この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 地球からのメッセージ

日本人というのは、元々、自分の心の内を表に出すことをしない人種で

慎みを重んじる特性がありますね。


それは、礼儀にも通じますが、今日はその話は置いておいて。


その慎みは、奥床しさやさりげなさがあるもので、だから、日本の文化である俳句は、自分の心の内を季節に託して詠んだのでしょう。


そして、その奥床しさやさりげなさは、お着物にも表れますね。


半襟や襦袢、八掛、袂などに伝えたい想いを込めました。

直接、口で言う代わりにお着物を見て察してくださいという、

日本は、元々、季節共にある慎み文化なのです。


日本人にとってお着物は、ファッションという流行りものではなくて、文化です。


それを今はファッションという流行りものてして捉えて着こなされている方が少なくないです。


元々、着物は

季節を感じ、自分の心を重ね合わせて、そっとしたためるものであったのです。


それが日本の伝統的な文化になったのです。


季節と共にある慎み文化ですね。


最近の俳句ブームは、日常に季節を感じることで、日本古来の慎みを思い出すためではないでしょうか?


そう考えると、お着物を流行りものとして着てしまうのはいかにも切なく感じます。


お着物だけでなく俳句や和歌、茶道、華道なども慎みが重んじられていますね。


自分の心の内を直接わかりやすく伝えることもひとつですが、比喩的に伝えることも風情があって良いかもしれませんね。



何かの記事で、これからは横の繋がりが大切になるのだから人に親切にすることだと書かれていて、

自分のことに中途半端でもそんな人が人に親切にするのだから、周りから助けがあり、結果人と人が繋がり、良い関係を築いていけると書かれていました。


わたしは、「まずは自分」で、自分がきちんとしてから相手に親切にすると今まで伝えてきたので、わたしと意見は違うなあと感じていました。



すると、今朝ですが、ある言葉が降りてきました。


「人を許して人に対して改心するよう促し大目に見ていくと、周りから助けられ守られる」


そうだな、と思いました。



人を許して、人に対して改心を促し大目に見てくださっているのは、この地球です。


これが地球の意思です。


宇宙の法則で沙汰されないよう、地球がどこまでもどこまでも私たち人間に対して改心するよう促し大目に見てくださっているから、私たちはまだまだ

この地球に住まわせていただいているのです。


だから、私たち人間も、目の前の相手を許して大目に見て待つことで改心を促せるのだろうと考えます。



そんな意思を持つ地球だから、宇宙から一目も二目も置かれているのです。



この地球は、どんな邪悪な宇宙人も人間もウイルスも受け入れる意思を持っています。


だから、悲惨な戦争が起きることもあるのですが、すべては、この上に住まわせていただいている人間の成長のために、その身を投げ出してくださっているのです。



しかし、地球もそろそろ進化の時期に来ています。


宇宙は、地球の意思を最優先しながら、次元上昇を試みています。



こんなに大目に見てくださっているなら、わたし達も人を許して改心を促すように大目に見ていこうではありませんか?


そのためには、自分の持つ劔を相手に向けずに自分の心を切ることに務めることです。


人を裁かないことです。


人を許して大目に見ていくことです。


そうすれば、自ずと周りの人だけでなく、神様から守られていきます。



本当ですよ。

わたしは実践者ですから。




今までわたしたち人間はいつの頃からかある存在に経済的に支配され依存させられてきましたが それが弱体化してきているようです。 


経済的支配からやっと解放される時代に変わってきたのです。 


今までの支配と依存の関係は わたしたち人間は心の中に無意識ですがそれを許してきました。 


そのため 個人間においても支配と依存が無意識下にあります。 



上から目線の上司に悩まされたり依存性の高い部下であったり夫婦間や親子間での支配と依存。 



世界的に支配者が弱体化されているということは個人間にも反映されていて、今の時期は、そんな支配と依存から解放されていく時期のようです。 




今まで誰かに経済的に依存してきた人は自分の足で立たなくてはならない現実を作り出します。 


そのため 自分の人生に責任を持つことを求められますね。 


一方、誰かを経済的に支配してきた人は支配先を失い、孤独になり、ひとりで立つことを求められます。 


このように、誰もが自分の人生に責任を持って生きるよう促されていくのです。 


そのため、世界的に経済的な大変革が起こってきます。 




今年に入ってから、わたしたちは、コロナウイルスに悩まされてきていますが これまで日本は支配者が変わる時にはウイルスに悩まされてきているという歴史があります。 


そう考えると 今、コロナ騒動が起きているということ自体、世の中が変わる前兆と言えますし、コロナ騒動は抗えないことなのです。 


世界的に、支配者が弱体化してきて経済的支配依存のない世の中に変わって経済が変革していくことも抗えないことです。 



経済の変革ということはどういうことかというと、


自分に責任を持って生きくことが誰にとっても抗えないという時期において、

まず自分は、これからどうするの?どうしたいの?ということを真剣に考える時期なのだということなのです。

 
そこを経て、
あくせく、お金を求めて働くのではなく、自分のやりたいことや好きなことをしたほうが収入は増えますよ、ということなのです。 


そうやって 自分の人生を送るのです。 



お金を稼ぐために働かなければならないという時代から好きな時にやりたいことをやっていったら自然とお金は増えていくという時代になります。 


そのために、必要なことは、やりたいことや好きなことを決めることです。 


それによって、 現実のあらゆる側面が動き出していくのです。
 
 


あなたはどうやって生きていきたいですか? 

何をして人生を歩みたいですか? 



お陰様でありがとうございます。

そばに居るだけで 穏やかになれて、笑顔になれる人になりたいと思われる方もいらっしゃるかもしれません。



そばに居るだけで、穏やかになれて笑顔になれる人の暮らしぶりは、どのようなものかを考えたことはありますか?



心の中が清く、涼やかに保つことがどのようなことかわかりますか?



毎日、内省し 瞑想に励み、人に逢ったら お話しを聴き、 また 瞑想し。。。


この波動の粗い世界で このようにして生きることは、たやすいことではありません。



極力、人に逢わない。

情報も受け取らない。

山に籠るとなお、良いでしょう。




そんな生活に憧れますか?



人には それぞれ役割があります。

今の世の中、スピリチュアル的なことが表面化していますが

これは、天に繋がることや宇宙に関心を持つことやエネルギーに関心を持つことだけのためではありません。


逆に、地に足をつけて生きていくために スピリチュアルなことが表面化しています。


また、安部政権の安保法案成立においては 若者たちが政治に関心を持つように仕向けた と言われており、
安保法案成立を仕向けた安部政権を高く評価している方々もいらっしゃいます。



今の安部政権が何故あるかといったら

まずは、わたしたちに 今の社会全体を観せるためにあるのです。



政治にしかりスピリチュアルな世界にしかり


今まで、関心がなかったことに目を向けることになります。


目を向ける、関心を持つことが グラウディングすることになります。



意識を上げると、四方八方が見渡せますが


今は、意識を上げなくても あちらからこちらからと 見せられることになるのです。


そうやって 関心を持たざるを得ない世の中になっているということです。



天の采配において

わたしたちは さまざまなことに関心を持たされていくのです。



関心を持つということは、グラウディングをすることになります。



それぞれの場面、場面に意識を向けることによって わたしたちは 自分本来の道に導かれていくのです。



だから そこを見ないふりをしてはいけません。


見ないふりをすればするほど、見てみて〜と迫ってきます。



グラウディングさせるために 天は動いています。


すべては天の采配です。






これは 今朝、ダウンロードしたエネルギーを言語化したものです。


言葉がうまく繋がっていません。


ごめんなさい。





そして あとひとつ



天の采配において さまざまなことに関心を持ち 意識することになってきますが そこに、執着しないで!とも言っています。

否定しない、執着しないって言っています。


否定したり執着すると、まだまだ 天の采配により 見せられてくるものが 滞るそうです。


だから

見せられたこと、関心を持ったことに意識を置くだけでいいで〜す♪




川島なおみさんがガンで亡くなられたり わたしが似ていると言われる北斗晶さんが乳ガンの手術をされたりと 芸能界からの悲報もありますが

不安になることなく、意識を置いて、お祈りしてくださいね。



意識を置く。

どの次元においてもグラウディングをする


ことが目的です。



それによって わたしたちは自分本来の道に導かれていきます。

わたしに関係する皆様へ


あなた方のそばには、あなたを家族のように想い、心配し、全力を尽くしてくれる人がそばにいることを忘れないでください。



わたしは想いは手放しますが 人の手は離さない。


間違えないでいただきたい。



あなた方のそばには、わたしが居ます。



だから、わたしを恐れないでください。


怯まないでください。





わたしは30年間、ある組織の中にいました。


だからなのか知らないけれど、自由に振る舞うことや自分勝手に行動することはしないようにしています。 


だから、今でも 家族という組織を大切にして、周りを観て動いています。 



組織の中にいるとそれが当たり前になるのかなあと思います。 



しかし 今は、自由が叫ばれている昨今ですが 結局 わたしたちは地球、日本という枠組の中で生きているのです。 


最小単位は家族という枠組があって 生まれた時は誰もがその枠の中で育っていくのです。 



しかし その家族という枠組が壊れようとしています。 


産むだけ生んで育てない子育て放棄する人も増えています。 


地球自体が変わろうとしているからなのかもしれませんね。 


地球を変えていくのは、新しい頭を持った人たちですから。 


生まれた命を優先に助けなくてはならないのかなあと思います。 


これからの時代、子育ては家族単位ではなくて地域単位なのかもしれませんね。 


親を切り捨てるつもりはないですが進化の妨げになるようなことは沙汰されていくでしょう。 


地球は進化していくのですから。 



付いていきたいならそれ相当の努力は必要です。 

したくないなら仕方ない。 


そこは自由なのです。 


切り捨てられる覚悟で自由をマン喫すればいい。 


まあ その覚悟あれば努力出来ると思うから、もったいないなあと思います。 


地球と一緒に進化していきたいと思われるなら進化の妨げになる行為はしないでくださいね。 


ひとりひとりの意思の問題です、これは。 


「違和感」で書いた方々ですが、たぶん 地球の進化を感じての行動でしょうがそこに自分の我が乗ってるから違う方向に進んでいるのかなあと考えられます。(わたしの疑問の答えが出ちゃった^^) 


やはり 地球の進化に乗るには、自分の内側を見つめて我をなくしていくことが必須でしょう。 









最近のわたしは、指令を受けて走らされているけれど、そのことについて考えてみた。


指令を受けて走っていることに価値があるわけではなくて 
指令を受けて走っている自分、自分そのものに価値がある。 


だから、指令を受けていないときはダラダラ過ごすこともある。 


そんな自分に価値があるんだ。 


価値があるから、素直に走り出せるんだ。 




何かをしなければ価値がないわけではなくて 
自分そのもの、素材そのものに価値がある。 


それを感じていたら、どんな指令を受けても動けるもので、指令自体も自分の素材に応じた指令が出されるものなんだ。 


だから、指令=求められることは、できることなんだよ。 


人それぞれ、素材に応じた指令を受け取っているものなんだよ。 




求められることを日々、粛々とこなしていくことで 自分の価値がわかるようになってくるものなんだ。 


最初にも書いたけど、求められることをすることが価値あることではなくて 価値がある自分だから求められるんだね。 


ダラダラ過ごしていることが価値あるわけではなくて 価値があるからダラダラ過ごすこともできるし、求められたら走り出すことができるんだ。 



自分の価値がわかっているから、どのようにでも行動できる。 


また 自分の価値がわかっているから、相手を思いやり敬うこともできる。 



自信を持つことよりも自分の価値を知ることが大切だよ。 



この世に生を受けたら、誰もが価値ある存在なんだと知ってほしい。 



だったらなぜ、いじめられるの? 
だったらなぜ、傷つけられるの? 

と言われる人が言われるかもしれない。 



それは、あなたがあなたを価値のない存在だと勘違いしているからだよ。 

だから、教えてくれているんだ。 



あなたは価値ある存在なのよ。 
だから、気付いて!気付いて!って。。。 







実際、自分の出来ることしか求められないのに 自分にはそれ以上の力があるのだと過信していると その出来ることを軽く考えたりして バカにしてやらなかったり、それ以上のことをやりたがったりするようです。 


本来、成すべきことをやらずに違うことをやろうとしたり見ています。 



本来は、自分の出来ることを粛々とこなしていくだけで 徐々に、器が広げられるものなのです。 


急がず過信せずに、求められることを粛々とこなしていきましょう。 



「こんな自分」

と卑下して、人を羨ましく感じる。


それを自覚している人はまだいい。


自覚していない人は多いと思う。



人を癒したい。
人を助けたい。
人に寄り添いたい。

そう思っているから、まさか自分に自信がないと感じてもいないし、相手にもそう思われたくないだろう。



自分を見失っている人、自分を卑下している人の共通することは、さみしい気持ちです。

そして、温もりがほしいのです。



人のことばかりに一生懸命になっていて気づかないのではないですか?



人間は魂だけでできているわけではなくて 肉体を持っているのです。



ふれ合うことって大切だよ。


温もりって必要だよ。



あなたは、温もりを感じて生きていますか?

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