この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 感謝をして生きるということ

喜び
その場所にいないとわからないことってたくさんある。

だけど、人は うわべだけ見て、羨んだり、憧れる。

また 自分とは縁のない場所だと関心すら示さなかったり、到底 無理だと諦める。

諦めたり関心がない人よりも憧れたり羨む人のほうが人間味があって わたしは好きだ。

わざと無関心を装うくらいなら、憧れたり羨む人のほうが素直だと思う。

その場所に立つということは 人とは違った苦労もあるけれど 喜びもそれ以上にあるものです。

喜び

わたしは喜びをもっともっと感じていきたいと思う。

そして この喜びを分かち合っていきたいと思う。


先ほど、わたしは

感謝することは相手の立場になって考えた行動をすることです。


相手の立場とは、自分との関係性を意味します。


自分との関係性を考えた時に何をすればよいのかがわかれば、自ずと答えはでるはずです。



と書きましたが

感謝は、相手を悲しませないことです。


悲しませない努力ですね。



努力の矛先を間違えないようにしてください。

グラウディングできている状態というのを、なかなか言葉で表すのは難しいのですが 地に足をつけているココロモチと言いますか生かされていることに感謝ができていること。。なのかなあ と思います。


自分の自我もそれほどなく、〜したいという想いもなく ただ、生きることに感謝できている状態なのかなあ と思います。



自分の内面と向き合っていくとわかるのですが 向き合っているときは、苦しいのです。


魂の想いに心が押し潰されそうで苦しく辛いものです。


だから そこから逃れたい、早く乗り越えたいって思うわけです。


苦しみがある時はまた、生かされていることに感謝できるよりも自我が強い状態ですので自我がはがされたくなくて必死です。


必死にはがされたくない!としがみついているから苦しいのです。


だから、そんなときは まだまだ、しがみついていたいんだね、と内観をやめることです。


しがみついているのは、まだまだ役割があるからしがみついていたいのです。


そんな自分の状態を知ることですね。


自分の状態を知っていることがグラウディングできている状態と言えるのではないでしょうか?



自分の状態を知ると、自分の力を過大評価もしないので無理なく生きることができるようです。


人に対して無理して奉仕したいとか人に認められたいために役に立ちたいとは思わないものです。

分を知るということです。


自分というものを知りますと、人にあれこれ手は出さなくなるものです。

人に役立つよりも前に人に迷惑をかけずに生きようと思います。


人の手を煩わさないようにしようと努めるものです。



人に対する奉仕は余録でよいとわたしは思います。



それよりも 自分でしっかり立つことです。



よく病気になっから他者への感謝が溢れて、人の役に立ちたい と言われますが、わたしからしたらまだまだ、わかってないな と思います。


本当に感謝が溢れたら、手が出なくなるものなのです。

思いやりは当然あるものですが、役に立ちたいなんて滅相もない。


困っている方に手を差し伸べるのと役に立ちたいというのは違います。


役に立ちたいという想いは思いやりを越えています。


役に立ちたいという想いは欲求ですが、思いやりは無償の愛です。


感謝して、無償の愛がわき上がるのは理解できますが 欲求が溢れるのは理解できないです。


欲求が出るのは、心が満たされない証拠です。


そのように 幾度となく感謝を経験して人は無償の愛がわき上がるようになるのです。


自分を知ること、大切です。



現実を生きるためには、まず 自分を知ることからです。


常に今の自分を知って生きると、無理なく生きることができますよ。

最近のわたしは 主人に 「お前はおかしい」 と言われます。

言われると ムッとはしますが言い返しません。

彼の常識からすると わたしは常識外れだからです。



昨日 わたしは農家のお客さんから白菜3玉大根3本にんじんたくさんいただきました。

それを調理して食べたところ 主人はおいしい!おいしい!と平らげました。

食事の終わった頃、宅配便が届いたので 配達の方に、労いで 白菜2玉と大根1本を差し上げました。

すると 主人が怒り出しました。

「あんなやつにやる必要はない!お前はおかしい!」

お野菜は 土から抜いてきたばかりでとても新鮮でした。
そのため 主人はそれを一人占めしたかったようです。



一人占めしたい人からすると わたしの行為は おかしい!のです。


わたしは 誰にでもホイホイと差し上げます。


美味しいものだったから、特に 新鮮なうちに食べていただきたくて差し上げました。


これは 昔から変わらないのです。

でも 以前は言わなかったけど、最近の主人は言うのです。


以前の主人は我慢していたのでしょうね。

だけど、最近の主人は自分の意見を言うようになってきたのです。

正直、意見されることは好きではないですが 主人が言いたいことを言えるようになってきたのは、良い傾向だと思っています。


自分の意見を言えず、ひねくれていた時よりはマシですから。




人は このように 自分のこだわり、考え、常識を持って生きているようです。


だから わたしの自由さは自分の常識の範疇にないから 「お前はおかしい」になるのです。


一人占めしたい!

という想いは、人や物にたいしての執着です。



あんなにたくさんのお野菜を家族3人で新鮮なうちに食べるなんて難しい話です。

そうやって 差し上げてなくなったら また、新鮮野菜をいただいてこればよいのです。


結局 次にいただけない、入ってこないと思っているから執着するのでしょう。

また 自分からいただきにいくのは恥ずかしいのでしょう。


わたしには恥ずかしいという発想はありません。


それよりも こんなに美味しいのだから みなさんに食べていただきたい想いで一杯です。



はたして わたしのポイポイ差し上げる行為が良い行いなのかはわかりません。


だけど、
農家のお客さんは、頼むでもらって!と言われますし
宅配便のお兄さんは喜んで遠慮なく持っていかれました。


それだけで ありがたいなあ と思えるのです。




神様は 一日に一回は、毎日 ごほうびをくださると 「平等」の記事で書かせていただきました。


それを ありがたいと思って受け取るか誰にも渡したくないと思って受け取るかは、本人次第です。


神様からの恵みを感謝して受け取り それをお返しするのが感謝している者の行動だと思えるのです。


人のためにと自らの命を差し出すことで、人になることを約束される命がある。


昨日は、そう教えられました。


そして その尊い命をいただいた後、わたしたちはどう繋げていくかです。


尊い命たちには犠牲的精神はありません。


尊い命たちは 人のためになり、命を繋げてくれることを望んでいます。


人に喜んでもらいたいという気持ちの中には、喜んでくれた人がその命を受け取って繋げてほしいという願いが込められているのです。



命を繋げてほしいという想いが込められて、命を差し出すのです。。。




感謝を繋げて生きるということがわたしたちの使命ですね。




尊い命を繋げて生きることが感謝をして生きるということですね。

昨日、伊勢えびさんとおしゃべりして 気が付いたのですが


伊勢えびさんや貝やアワビなど お魚さんは、何故 この地球で生きているのかと言うと


人に食されるため。。。

そのために 自らの命を差し出すのです。



食されて、人に喜んでもらうのです。


食されることが使命なのです。


それは何故かと言ったら
喜んで食されると、人間に生まれ変われる権利がもらえるからだと、伊勢えびさんは話してくれました。


命って神秘ですね。。。

人に喜ばれたくて、自らの命を差し出すのです。


わたしたち人間は、その命の恵みを感謝をしていただくのです。



そうして

『いただきます』

という言葉が生まれました。



『いただきます』

という、たった6文字の言葉には、命の恵みの尊さが込められている言葉なのです。




わたしたち人間は、その言葉を ぞんざいに使ってはいないでしょうか?


命をバカにしてはいないでしょうか?


自らの命を差し出す。。。という想いを感じて わたしたち人間は、どう自分の命を使っていけばよいのでしょうか。


誰もが師となる。

また、生物さえも。。。



ありがとうございます。



人生に迷っているのなら

辛い感情よりも

そんな中でも 自分は誰に支えられてきたかを考えてみるのです。


そして その人のお役に立てることを考えていくのです。


そうすることによって、宇宙からのご加護がいただけるのです。


人生はそれからです。


親孝行は居なくなってからでは出来ないのです。

また、支えられてきたのは親ではない方もいるでしょう。


友人、先輩、先生、上司、パートナー。。。


その人たちに喜んでいただくためには 何をしたらよいのでしょうか?


どう接するべきでしょうか?


支えていただいた方のお役に立つためにはどう生きたらよいのでしょうか?


それには まず、計画性を持つことです。


そして、実行するのです。


忍耐も必要となるかもしれません。


だけど 喜ぶ顔が見たいのならできるはずです。



それが あなたの生きる目的になるのです。




また、子育てする基本にもしてくださいね。


これを 教えていけば、まっすぐに育ちますよ。


子供は親を敬い、 親は子供を守るのです。

義務教育の基本でもあります。

あなたは今までどうやって生きてきましたか?


誰に守られて生きてきましたか?



わたしの娘が大学生で、これからの就職先を考えています。


分厚い本を持ち出して、ひとりブツブツ言いながら読んでいます。

たまに、わたしに意見を求めてきました。


そこで わたしが一喝しました。




あなたは今までどうやって生きてきましたか?


あなたは今まで誰に守られて生きてきましたか?

そして、誰に対して貢献したいと思いますか?



人はオギャアと産まれてから、誰かに守られて支えられて生きてきます。


ひとりで生きてきたワケではないのです。


そうしたら、その恩に報いたいと思うのは 当然の人間の感情ではないのでしょうか?


そこを見ずに、都会に憧れて 何が人のためになれるのでしょうか?


『かみさまとのやくそく』の著者である池川先生はおっしゃいます。


人は人の役にたつために生まれてくるのだと。


そして、親を喜ばせたいと。。。




人の役に立ちたいという想いは立派かもしれません。


しかし 人の役に立つためには、今まで守られてきた、支えられてきた人たちを想う気持ちが前提にあってこそです。



ありがとうございます。 感謝しています。

と、口先だけなら誰でも言える。


感謝しているなら、ありがたいと本心で思っているなら 形に表せるべきです。

態度に現れるはずなのです。


人間としての感情を持っているのなら、まずは 守ってくれている人のことを想えるはずなのです。

そしたら、年老いていく親を残して都会に出て働くという選択はしないでしょうし、都会に出ていても 就職は地元でしようと思えるのです。



そういう、人間としての感情を持たない選択をするから 仕事をすぐにやめたり、離婚したり、親を地元に残して自分は都会暮しが出来るのだと思うのです。



人のためになりたい

地球に貢献したいという想いは立派ですが


それは自分勝手な想いです。



人として温かみのない想いです。



そんな人間が何ができるのか!!!




わたしたちは親に守られている以前に、地球やこの自然に守られています。

だけど、地球や自然はわたしたちに 自分たちに貢献をしなさいとは、一言も言わないです。


だから、何も言わずに 住まわせてくれているのです。


その代わりに、直接 携わってくれている人、守ってくれている人を大切にしなさい とおっしゃっています。



これからの人生を考えられる方へ

参考になさってください。




あなたは今まで誰に支えられて生きてきましたか?

感謝をして生きるということ。


生かされてありがたいと感謝の気持ちがわいてくると人は、自分が肉体をまとっていることにたいしての感謝の気持ちがわいてきます。



この肉体を使って、人を抱きしめたり
コミニュケーションを取ったり
駆け寄ったり、キスしたり。。。



肉体があるから、相手のために尽くすことができることを知ります。



わたしたち魂は、肉体があるから 人と触れ合うことが出来るのです。



肉体がなくて、魂のままだったら
ただ、ピカピカ光っているだけの存在でしかありません。



それでは、人と触れ合えないのです。


直接、人の役に立つこともできないのです。



瞑想をして、意識を高めていき 心の浄化をするのは、すべて そのことがわかるためです。



人から離れていくことではないし

世捨て人になることではないし

仙人になるためではないのです。



人は、人の役に立つために生まれてくると 池川明先生はおっしゃいます。


この世に生まれてくることが、人の役に立つためならば、 人の役に立てる人間でいたいと思いませんか?



目で観て、肌で感じて、腕で抱きしめて、足で駆け寄って。。。


そんなことができる肉体を大切にして生きていくことが 感謝をして生きるということですし、


いつまでも、その肉体を使って 継続してお役に立てることが 感謝をして生きるということではないですか?



感謝、感謝と 口先だけの感謝では、相手には響かない。


本当に 気持ちがあるならば 口先だけでなく、手が出るはずだし 身体が寄るはずなのです。




何かしたい!

お役に立ちたい!

と、思うならば。。。。

パフォーマンスにはならないのです。




すべては、心が態度に現れるのです。



人の役に立ちたいと本気で思う者ならば、規則正しく過ごし、自分の身の回りのことや家の掃除はもちろんのこと 自分の身を清めることを最優先に考えるはずです。



人のためになりたいと本気で思うならば、自分を清めて お役に立ちたいと思うはずなのです。


自分を清めて、100%の力を注げる状態に保とうと努力するはずなのです。




わたしは日々、そうやって生きています。


生かされています。



手は抜きたくないから。。。。

今、幸せ とか 悪いことは感じられない と思うようにする発想というのは、 自分の心と向き合っていくうちに、そうなれるものです。


だけど、エゴでコテコテになってる者は そのような発想をしなさいと言われても 〜しなければいけない と思って、大変難しいものです。


だから、アファーメーションを簡単に考えていては、挫折をします。


人には段階があります。


自分には 今、何ができるか。。。?


最初から 難しいことを掲げていても挫折しては逆戻りです。




それと 気になったので、もう一点。


そういう生活を心がけていくと

苦手と思われる人がいなくなります。

そして、たまに逢う人で 価値観の違う人に出逢っても 苦手と感じることなく、なんなく受け入れていくことが出来てきます。



でも それが 人生の最終段階ではないのです。


むしろ、そこからが 人生本番です。



苦手な人は誰もいない。 毎日を楽しく暮らせるようになった。。。


それ自体が、地球に根差して生きていないから、真剣に生きていないから。。。だとしたら?



人類の進化は無限です。

わたしたちは気楽に生きられるために生まれてきたわけではないようです。


人には段階があります。


そこに到達しないと、見えてこないことが多々あります。




今は、瞑想したり 意識を高めたりして そのように、苦手な人とコミニュケーションを取らなくてもいいような運命の流れになっているかもしれませんが そこにプカプカ浮いていないようにしてください。


浮いていると、足元を掬われます。



もっと、真剣に生きてください。


命あることに目を向けてください。



生かされてありがたいと感じて生きることは、生きることに貪欲になることなのです。



それが すなわち 感謝をして、生きるということなのです。

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