相談も必要ですね。


なにごとも、コミニュケーションは大切ですね。



努力したら努力した分だけ知恵が授かるものですよ。



それは、努力してみないとわからないものですね。 


宇宙や社会の優しさを知っていただきたいです。

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