この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 自分がどこに向かっているかわからない人

ここ56年、読んでいたスピリチュアル系のブログがあるのですが、

その方は宇宙人に洗脳されていたのかなあと感じています。


というのは、3年ぐらい前、やたらと日本の未来はこうなっていくと予測して書かれていたので、それをわたしは信じていたのですが、結局はそのようにはなっていません。


その方はブログで大衆心理を巧みに操り、そのような現実にしていこうとされていたんだな、ということに最近、やっと気付いてきました。


たぶん、低い波動の宇宙人に洗脳されていたのでしょう。


確かに、その方が書かれていた現実は、信憑性があったし、経済界ではそのように言われていました。


これから進んでいくわたしが感じている未来とは全く違っているため、自分の感覚が間違っているのか〜と何度も何度も精査していましたが、いつのまにやら、その宇宙人は沙汰されていったように思います。


まあ、わたしの感じている現実では、ですけどね。



話は変わりますが、いかにも波動が低いというかオカルトかという話題を聴いてもまた、その場の中にいても、平然として居られるのは、何かがおかしい証拠です。


何かがおかしいから、聴かされた話しやその場の雰囲気がおかしいことに気づかないのだなあと思いますが。


何かおかしいと、一瞬感じたなら、その感覚を信じてくださいね。


今はあちらこちらに、わけわからない人はたくさんいますから、自分のおかしい!と感じた感覚を信じて離れてくださいね。


波動が合わない人とは離されると言いますが、

闇の深い人は仲間を欲しがりしつこく付きまとってくるのでそういう人からは離れないといけません。


わたしの場合は、心は受け入れる気があっても、体が受けつけない体質ですので、行きたいなあ〜会ってみたいなあ〜と思っても体が動かないし跳ね除けます。だから、自ずと厳選されてます。


そして、付き合う人や選択するもので運はとっても変わるので、厳選することをお勧めします。



「わからない」という発言は 

自分の気持ちがわからない 

ということなんだな。 



自分の気持ちを突き止められないから、わからない。


ぐらついていても、わからない。 




わたしは、言ってることが毎回違うと、以前言われていたことを思い出しました。 


わたしは揺らいでる様を素直に伝えていただけだったのですが それが相手を混乱させていたように思います。 


また、あなたはどうしたいの?の問いに
「正直に話したら却下される」と思い込んでいたから、答えられなくて相手から激怒されることはしょっちゅうでした。 

あの頃のわたしは、
却下されて落胆したくないので、結局、うやむやに済ませることしか出来なかったことも思い出しました。



その行為は、まさに自分に嘘をついている行為だから、とても辛かったなあ〜 


その時の辛い気持ちがあるから わたしは相手を問い詰めてでも 相手に嘘はつかせたくないと思うのです。 



自分に嘘をつくと 胸が詰まって苦しくなって 磁石が鈍くなる。。。 




そんな過去のわたしを思い出しました。 



その後 自分の状況を打開したくて、嫌われても自分の主張を貫く実践をしてきました。 


自分は楽になるけど相手には迷惑をかけました。 
ホント、周りに迷惑をかけてきました。

でも、そこから、感謝が芽生えてきました。 


相手に迷惑をかけてかけてかけまくってきたから、相手に思いやりを示せるようにもなったのです。。。 




自分の気持ちがわからないと 
このように、自己主張して 迷惑をかけることも出来ないのだなと感じています。 



自分の気持ちを知ることって大切ですね。



最近では わたしが相手の気持ちを引き出そうとしても、相手からトンチンカンな返答が返ってくることがあり、落胆することありますが、
トンチンカンな返答は その人なりの防御反応なのだなあ、と思えるのです。昔のわたしみたいに。 



あなたはどうしたいの? 


その問いかけは、 

あなたを責めているわけじゃなくて 
あなたを引き出したい想いがあることを知ってくださいね。 


『壁を作っているのは、自分であって、恐いんですよね。
でも、それでも進んでいく勇気があるので、いつの間にか超えていた、、と言う毎度なんです。

こうして振り返ると、私が乗り越えられるレベルの壁しか目の前にないんだなあと、思います。
出来ないと言う選択はないんですね。』


自分で壁を造っては越え、造っては越えを繰り返してる。 


毎度毎度のことなのでこんな言葉が出るようになり嬉しく思います。 




しかし この壁ですが どれくらいの大きさなのかわからないです。 


わからないから恐怖心が増す。 




わたしが最初、大きな壁にぶち当たったのは6年前のことでした。 


というよりも それまで10年以上も越えられなくて、とても怖くて、でも迫ってきていて居たたまれなくて、今はないけど 岐南町にたこ焼やさんを営んでいたi神様のところに入り浸っていました。 


そこでいつも会う高校生の坊やにもグチグチ話していたのです。 


そしたら 坊やが「ねーさん、壁なんて案外小さいものかもしれないよ」と。 


それで一大決心して越えてみたのです。 


そしたら その壁、小さすぎて跨いだに過ぎなかった💦 


でも それから、わたしの人生が変わり始めました。 




壁ってホントに自分で造り出してるに過ぎないのだなと感じる。 


そして 越えてみないと、その大きさもわからないし越えた後の景色もわからない。 


越えてみて感じるのは、何も自分は変わらない。 

超人ハルクみたいになっちゃうわけでもないしゾンビにもならない←たぶん😁 




越えても越えても自分自身は変わらなくて 自分じゃないものだけ剥がれていく。 








何故、恐怖心を持ってしまうかというと 

『わからないから』 

これに尽きると思います。 




理解出来ないから怖い。 


漠然と恐怖心だけ持っている人って少なくないですね。 



フルネーム鑑定などわたしと話をされて楽になったと言われるのは、たぶん ワケわからない恐怖心の紐解きをするからかもしれません。 


内観、自分を見つめる作業は まず、そこを越えてからなのです。 




得体の知れない恐怖心があったら 自分見つめなんて出来ないものです。 




わたしが立ち話し程度で人と会話するのは、その恐怖心を紐解くからなのかもね。 

笑い飛ばして終わり😄 




気持ちが楽になる〜ってそんなところから。 




わたしと話すことで恐怖心が紐解けたり和らぐなら、いつでも話しはさせていただきます。 



そんな時のお代はいただかないですよ。 



それくらいの紐解きは日常茶飯事ですから。 






人は、自分自身のしていることに誇りを持ちたいから、悩み、苦しむ。 


自分自身を大切に扱いたいし、大切に扱われたいから、悩み、苦しむ。 



悩み、苦しむのは、自分を大切にしたい証しなんだ。 



悩み、苦しんだ結果、自分自身の尊厳が立ち上がる。 



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今は、そんなエネルギーの真っ只中に居る人が多いように感じます。 




つい、先日まで 外に出ていたわたしがここ2、3日は家に隠っています。 


わたしは、掃除機と同じで 人の邪気を吸いとる役目があります。 


吸いとって良いエネルギーに変えるのです。 


そうやって、世の中を浄化しています。 



そのため、ここ2、3日は謎の苦しみに苦しんでいました^^ 



わたしは、大いなる存在に遣われている身だから、直接 何をしているかはわからないくて、すべてが後付けでわかります。 

そろそろ、そんな世の中の浄化が終盤を迎えるため、息が出来るようになってきました。 



そのため 昨日は、謎の発言を連発していましたね。 お許しください。





『自分自身のしていることに誇りを持ちたい』 


そのために、内側にあるこだわりが溶かされていっているのですし、わたしが吸いとっているのです。 




安心してくださいね。 


何があっても、良い方にしか動かない。




ままのまま 





自分のことを言うのもアレなのですが、わたしはよく人を見ています。 


くまなく見ています。 


観察力があるからなのかどうかはわかりませんがよく見ています。 

だから、視野が広いです。 



さっきの記事で、わたしは親切だと書きましたが、たぶん 親切だからよく見るし観察力もあるし視野が広いのだと思います。 


人に親切にすることは頭で考えることではなくて 自分そのものがそう動く、つまり身に付いているのです。 


親切が身に付いているのです。


要は、癖つけです。 



言われても頭で考えないとできないのは身に付いていないからです。 


これが育ちというものです。 


わたしの親切は生まれ持ったものでもあるとは思いますが、育った環境を考えるとうなずける部分はあります。 


うちの親もドがつく程の親切な人でしたから。 


それを見てきて育ってきているので、同じように育っています。 


だから、これが当たり前なのです。 



そこそこ家庭でのしつけがあるので、当たり前が違うのは当然ですね。 



だから 何がなんでも、とは思いませんが 
子育てする際には、そういうことを気をつけられるとよいかと思います。 


そのほうがお徳を受け取ることにも繋がるのでお勧めします。 



そうすると、お徳=恵みに感謝できるようになりますよ。 



特別なことをしなくても恵みをいただけて感謝を感じるようになりますよ。 



それは、日々の心がけですね。 



自分がどうしたらよいかわからない、どう生きたらよいかわからないと言われる方は、善行をされていないからではないでしょうか? 




今からでも、遅くないですよ。ぜひ、お勧めします。



自分に自信がないって人と比べてるってことだよね? 

比べなきゃ、自信があるもないもないやん。 


誰に支持するかを選択するかで変わると言われるけど、誰を支持しようとしまいが、自分が決断して進むだけやん。 

今の旦那よりも違う人のほうが頼りがあっていいって、自分は頼りにならないのかよ、と言いたい。 

誰といても、自分を生きていたら人生は変わらない。 

自分の人生なのだから。 


何をしたらいいかわからない、何を信頼していいかわからない って、信じるものがないからでしょう。 

自分を信じていないからでしょう。 

自分が自分を信じていないから定まらないし揺らぐのでしょう。 


だったら 自分の目の前の人の言葉や教えをしっかりと信じるだけやん。 


まずは、信じてみる。 


間違いなら気付かされる。 


違っていたら、違うものを信じてみる。 


そうやって生きると、知らないうちに 信じている自分のことを信じられるようになってくる。 


それだけのことやん。



まずは、目の前にある教えを信じてみるだけやん。


『なぜだかわからない自信過剰な自分』 


これは言い換えてみると『魂の尊厳』『気高さ』だとわたしは感じています。 


なぜなら わたしの尊厳を傷つけてくる相手には反射的に牙を剥いてしまうからです。 


これは反射的にです。 

止められないし止めようとも思わない。 




最近、家庭内で 
わたしが人を表現する言葉を、人はわたしが悪口を言ってると錯覚されることがあります。 

例えば、わたしがAさんのことを「Aさんは黒だね」と言ったとします。 
すると 人からわたしがAさんの悪口を言ったと言われるのです。 


わたしは黒も白も良いも悪いもないと思っていますが、人は黒は悪くて白は良いという観念を持っていたりします。 

そうすると、その人からするとわたしが悪口を言っていると捉えられてしまうのです。 


わかっているので外ではやりませんが 家庭内で言われます。 

家庭内だからめんどくさいと感じてしまいます。 

黒でも白でもバカでもアホでも良くも悪くもないのです。 

本質は認めているから。

側なんて何色でも構わないのです。 

洗えばきれいになるし不意につけられて自分が気づかない場合もあるし。 

本質さえ観えていたらそれでいいと思うのです。 

だけど わたしの本質を砕いてくるヤツは容赦ない。 


人には、本質がまったく見えない人と本質が見えるのにそれを無視して側しか見ない人がいます。 

本質が見えない人にはしないですが見えてるのに関わらず無視して側しか見ない人には、反射的に牙を剥いてしまいます。 

これは、『なぜだかわからない自信過剰な自分』という力の使い方を間違えてしまうことでもあるのです。 


元は、受け入れたり許す力があるため強いパワーがあるので、使い方を間違えると大惨事になってしまいます。。。 


原発と同じです。 


そうです、そうです。 

つい、先日 わたしは 反射的に牙を剥いてしまいました。。。 



これは、わたしの元に集まる人のテーマだと思います。 



『なぜだかわからない自信過剰な自分』 

というのは、人を裁きたがります。 

また 認められたい気持ちが強いです。 

だけど その術がわからなくて悶々とします。 


認められたくなくて隠れている人もいます。 




なぜだかわからないけど自分の底力を感覚でわかっているんです。 


だから 適当なの。 


でも その適当さが通用しない人や場所があるのです。 


そういう人にたいして、感覚だから ハッキリと物が言えないのです。 


だから 乱暴を働いたり暴言を吐くこともあります。 


想いが言葉に出来ないのです。 


だけど、『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから威張ったり図に乗るのです。 


謙虚さがないのです。


『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから、バカにされることを異常に嫌がりますし心が傷つきます。 


この辛さをわかってくれたり癒してくれる人を求めてさ迷います。 


癒してくれる人を見つけるやいなや依存します。


依存が得意です。 


でも、『なぜだかわからない自信過剰な自分』があるから 人を見限ることもします。 


質が悪いのです。 


だから 仲間はいらない。 
一匹狼でいることを望みます。 



そして、『なぜだかわからない自信過剰な自分』は、どんな仕事も納得できないしバカにしてしまい優劣をつけてしまいます。 


自分の力はこんなものじゃない!と思ってしまいます。 


でもね その力って実は、実際の仕事で発揮させるものではないのです。 


それは何かというと、その力は『受け入れる』という力だからです。 

パワーの使い方を間違えている人が多いです。 




『なぜだかわからない自信過剰な自分』のパワーは、『受け入れる』『許す』という力なのです。 


『受け入れる』『許す』というパワーがあるから、成し遂げることができるのです。 






わたしは2013年頃から内側に繋がるようになり 生きていくために必要なことを教えられて ブログに書くようになりました。 


そして その存在をままのままと呼んでいます。 


ままのままの言葉を指針として成長してきました。 


この自分がままのままと呼んでいる存在はいったいなんだろう?と疑問がわき いろいろと調べたこともあります。 


しかし どれだけ調べても自分自身だとしかわかりません。 


わたしのマスターなのです。 


だから わたしはままのままを信頼しています。 


信頼し過ぎているくらいです。 


そうすると 待ったが入りました。 


信頼し過ぎは良くないのです。 


妄信してしまうからです。 


それに このままのままという存在も進化しているからです。 


ままのままという存在自体が宇宙根源と繋がってはいますがイコールではないということです。 


ままのままはアセンダットマスターのひとりなのだと思います。 


わたし自身は今はまだアセンダットマスターではありませんから。 

でも、アセンダットマスターがするようなことも求められています。 




それが 人々に向けて書いているブログやメールアドバイスです。 



わたしは、その記事の中で日記を書くことをお勧めしています。 

また、反省することや論理的思考を持つこと。 



これが 今の人間が自分の根源宇宙に確実にアクセスする方法なのです。 


だから、しつこく書いてます。 



先記事でわたしはとてつもなく自由だと書いていますが その自由さを持ってこの地上で楽しく生きるためのアイテムがこの論理的思考や反省することなのです。 



今は瞑想がクローズアップされていますが 根本は、論理的思考や反省するために必要なだけです。 



また 先記事でも書きましたように、わたしは一本ヒモを持たせておけばいかようにも遊びますと書いたように、本来ならわざわざ瞑想をしなくても論理的思考や反省はどんな情況でもできるものなのです。 



どんな情況になっても論理的思考を持ち、反省すれば成長できるし生きていけるのです。 



どんな情況でも、今の自分の何が間違いなのだろうか?という反省の心を持つことで その場を切り抜けていけるものなのです。 



窮地に立たされた時こそ、自分の何が間違いなのだろうか? と考えてみてください。 


そこで、救いの手が伸びて 気づかされるはずです。 



わたしたちは 魂で繋がっている同志です。 



心を強く持ってください。 





誰にも必要な気付きがおきますように。 




誰もが神と共に居ます。 

わたしの願いが叶えられますようにと、毎日、心願成就を祈願しています。




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