この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 自分がどこに向かっているかわからない人


人は、自分自身のしていることに誇りを持ちたいから、悩み、苦しむ。 


自分自身を大切に扱いたいし、大切に扱われたいから、悩み、苦しむ。 



悩み、苦しむのは、自分を大切にしたい証しなんだ。 



悩み、苦しんだ結果、自分自身の尊厳が立ち上がる。 



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今は、そんなエネルギーの真っ只中に居る人が多いように感じます。 




つい、先日まで 外に出ていたわたしがここ2、3日は家に隠っています。 


わたしは、掃除機と同じで 人の邪気を吸いとる役目があります。 


吸いとって良いエネルギーに変えるのです。 


そうやって、世の中を浄化しています。 



そのため、ここ2、3日は謎の苦しみに苦しんでいました^^ 



わたしは、大いなる存在に遣われている身だから、直接 何をしているかはわからないくて、すべてが後付けでわかります。 

そろそろ、そんな世の中の浄化が終盤を迎えるため、息が出来るようになってきました。 



そのため 昨日は、謎の発言を連発していましたね。 お許しください。





『自分自身のしていることに誇りを持ちたい』 


そのために、内側にあるこだわりが溶かされていっているのですし、わたしが吸いとっているのです。 




安心してくださいね。 


何があっても、良い方にしか動かない。




ままのまま 





自分のことを言うのもアレなのですが、わたしはよく人を見ています。 


くまなく見ています。 


観察力があるからなのかどうかはわかりませんがよく見ています。 

だから、視野が広いです。 



さっきの記事で、わたしは親切だと書きましたが、たぶん 親切だからよく見るし観察力もあるし視野が広いのだと思います。 


人に親切にすることは頭で考えることではなくて 自分そのものがそう動く、つまり身に付いているのです。 


親切が身に付いているのです。


要は、癖つけです。 



言われても頭で考えないとできないのは身に付いていないからです。 


これが育ちというものです。 


わたしの親切は生まれ持ったものでもあるとは思いますが、育った環境を考えるとうなずける部分はあります。 


うちの親もドがつく程の親切な人でしたから。 


それを見てきて育ってきているので、同じように育っています。 


だから、これが当たり前なのです。 



そこそこ家庭でのしつけがあるので、当たり前が違うのは当然ですね。 



だから 何がなんでも、とは思いませんが 
子育てする際には、そういうことを気をつけられるとよいかと思います。 


そのほうがお徳を受け取ることにも繋がるのでお勧めします。 



そうすると、お徳=恵みに感謝できるようになりますよ。 



特別なことをしなくても恵みをいただけて感謝を感じるようになりますよ。 



それは、日々の心がけですね。 



自分がどうしたらよいかわからない、どう生きたらよいかわからないと言われる方は、善行をされていないからではないでしょうか? 




今からでも、遅くないですよ。ぜひ、お勧めします。


自分に自信がないって人と比べてるってことだよね? 


比べなきゃ、自信があるもないもないやん。 


誰に支持するかを選択するかで変わると言われるけど、誰を支持しようとしまいが、自分が決断して進むだけやん。 

今の旦那よりも違う人のほうが頼りがいがあっていいって、自分は頼りにならないのかよ、と言いたい。 

誰といても、自分を生きていたら人生は変わらない。 

自分の人生なのだから。 


何をしたらいいかわからない、何を信頼していいかわからない って、信じるものがないからでしょう。 

自分を信じていないからでしょう。 

自分が自分を信じていないから定まらないし揺らぐのでしょう。 


だったら 自分の目の前の人の言葉や教えをしっかりと信じるだけやん。 


まずは、信じてみる。 


間違いなら気付かされる。 


違っていたら、違うものを信じてみる。 


そうやって生きると、知らないうちに 信じている自分のことを信じられるようになってくる。 


それだけのことやん。



まずは、目の前にある教えを信じてみるだけやん。


これは、わたしの元に集まる人のテーマだと思います。 



『なぜだかわからない自信過剰な自分』 

というのは、人を裁きたがります。 

また 認められたい気持ちが強いです。 

だけど その術がわからなくて悶々とします。 


認められたくなくて隠れている人もいます。 




なぜだかわからないけど自分の底力を感覚でわかっているんです。 


だから 適当なの。 


でも その適当さが通用しない人や場所があるのです。 


そういう人にたいして、感覚だから ハッキリと物が言えないのです。 


だから 乱暴を働いたり暴言を吐くこともあります。 


想いが言葉に出来ないのです。 


だけど、『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから威張ったり図に乗るのです。 


謙虚さがないのです。


『なぜだかわからない自信過剰な自分』がいるから、バカにされることを異常に嫌がりますし心が傷つきます。 


この辛さをわかってくれたり癒してくれる人を求めてさ迷います。 


癒してくれる人を見つけるやいなや依存します。


依存が得意です。 


でも、『なぜだかわからない自信過剰な自分』があるから 人を見限ることもします。 


質が悪いのです。 


だから 仲間はいらない。 
一匹狼でいることを望みます。 



そして、『なぜだかわからない自信過剰な自分』は、どんな仕事も納得できないしバカにしてしまい優劣をつけてしまいます。 


自分の力はこんなものじゃない!と思ってしまいます。 


でもね その力って実は、実際の仕事で発揮させるものではないのです。 


それは何かというと、その力は『受け入れる』という力だからです。 

パワーの使い方を間違えている人が多いです。 




『なぜだかわからない自信過剰な自分』のパワーは、『受け入れる』『許す』という力なのです。 


『受け入れる』『許す』というパワーがあるから、成し遂げることができるのです。 






わたしは2013年頃から内側に繋がるようになり 生きていくために必要なことを教えられて ブログに書くようになりました。 


そして その存在をままのままと呼んでいます。 


ままのままの言葉を指針として成長してきました。 


この自分がままのままと呼んでいる存在はいったいなんだろう?と疑問がわき いろいろと調べたこともあります。 


しかし どれだけ調べても自分自身だとしかわかりません。 


わたしのマスターなのです。 


だから わたしはままのままを信頼しています。 


信頼し過ぎているくらいです。 


そうすると 待ったが入りました。 


信頼し過ぎは良くないのです。 


妄信してしまうからです。 


それに このままのままという存在も進化しているからです。 


ままのままという存在自体が宇宙根源と繋がってはいますがイコールではないということです。 


ままのままはアセンダットマスターのひとりなのだと思います。 


わたし自身は今はまだアセンダットマスターではありませんから。 

でも、アセンダットマスターがするようなことも求められています。 




それが 人々に向けて書いているブログやメールアドバイスです。 



わたしは、その記事の中で日記を書くことをお勧めしています。 

また、反省することや論理的思考を持つこと。 



これが 今の人間が自分の根源宇宙に確実にアクセスする方法なのです。 


だから、しつこく書いてます。 



先記事でわたしはとてつもなく自由だと書いていますが その自由さを持ってこの地上で楽しく生きるためのアイテムがこの論理的思考や反省することなのです。 



今は瞑想がクローズアップされていますが 根本は、論理的思考や反省するために必要なだけです。 



また 先記事でも書きましたように、わたしは一本ヒモを持たせておけばいかようにも遊びますと書いたように、本来ならわざわざ瞑想をしなくても論理的思考や反省はどんな情況でもできるものなのです。 



どんな情況になっても論理的思考を持ち、反省すれば成長できるし生きていけるのです。 



どんな情況でも、今の自分の何が間違いなのだろうか?という反省の心を持つことで その場を切り抜けていけるものなのです。 



窮地に立たされた時こそ、自分の何が間違いなのだろうか? と考えてみてください。 


そこで、救いの手が伸びて 気づかされるはずです。 



わたしたちは 魂で繋がっている同志です。 



心を強く持ってください。 





誰にも必要な気付きがおきますように。 




誰もが神と共に居ます。 

わたしの願いが叶えられますようにと、毎日、心願成就を祈願しています。




枠がいらないなんて、自分がどれほど 枠に愛されて守られているのかわからないから言えるのだと思います。


今まで自分をつくってきた枠をいらないものだと考えるのは、 感謝のない者の考え方だとわたしは思うのです。


枠を超えたいなら、愛することなのです。


今まで自分をつくってきた枠に感謝できないから責任感が生まれないのでしょう。



わたしは 今までブログの中で いらないものは何もないと書いてきています。


それは 自分自身を愛することだからです。


その時に必要だったから、枠があったのです。


必要ないものは存在できない。


枠をいらないものだと考えるということは その時の自分を否定することなのです。


この世界において いらないものは何もない。



感謝とは、わきあがる感情だから 感謝できないというのは仕方ないことですが 感謝できない と、できないままでいることは 自分自身を見限ることだと思います。



今まで自分をつくってきた枠を愛し、感謝できるようになることで 本当の自由を得るのです。




わたしは、わたしの意思で 枠の中に入って生きてる人間です。

今まで自分を縛ってきた枠を出入り自由な枠に変えてきました。



とてつもなく、わたしは自由です。


枠を愛するから、わたしは自由なのです。

やりたいことがみつからないときってあります。

わたしは、ずっと やりたいことがみつからないでいました。


やりたいことがみつからないと 何をしたらよいかわからなくて、考えてもわからなくて ぼけっとしちゃいます。


やりたいことがみつからないときは 何をやっても虚しいです。


人が羨ましく思えてきます。


友達もいないし、人生がつまらないです。



わたし、よく そこから抜け出せたなあ〜と思います。


どうやって そこを抜け出せたか といったら。。。


取り合えず、手当たり次第やってみたのです。


絵を描くこと。

歌を歌うこと。

ばか騒ぎすること。

人に迷惑かけること。。。。。

あらゆることをしてきました。


虚しいと感じて、部屋にこもっているのではなくて とにかく、なんでもやってみたのです。

三日坊主でもいい。

一日坊主でいい。

心が満たされなくても手当たり次第やってみたのです。


そうすると、やっと自分の『好き』がわかるようになってきたのです。


こんな大人になってからですが、砂場で砂遊びをしたりしてました^^


子供を連れて、遊んでいました。


滑り台やブランコも乗って遊びました。



人というのは、段階があるのです。


小学生では小学生の遊び 中学生では中学生の遊び 高校生では高校生の遊び 大学生では大学生の遊び と 段階を踏んでいないと、大人になると戻ってやりたくなるものです。

中、高とおとなしくて、大学生のうちから社会人に憧れて、大人の付き合いを覚えてしまうと 大人になってから、中高でできなかった付き合いがしたくなるものです。


お外でお砂場遊びはきちゃないからダメよと親から躾られた子供は、大人になってから やりたくなるものです。


規制されてきた、我慢してきたことがあると 人は 結果、大人になってから 戻ってやらなければいけないようになっていて そうしないと心が納得しないのです。


心が納得しないと前には進めないものなのです。

要は、心を納得させることが大切なのです。



心が納得したら、本当の自分のやりたいこと、使命に気づきます。



本当の自分のやりたいこと、使命に気づくために、心を納得させていくのです。



やりたいことがみつからないのではなくて、我慢し過ぎてわからなくなってるのです。



だから やりたいことがみつからないと感じていても 手当たり次第、手をつければよいのです。


子供がいたら、子供と一緒に野原を走り回ったり、遊具で遊んだり〜


ひとりの時は、ひとりカラオケに行ったり、あてもなくさ迷ったり。。。


意味不明でもなんでもやってみることです。


いい大人なんだから、恥ずかしい とか 自分を制限させない。



自分を制限させない ってこんなことからです。


嫌いなものは食べない、嫌いなことはやらない。

自分の好きがわからなくても 嫌いはわかると思う。


嫌な人には会わない。

近づかない。



そんなことから、始めてください。

思いやりを持ちましょう
人はその場所に立ってみないとわからないことがありますね。


責任感もなく自由をこよなく愛している人がわたしをみたら なんてがんじがらめに生きているんだろうと思われるかもしれません。


今までわたしは、責任感もなく自由を求めて生きてきた体験を経て、今のわたしは幸せだと感じています。


魂の求める幸せというものは責任感の上に成り立つものなのだと今、実感しています。


責任感を持って生きている幸せは、安定していて 他者を見守ることができているものなのです。

自由でいることや開放的でいることは、それはそれで素晴らしい感覚を得ることはできますが、心からの安定感は得られないのだと思います。


誰かを想い、誰かを敬う心こそが心からの安定を得るのだと思えるのです。


責任のない人生は糸の切れたタコのようで、どこに飛ばされるかわからない不安定なものです。

思いやりは責任感を生みます。

思いやりを持ちましょう。

責任感を持ちましょう。



ここ最近、立て続けに娘の友達が家に遊びにきていて、なかなかと忙しくさせていただいております。


話をしていて感じることがあります。


それは 若冠、22歳でありながら人に気を使うなあということです。


「人に受け入れてもらえない」前提で、話をしてきます。

面食らいました。

わたしは「相手を受け入れる」前提で話をするからです。


若冠22歳ですよ。。。


わたしは「相手を受け入れる」し「人に受け入れてもらう」前提で話をします。

だから 最初は、???されます。
でも、気付くのでしょうね。わたしが受け入れていることに。
だから、何でも話をしてきます。



わたしになら、 とよく言われるのは そういうことなのかなあ と今さらわかりました。



わたしは 対相手しか相手を観ることができないので 世間的なことは疎いです。



「人に受け入れてもらえない」前提での会話というのは、話しづらいでしょうね。



小さい頃は親に受け入れられて育てられたと思うのですが 外の世界を知るうちに無意識にそのようになっていくのでしょう。



わたしは相手がわたしを受け入れる前提で話をしますが 相手から受け入れられなくても傷付きません。

それは、人に受け入れてもらえないことが悪いことだと思ってないからです。

でも 受け入れてもらえないことが悪いことだと思っている人は傷付いたり悲しんだりするのだと思います。

だから、防衛反応で「人に受け入れてもらえない」前提で話をするのでしょうね。



人は傷つきたくないのですね。


傷付くのを怖れているのです。



わたしは光りが強いため根性込めて、隠していないと火傷をさせてしまいます。


これからも、ど根性!で隠して、温かい光りを灯していけるように努力させていただきます。

自分の本当に探しているものは、外側にはないよ。


アメブロだってFBだって
ただ、皆がそれぞれ発信しているだけの場所なんだよ。


そこには、自分の探しているものはないよ。


自分の探しているものは、内側にしかない。


言い替えれば、内側にある。



内側にあるんだ。




あなたの内側には何がありますか?

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