この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 瞑想

平穏な心を持ちましょう

目を瞑り、
意識を深く、深く 内面に落としていきます。


自分は何者でもない。

地球の一部。




わたしたちの心の中には、必ず 神が宿っています。




神と対話を致しましょう。





静寂な中に、身を置くと それだけで、神に包まれます。



暖かく、爽やかな風が頬を撫でます。


周りの空気が 螺旋を描き、変化します。




神に包まれる心地よさを感じてください。




それだけで

自分の中にある神聖さに気付きます。




そして 命を宿します。。。




宿した命があなたのエネルギーを使って、発進されます。




怖れるものは何もない。
この世界は、平和へと導かれることを知るでしょう。。。



自分自身がどれだけ素晴らしい存在かを知ることができるでしょう。。。


私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)



私の親しい人々が幸せでありますように

私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい人々の願いごとが叶えられますように

私の親しい人々にも悟りの光が現れますように

私の親しい人々が幸せでありますように(3回)



生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)



私の嫌いな人々も幸せでありますように

私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように

私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように


生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように


お金の観念を外す呼吸法をお教えしたいと思います。 

その名を、出したら入ってくる、与えたら入ってくる、呼吸法です。


まず 背筋を伸ばし足を肩幅ぐらいに広げて立ちます。 


次に、両手を上に上げて手を組んで背伸びをします。


背伸びをしたら、そのまま両手を下ろし、後ろで組みます。 


組んでから、手を離します。


そうすると 胸が開いている状態になります。 


それが呼吸法の基本姿勢となります。 


後ろで組んだ両手を離し、お腹に手を添えます。 
そこで、『出したら入ってくる。与えたら入ってくる。』と、唱えてください。


その状態で、口から10秒間 息を吐きます。 


息を吐いている時に、お腹を引っ込めてください。 (手を添えているとやりやすいのです) 


そして、2秒間 息を止めます。 


そのあと 鼻から息を10秒間吸ってください。 吸っているときは、お腹を膨らまします。


そして、2秒間、息を止めてから、また息を吐きます。



『出したら入ってくる。与えたら入ってくる。』と、唱えながら 続けてください。 



毎日、朝晩 20分ぐらい行ってくださいね。 



お金の観念が外れていき、出すこと=与えることの恐怖心がなくなっていきます。 



お金の観念が外れると、自分磨きすることに罪悪感を持たなくなりますし、与えること=人のためにすることが惜しいと思わなくなりますよ。




ぜひ、お試しください。 


また、ままのままの瞑想と合わせてされると効果的です。 


思考って 頭の中のおしゃべりなのね。


でね
頭の中のおしゃべりを止めて
感覚。。。

感じると



智恵が出てくるんだよ♪



だから

考えずに
感じる♪感じる♪感じる♪
感じることに集中!してると


智恵が湧いてきて、


一件落着になるのです。



感じることに集中するって、目の前に起こっていることを一生懸命に取り組むことなんですよ。




思考と智恵のお話しでした。




『智恵』
目の前に起こっていることを意識化し、理解すること。
ただ『わかる』こと。
相手の気持ち 状況 理由 原因を悟ること。


自分という存在は唯一の存在であって、誰かと同じではないのです。 


だから 外側を探してもわからない。 

参考にはなるけどわからないのです。 




最近では、自分探しをする人が多いですね。 

自分が何者か知りたい。 自分の使命が知りたい。 自分が何をしたいのかわからない。 
自分がどう生きてよいのかわからない。 



すべて 外側にはなくて内側から答えが現れてくるものですね。 



自分が感じたことや放った言葉に注目してください。 


なぜ、そう感じたのか?なぜ、そう言ったのか? 


それを突き詰めていくと、『自分』が現れてきます。  


それを突き詰めていくことが、瞑想です。 





悩みを持つと、誰かに相談したくなったり 頼りたくなるものです。 

だけど それがきっかけにはなるけれど、それだけではない。 

そのきっかけから、どう掘り下げていくかなのです。 

それで答えが出るものです。 

自分で答えを導き出すことが自信になります。



自分で答えを導き出しましょう。 




目の前の人や周りにいる人に優しくされないときは、自分がごう慢になっている証拠です。

内観をして、自分の心をみつめましょう。


瞑想をしましょう。

なぜ、瞑想をすると良いと言われるかといったら、自分自身を客観的に見ることができるようになるからです。


日本人は特に、共感力が高くて 人の想いに入り過ぎてしまう傾向があります。

また 共感力が高いことが良いと言われることもあるので 逆に、客観的に見ることをあまりしないのですね。


共感力が高いと 人の気持ちに敏感になるが故に 相手の気持ちを自分の気持ちに同化しやすいのです。
結果、相手の気持ち=自分の気持ちになってしまいます。


そうなると 客観的に見ることができなくなって 正常な判断ができなくなるのです。


また 共感されたい気持ちを持つ人は多いです。

だから、好かれたい気持ちのある人は人に共感してしまいます。


人に寄り添える人にないたい。。と言われるヒーラーさんも多いですね。


頼られたい、人の役に立ちたい と思うから、人に寄り添いたいと感じ、より共感してしまうのでしょう。

結果、入りすぎて 自分を客観的に見ることができなくなるようです。



以前のわたしがモロ共感力が高い人間でした。


しかし、内観浄化を経て、客観的に見ることが日常になった今は、人にさほど共感することはなくなりました。


だから、共感されたい人からは わたしは嫌がられます。


共感するようなことを言わないから。
わざと言わない^^
言ってもらいたいんだなあ というのはわかるけど、あえて言わない。
だから、嫌われるの。


共感力高い人は客観的に見る人は嫌いなのです。




この共感力と客観力って相反するのです。




瞑想をして、客観的に自分を見ることができるようになり、本当の自分と対話をしていくと 今まで見えていなかったことがわかるようになりますね。


昨日の記事の日記を書くこともひとつです。




昔のわたしは 共感されたい人間だったし共感力も高かったから、人からは好かれていました。

だけど、共感されても、物事は解決できないのです。

やはり、客観力は必要です。

だから、共感力はなくなったけど 客観力はあるから、まあ、いいかあ〜とも思うけれど、 それではいけないようで共感力を戻していくようになされるようです。


自分の肉体ですが、天の想いになすがままです。


そうやって わたしは使われていきます。

自分が神聖な存在であることを思い出すことって必要だなあ とふと、思いました。



この世間の波動に埋もれていると、自分の神聖さを忘れてしまっているのではないかなあ と思います。



わたしはよく、「わたしに出来ないことはない」と言いますが、神聖さを思い出すと、そう思えるのです。


だから、つい 調子に乗りすぎて自己主張全開になるときもありますが( ̄▽ ̄;)


そんなときは、人間をしっかりかぶらなきゃ、、、、。わたしには出来ないことはないのだから。

と思い直すのです。




このように、人として反省することと神聖さを思い出すことはセットなんです。



反省を極めると、神聖さが顔を出すのです。



何事も極めることです。



瞑想は神聖さを思い出すことと反省をすること、両方の意味があるのだとわたしは思います。



わたしはこのように つい、人間であることを忘れてしまうので 反省をすることが多いです。


(*^O^*)


人は瞑想をすると気づきが生まれます。


瞑想というと 静かな場所で目を瞑って自分の魂と会話をする というイメージがありますが 人によっては静かな場所で目を瞑る環境にない方もいらっしゃいますし、瞑想は苦手と言われる方もいらっしゃいます。


気づきって 静かな場所で目を瞑らないと起きないことではないのです。

気づきは、何かに集中している合間に起きるものなのです。


ふっと力が抜けた瞬間に起きるものなのです。



いつも、気を抜いている時に起きるものではなく 集中力と集中力の合間に起きるものなのです。



わたしはグラウディングは教えていますが瞑想は教えていません。


それは グラウディングは集中力をつけるために必要なことだからです。


グラウディングをして集中力がつけば、瞑想をしなくても気づきを得ることができるからです。


静かな場所で目を瞑らないと気づきが起きないわけではないのです。




確かに 日常生活で常に我慢を強いられていたり、仕事に追われている人には、静かな場所で目を瞑って瞑想をすることはリラックスが出来、前に進む意欲が生まれると思います。

しかし いつも、ボーとしていて、気持ちがふわふわしている人にとっては 静かな場所で目を瞑る瞑想はよりふわふわしてしまうため不向きなのです。

また 楽器を弾いたり歌を歌ったり絵を描いたりすることも集中力を高めるため瞑想なのです。



だから 静かな場所で目を瞑ることだけが瞑想ではありません。




自分に合った瞑想法を見つけていただきたいと思います。

前を向いて 目の前のことに取り組んでいても、自分を信じていないと不安になるようです。


確かに、目の前のことに集中して取り組むと現象化は早いです。


だけど 現象化がしないからと 不安になったり諦めるのは違うのです。



不安になった時は
本当に自分は集中してやっているのか?を自分に問いてください。


そうすると きっと、集中していない、一生懸命さに欠ける自分に気づくはずです。


そこで 気づいたなら、集中力を高めて 取り組めば 必ず、良い結果に繋がります。


最善の結果を出すことができます。




普段、だらけている人は 集中力が必要で
普段 集中力を使う仕事をしている人は リラックスが必要です。

切り替えが大切なのです。
ON、OFFが必要なのです。


人によっては切り替えができてる人、できていない人がいて また、だらけている人、集中しまくってガチガチに固まっている人がいて 誰ひとり同じじゃありません。

だから、個別で教えるのです。


その時の状態を見て、わたしは判断します。

本人はわかっていない。

自分のことを見れていないから。


自分のことをきちんと見れていない人は 自分がだらけているのか集中しているのかをわかっていません。



頑張らなくてもいいのです と、発言する人ほど、だらけていますから、集中力がなくて 大きなミスをおかします。


そして また、大きなミスをおかしたにも関わらず、問題視しないため 改善がみられず、成長はできません。



最近のスピリチュアルな人たちって 明らかに問題視して改善していくべきことを 問題視しない傾向があります。


それは 次元が上がっているから とわけのわからない定義を持ち出されているからです。


しかし 地球の波動が上がっているのに 自分の波動が上がらないのは 努力が足りないからです。


地球の波動が上がれば 自動的に人間の波動が上がるものではないのです。

そこを間違えている人が非常に多すぎる。


地球の波動が上がったところで 人間の波動は上がらない。


地球の波動は上がっているのに人間の波動が上がらないのは、改善しないからです。


問題点を問題視して改善することで ひとつひとつクリアしていき 自分自身の波動を上げることができるのです。



確かに、改善する という次元は 二元性の世界に存在しますが
改善したならば、次元はあがるのです。


問題点を問題視しているだけでは次元は上げることはできません。


ひとつひとつ、出来ないことを出来ることにしていくことにより、自分の次元を上げることができるのです。


その努力を怠っているから、人間の次元が上がらないのです。



そして
問題点を問題視して改善していく際に 集中力がものを言うわけですが
心の中に負の感情があると 集中力の邪魔をします。


集中しようとしているにもかかわらず、不安や恐怖心があると 集中しにくいです。



そのために 負の感情と向き合い、感情を手放す必要があるのです。




負の感情がないほうが 集中力が高まりますから、仕事がはかどるのです。




だから わたしは仕事中にも関わらず、ブログをアップできるのです(ただいま、仕事中^^)



仕事をしているときは 感情は一切、働かないので 頭からっぽ状態ですから 手が勝手に動くし、勝手に頭が仕事の段取りをし始めます。


一度に幾通りのことができるようになります。


普通に 仕事をしているなら そんな幾通りのことはできなくても良いですが 集中力がつけばつくほど 仕事は早くなりますので、余暇も増えて、だらける時間がつくれます。



職人の技♪って 集中力の賜物ですよね?



草ぬきひとつするときにでも ダラダラするのではなくて 二時間なら二時間と その時間だけ無心になり草を抜き続けるのです。



それが 瞑想でありグラウディングであり集中力です。




普段 だらけた主婦よりも 仕事を持っている主婦のほうが 時間の使い方が上手いですし 集中力があります。



いかに 毎日を集中して生活するかで 人生が変わってきます。


難しいことではないのです。



メリハリのある生活をすればよいだけのことです。



難しいことではありません。

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