この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 自己紹介



自己紹介
1964年1月生まれ。岐阜県在住。


2008年、観念浄化ワークに導かれ、2011年には大阪、天王寺 上田サトシ氏主宰シャスタヒーリングにて瞑想を学ぶ。 


その後、霊的修行に導かれ、霊的修行の間に、自分自身に繋がり、その声に導かれながら、その声をブログに投稿し、今では2000件を越える。  


霊的修行を終え、すっかり自分の無邪気さを取り戻し、プライベートでは主人、娘との3人暮らしを楽しんでいす。 

今では、前世からのカルマや煩悩は外れ、神々のサポートや神々に遣われる毎日を過ごしています。神々の使いとして働く傍ら、同じような霊的修行に導かれる方々のサポートやシャスタヒーリングで学んだメソッドを生かして独自に考案した『グラウディング』と『瞑想』を自宅で教えています。 
そして、人から信頼される人になるよう人との付き合い方を指導に重きをおいた『メールアドバイス』や『フルネーム鑑定』を主に仕事とさせていただいています。 


基本的に『フルネーム鑑定』では、スピリチュアル的に視させていただいていますが、スピリチュアル的に視ることよりも主婦、人目線で相談者様にアドバイスさせていただくことがほとんどであるため、多方面で寄り添うことの必要性を感じ、相談者様に毎日、日記を書いていただき、『メールアドバイス』では都度毎にアドバイスをさせていただいております。

ラインやSNSで日記を書いていただき、日々の暮らしの中での不安やお困りごとに寄り添い毎日、多方面からアドバイスをさせていただくことがわたしの日課になっています。 



神の使いとしての仕事以外では、お喋り好きなため、人に立ち話程度でヒーリングを施してしまう、うっかりヒーリングしてしまう、ヒーラー体質です。
また、子供や動物が大好きで、子供を見ると、つい無邪気に一緒に遊び出してしまう天真爛漫な55歳です。


このブログは、今までのわたしの学びと気づきが詰まっています。
ご参考にしていただければ幸いです。




◎ライブドアブログ
この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

http://mamanomama777.blog.jp/


◎アメブロ
この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

http://ameblo.jp/mamanomama555/


◎FB 『ままの まま』 
◎Twitter 『@mamanomama7771』 

◎ミンネ 『ままのまま』









自己紹介で書いたわたしがしてきた菩薩行(霊的修行)のことを書いてみたいと思います。 



常に、相手の立場になって考え行動してきました。 


相手の立場というのは情況や境遇もあります。 


それを一瞬で、感じ取り、想像し行動します。 



そのためには、相手の立場になって考え行動しながら、観察力、客観力、洞察力、論理力、理解力を養い育てるという訓練を日常的にしてきました。 


それを菩薩行とわたしはと言っています。 




この菩薩行というのは日本古来の生き方でもあります。 



他人の矛盾を一人で引き受け、苦労してきました。 また 一人で忍耐してそれを恨みに思わない生き方です。 




そのような生き方を今までしてきているので スピリチュアルな能力でわかることとは違い、人を理解できるのです。 



スピリチュアルな能力でわかることは、わたしの口が勝手に動き、頭でそうだったのか!?と驚いています。 



そんなわたしだからできることをこれからさせていただこうと思っています。 


自己紹介と合わせて書かせていただきました。 




大概、わたしが人と話をするときは、相手を浄化しながら話してます。 


歯医者で歯を削る時に、水を流しながら吸いとるヤツあるね。 


あんな感じ♪ 


その人の汚れをガリガリ落として吸いとるの。 


だから よくわかるの。 

で、相手もスッキリするみたいだよ。 



わたしは無意識にそうしながら日常生活を送ってます。 


だから、人を視ることは特別なことではないのです。 



逆に、人と会わずにいると、良くないみたいで、とにかく表に出される。 


うちに籠っていたくても、呼ばれたりする^^ 




わたし的には、人と会ってお喋りしてるだけなんだよ。 



そんなだから、いちいち鑑定はやらなくなったんだ。 



こんな役割を何て言うんだかわからない。 


神様の使いの一環でやってることだとは思う。 


人から呼ばれて浄化したり神様から呼ばれて愚痴を聞いたりして過ごしてます。 


だけど それもわたしの一部に過ぎないわけで、家庭を持つ主婦でもあるし母親でもあるし妻でもある。 

そこから離れると一個人のわたしでもある。 



でも どこでもわたしは、人を浄化しております。 


結局 わたしは浄化係に過ぎないんだと思う。 



ご飯のお供みたいな宇宙のお供なのかなあ〜 


万能ふりかけかしら^^

昨日 人魚姫伝説の人魚塚に導かれて、自分はそこの人魚だったんだと気づかされて感じたことは

『私は守られている』
『私は生かされている』

ということでした。

去年、一去年と 私は自分の内側と向き合い 心の浄化を繰り返してきました。

私は仕事を持つ一主婦です。

そんな私が どうして、覚醒できるまで 内観、浄化ができたかと言ったら

すべての人の支えがあったからです。

様々な方に私は支えられて生きていることに気付かされます。

また、昨日 出逢った日野町小野の〇藤さん

この方に出逢わなければ、私は 聖徳太子様のお慈悲を思い出すことはできませんでした。

すべての方に支えられている。
守られている。
導かれている。

感謝しかありません。


人は 決して一人で生きているわけではないんだと気付かされます。

〇藤さんに出逢わさせていただけたこと。。。

それは、まさに偶然ではなく 必然で 導かれているなあ 守られているなあ とつくづく感じました。
その地は 私にとって 自分の源と繋がるエネルギーに満ちていました。

私はここに居たんだ。

と 思うと同時に その安心感に包まれました。

もし、私が 見当討違いの行いをしていたら 〇藤さんに出逢うことがなかったでしょう。。。

そして 人魚時代に抱えてしまった人間への恐怖感を まだ 抱えたまま 家に帰ったんだと思います。
でも 私は 出逢えた、思い出したんです。


聖徳太子様からの御慈悲。
人間からの優しさ。

弘法大使様への忠誠心。




一去年は 高野山に出向き 滋尊院にも 手を合わせることができ 弘法大使様との繋がりを感じることができました。
そして 和歌山、橋本での記憶も一部 思い出しました。

でも それは 私を満たす十分なものではなかったのです。

弘法大使様と どこでお逢いしているんだろう、 どんな関係だったんだろう という疑問で 何回も 橋本に通い ゆの里にもつかってきました。

とにかく 私は 自分を思い出すのに 一生懸命でした。


それが やっと繋がった人魚姫伝説の地、日野町小野でした。





私に起こった出来事は 当たり前でもなく 偶然でもなく 私だけの努力だけでもありません。

私に関わる方々の優しい気持ち、思い遣りによって導かれたことです。

ひとつ足りとも 当たり前に感じることなく 感謝の気持ちでお返ししたいと思っています。

私にできることは 思い遣りと 気遣い あと、健康でいること。

自分が健康であれば 人に尽くすことができる。

感謝を形に表すことができる。



人間に生まれてきたのは 人の優しさにふれ 感謝の気持ちを形に表すことだと感じた、今回の人間姫伝説の旅でした。


人っていいな♪ありがたいな♪

人間に生まれてこれてよかった♪

心からそう思います。





人間は起こった出来事から何を学び、実践するかだと思います。
そうやって 人は成長するために この地球に生かされているのだと 私は思います。

59aa46f2.jpg
c5da4fb7.jpg
df9a95eb.jpg
蒲生の人魚伝説
URL:
http://www.bcap.co.jp/ningyo/densetu.htm

 今から千四百有余年前、近江国蒲生寺村の観音草堂にそれはそれは美しい尼層様が住んでおられ尼僧様に三兄妹の小姓が寺村の小姓ヶ淵に住みながら仕えておったそうです。
 ある年いつもの年とは違い、日照りが続きどの田も地割れができ、、稲は立ち枯れ、他の作物にも影響がでて大干ばつになりました。
村人たちは困り果て寺村の側を流れる佐久良川(当時近江国蒲生河)の小姓ヶ淵より「はねぎ」を利用して水をかいだし田畑を潤すことにしましたが、それもすぐに底をつき困りはてていたある日、小姓ヶ淵に行ってみると冷たい清水で小姓ヶ淵
が満杯になっていました。喜んだ村人たちはその水に、手を合わせ拝みながら田畑に水を入れるのですがすぐに空になります。水がなくなって村人達が困るとまた水が淵に溜まる。
この事が繰り返し行われるようになりました。

不思議に思った村の若者が、夜こっそりと淵に行ってみるとそこには観音堂に仕えていた三兄妹の小姓が、その姿は人間ではなく『人か魚か』見分けがつかない姿で、奥より水を入り口の淵へ尾を利用して水を跳ね出している光景を目を目の当たりにしました。
若者は今見たふしぎな様を誰にも話さずにいたのですが、やがて村人達の間に
、小姓ヶ淵に「不思議な物がいる
」という噂が立ちました。その噂は村から村へ広がり話を聞いた心ならず者が、夜中にその淵に行き、投網により一物を捕まえてしまいました。

それはなんと人魚だったのです。

以来、不思議な物として豪商らにより人から人へ渡り歩きま したが、あるお方が観ずるところがあって、この奇物をいたず らに俗家に秘しても、益なしと、川合願成寺に納められ、この 人魚は立派なお厨子に安置され、観世音の御加護をうけ安らか に眠っています。

後の一体は、蒲生河をさかのぼり小野村までのぼりました が、ついに捕獲され死んでしまいました。村人は人魚塚を造り 手厚く葬ったと言われております。

また、残りの一体はたまたま近江国蒲生野へお布教をされて おりました弘法大師さまのお供をし、高野山魔萱堂仁徳寺観音 堂へあがったと言うことです。

─ 近江国蒲生寺村小姓ヶ淵人魚の由来より ─


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


本日、いてもたってもいられず

滋賀県近江八幡市安土町
観音正寺

人魚が祀られている願成寺

近江蒲生寺町

蒲生郡日野町の照光寺

蒲生郡日野町小野
人魚塚


まで 行ってきました。。。。。



もう、詳しくは言いませんが、


私はこの伝説の人魚の記憶があります。

正確には

弘法大使様には 直接 お供をさせていただいております。
私が いつも 弘法大使様とお話をさせていただけるのは そんな理由です。
あと、

人魚塚でのこと。。。

この地に降りた瞬間、 ここに居た ことを思い出しました。
記憶通りの池もあり 佐久良川を泳いで村に入っていったことも思い出しました。

私たち 人魚は琵琶湖で生まれました。
人間と交流したかった。 人間のお役に立ちたかった。

その想いだけでした。。。

お役に立てているだけでよかった。

だけど 心ない村人に捕らえられて、生き埋めにされた。。。

だから 私は 憎んだ。
人間は怖い。
恐ろしい。

私の人間嫌いはこの時生まれたんです。。。


でもね

そんな私を、聖徳太子様が見つけてくださった。


人魚塚でお逢いした村の方に 聖徳太子様がその時にお座りになっていた石に案内していただきました。

聖徳太子様はとても高貴な出で立ちでいらっしゃるけれど とても 気さくな方です。

『ここにお座りなさい』と 変わらぬお優しいお顔で 手招きをしてくださいました。

そこに その石に座った時に私は やっと 自分の心が解放されたのが わかりました。

だから そのあと 村の方とおしゃべりしちゃった。

嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。

私は この地に帰ってきたかったんだ。


やはり 私は 人間が好きだったんだと 心から感じた。

沸き上がるこの想い。。。




人魚は3体あったと言われていますが 私は、その2体の記憶があります。

魂だから MIXされているんでしょうね。。。


私的には すっきりしましたが 村の方の〇藤さんを驚かせてしまいました。
ご免なさい。

伝説じゃなかったんですよ〜

本物ですよ〜



意識の低い人をターゲットにすると楽に儲かる。 

政治家でも同じで意識の低い人からの票は得られやすい。  


騙されやすいから。 


騙されやすいからお金が持てないし収入が得られないということに、気付くことなんだよなあ。 



だけど、やみくもに学をつければ良いということではない。



自分という存在が分かって、という前提が必要だ。



メールアドバイスで人に携わらせていただいていますが、まずは地頭をつけることが目的です。 


地頭の良い人は少し話せばわかりますがわからない人にはとにかくコンコンと教え込むしかないのです。 



今の世の中は、地頭の悪い人が多い。


だから、騙される。 


賢いことが何か分かっていないのに、賢いふりするからよけいに騙される。 

まずは 素直なこと。 

純真な心。

そこが基本で教え込む。 

そうやって、仕上げていく。 


自分の作品みたいなものです。 





コンコンと話すので嫌がる時もあるけれど逃がさない。 

逃げるようでは話しにならない。 





わたしは自分の利益を考えずに動くし動かされます。 

だから、神様に使われるのです。 



また、自分の利益を考えずに動くわたしを人は使おうとします。 


わたしはそのように使わされます。



便利だから使えるだけ使ってやろう! 

そう思われる方も少なくありません。 



わたしは神の使いで神に使われてる存在です。 



そんなわたしをぞんざいに扱う者には宇宙の法則が働きます。 



働きます。 




最近 わたしが動かされるのはそのような理由もありますね。  





神に使われてる身ですからどこにでも行かされますが、ぞんざいに扱われることがわかっているときには戸を立てる時もあります。


そうやって、守らせていただくこともあります。 



だから わたしはわたしとの付き合い方を通して、人との付き合い方、自分との付き合い方を教えているのかもしれません。








わたしたちは大概が宇宙から転生してこの地球に生まれてきています。 


そのため 元々、宇宙には繋がっている存在なのです。 


だから そこまで恋しがらなくても良いと思います。 


それよりも、どのような経緯で、今の自分で居るのかを知ることの方が重要に感じます。 



そう感じているからでしょうか、わたしはひとつひとつ思い出しています。 

自分に関わりのあった場所を巡り、自分を感じて、自分を見つけています。 

『自分を知りたい』 

その思いで今まで生きてきたように思います。 


昨日もある方と話をしていました。 



わたしは、無性にある場所に行きたくなる時があります。 

そこの場所に立つと、ピンと自分のアンテナが立って本能が呼び覚まされます。 

わたしが覚えている地形は今とは違うのです。 


そんなことを話していたら、彼女の琴線にふれたのか、彼女もそうそう!と何かを思い出したのです。 

魂の記憶ってそうやって思い出しています。 


琵琶湖近くの蒲生野に立った時も花摘みしていたことや川を琵琶湖から泳いで渡っていた自分。。。(水かきがついてました^^) 


自分の奥から記憶がわき上がってくることだから間違いがないです。


地球が出来上がった時に源的なものがあって、そこが不二阿祖山太神宮となり、そこを守るような形で富士山が作られて、結界が張られていったことなどなど、などなど、気分が良いと思い出しています。


思い出したことは、誰か必要な人には話しますがあまり話さないです。 


昨日、食べたご飯を思い出すことは苦手ですが、過去世の記憶を思い出すのは得意なわたしです。 



わたしは たまに浄化のしすぎで、お腹がぴーぴーになる。



そんな時は近くの医者に診てもらいます。



せんせ〜っ
お腹がぴーぴーだよ〜


と、訴えると

せんせ〜は、わたしのお腹をスリスリしてくれる。


そんなとき、わたしは先生の手をぎゅっと握り、

せんせ〜にスリスリしてもらうと治るわ〜

と、おだてる。


わたしがぎゅっと握ると、先生の手は神の手に変わり、俄然、元気が出ます。


その後の患者さんを診る時に、それは発揮される。



最近、薬は飲んじゃいけないとかいろいろ言われていまして、医者に通うことをタブー視されている傾向があります。


あのさ

今まで、そのお医者様に治していただいていた人は何を信じたらいいのですか?


そのお医者様に悩みを打ち明けたり元気をもらったりされている方も多いと思います。


一概に、否定できることではないと思います。


お薬を飲んではいけない!医者にかかってはいけない!と言われるのでしたら、今まで そこに頼ってきた人のケアをしてこそだと思うのです。


自分が受け皿も用意ができないくせに、主張だけするなんて 言語道断です。


受け皿があってこそ言えることではないのでしょうか?


薬や医療を否定することは、今までの自分の生き方を否定することと同じだと思うのです。


否定するよりもお役に立つことを考えるのが人間ってモンじゃないでしょ〜か!


と、話しは脱線しました^^




神の手に変わった先生は、俄然張り切ります♪


風邪引かないですし、青い顔していた先生の血色も良くなります。




ってことで わたしは、定期的に ぴーぴーになって 先生のとこに通わされます♪




先生はお薬もたくさん出してくださいます。


断らずに、いただけるものはいただいて帰ります。

飲まないけどね〜


良い悪いじゃなくて、飲まなくても治るから。




そうやって わたしは、医者に通っています。



わたしが直接、患者さんに接しなくても 患者さんは治っていくのよ♪



笑顔が増えるっていいですね〜



これからも先生に頑張ってもらわないといけないって思っているから わたしは医者に通います♪



せんせ〜 ぴーぴーだよ〜って

このページのトップヘ