この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 感謝をして生きるということ


礼儀、礼儀と言っていても わたしは相手の扉を蹴破って入って行く習性があります。 


わたしは自分の大きさがわかっていないので、たまにやらかします。 


自分的には、ノックしているつもりですが、扉を蹴破ってしまいます。 


申し訳ない限りです。 



また わたしのメールアドバイスの子たちの中にはわたしにドアを閉めさせない子もおられます。。。 



まあ それぐらいのほうが勇ましいかもしれませんね。 


その子は着々と成長していっていますよ^^ 


他の人にしたら叱られてしまいますがわたしだから良いのです。 


信頼関係ができていますから。 


だから 信頼関係ができるまでは 礼儀は必要ですができてしまったら、なんでもOKなのです。 



だから わたしは24時間出動OKなのです。 




今のわたしは、自分をより整えることを求められています。 



たとえば 現実的には、だんしゃりをしたり家の掃除をしたりして 人が来るスペースを開ける。 

今までは自分が出向いていたけど これからは招いていくから 人が来るスペースを整えていく。 


また 今まで無造作に出掛けていた場所が自分の領域になってきています。 
だから、そこを整えることも必要になってきています。


要は、器が広がると 自分の領域も広がるということです。 


土地の開拓と同じで、畑を耕し作物を植えて実ると人に分け与えます。 

すると 豊かになるから また 隣の土地を開拓して豊かになります。 



人から奪うことなく、自然と領域が広がっています。 


そのため 自分だけでは手いっぱいなので人を雇い、自分の領域を整備します。 



領域=責任とも言います。 



自分の居場所というのは、自分の責任の範疇です。 




今までのわたしは、自分のプライベートをしっかり確保してきました。 


それでわたしが成り立っていたのですが そのプライベートスペースを解放するように促されているのです。 


わたしのプライベートスペースはパワースポットですから パワースポットの解放です。 


そうやって わたしの領域が広がっています。 



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 




わたしは2007年ごろから、プログを書いていますが読者はいっこうに増えません。 


器は広がったのに読者は増えません。 


それはなぜかというと わたしのブログは扉があるからです。 


礼儀のない人は入れないようになっているからです。 


神性だから、自然と扉がつけられたのだろうと感じています。 


気軽には入れないのです。 



わたしは比較的、外に出ると解放的でウェルカムですが礼儀のない人は受け付けないところがあります。 


これは、領域を守るための手段です。 


だから これからもそれは変わりません。 




今まで自分がやってきたことは、自分の領域を広げることをコツコツとしてきたのだなあ と気づきました。 


わたしが外に出ると 最初は周りがざわつきますが 心を開いて礼儀を尽くしていくので相手も心を開いてくださるのです。 


嫌な人がいても気にせずわたしのエネルギーをおいていくので わたしのエネルギーが苦手な人はその場所に近づかなくなります。 


そうやって 自然と領域を広げてきているようです。 


こう考えると 最初は、礼儀を知らず土足で相手の領域に入っていったことがあったと気づかされます。 


自分の領域を荒らされるのは嫌ですね。 

だから、衝突を繰り返していましたが 徐々にそれもなくなり、わたしの心の開き方如何で相手とうまくコミニュケーションがとれるようになったと感じています。 



やはり礼儀は大切ですね。 



また 礼儀といえば 

日頃お世話になっていても 何かのきっかけで疎遠になっている人はいるものです。 


最近では波動がどうこう言われますが お世話になった方に近況報告もなにもよこさないのは礼儀のない証拠ですね。 

心の姿勢が悪いのです。 
連絡、報告なく お願いがあるときだけ連絡してくる人は相手ができませんね。 

会った時についでに言えばいいと姑息な考えでいる人はいつまででも会えませんし、ついでのお願い事は受け付けません。 

結局 そういう人は感謝がないのです。 


だから、そういう人はいつも目前のことだけにとらわれてお金に忙しいです。 


そういう心の姿勢の悪さが収入に反映されますね。 


困った困ったと自力で解決しようとしない人や近況報告もないのは礼儀も感謝もない証拠です。 


また、最近では礼儀を知らない人が上に立っても知らないから教えられないのです。 

自分のプライベートに扉がないのです。

人間関係というのは礼儀が基本です。 


知らない、できない、わからないから成長もできないし礼儀もないのです。 


コミニュケーションの基本は礼儀があってこそなのです。 



自分の居場所がないと感じている人は、探す前に 礼儀ができる人間かどうかを自分に問うことをすべきかと思います。 




枠がいらないなんて、自分がどれほど 枠に愛されて守られているのかわからないから言えるのだと思います。


今まで自分をつくってきた枠をいらないものだと考えるのは、 感謝のない者の考え方だとわたしは思うのです。


枠を超えたいなら、愛することなのです。


今まで自分をつくってきた枠に感謝できないから責任感が生まれないのでしょう。



わたしは 今までブログの中で いらないものは何もないと書いてきています。


それは 自分自身を愛することだからです。


その時に必要だったから、枠があったのです。


必要ないものは存在できない。


枠をいらないものだと考えるということは その時の自分を否定することなのです。


この世界において いらないものは何もない。



感謝とは、わきあがる感情だから 感謝できないというのは仕方ないことですが 感謝できない と、できないままでいることは 自分自身を見限ることだと思います。



今まで自分をつくってきた枠を愛し、感謝できるようになることで 本当の自由を得るのです。




わたしは、わたしの意思で 枠の中に入って生きてる人間です。

今まで自分を縛ってきた枠を出入り自由な枠に変えてきました。



とてつもなく、わたしは自由です。


枠を愛するから、わたしは自由なのです。

喜び
その場所にいないとわからないことってたくさんある。

だけど、人は うわべだけ見て、羨んだり、憧れる。

また 自分とは縁のない場所だと関心すら示さなかったり、到底 無理だと諦める。

諦めたり関心がない人よりも憧れたり羨む人のほうが人間味があって わたしは好きだ。

わざと無関心を装うくらいなら、憧れたり羨む人のほうが素直だと思う。

その場所に立つということは 人とは違った苦労もあるけれど 喜びもそれ以上にあるものです。

喜び

わたしは喜びをもっともっと感じていきたいと思う。

そして この喜びを分かち合っていきたいと思う。


先ほど、わたしは

感謝することは相手の立場になって考えた行動をすることです。


相手の立場とは、自分との関係性を意味します。


自分との関係性を考えた時に何をすればよいのかがわかれば、自ずと答えはでるはずです。



と書きましたが

感謝は、相手を悲しませないことです。


悲しませない努力ですね。



努力の矛先を間違えないようにしてください。

グラウディングできている状態というのを、なかなか言葉で表すのは難しいのですが 地に足をつけているココロモチと言いますか生かされていることに感謝ができていること。。なのかなあ と思います。


自分の自我もそれほどなく、〜したいという想いもなく ただ、生きることに感謝できている状態なのかなあ と思います。



自分の内面と向き合っていくとわかるのですが 向き合っているときは、苦しいのです。


魂の想いに心が押し潰されそうで苦しく辛いものです。


だから そこから逃れたい、早く乗り越えたいって思うわけです。


苦しみがある時はまた、生かされていることに感謝できるよりも自我が強い状態ですので自我がはがされたくなくて必死です。


必死にはがされたくない!としがみついているから苦しいのです。


だから、そんなときは まだまだ、しがみついていたいんだね、と内観をやめることです。


しがみついているのは、まだまだ役割があるからしがみついていたいのです。


そんな自分の状態を知ることですね。


自分の状態を知っていることがグラウディングできている状態と言えるのではないでしょうか?



自分の状態を知ると、自分の力を過大評価もしないので無理なく生きることができるようです。


人に対して無理して奉仕したいとか人に認められたいために役に立ちたいとは思わないものです。

分を知るということです。


自分というものを知りますと、人にあれこれ手は出さなくなるものです。

人に役立つよりも前に人に迷惑をかけずに生きようと思います。


人の手を煩わさないようにしようと努めるものです。



人に対する奉仕は余録でよいとわたしは思います。



それよりも 自分でしっかり立つことです。



よく病気になっから他者への感謝が溢れて、人の役に立ちたい と言われますが、わたしからしたらまだまだ、わかってないな と思います。


本当に感謝が溢れたら、手が出なくなるものなのです。

思いやりは当然あるものですが、役に立ちたいなんて滅相もない。


困っている方に手を差し伸べるのと役に立ちたいというのは違います。


役に立ちたいという想いは思いやりを越えています。


役に立ちたいという想いは欲求ですが、思いやりは無償の愛です。


感謝して、無償の愛がわき上がるのは理解できますが 欲求が溢れるのは理解できないです。


欲求が出るのは、心が満たされない証拠です。


そのように 幾度となく感謝を経験して人は無償の愛がわき上がるようになるのです。


自分を知ること、大切です。



現実を生きるためには、まず 自分を知ることからです。


常に今の自分を知って生きると、無理なく生きることができますよ。

最近のわたしは 主人に 「お前はおかしい」 と言われます。

言われると ムッとはしますが言い返しません。

彼の常識からすると わたしは常識外れだからです。



昨日 わたしは農家のお客さんから白菜3玉大根3本にんじんたくさんいただきました。

それを調理して食べたところ 主人はおいしい!おいしい!と平らげました。

食事の終わった頃、宅配便が届いたので 配達の方に、労いで 白菜2玉と大根1本を差し上げました。

すると 主人が怒り出しました。

「あんなやつにやる必要はない!お前はおかしい!」

お野菜は 土から抜いてきたばかりでとても新鮮でした。
そのため 主人はそれを一人占めしたかったようです。



一人占めしたい人からすると わたしの行為は おかしい!のです。


わたしは 誰にでもホイホイと差し上げます。


美味しいものだったから、特に 新鮮なうちに食べていただきたくて差し上げました。


これは 昔から変わらないのです。

でも 以前は言わなかったけど、最近の主人は言うのです。


以前の主人は我慢していたのでしょうね。

だけど、最近の主人は自分の意見を言うようになってきたのです。

正直、意見されることは好きではないですが 主人が言いたいことを言えるようになってきたのは、良い傾向だと思っています。


自分の意見を言えず、ひねくれていた時よりはマシですから。




人は このように 自分のこだわり、考え、常識を持って生きているようです。


だから わたしの自由さは自分の常識の範疇にないから 「お前はおかしい」になるのです。


一人占めしたい!

という想いは、人や物にたいしての執着です。



あんなにたくさんのお野菜を家族3人で新鮮なうちに食べるなんて難しい話です。

そうやって 差し上げてなくなったら また、新鮮野菜をいただいてこればよいのです。


結局 次にいただけない、入ってこないと思っているから執着するのでしょう。

また 自分からいただきにいくのは恥ずかしいのでしょう。


わたしには恥ずかしいという発想はありません。


それよりも こんなに美味しいのだから みなさんに食べていただきたい想いで一杯です。



はたして わたしのポイポイ差し上げる行為が良い行いなのかはわかりません。


だけど、
農家のお客さんは、頼むでもらって!と言われますし
宅配便のお兄さんは喜んで遠慮なく持っていかれました。


それだけで ありがたいなあ と思えるのです。




神様は 一日に一回は、毎日 ごほうびをくださると 「平等」の記事で書かせていただきました。


それを ありがたいと思って受け取るか誰にも渡したくないと思って受け取るかは、本人次第です。


神様からの恵みを感謝して受け取り それをお返しするのが感謝している者の行動だと思えるのです。


人のためにと自らの命を差し出すことで、人になることを約束される命がある。


昨日は、そう教えられました。


そして その尊い命をいただいた後、わたしたちはどう繋げていくかです。


尊い命たちには犠牲的精神はありません。


尊い命たちは 人のためになり、命を繋げてくれることを望んでいます。


人に喜んでもらいたいという気持ちの中には、喜んでくれた人がその命を受け取って繋げてほしいという願いが込められているのです。



命を繋げてほしいという想いが込められて、命を差し出すのです。。。




感謝を繋げて生きるということがわたしたちの使命ですね。




尊い命を繋げて生きることが感謝をして生きるということですね。

昨日、伊勢えびさんとおしゃべりして 気が付いたのですが


伊勢えびさんや貝やアワビなど お魚さんは、何故 この地球で生きているのかと言うと


人に食されるため。。。

そのために 自らの命を差し出すのです。



食されて、人に喜んでもらうのです。


食されることが使命なのです。


それは何故かと言ったら
喜んで食されると、人間に生まれ変われる権利がもらえるからだと、伊勢えびさんは話してくれました。


命って神秘ですね。。。

人に喜ばれたくて、自らの命を差し出すのです。


わたしたち人間は、その命の恵みを感謝をしていただくのです。



そうして

『いただきます』

という言葉が生まれました。



『いただきます』

という、たった6文字の言葉には、命の恵みの尊さが込められている言葉なのです。




わたしたち人間は、その言葉を ぞんざいに使ってはいないでしょうか?


命をバカにしてはいないでしょうか?


自らの命を差し出す。。。という想いを感じて わたしたち人間は、どう自分の命を使っていけばよいのでしょうか。


誰もが師となる。

また、生物さえも。。。



ありがとうございます。



人生に迷っているのなら

辛い感情よりも

そんな中でも 自分は誰に支えられてきたかを考えてみるのです。


そして その人のお役に立てることを考えていくのです。


そうすることによって、宇宙からのご加護がいただけるのです。


人生はそれからです。


親孝行は居なくなってからでは出来ないのです。

また、支えられてきたのは親ではない方もいるでしょう。


友人、先輩、先生、上司、パートナー。。。


その人たちに喜んでいただくためには 何をしたらよいのでしょうか?


どう接するべきでしょうか?


支えていただいた方のお役に立つためにはどう生きたらよいのでしょうか?


それには まず、計画性を持つことです。


そして、実行するのです。


忍耐も必要となるかもしれません。


だけど 喜ぶ顔が見たいのならできるはずです。



それが あなたの生きる目的になるのです。




また、子育てする基本にもしてくださいね。


これを 教えていけば、まっすぐに育ちますよ。


子供は親を敬い、 親は子供を守るのです。

義務教育の基本でもあります。

このページのトップヘ