人生は、魂よりも自分の意思を優先して歩むものなのですが その意思を魂に委ねることによって より幸せに歩むことができるのだと思います。
自分の意思全開で進むのは、自分のエゴ全開で進むことにもなるので お試しが降ってくることも多いですね。
その場合には、そこと向き合って乗り越えていけばよいのですが、どちらかというと人は、お試しを避けて通りたい気持ちがあるようで エゴ全開で進むよりも、諦める方が多いように思います。
さて この魂に委ねて生きるということはどういうことかを書きたいと思います。
例えば、 〇〇〇に行きたいと思っていたけれど、電車がストップしたから、これは出掛けてはいけないというサインだから無理強いして行かないようにする。。ということをよく聞きます。
進んではいけないという時にはサインが必ずありますが、それを見逃すと とんでもないことがおきますね。
しかし、エゴ全開でいると、無理強いして出掛けていこうとします。
自我が強いのです。
やりたい!が強過ぎて、失敗するのです。
逆に、もともと自我がそれほど強くない人は、諦めも早いです。
この場合は、魂に委ねているというよりも欲が少ないというだけなのです。
注意していただきたいのは、欲が少ないからすぐに諦めることができるだけで魂に委ねた人生を歩んでいるわけではないということです。
ただ、欲がない ことと魂に委ねることは、違います。別物なのです。
確かに、魂に委ねる生き方をするときには 欲はほとんどなくなりますが、だからといって 欲のない生き方=魂に委ねる生き方ではないのです。
なぜなら、魂に委ねる生き方をするときには、必ず 自分を律することを求められるからです。
必ずです。
欲がなくなったから、楽だ〜 とは、思えないのです。
自分を律するとは、誰に言われるわけでもなく、自らがつくった箱に自分をすっぽりとおさめる作業です。
それを継続して行うことなのです。
終わりはありません。
魂に委ねて生きることは、自分を律して生きることなのです。
自分の意思が魂に委ねると決めたのです。
冒頭にも書きましたが、優先されるのは、自分の意思です。
決して、魂自らが指揮を取るわけではないのです。
自分の意思で魂に委ねると決めて、自らつくった箱に自分を入れて歩むことが魂に委ねる生き方なのです。
自由奔放に生きることが魂に委ねる生き方ではないということを覚えておいてくださいね。
どんな生き方をしても自由です。
魂はわたしたちの自由意思を尊重します。