この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 自由

今の世の中、多種な人達がいて、世間的には叩かれているような人達が集まってコミニュティをつくったりしている。


それを最近の風潮では認められるようにもなってきたり また、その自由さに憧れる人も出てきています。



自分らしく生きることに憧れ
自由に生きることに憧れる風潮もあります。



そんな中で、保守的な人達も多いです。



どんな人生も間違いはないのです。


自分らしく生きられればそれに越したことがないのです。



自分らしく=自由
または、自分らしく=個性

だと思っている人も多いのだと思うのです。


本当は、自分らしく≠自由、個性なのです。




自分らしくって自分軸があることです。


自由、個性ではないのです。



ただ何にも考えずに、個性を大切に、自由に、生きている人は 自分らしさをわかっていない人です。


だって 自分軸があるということは、自分基準があるからです。



なんでもOKではないのです。



まずは知り分別がわかってこそです。


わかってこその自由、個性です。


知り分別がつかない人が多いのでは?と思います。



『自分』をしっかり持っている人は流されることもないです。


人の意見に左右されるのは自分がない証拠です。

だったらどうしたらいい?
と聞かれたら、譲れないなにかを持つこと なのかもしれません。


強情とも違います。
人の意見を聞かない。

とも違います。


柔軟ながら芯はあるのです。


そのために 芯である『生きがい』を人は求めるのかもしれないですね。


だけど その生きがいも人によって大小さまざまです。


そこは、自由で良いのです。




芯があっての自由、緩さは 人を笑顔に導くと思います。


それが思いやり、気配りと言われるものだと思います。


柔軟な芯を持って生きているだけで 自分らしく生きることができて それが人のためになるのです。



わざわざ 〇〇のため、人のためと思わなくても 自分軸を持って生きていさえすれば それが人のためになるのです。

感じたことを感じたままに〜
そうそう、去年の仕事やめた辺り、大きなことが起きて、わたしはかわいそう!って気分を味わいどっぷり浸かっていました。 


メソメソ泣いたり怒りを書きなぐったり相手を罵ったりしてました。 

「わたしはかわいそう」をしっかり味わいたかったんですな♪ 

一週間ぐらいどっぷり浸かって、急にアホらしくなって止めた。 



だって、わたしはかわいいんだもん♪ 

そんなこと気にする女子ではないの♪ 

なんでものみこみ許すのがわたしってモンよ♪



これが本来の姿なのです。 


だけど、たまにはかわいそうを演じてみたくなる〜 


暇だから? 


そんなことを地球生活の楽しみとしています。 

ご愛嬌ですわ♪ 



上にいる宇宙の仲間たちはそんなわたしを、またやってる〜と呆れてみてるんだと思います。 



感じたことを感じたままに、素直に表に出す♪ 


それがわたし♪ 



自由に生きてるね〜と言われます♪ 




おなかがすくと暴れる〜♪ 


自分を制限しないってこういうこと♪ 

自由に生きるってこういうこと♪ 



ムカついたら怒ればいい♪ 
出せば納得する♪




今、わたしたちは誰もが自制心を試されています。 


と先記事で書きましたが、 これからは自己責任の時代で 自らが気付いていく時代です。 


自らが気付いて修正しながら歩んでいくのです。 

誰かから指摘をされたりサインがあっても 見逃していたら、そのまま横道にそれていきます。 


そんな自由な世界に突入しました。 

外部かのら強制的な修正よりも自分の潜在意識の想いを何よりも尊重される自由な世界です。


まあ、自由な世界ですから間違いはないのです。 

自由ですから。 


何を選択しても自由です。 


だから 何も言われないのです。 


そして、自分自身が納得していようがしていまいが、どんな選択もアリなのです。 


だから それぞれが進む道が違うのです。 


細かく歩む道が分かれています。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 


どんな自分をも引き受けることを生きるという。


どんな自分をも引き受けることができたらブレない。 


誰かのせいにしたりいいわけもしないようになる。 




結局は、そういう状態になると魂が自然に輝くのだと思うのです。



いいわけもしなくなるから感情で動かなくもなるのです。 


真剣に生きているから感情が出てくる隙間がないのです。 



そんな自分になると、人生本番です。 




自己責任を生きてこそ本当の自由は手に入れられるのです。 






わたしは、つくづく自分のことは変わってる♪と思う。 


なぜなら わたしは遊びの天才だと思うから。 


わたしに、一本ヒモを持たせておけばいかようにも遊びます。 


ヒモがなくても遊びます。 


これは、発想というものではなくて ただ、楽しむことができてしまうのです。 


だから、どんなことに関しても 〇〇がなきゃできない ってことはなくて、工夫が好きなのよ。 


また ひとつの歌もさまざまなアレンジで歌い出す技術?があります。 


だから 毎日、遊んで暮らしてます。 



そんな自由さは人に受け入れられないことを学んできたので 見せない技術もできました。 


自分は変わってるから受け入れられないと嘆くのではなくて、変わってるから周りの情況を受け入れることなのです。 


周りから変わってると言われて排除されたとしても そこでわたしは楽しむことができます。 


ひとりでケタケタ笑っていると そのうち仲間が増えてくるってモンです。



わたしは 厳しいことや節度あることを書いていますが どんなことでも楽しむ柔軟さがあるので自分を律して周りに配慮して生きられるのかもしれません。 


ブログだと言葉だけだから厳しさがクローズアップされますが 会ってみると、そ〜でもないんだね と言われます。 


また リアルでお会いして、ヘラヘラお喋りしかしていない人に ブログを紹介すると ギョッとされます。 



どんなわたしもわたしです。 



姪に子供が生まれて、ほぼ毎日、子守りをしていますが 子供のおもちゃや本を最大限に使いこなして遊んでいます。 


歯がためひとつでケタケタ笑って遊びます^^ 



楽しい♪ 





大きなことをするのが能じゃない。


小さなことでもきちんと出来ることがその人を作るんだ。


大きなことに憧れ、小さなことを疎かにする。

それは、自分を落とすことに繋がる。



ルールを守る、マナーを守ることは当たり前。


それが まず、出来てから。


それから、自分の制限を外していくのです。



小さなことをまともにできないくせに 制限だけ一人前に外したがる。

自由になりたがる。

あとで謝らなきゃいけないような行動はしない。

自分で責任を取れないような行動は慎むべき。


だから、自分を律するのだし制限をするのです。



責任感を持っていれば、何があっても動じないし、何をしてしまっても笑っていられる。


もし 人に迷惑をかけてしまうことがあったとしても 許される。



自分が自分を裁いて、取り返しのつかないことをしてしまったと思うから 許されないのです。



小さい人間でもいい。


自分の出来ることをわかっていればいい。


自分に制限をしていても構わない。


それが 自分だからと、誇らしくいればいい。




結局 責任感と引き換えに自分の制限を外し、自由になるということです。



自分の責任が持てないうちは、制限の中にいるのも悪くないのです。


制限というものに守られて生きるのも悪くないものです。



どんな生き方も自由です。



制限さえも楽しむ余裕があればいい♪

生きているだけでいい、それ以外はおまけだよ。-いばや通信より


人に嫌われるかもしれないとか、誰かに馬鹿にされるかもしれないとか、安定した生活を送れないかもしれないとか、自分の気持ちを理解してもらえないとか、自分には力がないとか、自分には金がないとか、自分には自信も技術も勇気も足りなとか、もう、そんなことはどうでもいいじゃないか。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



生き苦しさから 今居る、居場所から離れてしまう人も多くみられます。


どんな生き方も自由です。


苦しさから抜け出して、快適でしょう。



わたしも最初、そんな世界を目指しました。


頑張らなくてもいい生き方をしたいと思いました。


しかし わたしは、そのようには導かれず、リタイヤすることは一切、許されず、今に至っております。



でも わたしは自由です。

幸せです。



人に嫌われるかもしれないという想いも誰かに馬鹿にされるかもしれないという想いも安定した生活を送れないかもしれないという想いも自分の気持ちを理解してもらえないという想いも自分には力がないという弱さも自分には金がないという惨めさも自分には自信も技術も勇気も足りないという自己喪失もすべて、乗り越えてきました。



自信がなくて泣いてばかりいた頃と今と比べると 居る場所も周りに居る人も何も変わっていません。



変わったのは、心の持ちようだけです。



わたしは何も手放していません。


すべて 自分にあります。


乗り越えることが良いかリタイヤすることが良いかは 到達した者にしかわからないです。



何が自由というのかは、本人次第ですが わたしは乗り越えてきて、幸せです。




人を想い、人に感謝をして、人に尽くすことを喜びとして生きています。



誰もが幸せで生きられますように。


お祈りします。




自分の自由をお探しください。

自由になりたい!ってよく、言われます。



そして やっと、自由になった!という人の話を聞くと 違うなあ〜 と思うことがあります。



自由って無制限であることではないのです。



時間が守れない人が 時間を守らなくてもよい生活をすることが自由ではないし


苦手な人と話をしなくてもよい生活をすることが自由でもないし


今まで、お金に困っていた人が必要なお金を手に入れたから自由になるワケでもないし


自由な時間がない人がやっと少しの時間が手に入れられたからといって自由ではないのです。




心の縛りがない状態

それでいて

やるべきことがわかっている状態 であることなのです。



日常において、知り分別がきちんとあって 尚且つ、人を想いやる心があって 心に縛りがないことを指すのです。




時間が守れなくて人に迷惑をかけていたり


好き嫌いが激しくて 人に迷惑をかけているのは、論外です。




人として きちんと生きてこその自由です。




確かに 今は、いろいろな個性を持ったお子さんが生まれてきています。





人とうまく接していけない人も増えています。



挨拶ができない。


じっとしていられない。

あたりかまわず、声をあげる。


言葉をしゃべるのが苦手だ。




だからといって できないことをほおっておくことではないのです。


良いところだけ伸ばしてあげればよい。

と言われますが

そもそも、良いところっ何ですか?




記憶力だけ抜群に良い、発達している。


絵を書くのが天才的に上手い。



それでも そこだけを見ていくだけでは片手落ちなのです。



だって、生きているのですから。




生きるって 人として生きることなのです。



この地球に来たからには すべて 人なのです。



同じ人として生きるのです。



そのために 譲り合い、話し合い、

人と合わせる

ことが、人として生きるということなのです。




自分は〇〇〇だからとか 〇〇〇が苦手だからとか言って 人と合わせないことは 生きていることではないのです。


息をしているだけです。


わたしたちは息をしているだけのために、この地球に来たわけではないはずです。




自由の意味をよく、考えてみてください。





心の縛りをなくして、ゆとりを持つのです。




〇〇〇しかできないと、良いことばかりを伸ばすのではなく


良いと思うことは素直に伸ばし
できないことでは人に合わせる努力をするのです。



心の縛りを解き放って、心を開くのです。



心を開くのです。



それが 本当の自由なのです。

愛とは、自由を与えること

だそうな♪



言われてみれば、そうだ。


わたしは 自由を与えてられている。



でも その自由というのは、神様との約束を守ってこそなんだ。



わたしがどうして

何をしても許されているかといったら

決して、神様に背いたことはしないからなんだよ。



神様との信頼、
魂との信頼 があるから、許されているんだ。




魂の自由意思というのは、魂との信頼関係ができているという前提で言われていることで
魂との信頼関係ができていない時には その限りではない ということだな。


だから

愛とは 信頼関係が前提にある上で自由を与えることなのだと思います。



だから

わたしは


愛とは

信頼すること。

守ること。

抱きしめること。



なのだと思うし、実感しています。


まあ、わたしの窮屈な愛をどうぞ♪って感じかしら〜



さっきも 娘をヒーリングしていたら、


お母さんは電気クラゲみたいだ〜 だと(:_;)




坊主と言われたり電気クラゲと言われたり さんざんなわたしです。

人と向き合うって


ダラダラと向き合うのではなくて


自分はこうやって向き合うんだ!


と 決めて、向き合うこと。



反発するなら、一生反発すればいいし

相手を認める、信じるから とことん 信じて 向き合うこと!


中途半端にしないってこと。




自分で決めたやり方を貫くことが大切です。




それが 自由ということです。

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