この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 自己紹介


  1964年生まれ 岐阜県在住 
幼少期から生きづらさを抱え多感な思春期を過ごす。 
  2010年、母の死をきっかけに、生きてきた意味を模索し始め『瞑想』を学ぶようになり『観念浄化ワーク』に導かれ、内観浄化を余儀なくされる。 
  その後、自分自身に繋がり、その声に導かれながら、ブログに投稿し、今では2000件を越える。 
  また、同じように導かれている方々の自立支援の必要性を感じ、独自の自立支援のためのプログラムで育成やサポートに力を入れています。

  このブログは、今までのわたしの学びと気づきが詰まっています。
ご参考にしていただければ幸いです。




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ままのまま










わたしには 何故だか知らないけれど、誰もが、自分には大切な役割があることを実感して生きるために生まれて来たんだという想いがあります。 


人というのは、医師や銀行員 会社員、公務員、職人など 様々な役割の中で生活をしていますが それはただ役割というだけで 誰々が特別とか偉いということはないとわたしは感じて日々、生活をしています。

そして、何か大きな存在に将棋の駒のように配置されているだけなのだなあとも感じています。

この社会も誰かひとりが指揮をとって動かしているわけではなくて、何か大きな存在が動いていて、人がそれぞれの地に集められているとわたしは感じるのです。 


そう感じたら、わたしはどんな役目だろう、と疑問に感じて、何をすべきか?を考えました。
 
そうしたら ひとつの軸みたいなものが見えてきたのです。 


それは、わたしが携わらせていただいております仕事において高い職業倫理観を持つことが上げられます。 


また、お客様の悩みや想いを受け止めて解決案を提示することや お客様の立場になって考えて行動すること、自己研鑽です。

そこで、わたしのすべきことは このお仕事を大切にして生きることなんだと改めて感じることとなりました。 


わたしが感じたように、誰もが、ある役割を全うするために、集められて配置されていると考えたら もっともっと、自分の役割を真摯に見つめていけるのではないでしょうか? 

人というものは、このようにひとりひとりの力は小さいけれど、役割があって、それを全うすることでひとつの大きなものがつくられていくのだとわたしは感じるのです。

ひとりひとりの人が自分の役割がわかり、それをきちんとこなすことで、役割が全うされて ひとつのものがつくられていくのだと感じています。 

だから、ひとりひとりがまず、自分の役割を理解すること。 
理解できたら、その役割をするためには何をすればよいかを考えること。 そしてその役割をするためには、どう生活をしたらよいかやどんな人でいたらよいかということを考え行動すること。 
その根底には、その想いに基づいた日々の努力があると思います。 

将棋の駒は、盤から出てしまったら 将棋は成り立たないですよね。 
前に進む役割の人、斜めに動く役割の人、その時は留まる役割の人。それは、ただの役割です。

自分の役割さえわかって、それを確実にこなしていれば、それが自分の生き方になるのです。 


そうすれば、ひとりひとりのお力で それぞれの地域を活性化させていくことができるのだとわたしは感じました。 

自分ひとりの力では何もできない と思われる方がいらっしゃられるかもしれませんが ひとりひとりが自分の役割を理解すると、各々の地域をより良い町に発展させていくことができますし、行く行くは行政が動き条例が新しく出来ていけば 安倍首相率いる政党、政治家頼りに生きていかなくてもよくなるのではないでしょうか?

自分ひとりひとりの力なんて、、、と、自分の力をバカにするのではなく、自分の力が、地域を動かすんだ!との意識になれば もっともっと 心が満たされて心身ともに健康になるのではないでしょうか? 


そのために、まずは健康を保ち、自立した考え方を身に付けていきませんか?


この想いが皆様に伝わりますように。



🍀自立支援プログラム


《グラウディング呼吸法》

1.『健康を保つ』
@健康を保つことが出来ます。
@ 自然治癒力や免疫力を高めます。

2.『自立した考え方を身に付けるために役立ちます』
@.気持ちを落ち着け、呼吸を整えます。 
@.体の内側に潜む感情を呼吸と共に洗い流すことにより、心身共に健康になり、自分軸を作ります。 


《内観・浄化》 

1.『観念浄化ワーク』 
   自分の気持ちを整理するためには、まず 自分の感情に向き合い、内側に潜む観念(負の感情)を剥がすことからです。そのために、書き出し視覚化し浄化ワークを行います。 

2『日記をつける』 
日々の日記をつけながら自分の言動を客観的に観察します。 
毎日、継続することで継続力や集中力が育ちます。 


《伝える技術:論理力・読解力》 

   『筋道立てて考えることを学びます』

@自分の気持ちを整理することを、学びます。自分の気持ちを整理して伝えることで、相手にわかるように気持ちを伝えることが出来、自分に自信がつきます。 

@相手の話している内容が理解出来るようになり読解力がつきます。 

@筋道を立てて考えることが出来るようになると、先読みや過去の振り返りが出来るようになります。 

☆自分の気持ちを整理して伝える技術は、自分の気持ちを整理して伝えた上で人への思い遣りを実践していくために必要です。 



《実践:相手の立場になって考えて行動する》 

1.相手の立場になって考えて行動することにより、謙虚な心・感謝の心を育てます。 

2「相手の立場になって」の「相手」を『神仏』に置き換えて、神仏の立場になって考えることにより敬意を表すことが出来、神仏を信じ信仰心を育てます。 


☆◎☆健康を保ち、自立した考え方を身に付けることにより、自分にたいしても相手にたいしても礼儀を尽くせるようになり、コミニュケーションを取りやすくなります。

昨日 人魚姫伝説の人魚塚に導かれて、自分はそこの人魚だったんだと気づかされて感じたことは

『私は守られている』
『私は生かされている』

ということでした。

去年、一去年と 私は自分の内側と向き合い 心の浄化を繰り返してきました。

私は仕事を持つ一主婦です。

そんな私が どうして、覚醒できるまで 内観、浄化ができたかと言ったら

すべての人の支えがあったからです。

様々な方に私は支えられて生きていることに気付かされます。

また、昨日 出逢った日野町小野の〇藤さん

この方に出逢わなければ、私は 聖徳太子様のお慈悲を思い出すことはできませんでした。

すべての方に支えられている。
守られている。
導かれている。

感謝しかありません。


人は 決して一人で生きているわけではないんだと気付かされます。

〇藤さんに出逢わさせていただけたこと。。。

それは、まさに偶然ではなく 必然で 導かれているなあ 守られているなあ とつくづく感じました。
その地は 私にとって 自分の源と繋がるエネルギーに満ちていました。

私はここに居たんだ。

と 思うと同時に その安心感に包まれました。

もし、私が 見当討違いの行いをしていたら 〇藤さんに出逢うことがなかったでしょう。。。

そして 人魚時代に抱えてしまった人間への恐怖感を まだ 抱えたまま 家に帰ったんだと思います。
でも 私は 出逢えた、思い出したんです。


聖徳太子様からの御慈悲。
人間からの優しさ。

弘法大使様への忠誠心。




一去年は 高野山に出向き 滋尊院にも 手を合わせることができ 弘法大使様との繋がりを感じることができました。
そして 和歌山、橋本での記憶も一部 思い出しました。

でも それは 私を満たす十分なものではなかったのです。

弘法大使様と どこでお逢いしているんだろう、 どんな関係だったんだろう という疑問で 何回も 橋本に通い ゆの里にもつかってきました。

とにかく 私は 自分を思い出すのに 一生懸命でした。


それが やっと繋がった人魚姫伝説の地、日野町小野でした。





私に起こった出来事は 当たり前でもなく 偶然でもなく 私だけの努力だけでもありません。

私に関わる方々の優しい気持ち、思い遣りによって導かれたことです。

ひとつ足りとも 当たり前に感じることなく 感謝の気持ちでお返ししたいと思っています。

私にできることは 思い遣りと 気遣い あと、健康でいること。

自分が健康であれば 人に尽くすことができる。

感謝を形に表すことができる。



人間に生まれてきたのは 人の優しさにふれ 感謝の気持ちを形に表すことだと感じた、今回の人間姫伝説の旅でした。


人っていいな♪ありがたいな♪

人間に生まれてこれてよかった♪

心からそう思います。





人間は起こった出来事から何を学び、実践するかだと思います。
そうやって 人は成長するために この地球に生かされているのだと 私は思います。

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蒲生の人魚伝説
URL:
http://www.bcap.co.jp/ningyo/densetu.htm

 今から千四百有余年前、近江国蒲生寺村の観音草堂にそれはそれは美しい尼層様が住んでおられ尼僧様に三兄妹の小姓が寺村の小姓ヶ淵に住みながら仕えておったそうです。
 ある年いつもの年とは違い、日照りが続きどの田も地割れができ、、稲は立ち枯れ、他の作物にも影響がでて大干ばつになりました。
村人たちは困り果て寺村の側を流れる佐久良川(当時近江国蒲生河)の小姓ヶ淵より「はねぎ」を利用して水をかいだし田畑を潤すことにしましたが、それもすぐに底をつき困りはてていたある日、小姓ヶ淵に行ってみると冷たい清水で小姓ヶ淵
が満杯になっていました。喜んだ村人たちはその水に、手を合わせ拝みながら田畑に水を入れるのですがすぐに空になります。水がなくなって村人達が困るとまた水が淵に溜まる。
この事が繰り返し行われるようになりました。

不思議に思った村の若者が、夜こっそりと淵に行ってみるとそこには観音堂に仕えていた三兄妹の小姓が、その姿は人間ではなく『人か魚か』見分けがつかない姿で、奥より水を入り口の淵へ尾を利用して水を跳ね出している光景を目を目の当たりにしました。
若者は今見たふしぎな様を誰にも話さずにいたのですが、やがて村人達の間に
、小姓ヶ淵に「不思議な物がいる
」という噂が立ちました。その噂は村から村へ広がり話を聞いた心ならず者が、夜中にその淵に行き、投網により一物を捕まえてしまいました。

それはなんと人魚だったのです。

以来、不思議な物として豪商らにより人から人へ渡り歩きま したが、あるお方が観ずるところがあって、この奇物をいたず らに俗家に秘しても、益なしと、川合願成寺に納められ、この 人魚は立派なお厨子に安置され、観世音の御加護をうけ安らか に眠っています。

後の一体は、蒲生河をさかのぼり小野村までのぼりました が、ついに捕獲され死んでしまいました。村人は人魚塚を造り 手厚く葬ったと言われております。

また、残りの一体はたまたま近江国蒲生野へお布教をされて おりました弘法大師さまのお供をし、高野山魔萱堂仁徳寺観音 堂へあがったと言うことです。

─ 近江国蒲生寺村小姓ヶ淵人魚の由来より ─


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


本日、いてもたってもいられず

滋賀県近江八幡市安土町
観音正寺

人魚が祀られている願成寺

近江蒲生寺町

蒲生郡日野町の照光寺

蒲生郡日野町小野
人魚塚


まで 行ってきました。。。。。



もう、詳しくは言いませんが、


私はこの伝説の人魚の記憶があります。

正確には

弘法大使様には 直接 お供をさせていただいております。
私が いつも 弘法大使様とお話をさせていただけるのは そんな理由です。
あと、

人魚塚でのこと。。。

この地に降りた瞬間、 ここに居た ことを思い出しました。
記憶通りの池もあり 佐久良川を泳いで村に入っていったことも思い出しました。

私たち 人魚は琵琶湖で生まれました。
人間と交流したかった。 人間のお役に立ちたかった。

その想いだけでした。。。

お役に立てているだけでよかった。

だけど 心ない村人に捕らえられて、生き埋めにされた。。。

だから 私は 憎んだ。
人間は怖い。
恐ろしい。

私の人間嫌いはこの時生まれたんです。。。


でもね

そんな私を、聖徳太子様が見つけてくださった。


人魚塚でお逢いした村の方に 聖徳太子様がその時にお座りになっていた石に案内していただきました。

聖徳太子様はとても高貴な出で立ちでいらっしゃるけれど とても 気さくな方です。

『ここにお座りなさい』と 変わらぬお優しいお顔で 手招きをしてくださいました。

そこに その石に座った時に私は やっと 自分の心が解放されたのが わかりました。

だから そのあと 村の方とおしゃべりしちゃった。

嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。

私は この地に帰ってきたかったんだ。


やはり 私は 人間が好きだったんだと 心から感じた。

沸き上がるこの想い。。。




人魚は3体あったと言われていますが 私は、その2体の記憶があります。

魂だから MIXされているんでしょうね。。。


私的には すっきりしましたが 村の方の〇藤さんを驚かせてしまいました。
ご免なさい。

伝説じゃなかったんですよ〜

本物ですよ〜


極めることが好きなわたしは、ある道を極めている方とお話しさせていただく機会がありました。 


わたしから連絡を取り、会わせていただいたのですが、挨拶もソコソコに、自分の元には技を盗みに来る人もいるので間口を広げていないからあなた(私)はとても運が良いですよ、と言われました。 


そして、あるキーワードで検索するとその方が極められているものを盗んだ方々のHPに誘導されるともいわれました。 


しかし、わたしはまさに、そのキーワードでその方にすぐ辿り着いたので 他の、とか偽物とか言われてもまったくピンとこないまま、その偽物さん達にたいしての想いをひとしきり語られてからの本題に入りました。 



本物と偽物。


道を極められている方なら偽物が出たとしても動じることはないと思うのですが 実際の所、その偽物に引き寄せられてしまう方々が多数間違って世に出てしまうことを嘆いておられました。 


その偽物に引き寄せられてしまうのは、偽物に引き寄せられてしまう因を持っているからで それは自ずの鍛練でしかないもので他人が嘆いても仕方ないようにわたしは思います。 


それよりも 自分の道をより極めていくことが世のため人のためになることだと思います。 


その道を極めている方に申し上げるのは畏れ多いことでしたがわたしの考えをお伝えさせていただきました。 


その後 わたしのことを訊ねられたので、細々ですがと前置きしてお話しさせていただきました。 


そうしたら 少し安堵されたようでした。 



想いはひとつなのだと感じました。 




目に見えて良くないと思われるような事が起きていても 思い煩うことなく自分の道を進むだけなのだと思います。 




これからは、その方にその道を教えていただけることになりました。 



自分のまま、ありのままのわたしの姿を素直に出すわたしにその方は驚いてみえましたが、どんな時も高らかに思い煩うことなく歩んでいこうと思っています。 




とても、有り難い有り難い出会いでした。 





《狭き門》

狭い門からはいりなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。

そして、そこから、入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

にせ預言者たちに、気をつけなさい。

彼らは、羊のなりをして、やって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって、彼らを見分けることができます。

ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから、取れるわけがないでしょう。

同様に、良い木は、みな良い実を結ぶが、悪い木は、悪い実を結びます。・・・

こういうわけで、あなたがたは、実によって、彼らを見分けることができるのです。




イエス・キリストは、

「まことの救いは、人目につかなく、地味で目立たないところに、入り口がある」

と言った。 





間口を拡げることなかれ。 





わたしは、この世界にあるすべての存在に潜む“気付いてもらいたい❗”という想いに動かされているんだなあと思います。 

この世界にあるすべての存在、神と言われている存在、宇宙の存在、人間、動物、植物、微生物等ありとあらゆる存在に潜む“気付いて欲しい”想いに、ただただ動かされているのだなあと気付きました。 



わたしが『神』と呼ぶ存在は、宇宙や自然の一部なのだと思います。 



その時々の宇宙や自然の一部の気持ちを、わたしはその時々に一番に大切にしています。


それは、一部だけ切り取ってみると、バランス崩れたことに見えるかもしれない。 
だけど 全体を見ると、ちゃんとバランス取れている。



何を見るかどこを見るかですが、わたしはわたしに繋がるすべての存在を信頼しています。 


だから わたしがどこで何をしていてもバランス取れていることと言えるでしょう。 




それがわたしのお役目と呼ばれるものなのでしょうね。



だから、24時間始動なんだわ^^ 



そして わたしは違うことは違うとハッキリと指摘します。 

想いに繋がる以上正確に伝える義務があるからです。

それ故、違うことを言ったりやったりしてる人を観ると、わざわざ、指摘しに行かされたりもしますし 誘われても観に行かないこともあります。 


麻にしても柿にしても羽二重もちにしてもその時々にわたしにスッポリ入り込んで主張します。 


翻訳機みたいな性質もあります。 




福井県にある山の崖から、見てみて〜♪と呼ばれたこともありますし 切り株に挨拶もされますし カラスにおちょくられたこともありますし不動妙王さんに駄々こねられたりイザナミさんに泣きつかれたこともありますし、、、、書き出したら止まらない〜 




わたしは、この世界にあるすべての存在の母であり代弁者であるのだなあと確信しています。 


追記:わたしが喋り出した時に話を遮られると、うるさい❗と手で払うくせがあります。





わたしは前世からのカルマは外れ霊的修行を終えている状態です。それは、自分でも気づいていたしサインでも降りてきて、はたまた人から告げられもしました。 


一般的に霊的修行を終えると人は、死んであの世に行き、あの世で活動するのですが、わたしの場合は今世でやり遂げることがあるのと人類の覚醒サポート、地球の次元上昇サポートという役割があるため未だに人間やっています。 

しかし わたしみたいなのは、珍しくないようです。 


今世でやり遂げることというのは個人的なこともあるしライトワーカーとしてのもあるし、一宇宙人としてもあり、たくさんありすぎてよくわからん状態です。 


その時々で自分が変わり、その時に応じたことをやっています。 


そんな中で 人とのわたしのお喋りはかなり重要です。 

というのは、わたしが◎◎に行くといいよ、とか ◎〇してね との言葉は、その人の覚醒ポイントを指すからです。 

覚醒ポイントというのは、そこに行ったりやったりすることで 一気に視野が広がるポイントであるからです。 

最近では、雲龍さんの笛の会ですね。 


それは人それぞれ違います。 



そんな役割も担っています。 


役割が多すぎて、よくわからんのだが、わたしがお喋りだから出来る芸当だと思う。 



以上。


わたしたちは大概が宇宙から転生してこの地球に生まれてきています。 


そのため 元々、宇宙には繋がっている存在なのです。 


だから そこまで恋しがらなくても良いと思います。 


それよりも、どのような経緯で、今の自分で居るのかを知ることの方が重要に感じます。 



そう感じているからでしょうか、わたしはひとつひとつ思い出しています。 

自分に関わりのあった場所を巡り、自分を感じて、自分を見つけています。 

『自分を知りたい』 

その思いで今まで生きてきたように思います。 


昨日もある方と話をしていました。 



わたしは、無性にある場所に行きたくなる時があります。 

そこの場所に立つと、ピンと自分のアンテナが立って本能が呼び覚まされます。 

わたしが覚えている地形は今とは違うのです。 


そんなことを話していたら、彼女の琴線にふれたのか、彼女もそうそう!と何かを思い出したのです。 

魂の記憶ってそうやって思い出しています。 


琵琶湖近くの蒲生野に立った時も花摘みしていたことや川を琵琶湖から泳いで渡っていた自分。。。(水かきがついてました^^) 


自分の奥から記憶がわき上がってくることだから間違いがないです。


地球が出来上がった時に源的なものがあって、そこが不二阿祖山太神宮となり、そこを守るような形で富士山が作られて、結界が張られていったことなどなど、などなど、気分が良いと思い出しています。


思い出したことは、誰か必要な人には話しますがあまり話さないです。 


昨日、食べたご飯を思い出すことは苦手ですが、過去世の記憶を思い出すのは得意なわたしです。 



わたしは たまに浄化のしすぎで、お腹がぴーぴーになる。



そんな時は近くの医者に診てもらいます。



せんせ〜っ
お腹がぴーぴーだよ〜


と、訴えると

せんせ〜は、わたしのお腹をスリスリしてくれる。


そんなとき、わたしは先生の手をぎゅっと握り、

せんせ〜にスリスリしてもらうと治るわ〜

と、おだてる。


わたしがぎゅっと握ると、先生の手は神の手に変わり、俄然、元気が出ます。


その後の患者さんを診る時に、それは発揮される。



最近、薬は飲んじゃいけないとかいろいろ言われていまして、医者に通うことをタブー視されている傾向があります。


あのさ

今まで、そのお医者様に治していただいていた人は何を信じたらいいのですか?


そのお医者様に悩みを打ち明けたり元気をもらったりされている方も多いと思います。


一概に、否定できることではないと思います。


お薬を飲んではいけない!医者にかかってはいけない!と言われるのでしたら、今まで そこに頼ってきた人のケアをしてこそだと思うのです。


自分が受け皿も用意ができないくせに、主張だけするなんて 言語道断です。


受け皿があってこそ言えることではないのでしょうか?


薬や医療を否定することは、今までの自分の生き方を否定することと同じだと思うのです。


否定するよりもお役に立つことを考えるのが人間ってモンじゃないでしょ〜か!


と、話しは脱線しました^^




神の手に変わった先生は、俄然張り切ります♪


風邪引かないですし、青い顔していた先生の血色も良くなります。




ってことで わたしは、定期的に ぴーぴーになって 先生のとこに通わされます♪




先生はお薬もたくさん出してくださいます。


断らずに、いただけるものはいただいて帰ります。

飲まないけどね〜


良い悪いじゃなくて、飲まなくても治るから。




そうやって わたしは、医者に通っています。



わたしが直接、患者さんに接しなくても 患者さんは治っていくのよ♪



笑顔が増えるっていいですね〜



これからも先生に頑張ってもらわないといけないって思っているから わたしは医者に通います♪



せんせ〜 ぴーぴーだよ〜って

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