この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 感謝をして生きるということ


先日 お会いしたその道の方の言葉でもうひとつ感銘を受けたのが 

「この道を学んで、人生に生かすことをしてもらいたい」 

でした。 



そうです、人はある知識を得たとしても、それを自慢したり自己主張の道具にしたがるもので 自分の生活に役立てようとか生かそうと思われる方は少ないように感じます。 




実生活に役立てることはとても大切に感じます。 


わたしたちが義務教育で習ってきた勉強も同じで算数、数学自体も実生活に生かせるものですし 理科や社会も。。。 


話しは逸れてしまいましたが、


学んだことを実生活に生かすことが出来ないのは、実生活に生かそうとする工夫する頭がないことよりも 競争心の方が勝るからだと思います。 



自分の生活を豊かにすることよりも人に勝つことの方を大切に感じている人が少なくないからだと思います。 



勝ち負けにこだわるということですね。 



資本主義というのは人を競わせて勝った人が経済的に優位になるためにつくられたシステムですがそれはもう崩壊してきてるのです。 


なぜなら 負け組と言われる人が増えてその人たちがまとまりコミニュティーを作りはじめているからです。 


勝ち負けにこだわるって古くて、時代は変わってきています。 




未だに勝ち負けにこだわり学んだことを自己満足のために利用したり自慢の道具にするのは止めて実生活に生かすことを考えてみませんか?  




勝ち負けでなく自己成長のために、実生活に生かしましょう。 



今まで学んだ知識を本当に自分のために使うのです。 


人にシェアすることはもちろんですが、知識を知識だけでなく、身につけていきましょう。 






わたしがさせていただいているのは、わたしの知識を誰もが身につけていけるようにすることです。 

わたしは、自分が持っているものすべてを生かして生きています。 



だから わたしはお喋りなのです^^

人との関係において『ありがとう』という言葉の重みってあると思うんだよ。


同じ『ありがとう』と言われて、

心を込めて伝えてくれているんだなあ

って思える人と

ありがとうって言葉だけ言っているだけで 、心から言ってるんじゃないんだな
ってわかる人がいるんだ。



わたしはその人の言葉を聞いたり、見ただけで心がわかるんだ。



だから、わたしは『ありがとう』の重みを伝えられる人でありたい。




いつも、ありがとう。





ままのまま


人よりも優位に立ちたい思いや人を見下してる人、人の揚げ足取る人、ジャッジ激しい人、人に認められたい人って周りに大勢います。 


SNS上にもいます。 




そんな気持ちがあるならどんどん人を押し退けて前に出ればいい。 


認めて、認めて〜って叫べばいい。 


隠さずに前に出ればいい。 


いい人ぶらなくて言いたいこと言えばいい。 



自分は努力とは無縁だという態度で上から透かして見てるのって、ただの負け犬の遠吠えとしか見えないんだ。


自分が負けて悔しいなら努力すればいい。 




人はそこに立たないと見えない景色がある。 


それを体感するために、人は肉体を持って生きている。 


そこに立ったこともない人が憶測で言えるようなことなどひとつもない。


苦しさも辛さも切なさも喜びも、そこに立った者でないとわからない。 



心だけ見つめていたのでは到底わからない景色。 

一歩も踏み出してもいない者には到底わからない景色。 


足を一歩でも踏み出さないとわからない景色がある。 



自分で何も決めれない意気地無しや何ひとつ成就したことない人にはわからない景色がこの世には溢れている。 


晴れた日に永遠が見える。


この世界にあるすべてのものは感謝に溢れている。。





内側からわき上がる感謝を感じると、心がじ〜んとしてくるね。 



ありがとう。 

ありがとう。 



どれだけ口にしても足りないくらい、ありがとうが溢れ出す。 






『感謝』と一口に言うけれど、その根底には敬う心が隠れてる。 




そのため、その想いを形にしようと動くとき、その感謝の想いが体に浸透されて手足が動かされていく。 



それが謙虚さになる。 




溢れ出した感謝は謙虚さに変化して形作られるんだ。 







「ありがとう」だから、どうするの? 





「ありがとう」という溢れ出した想いを流れ出したままにしない。 


それは、わたしの命だから。 




それが感謝を感じて生きるということ。 


感謝を繋げるということ。





「ありがとうございます」という言葉は、有ることが容易ではないものを頭の上に掲げて頭を下げて頂戴するということを差します。 


有ることが容易ではないということは、本来なら無いものなのです。 


本来なら無いものが有るのです。 


それってどういうことなのでしょう。


不思議なことです。 
魔法なのかしら? 


本来なら無いものが存在していて、存在しているだけでなく自分にいただけるのです。 


だからこそ「ありがとうございます」と、言葉を発して、頭を下げて『感謝』申し上げるのです。 



「ありがとうございます」 
という言葉はそんな意味があるのです。 




本来なら、有ることが難しいものだから、頭を下げて(掲げて)頂戴する。 



頂くものは、それだけ神性さがあり貴い(尊い)ものなのです。 


「ありがとうございます」と頂いて、どこかに放置して腐らせたりすることは、「ありがとうございます」の言葉に恥じる行為です。 

口先だけで 「ありがとうございます」を使っている人が多いです。 




「ありがとうございます」と頂戴したなら、その時限りでなく、美味しかったとか役立ちましたとか、言えるはずなのです。 


『感謝する』とか『感謝して生きる』ということは、そう出来て当たり前のことなのです。 


その時、「ありがとうございます」と頂いたら 次にお会いした時に、もう一度、お礼がてら報告するのは当たり前のことなのです。 



「ありがとうございます」と頂いたなら、出来て当たり前のことです。 


出来ないなら、頂かないことです。 


相手に失礼です。 




どうして君は不平不満を言うの?

どうして君はあれが嫌い、これが嫌いって言うの?

空はこんなに青いのに、太陽はこんなにも 僕たちを照らし続けてくれるのに

それだけでもありがとうって思えることなのに

今、君は ご飯が食べれなくて困ってるの?

今、君は 死の恐怖におののくような戦場にいるのかな?

ちょっと 考えてごらんよ。

ご飯が食べれて、暖かいお布団で眠れて。。。

何が 不満なの?

寂しい?

君が壁を作っているからだよ。

好きな人に愛されたい?

君が君自身を愛していないからだよ。

自分の問題を他人にすり替えちゃいけないよ。

空はこんなに青いのに、太陽はこんなにも、暖かく包んでくれるのに
それを 当たり前にして 不幸探しをしたいのかな?

自分の不幸を自慢したいのかな?

この地球が、太陽が、大地が 君を包んでも それを当たり前にして 不幸探しを続ける限り 君は幸せにはなれないよ。

すぐ天を仰げば、愛を光を照らしてくれる。

私たちを 包んでくれる。

愛してくれる。

君は、この光を感じないの?

君は、この愛を感じないの?

ここに 生かされていることに感謝しよう。

私たちは愛されている。

私たちは守られている。



今、現代に生きている人は

『地球に感謝ができない』

という 障害を持って生まれてきている と感じるのは わたしだけだろうか?





やたらと、「ありがとうございます」を使う人がいる。 



何に、「ありがとうございます」なの? 


何に、感謝してるの? 

目的は?意図は? 



真剣に生きてる人に向かって、意味不明な感謝ほど不愉快なものはない。 


感謝をバカにするなと言いたい。



有ることが難しいと思っていないでしょ。 

有ることを当たり前にしてるでしょ。 

当たり前に受け取ってるから、いい加減な気持ちで扱う。 

丁寧に、大切に扱わない。
大切に扱わないから、汚れたらすぐに捨てる。

使い捨てですか? 



無償の愛を使い捨てする人には、その本質の想いは届かない。 


有ることが難しいから頭の上に乗せて賜ろうと想わない人には、本質の想い=真実は受け取れないし、届かないものです。 



「ありがとうございます」という言葉は軽々しく使うものではありません。


 実際、思いやり溢れた人となって人間生活送るのは至難の技なのです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



とはいっても 普通に、思いやり溢れてみえる人っているものです。 


神対応?される人。 


そういう人を観ると、つい 自分と比べてしまうのです。 


そういう人って 軽々、この世界を生きてるように見えるものです。 


実際、軽々 生きてるのですが ただ、軽い♪だけだったりする。 


深く考えずに生きてる。 
人に迷惑かけても、自分は思いやり溢れた人だからと 迷惑かけてることがわからない。 


そんな人を人は思いやり溢れた人だと称賛するから気づかない。 



実は、迷惑かける人と思いやり溢れると言われている人は紙一重なのです。 


そこを見習う人が増えていますね。。。 



思いやりなくてもいいのです。 


自分を知って、正直になってくださいね。 



本当に、思いやり溢れた状態で生きるというものは、人として生きていくのが辛いものです。 


辛く苦しいものです。


人に対しての不満は人一倍あるのに 人に対しての思いやりや謙虚さがまるでない人がいます。 

それでいて、神様仏様事をされている。 


自分は思いやり溢れた人だと錯覚している。 


そろそろ、自分の思いやりのなさを認める時期にきている。 




思いやり溢れる人は良い人だ。 

思いやり溢れることは素晴らしい。 



わたしは、そうは思わない。 


思いやりって、心からわき上がるものだし いつもいつもわき上がっていたら、人として生きるのに苦労するよ。 


結局、不満があるのは 思いやりで満たされる自分になりたい、とか 人から称賛されたい という気持ちがあるからだと思う。 

でも 実際、思いやり溢れた人となって人間生活送るのは至難の技なのです。 


そんなこと考えずに、思いやりない自分でもいいじゃないかと自分を認めていたら、正直に生きていると称賛されて、嬉しくなって 心が温かくなり、思いやりが溢れるものです。 


いつもいつも思いやりがわき上がっていたら まっすぐ歩けなくなるよ♪ 



そういうものだよ♪

日々、命のあることに感謝して粛々と生きる。 




昨日の天皇陛下のお言葉を拝聴して、そう感じました。 



今までは、天皇陛下が現人神として存在してくださっていましたが、退位されることで その役目を終えられます。 


次に続く皇太子様には継承されずに終わります。 

それは どういうことかというと 誰もが、現人神となって生きていく世の中になっていくことを指します。 



誰もが、現人神になって生きていくのです。 



そのためには、毎日 命のあることに感謝して粛々と生きていくのです。 


現人神である天皇陛下に頼っていた時代は終わろうとしています。 



神様は良い子にはプレゼントをくださいます。 

わたしは、それを預かりますから。


わたしがこの人に力を貸してあげたいと思うことがありますが、神様から許可されないことは、わたしは出来ません。 



わたしは神様に忠実に動かされます。 


わたし、個人の想いがあっても忠実に動かされます。 





わたしは、日々、わたしを動かされていきたいと願って生きています。 



願って生きています。 




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