この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 被害者意識




何か被害者意識ある人は世界を被害者意識という色メガネで見ているように感じます。 




自分は可哀想だから 他人も可哀想な人。 






人並みにプライドがあり意思を持つ人に出会っても、それがわからず、どこかその人の可哀想に思えることにフォーカスして観る。 




視点が真っ直ぐじゃないのです。 




元々の視点が真っ直ぐではないから、思い込みがあることに気付かないのです。 




そのため その真っ直ぐではない視点で世界を観て、自分の世界をつくっています。 










それまで 世間一般に観て可哀想と言われる人と接する仕事をしている人も似たような傾向があります。 




どなたにも「可哀想な人」を押し付けてきたり、「自分が〇〇〇してあげる」を押し付けてこられます。 






自立した者からすると とても厄介に感じます。 




自分がいかにも救世主かのように接してこられるからです。 




自立している人は人に歩み寄ることはしますが、人頼りにしないからです。 






自分の「〇〇〇してあげたい」を満たしたいため、しつこく接してこられるのは、いかにも迷惑な話ですね。 








今日の満月は、そんな思い込みに気づかされる人が少なくないです。 






言ってることと行動が伴わない。 

それは、 よく考えて言わないから。 

言葉が二転三転して信用に欠けるから。 



わたしはそれを教えるのが仕事ですがプライベートでは付き合えなくなりました。 




最近 愚痴めいた感情がわかなくなったから書くことがめっきり減りました。 


モヤモヤは一瞬あるけど すぐに消える。 


上記の人と付き合わないせいか、人との接触が少なくなりました。 


考え方がまったく合わなくない方との会話は、頭がクラクラして会話出来ないのです。 


また、こんな記事を見つけました。

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月×日
 
色んな霊現象を見てきて 
 
一番怖いのは 「恨み」 だと 分かるので 
 
過去に誰かを嘘で陥れたり 
ネットで誹謗中傷したり 
リアルなところで馬鹿にしたり意地悪したりした人は 
 
マジで死ぬ気で反省して できる限りリアルな場で相手に詫びた方がいい。 
自分は時効だと思ってても 相手に時効はない。
 
じゃあたとえば 
 芸能人とか 
政治家とか 
有名人とかなら 
 
悪口言ったり馬鹿にしてもいいと思ってるなら 

よく考えて欲しい。 
 
そういう人って
 “後ろ”(ご先祖・守護霊・指導霊)が洒落にならない位強いんですよ。 
 
すべての悪口は霊的には相手(の後ろ)に届いてる。 
 
どういう事になるか分かるでしょ? 
 だからネットは本当に怖いのです。
 
まず分かってほしいのは
 
 「すべての悪口・嘲笑・誹謗中傷・捏造暴言は 
本人に直接言わなくても 言葉や文章にした時点で 相手の“後ろ”(ご先祖や守護霊指導霊)に届いてる」 
 
だから相手から恨まれるし 
それによって制裁受けるし 
その制裁は 本人か家族が弱ってる時に作用する。
 
まず本人の
「誰かを馬鹿にしたり軽蔑したり悪意向ける」 この思いが 悪霊と同調するし その上で 本人がその思いを文章なり言葉なりで 形にしたら それは確実に霊的に相手の“後ろ”がキャッチする。 
 
だから あなたやあなたの家族の 今の不運は 
あなたが過去発した悪意の「因果応報」かもしれない。
 
 
  ×月×日
 
私が知ってる 超霊感の知人Aさん(男性) 
 
この人は地元で生き神様と言われてるレベルの すごくいい人なんですが 
 
この人を陥れた人や 誹謗中傷ばら撒いた人 
 
ほとんど 「数年後」に 突然一家離散とか早死にしてる。 
 
霊能者さんいわく この人は相手を全然恨んでないけど 
 “後ろ”がめちゃくちゃ強いんだとか。
 
 何が怖いかって 
その時は Aさんを陥れたり嘲笑しても 全く何もなくて 
数年後(下手したら10年後) 
いきなり急展開で 悪運が展開するのよね。 
 
だから本人達は それがAさんに対しての悪業因果だとは自覚できない。 
 
自覚できないから詫びいれられない。 
(たぶんその時に死ぬ気で詫び入れたらおさまる)

 ×月×日
 
でもいくら100パー被害者でも
 
その被害者意識を持ち続けてたら
肥大化した被害者感情自体が、同じ体験をしたオバケーを呼ぶし
 「恨みからの復讐願望」や「被害を受けた自分の未熟さへの自己処罰感情」が暴走して
 
相手だけじゃなく自分や周りを全部傷つけるので
(本人は自覚してないけどそうなのです。
  
潜在意識に主語はないので、
 
潜在意識では「あいつが憎い」「自分が許せない」ではなく
 
「憎い、憎い」「許せない、許せない」
 
になる。
 
だから自分も周りも無差別に憎しみの念で害することになる。
(つまり無自覚に自分の念が自分や周りを攻撃する)
 
そして、劣等感もそうですが、
被害者意識は、実は「その後の人生の失敗の言い訳」にも使われることが多い。
 
これが一番の病巣。

過去の自分の体験は
 今の停滞と直接関係ないはずなのに、「トラウマ」を言い訳にすることで
 現在の自己研鑽を怠ける(自分をいい方向へ変えることをサボる)口実に
過去の被害体験を使ってしまうのです。
 
その結果、本人も周りもさらに被害を被る。
 
憎い相手よりも関係ない人間をはるかに巻き込むわけです。
 
もう歩く呪い。


アメブロ『アマミちゃんのお気楽にもほどがある日々』から抜粋
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わたしもこのAさん同様、わたしは恨まないけど後ろが強いタイプ。 


だから、一回は関わるけど2回目はない。



わたしは親切だから、つい 相談に乗ってしまうけど今後は無料での相談は一切やめようと思っています。 


去年までそれをやりきった感があり今年はもういい。 


静かに過ごしています。 

フルネーム鑑定は、ライトな方がほとんどで瞑想やグラウディングを教えることが多くなりました。 

そのため メニューや料金改定も行うつもりです。 


メールアドバイスの方は変わりありません。 




被害者意識と自意識過剰
わたしが何か書くと、 
自分のことを言われてるのではないかと被害者意識が働く方がいらっしゃいます。 



わたしはよほどでないと特定の人のことは書かないし、そんな気持ちがあるなら直接、伝えます。 


直接、伝えます。


何か書く時は、題材はありますが、そのものズバリとは書かないです。 


大概が、その題材を元に発展して書いていきます。 発展させるのです。


先日の一見さんお断りが良い例です。 




今朝も、「わたしのことを書かれているのですね?」とラインが入りました。 

違うよ♪と返信します。 

そのような方は大概が被害者意識を持ってます。 

わたしは、被害者意識を持たないので、そう言われても理解できないです。 

何をして言われるかわからない。 困るわ。ホント、困ります。 


困っても解決にならないので わたしの頭が解決に導くよう、わたしの被害者意識があった時代に記憶を遡らせます。 



記憶を遡るとあることが見えてきました。 



それは、被害者意識と自意識過剰はセットであるということです。 


自分の意識を表に出したいという想いが過剰にあるため、何かあると自分に置き換えてしまい、それが被害者意識を呼ぶように思われます。 


自意識過剰、自己主張が強い人にみられます。 


自分に関心があり過ぎるので、何かあると自分に置き換えてしまうという癖ですね。 


わたしも通ってきた道ですからわかります。 


自分に関心があることはとても良いことです。 

しかし、それが少々、過剰気味ということですね。 

それは、良い傾向です。 


自分の内側に目を向けているということなので。 

しかし 被害者意識になってしまうのは、違う。 


それは 心根が荒んでいる証拠です。 


心の姿勢の問題です。 


それは、毎日、丁寧に生活することで直せるものです。 


人に親切にする。 
分け隔てなく接する。 


それを心がけることですね。 


人にたいして選別意識をなくすことです。 




誰もが優しいし、誰もが大切な存在ですから。 




思うのだけど 人には、心の奥底、核と呼べるような場所に 何かドロドロしたものがあるのかもしれない、と感じています。 



もしかすると 人はそれを醜いもの、恥ずかしいものと感じて 隠してしまい、それを否定してしまうことで自分自身から心が離れてしまうのではないでしょうか。 



わたしは、今まで幾度となく内側と向き合ってきて、その部分を認めてきました。 

否定せずに受け入れてきました。 


躊躇せず、それを労り慈しみ抱き締めてきました。 


誰かから罵倒されても怯むことなく、守り続ける。 



どんな自分が出てきてもわたしはわたしを否定しない。 


わたしが守らなかったら誰が守るのか? 



わたしを守るのは自分しかいない。 







どんなわたしでもリンと立つ。



それがわたしの尊厳。 







ドロドロとした核というのは、自分の闇というものかもしれません。 



誰もがあるものです。闇というものは。



大好きだよと抱きしめていればいい。 




闇を守るために尊厳があるのです。 



闇と尊厳はセットでありそれが魂と呼べるものではないでしょうか。 





水素原子というのは、真ん中に陽子+があって、電子−が一個回っています。 

電子というのはマイナスイオンであり鎮静効果があります。 

一方、陽子は興奮作用があるものです。 




魂の原形は水素原子なのでは?とひとり考えています。 





こうやって書くと 


「わたしはそこまで強くない。」 

とか 

「ままさんだから出来るんだ。」 


と言われますが、 

こんなこと強いも弱いもない。 



去年、向き合わなかったら 今頃、わたしは大腸がんで入院していたでしょう。 

そして 愛する我が子や主人や空ちゃんを悲しませ、殴ってきた人は自分のせいだと責めたはずです。 



愛する人を悲しませたくないから、わたしは内側と向き合うのです。 



自分が病気にならなかったら娘や愛する人が身代わりになっていたかもしれない。 


そんなことはさせない。 

元気でにこにこしてるのがわたしだから、わたしで居続けるために、感情と向き合うのです。 


たまに、SNSで病気自慢してる人見かけるけど、アホかと思う。


病気で入退院繰り返していたり、急に病気が発覚したような人は、向き合っていないからなるのです。 

それか向き合い方が甘いか。 



中途半端に向き合ったところで根源は癒せない。 

病気になるのは、向き合っていないことがあるというサインです。



生きる!って、こういうことなんだと思うよ。 



中途半端にしない。 





辺りを見回してみると、中途半端に生きてる人がたくさん居る。 



どんな人生を生きても自由だけど 
こんな生き方してるわたしからみると、かったるく思えるし一言二言、意見したくなる。 



だから わたしはあまり人に関わらない。 


魂の叫びが聴こえるから。 




ほんと 関わりたくないのよね〜 

だけど 上からは、外に出なさいとせっつかれるのよ〜 


イヤになっちゃう〜 



がっつり向き合う時はこっそり呼んでもらって あとはヘラヘラ遊んでいたいわたしです。 





癒されていない、癒されていないと自分を可哀想な自分にすることで自分を守る手段があります。 


それは被害者意識と言われるものです。 



被害者意識というのは自分自身が作り上げているもので自覚ないのが特徴です。 


自覚ないから抜け出せません。 


そして 世間体があるからか、小出しに見せてる人が多く存在してるなあと感じます。 


自分の内に、みっともない姿を見せたくないとか人からイイ人に思われたいという気持ちがあるのです。 




それでは、被害者意識を乗り越えることは出来ないのです。 



去年の今頃、わたしは被害者意識真っ只中にいました。 


何者かに自分を乗っ取られているかのように他者を責めてるわたしがいました。 




相手の悪いところを徹底的に書き出し、自分を正当化しました。 

わたしは悪くない! 
わたしは悪くない! 

悪いのはアイツだ! 

と、徹底的に紙に書きなぐったのです。 


涙もポロポロ溢れだし体も怒り震え、罵倒し続けました。 


そこに居合わせた主人がわたしに、「お前も悪いところがあるんだから!」とわたしを責めてきたので、 
「なんでわたしが悪いんだ!殴って蹴飛ばしてきたのはアイツだろ!数10発も殴られたらわたしだっておかしくなる!頭が朦朧としておかしくなる!なんで、わたしが責められなきゃならないんだ!おかしいだろ!わたしは悪くない!わたしは悪くない!わたしは悪くない!」と泣き叫びして、主人をなぐり付けました。 




感情を感じるってこういうことなんです。 



ここまで、露にしなければ、解放されないものです。 



イイ人のふりなんてしなくてもいいんです。 

相手を罵倒したいならすればいい。 

自分を正当化したいならすればいい。 




自分に正直に生きる! 

嘘はつかない! 



ってこういうことなんです。 




それをしたら、スッキリするんです。 


次の日には、主人に、「おはよう!」って声をかけてましたから。  




わたしがメールアドバイスをしてるのは、こんな主人のような役目をしたい、という気持ちがあるのです。 



感情を炙り出すのは得意です^^ 

煽って煽って煽り尽くします。 



感情を出したら楽になるのを知ってるから。 

相手を信頼してるから、憎まれ役をかって出るのです。 




わたしが感情を怒濤のように溢れ出した時、主人は怯まなかったよ♪ 



さすがだなあ〜と見直した^^ 




まあ、常日頃、わたしが鍛えてるだけあるけどね♪ 




まあ、今では あの時の感情は癒され、被害者意識から抜け出せました。 




急に、 

いちいち、そんなことでグチグチ責めてるのは、本当のわたしじゃない! 

って気付いたんです。 




数10発殴られて、へたばるようではわたしもまだまだだわ。 

というより、それを相手に許した自分が恥ずかしいと思いました。 

敵も去るものだなあ。 


鍛え直さなくては♪ 

ドンマイわたし♪ 



という意識に戻ったのです。 




人の意識とは如何様にも変わるものです。 




人に対しての言動に苛立ちを覚えてしまうのは、自分の心の内側に何かストレスを抱えてしまうからなのです。


ストレス、不満、こだわり ともいいます。


許せない何かがある場合、些細なことで苛立ってしまうことがあるようです。


何故、許せない何かがあるかと言うと 人生を楽しんでいないからなのです。


楽しみがないのですね。

一生懸命に働いていても楽しみがないから苛立つしストレスを抱えるのです。



何かに楽しんでいたり満たされていたら、不満は感じないし文句も言わないものです。



楽しみがないことが最大の原因なのです。



先記事にも書いた、楽しみがないと ダラダラ長々と仕事をしてしまうのです。


楽しい予定があれば、それに照準を合わせて、計画的に行動するはずなのです。


また 優先順位もつけることができるはずなのです。



今月は、そんな見直し月間です。




人との関わり方や仕事の請け負い方も見直す対象になります。


どんな仕事でも請け負うのではなく 自分の心の眼を開いて選ぶことも必要です。


禍を回避することも必要なのです。


だから、自分の直観を磨くことも必要で、そのためにお断りすることも必要なのです。



全部を引き受けるのではなく、選ぶ時代です。


自分が選んだ仕事を大切に育てていくことが自分というものを作り上げていくのです。



何でも請け負うことは身を滅ぼしますよ。


選択して、楽しみを持って生きていくのです。

貧困を理由にしたり 誰かのせいにして 不真面目な大人が多いのです。



その不真面目な大人をかばう人もいる。


人のせい、〇〇〇〇のせいにして生きてる人でも お金は持っているし選挙権は持っているから そこをターゲットにして利益を得ようとしている人が多いのです。


だから、いなくならない。


でも そんな利益は残らない。


それをターゲットにして儲けたお金は残らない。

だから、儲からない。


そういう人は、信用なくても安ければ買うから、安いのです。


信用がつけられてないから安いのです。


安物買いの銭失いです。


自分がターゲットにされているとわからずに それに飛び込む大人たち。


利用されてるのに利用されてるのに気づかない。

頭を使わないからわからない。


ちょっと考えればわかることなのに、わからない人たち。


発想が貧困だから、わからないのです。



しかし いくらお金がないという貧困生活していようと 心が貧困でないなら、そのターゲットにはされないのです。


頭を使うから。


お金があっても心が貧困の人がターゲットにされるのです。



結局、心の貧困な人がうまく生きられないのです。


頭を使うことや集中力をつけることをしてきていないから。


そのまま、大人になり 子供を生んでるだけで 育て方もわからないから。


子供ができなくて不妊治療している人の中には、大人になれないだけの人もいます。


結婚できない人がいるのも同様です。



目の前に起きていることが何故、起きてるかわからずに逃げ惑うことしかできないでいる。


それは世間が悪いからでしょうか?



きちんと この世で生活をしている人もいるのです。


ただ 不真面目なだけなのです。


知らないわからないのではなく、知ろうとする努力を怠っているだけなのです。



誰もが皆、平等に 学習できる義務教育がありますし、学習施設もあります。


それを利用しないだけなのでは?と思います。

人から認められたい という感情は利用されやすい。
何故なら、その人を取り込み依存させることで 自分の思い通りに操れるからだ。

共依存の関係だ。

依存させて思い通りに操る。


そんな共依存の関係に正常な感覚の持ち主が入ると、正常な感覚の持ち主の方が異質に思われる。

一般的には、共依存の関係に疑問を抱いて、離れていくのが普通だからだ。


これからの世の中は そんな共依存の関係は変化していくのだろうか?


していくとすれば、依存している者が疑問を抱くというよりも
依存させている者の意識が変わり、依存させないように働いていく のではないだろうか?



共依存の関係は、周りからみると厄介だ。

認められたい想いで自分の仕事をより増やし、能力があるように見せるからだ。


人の仕事を取りたがる。

仕事がないことが不安になるからだ。


周りにいる者はたまったモンじゃない。


人の仕事をうまく取っていく。

人の仕事をして、共有しない。

人の仕事を取っているという意識がないため、共有しない。

申し送りがない。



仕事というものは個人の仕事と共有してする仕事というものがあるのだが、認められたい人は共有してする仕事を自分だけの手柄にしようとするようだ。



自分の仕事で手一杯の時には助かるのだが、やろうとすると、ない。

すでにやってあったり、形が変わっていたりする。

相談もなく、勝手にひとりで仕上げてしまう。




最初のうちはありがたい〜と思っていたけれど、最近は非常に困る。


相談、申し送り、報告、連絡、お伺い がない。


認められたい人と仕事をするのは厄介だなあ〜

失わないと気付けないのです。


真底、孤独にならないと気付けないのです。


真底の孤独を知っている人は 人に優しいのです。
人に温かいのです。




人はそうやって成長していきます。


自ら、成長したいから 人を嫌うのです。



憎まれ口を言えるうちが花。

文句が言えるうちが花。
だけど 心を入れ替えないと、言えなくなるのです。


自己主張ができるうちが花です。



人は 真底、孤独になると 涙も言葉も出なくなるのです。。。

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