この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 感謝をして生きるということ

どうして君は不平不満を言うの?

どうして君はあれが嫌い、これが嫌いって言うの?

空はこんなに青いのに、太陽はこんなにも 僕たちを照らし続けてくれるのに

それだけでもありがとうって思えることなのに

今、君は ご飯が食べれなくて困ってるの?

今、君は 死の恐怖におののくような戦場にいるのかな?

ちょっと 考えてごらんよ。

ご飯が食べれて、暖かいお布団で眠れて。。。

何が 不満なの?

寂しい?

君が壁を作っているからだよ。

好きな人に愛されたい?

君が君自身を愛していないからだよ。

自分の問題を他人にすり替えちゃいけないよ。

空はこんなに青いのに、太陽はこんなにも、暖かく包んでくれるのに
それを 当たり前にして 不幸探しをしたいのかな?

自分の不幸を自慢したいのかな?

この地球が、太陽が、大地が 君を包んでも それを当たり前にして 不幸探しを続ける限り 君は幸せにはなれないよ。

すぐ天を仰げば、愛を光を照らしてくれる。

私たちを 包んでくれる。

愛してくれる。

君は、この光を感じないの?

君は、この愛を感じないの?

ここに 生かされていることに感謝しよう。

私たちは愛されている。

私たちは守られている。



今、現代に生きている人は

『地球に感謝ができない』

という 障害を持って生まれてきている と感じるのは わたしだけだろうか?





やたらと、「ありがとうございます」を使う人がいる。 



何に、「ありがとうございます」なの? 


何に、感謝してるの? 

目的は?意図は? 



真剣に生きてる人に向かって、意味不明な感謝ほど不愉快なものはない。 


感謝をバカにするなと言いたい。



有ることが難しいと思っていないでしょ。 

有ることを当たり前にしてるでしょ。 

当たり前に受け取ってるから、いい加減な気持ちで扱う。 

丁寧に、大切に扱わない。
大切に扱わないから、汚れたらすぐに捨てる。

使い捨てですか? 



無償の愛を使い捨てする人には、その本質の想いは届かない。 


有ることが難しいから頭の上に乗せて賜ろうと想わない人には、本質の想い=真実は受け取れないし、届かないものです。 



「ありがとうございます」という言葉は軽々しく使うものではありません。


 実際、思いやり溢れた人となって人間生活送るのは至難の技なのです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



とはいっても 普通に、思いやり溢れてみえる人っているものです。 


神対応?される人。 


そういう人を観ると、つい 自分と比べてしまうのです。 


そういう人って 軽々、この世界を生きてるように見えるものです。 


実際、軽々 生きてるのですが ただ、軽い♪だけだったりする。 


深く考えずに生きてる。 
人に迷惑かけても、自分は思いやり溢れた人だからと 迷惑かけてることがわからない。 


そんな人を人は思いやり溢れた人だと称賛するから気づかない。 



実は、迷惑かける人と思いやり溢れると言われている人は紙一重なのです。 


そこを見習う人が増えていますね。。。 



思いやりなくてもいいのです。 


自分を知って、正直になってくださいね。 



本当に、思いやり溢れた状態で生きるというものは、人として生きていくのが辛いものです。 


辛く苦しいものです。


人に対しての不満は人一倍あるのに 人に対しての思いやりや謙虚さがまるでない人がいます。 

それでいて、神様仏様事をされている。 


自分は思いやり溢れた人だと錯覚している。 


そろそろ、自分の思いやりのなさを認める時期にきている。 




思いやり溢れる人は良い人だ。 

思いやり溢れることは素晴らしい。 



わたしは、そうは思わない。 


思いやりって、心からわき上がるものだし いつもいつもわき上がっていたら、人として生きるのに苦労するよ。 


結局、不満があるのは 思いやりで満たされる自分になりたい、とか 人から称賛されたい という気持ちがあるからだと思う。 

でも 実際、思いやり溢れた人となって人間生活送るのは至難の技なのです。 


そんなこと考えずに、思いやりない自分でもいいじゃないかと自分を認めていたら、正直に生きていると称賛されて、嬉しくなって 心が温かくなり、思いやりが溢れるものです。 


いつもいつも思いやりがわき上がっていたら まっすぐ歩けなくなるよ♪ 



そういうものだよ♪

日々、命のあることに感謝して粛々と生きる。 




昨日の天皇陛下のお言葉を拝聴して、そう感じました。 



今までは、天皇陛下が現人神として存在してくださっていましたが、退位されることで その役目を終えられます。 


次に続く皇太子様には継承されずに終わります。 

それは どういうことかというと 誰もが、現人神となって生きていく世の中になっていくことを指します。 



誰もが、現人神になって生きていくのです。 



そのためには、毎日 命のあることに感謝して粛々と生きていくのです。 


現人神である天皇陛下に頼っていた時代は終わろうとしています。 



神様は良い子にはプレゼントをくださいます。 

わたしは、それを預かりますから。


わたしがこの人に力を貸してあげたいと思うことがありますが、神様から許可されないことは、わたしは出来ません。 



わたしは神様に忠実に動かされます。 


わたし、個人の想いがあっても忠実に動かされます。 





わたしは、日々、わたしを動かされていきたいと願って生きています。 



願って生きています。 





感謝というのは厄介である。 

人によっては、感謝の意味の受け取り方が違うから。 

人それぞれの感謝の意味がある。 




『感謝が大事だよ』 

と言われたとする。 


何に感謝するの? 

感謝の強要ですか?


わたしは、そう捉えてしまうほど 感謝という言葉には敏感です。 


感謝って自分自身の内からわいてくるものだから、人から強要されることではないと考えています。 




自分の内側から感謝がわき上がるようなココロモチで常に生きていれば良いだけでしょ。 


自ら、『ありがとう』 と言葉を発することや感じることや 人から『ありがとう』と言われることは まあ、素直に受け取れます。 

感謝の心が感じられるからです。
こちらも温かい心に満たされます。 

まあ、と書いたのは 心が伝わってくるので、わざわざ言葉に出さなくてもいいよ、という意味です。 
わたしとしては当たり前のことだから わざわざ必要ないです。 




しかし、感謝を「今のあなたが居るのは誰のお陰ですか?わたしにに感謝をしなさい」という意味で相手に使われる方がいらっしゃいます。感謝の強要ですね。 


有難うございますという言葉は、本来なら有ることが難しいものが「有る」ということを示されていて、「有る」ことが難しいのだから、頭を下げて 頭の上に献上していただきましょう という意味なのです。労い、敬いが込められています。
だから、有難うございます と頭を下げるのです。 


ということは、感謝の強要というのは、有ることが難しい存在は感謝を強要している本人を指すことになります。


自らが有ることが難しい存在だと示しているのです。

労い敬われなければならないと自らが発しているのです。



わたしにはそんな発想がないので、
固まってしまいます。 



頂戴するものは、何人かの手によってつくられたりするため、労い敬う心で有難うございますと頭を下げるのはわかります。 


労う心や敬う心も自らの心からわき上がる心です。 


それを自らが強要するという発想がわたしには理解不能です。 



わたしがぴっとかぺってエネルギーを動かす行為は無意識に簡単にやってしまうので 難しいことではないから、有難うございますと頭を下げられることがこそばゆいのです。 


だから 感謝の強要をされる方は、自分にとってとても難しいことをやって捧げているのだから、相手から労いや敬われたいということです。 


確かに、「有ること」は難しいことかもしれませんが 相手にそれをわざわざ強要しなくてはいけないココロモチというのがわたしには理解ができないです。 


いつも無理している、ということなのです。 


何かを犠牲にしているから そんな発想になるのかもしれませんね。 




感謝というのは 様々な立場で使い方が違うということですね。 





自分の信念を貫き通すことはある意味スゴいと思う。 


なぜなら 周りを見ないから。 


なりふり構わず、そこに意識を集中できるから。 




だけど わたしたちは一人で生きているわけではなくて、家族や仲間と一緒に生きているんだ。 


周りを考えない生き方ってどうだろう? 


敵をつくるのではないだろうか? 




結局 周りの者が、そんな周りを見ずに生きている人を許すんだ。


わかっているのかな? 


自分は許されているってわかっているのかな? 



わかっていたら、もっと 周りを見渡して、共存し合って仲良くし合って生きていけると思うんだ。



許されていることをわかっていたら感謝できると思うんだ。 




わたしは 自分が何者なのかが知りたくてスピリチュアルな世界に興味を持って探究をしてきました。 


最近では、ドンドン自分が何者かのサインが降りてきます。 


そのため その自覚をし、使命や役割を実践してきていますが、その一方で落胆することがあります。 



人が人として生きるということは、魂の使命や役割だけで生きてはいけなくて、肉体を持っている人間としての欲も必要なのですね。 


なかなか叶えられない欲をわたしは持って生きています。 


それがあるから、人として生きていられるし、人の想いを思い図ることができる。 


人として生きるってとても貴重なのですよ。 




わたしは、いろいろと神様と呼ばれる存在とお話しをさせていただくことができますが 人として生きたことがある存在とそうでない存在とでは違いがあります。 


想いを推し量ることです。 


なってみないとわからないことがある。 



そのために、わたしは地球に来たんだなあとわかります。 






自分が何者であるかを自覚させられる度に、想いが交差します。 


歴史的なことも思い出しています。


思い出しています。 


この地球での歴史的なことです。 



これからの地球のいく末。。。 



人それぞれ、役割が違い それを全うするだけなのですが、全体的なことがわかるがだけに さまざまな想いが交差します。 


人として生きていないとわからない想いってあるのです。


人として生きているから、アセンションの牽引を任されているんだなあとわかるのです。 



人としての想いを大切にしたいですね。 




次元上昇を助ける存在はいくらでもいる。 

だけど 人として生きていないとできないことがある。 

それをこれから創り上げていく。 




感謝の継続2
今まで誰かに頼って生きてきたから 自分で自分の行動の責任が持てない。 
失敗が成長させるきっかけになるのに、失敗したくない。 

失敗が怖いから行動できない。 

自分の行動に自信が持てない。 

人生を歩むについて知らないことやわからないことが多すぎる。 

失敗して恐怖を味わった経験から前に進めない。 
怒られるばかりで教えてもらえなかった経験がある。




これは、女性性が育っていないから起こることです。 


そのような方は、先記事の感謝の継続をお勧めします。 



男性性の強い男性にとっては 男性性が強くない女性を求めるのだと思う。 

だから、仕事ができても謙虚さがある女性か仕事ができなくて自信がない女性でもどちらでも構わないのだと思う。 


主張しない女性ならば。 



女性が主張するから男性はイヤなんだと思う。 


バカになれる女性か心底バカかは、どちらでも構わないのだなあ 



どうせなら、バカになれる女性で居たいものだ。 


家庭的な人が好きという男性は多いですが、何をするから家庭的なのでしょう。 



お料理、お掃除、共に男性性を使うことです。 



お料理が苦手、お掃除が苦手な人もいらっしゃいます。 


そういう人こそ女性的なのです。 







人は女性性と男性性とふたつ持っています。 


ふたつが協力しあってひとりの人格が生まれます。 


男性性の強い女性、女性性の強い男性 というパターンもみられます。 





人というのは、誰にも男性性と女性性があり、霊的成長していくとふたつが統合されていくのです。 


まずは女性性が育てられそのあとに男性性が育てられて統合します。 


ひとりの人間の中で両性が統合されて人となります。 





だから まずは女性性が育てられるようなことが現実的に起こるようになるのです。 


しかし まだ、男性性が育っていない方もおられますし 女性性すら育っていない方もおられます。 


それは 人それぞれ進化の違いはあるものです。 



しかし 女性性が育ち確立されてくると それが完全だと錯覚することがあるようです。 

そして それが完成形だと錯覚して伝える場合があるようです。 


男性性が確立されていないのに統合はあり得ないのです。 



しかし どちらも育っていない方は錯覚を鵜呑みにします。 



書籍やブログなど、人間の成長のことなどを書かれているものは多いですが、間違わないようにしてください。 


結局 わからないから間違うし鵜呑みにするしだまされるのです。 



わからないことがそもそもの原因です。 


だから、感謝の継続をお勧めします。

感謝の継続
毎日のお詣りを続けたり、瞑想を続けたり、日記を書くことを続けたり、グラウディングを続ける。 


欠かさず、続けること。 


これは、人間の内側にある仏心を思い出すことに繋がります。 



毎日、欠かさずに感謝することを続けるのです。 



今まで、誰に支えられて生きてきましたか? 


すべての人に感謝することを欠かさず、続けるのです。 


自分に関わった人、苦手な人、嫌いな人にも感謝することを欠かさず続けるのです。 



それが仏心を思い出す近道です。 


好きな人や親切にしていただいた人にだけ感謝していても仏心は思い出しません。 


継続していてもなかなか進まないという人は人を区別しているからでしょう。 



人は感謝の継続を経て仏心を思い出し感謝がわき上がると自分のやりたいことや生きる目的がわかるようになるようです。 



逆に、やりたいことはたくさんあるけれど 感謝の継続をされていない人も見受けられます。 

そのような方はジャッジが強いようです。 

ジャッジが強いと、感謝の継続は出来ないようです。 

瞑想が続かない、継続することが難しいという傾向がありますね。 


また 権力的な傾向もあります。




感謝は、本来はわき上がるものですが 瞑想やグラウディング、お詣りをすることにより心を育てることで感謝がわき上がるようになるのでお勧めしています。 



瞑想だけではなくても感謝の心を育てる手段はあるので 自分に合ったことをみつけてみてはよいかと思います。 




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