この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 自分がどこに向かっているかわからない人


『壁を作っているのは、自分であって、恐いんですよね。
でも、それでも進んでいく勇気があるので、いつの間にか超えていた、、と言う毎度なんです。

こうして振り返ると、私が乗り越えられるレベルの壁しか目の前にないんだなあと、思います。
出来ないと言う選択はないんですね。』


自分で壁を造っては越え、造っては越えを繰り返してる。 


毎度毎度のことなのでこんな言葉が出るようになり嬉しく思います。 




しかし この壁ですが どれくらいの大きさなのかわからないです。 


わからないから恐怖心が増す。 




わたしが最初、大きな壁にぶち当たったのは6年前のことでした。 


というよりも それまで10年以上も越えられなくて、とても怖くて、でも迫ってきていて居たたまれなくて、今はないけど 岐南町にたこ焼やさんを営んでいたi神様のところに入り浸っていました。 


そこでいつも会う高校生の坊やにもグチグチ話していたのです。 


そしたら 坊やが「ねーさん、壁なんて案外小さいものかもしれないよ」と。 


それで一大決心して越えてみたのです。 


そしたら その壁、小さすぎて跨いだに過ぎなかった💦 


でも それから、わたしの人生が変わり始めました。 




壁ってホントに自分で造り出してるに過ぎないのだなと感じる。 


そして 越えてみないと、その大きさもわからないし越えた後の景色もわからない。 


越えてみて感じるのは、何も自分は変わらない。 

超人ハルクみたいになっちゃうわけでもないしゾンビにもならない←たぶん😁 




越えても越えても自分自身は変わらなくて 自分じゃないものだけ剥がれていく。 








何故、恐怖心を持ってしまうかというと 

『わからないから』 

これに尽きると思います。 




理解出来ないから怖い。 


漠然と恐怖心だけ持っている人って少なくないですね。 



フルネーム鑑定などわたしと話をされて楽になったと言われるのは、たぶん ワケわからない恐怖心の紐解きをするからかもしれません。 


内観、自分を見つめる作業は まず、そこを越えてからなのです。 




得体の知れない恐怖心があったら 自分見つめなんて出来ないものです。 




わたしが立ち話し程度で人と会話するのは、その恐怖心を紐解くからなのかもね。 

笑い飛ばして終わり😄 




気持ちが楽になる〜ってそんなところから。 




わたしと話すことで恐怖心が紐解けたり和らぐなら、いつでも話しはさせていただきます。 



そんな時のお代はいただかないですよ。 



それくらいの紐解きは日常茶飯事ですから。 






人は、自分自身のしていることに誇りを持ちたいから、悩み、苦しむ。 


自分自身を大切に扱いたいし、大切に扱われたいから、悩み、苦しむ。 



悩み、苦しむのは、自分を大切にしたい証しなんだ。 



悩み、苦しんだ結果、自分自身の尊厳が立ち上がる。 



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今は、そんなエネルギーの真っ只中に居る人が多いように感じます。 




つい、先日まで 外に出ていたわたしがここ2、3日は家に隠っています。 


わたしは、掃除機と同じで 人の邪気を吸いとる役目があります。 


吸いとって良いエネルギーに変えるのです。 


そうやって、世の中を浄化しています。 



そのため、ここ2、3日は謎の苦しみに苦しんでいました^^ 



わたしは、大いなる存在に遣われている身だから、直接 何をしているかはわからないくて、すべてが後付けでわかります。 

そろそろ、そんな世の中の浄化が終盤を迎えるため、息が出来るようになってきました。 



そのため 昨日は、謎の発言を連発していましたね。 お許しください。





『自分自身のしていることに誇りを持ちたい』 


そのために、内側にあるこだわりが溶かされていっているのですし、わたしが吸いとっているのです。 




安心してくださいね。 


何があっても、良い方にしか動かない。




ままのまま 





自分のことを言うのもアレなのですが、わたしはよく人を見ています。 


くまなく見ています。 


観察力があるからなのかどうかはわかりませんがよく見ています。 

だから、視野が広いです。 



さっきの記事で、わたしは親切だと書きましたが、たぶん 親切だからよく見るし観察力もあるし視野が広いのだと思います。 


人に親切にすることは頭で考えることではなくて 自分そのものがそう動く、つまり身に付いているのです。 


親切が身に付いているのです。


要は、癖つけです。 



言われても頭で考えないとできないのは身に付いていないからです。 


これが育ちというものです。 


わたしの親切は生まれ持ったものでもあるとは思いますが、育った環境を考えるとうなずける部分はあります。 


うちの親もドがつく程の親切な人でしたから。 


それを見てきて育ってきているので、同じように育っています。 


だから、これが当たり前なのです。 



そこそこ家庭でのしつけがあるので、当たり前が違うのは当然ですね。 



だから 何がなんでも、とは思いませんが 
子育てする際には、そういうことを気をつけられるとよいかと思います。 


そのほうがお徳を受け取ることにも繋がるのでお勧めします。 



そうすると、お徳=恵みに感謝できるようになりますよ。 



特別なことをしなくても恵みをいただけて感謝を感じるようになりますよ。 



それは、日々の心がけですね。 



自分がどうしたらよいかわからない、どう生きたらよいかわからないと言われる方は、善行をされていないからではないでしょうか? 




今からでも、遅くないですよ。ぜひ、お勧めします。


自分に自信がないって人と比べてるってことだよね? 


比べなきゃ、自信があるもないもないやん。 


誰に支持するかを選択するかで変わると言われるけど、誰を支持しようとしまいが、自分が決断して進むだけやん。 

今の旦那よりも違う人のほうが頼りがいがあっていいって、自分は頼りにならないのかよ、と言いたい。 

誰といても、自分を生きていたら人生は変わらない。 

自分の人生なのだから。 


何をしたらいいかわからない、何を信頼していいかわからない って、信じるものがないからでしょう。 

自分を信じていないからでしょう。 

自分が自分を信じていないから定まらないし揺らぐのでしょう。 


だったら 自分の目の前の人の言葉や教えをしっかりと信じるだけやん。 


まずは、信じてみる。 


間違いなら気付かされる。 


違っていたら、違うものを信じてみる。 


そうやって生きると、知らないうちに 信じている自分のことを信じられるようになってくる。 


それだけのことやん。



まずは、目の前にある教えを信じてみるだけやん。


『なぜだかわからない自信過剰な自分』 


これは言い換えてみると『魂の尊厳』『気高さ』だとわたしは感じています。 


なぜなら わたしの尊厳を傷つけてくる相手には反射的に牙を剥いてしまうからです。 


これは反射的にです。 

止められないし止めようとも思わない。 




最近、家庭内で 
わたしが人を表現する言葉を、人はわたしが悪口を言ってると錯覚されることがあります。 

例えば、わたしがAさんのことを「Aさんは黒だね」と言ったとします。 
すると 人からわたしがAさんの悪口を言ったと言われるのです。 


わたしは黒も白も良いも悪いもないと思っていますが、人は黒は悪くて白は良いという観念を持っていたりします。 

そうすると、その人からするとわたしが悪口を言っていると捉えられてしまうのです。 


わかっているので外ではやりませんが 家庭内で言われます。 

家庭内だからめんどくさいと感じてしまいます。 

黒でも白でもバカでもアホでも良くも悪くもないのです。 

本質は認めているから。

側なんて何色でも構わないのです。 

洗えばきれいになるし不意につけられて自分が気づかない場合もあるし。 

本質さえ観えていたらそれでいいと思うのです。 

だけど わたしの本質を砕いてくるヤツは容赦ない。 


人には、本質がまったく見えない人と本質が見えるのにそれを無視して側しか見ない人がいます。 

本質が見えない人にはしないですが見えてるのに関わらず無視して側しか見ない人には、反射的に牙を剥いてしまいます。 

これは、『なぜだかわからない自信過剰な自分』という力の使い方を間違えてしまうことでもあるのです。 


元は、受け入れたり許す力があるため強いパワーがあるので、使い方を間違えると大惨事になってしまいます。。。 


原発と同じです。 


そうです、そうです。 

つい、先日 わたしは 反射的に牙を剥いてしまいました。。。 



これは、わたしの元に集まる人のテーマだと思います。 



『なぜだかわからない自信過剰な自分』 

というのは、人を裁きたがります。 

また 認められたい気持ちが強いです。 

だけど その術がわからなくて悶々とします。 


認められたくなくて隠れている人もいます。 




なぜだかわからないけど自分の底力を感覚でわかっているんです。 


だから 適当なの。 


でも その適当さが通用しない人や場所があるのです。 


そういう人にたいして、感覚だから ハッキリと物が言えないのです。 


だから 乱暴を働いたり暴言を吐くこともあります。 


想いが言葉に出来ないのです。 


だけど、『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから威張ったり図に乗るのです。 


謙虚さがないのです。


『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから、バカにされることを異常に嫌がりますし心が傷つきます。 


この辛さをわかってくれたり癒してくれる人を求めてさ迷います。 


癒してくれる人を見つけるやいなや依存します。


依存が得意です。 


でも、『なぜだかわからない自信過剰な自分』があるから 人を見限ることもします。 


質が悪いのです。 


だから 仲間はいらない。 
一匹狼でいることを望みます。 



そして、『なぜだかわからない自信過剰な自分』は、どんな仕事も納得できないしバカにしてしまい優劣をつけてしまいます。 


自分の力はこんなものじゃない!と思ってしまいます。 


でもね その力って実は、実際の仕事で発揮させるものではないのです。 


それは何かというと、その力は『受け入れる』という力だからです。 

パワーの使い方を間違えている人が多いです。 




『なぜだかわからない自信過剰な自分』のパワーは、『受け入れる』『許す』という力なのです。 


『受け入れる』『許す』というパワーがあるから、成し遂げることができるのです。 






わたしは2013年頃から内側に繋がるようになり 生きていくために必要なことを教えられて ブログに書くようになりました。 


そして その存在をままのままと呼んでいます。 


ままのままの言葉を指針として成長してきました。 


この自分がままのままと呼んでいる存在はいったいなんだろう?と疑問がわき いろいろと調べたこともあります。 


しかし どれだけ調べても自分自身だとしかわかりません。 


わたしのマスターなのです。 


だから わたしはままのままを信頼しています。 


信頼し過ぎているくらいです。 


そうすると 待ったが入りました。 


信頼し過ぎは良くないのです。 


妄信してしまうからです。 


それに このままのままという存在も進化しているからです。 


ままのままという存在自体が宇宙根源と繋がってはいますがイコールではないということです。 


ままのままはアセンダットマスターのひとりなのだと思います。 


わたし自身は今はまだアセンダットマスターではありませんから。 

でも、アセンダットマスターがするようなことも求められています。 




それが 人々に向けて書いているブログやメールアドバイスです。 



わたしは、その記事の中で日記を書くことをお勧めしています。 

また、反省することや論理的思考を持つこと。 



これが 今の人間が自分の根源宇宙に確実にアクセスする方法なのです。 


だから、しつこく書いてます。 



先記事でわたしはとてつもなく自由だと書いていますが その自由さを持ってこの地上で楽しく生きるためのアイテムがこの論理的思考や反省することなのです。 



今は瞑想がクローズアップされていますが 根本は、論理的思考や反省するために必要なだけです。 



また 先記事でも書きましたように、わたしは一本ヒモを持たせておけばいかようにも遊びますと書いたように、本来ならわざわざ瞑想をしなくても論理的思考や反省はどんな情況でもできるものなのです。 



どんな情況になっても論理的思考を持ち、反省すれば成長できるし生きていけるのです。 



どんな情況でも、今の自分の何が間違いなのだろうか?という反省の心を持つことで その場を切り抜けていけるものなのです。 



窮地に立たされた時こそ、自分の何が間違いなのだろうか? と考えてみてください。 


そこで、救いの手が伸びて 気づかされるはずです。 



わたしたちは 魂で繋がっている同志です。 



心を強く持ってください。 





誰にも必要な気付きがおきますように。 




誰もが神と共に居ます。 

わたしの願いが叶えられますようにと、毎日、心願成就を祈願しています。




やりたいことが見つからないと言っている人たちは たぶん、、、、


今の現状が、自分の描いている人生と違う、というところなのだと思います。


それは、基本的なことができていないから 思い描いた生活じゃないのではないですか?


だから、今 基本的なことを学んでいる最中だけど 自分自身が納得していないから、今の仕事も今の現状もつまらない。


基礎がないから、何もできないし、好きなことが見つからない。

自分の可能性が感じられない。


という状態だと思うのです。


だから 現状打破するために 成功体験を積み上げていくことなのでしょうが

最近、ブログを読んでいると

「ワクワクすることをしよう!」や「自分の好きなことをしよう!」というワードに惹かれて、自分では現状打破のつもりが現実逃避している人が増えています。



結婚していてもつまらないからと離婚してみたり、転職を繰り返したり
学ぶ精神がないのです。



自ら学ぼうという精神がないと、学びはやってこなくて不満しかないのです。


癒しが足りない、というのは言い分けなんです。



先日の記事で、これからは実践する時代だと書きましたが、これから実践から逃げる人も多くなります。


逃げても実践はつきまとうものだし、なくならないのです。。。



結局は、やりたいことが見つかっても、できる自分になっていないからやりたいことが見つからないのです。



現実を見たくないから、見たくない現実を見ない現実が作られるのです。


また 昨日書いた記事で、すぐに聞く人 ですが 学びがなくても人に聞こうという意欲は良いと思うのです。

進もうとする意欲の表れです。


それよりも、人に聞いてはいけない、頼ってはいけない、自分の内側に聞かなければいけない と思ってる人のほうが危険です。

自分の内側から導き出したい気持ちはわかりますが、わたしからしたら余裕だな、暇なんだな、と思います。


真剣さがないというか。

だから わたしは聞かれたら答えます。


自分の内側を見つめるという作業は一生かけて行うというものではないのです。 そこは早く済ませて、自分本来の目的を思い出し魂を発揮させていくことが人生の本題なのです。

内観は目的ではなくて手段なのです。


内観はさっさと済ませて、魂を発揮することが生まれてきた目的なのです。


やりたいことが見つからないながらも、目の前に起きてることに向き合い行動することで魂は発揮されているものです。

枠がいらないなんて、自分がどれほど 枠に愛されて守られているのかわからないから言えるのだと思います。


今まで自分をつくってきた枠をいらないものだと考えるのは、 感謝のない者の考え方だとわたしは思うのです。


枠を超えたいなら、愛することなのです。


今まで自分をつくってきた枠に感謝できないから責任感が生まれないのでしょう。



わたしは 今までブログの中で いらないものは何もないと書いてきています。


それは 自分自身を愛することだからです。


その時に必要だったから、枠があったのです。


必要ないものは存在できない。


枠をいらないものだと考えるということは その時の自分を否定することなのです。


この世界において いらないものは何もない。



感謝とは、わきあがる感情だから 感謝できないというのは仕方ないことですが 感謝できない と、できないままでいることは 自分自身を見限ることだと思います。



今まで自分をつくってきた枠を愛し、感謝できるようになることで 本当の自由を得るのです。




わたしは、わたしの意思で 枠の中に入って生きてる人間です。

今まで自分を縛ってきた枠を出入り自由な枠に変えてきました。



とてつもなく、わたしは自由です。


枠を愛するから、わたしは自由なのです。

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