この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 歩み寄り

記事を書いていて、なぜか脱線してしまい 私事になってしまいました^^


愛の循環


これは、難しく考えることでもなくて ただ、その時の自分の喜びを伝えるだけなのです。


自分の知ってる人、自分が興味がある人、自分に興味を持ってくれている人以外にも 目を向けて、その愛を伝え、配るのです。



道行く人に、挨拶をすることと同じです。



しかし 人は友人や自分の知ってる人にしか声をかけたりしないのは、何故でしょうか?



それだけでも 自分を制限していることになるのです。



人からの評価を気にし過ぎてしまうからではないでしょうか?



愛のエネルギーを満たす。。。とか 見えない世界のことばかりを考えていないで 実際に、直接手渡しで出来ることをしたらどうですか?



自分のヒーリングのエネルギーで世の中を満たすの。。。と言っていないでも 自分が自ら、握手をしにいけば良いだけです。


また、自分に興味のある人だけに無料で配りますって セコくないですか?



自分のエネルギー、自分のあるものを どうして制限して 届けようとするのでしょうか?



あなたは何者ですか?


偉大な人は、そんなことはしないはずです。



結局、人間は自分を何様だと評価されたいがために、自分を制限する。


それを悪いといっているわけではありません。



そんな自分を知りなさいと言っているのです。




自分がやっていることは 最良最善だと思っている。。。


そんな自分の愚かさを知ることが自分を高めることでもあるのです。




常に、上を観て 自分を発揮したいと努力をすることで 自分も人も豊かになれるのです。




何か大きな事をしていなくても 道行く人に笑顔で挨拶ができる人に わたしは惹かれます。





そんな方に出逢ったら、わたしは後にも先にもネギを背負って出掛けます^^



わたしはカモです〜♪

わたしは 何でも人にポイポイあげます。



どこかで 面白いものを見つけると 『話の種』に いくつか買って、誰かにあげます。



こないだも お忍びで出掛けた先で 美味しいお豆をみつけたので お忍びなのに、そのまま いつものカフェに出掛けて 話の種のお豆を持っていきました^^



わたしは こんなことはザラにあります。



例えば、こちらでも紹介させていただきましたイヤシロソルト。

一本、300円です。

大量買いしていまして、いつもどこでも ポイポイあげてます。


還元塩が還元されてます^^



人との付き合いってこういうものです。


物で釣るわけではありませんが わたしは昔から人とは、話の種にとなんやかんかあげてました。


ただの話の種です。


ありがたいと思ってもらいたいわけではなく
喜んでもらいたいわけでもなく
ただ、これがわたしなのです。



自分がいらないものは人にも上げません。



自分に感動、喜びをもたらしたものを ただ、配るだけです。



喜びってそうやって、配るものだと思います。



読者の皆様は、わたしのブログや他の方の記事を読んで、ほ〜っ そういうものか と感心したりしませんか?


そう、自分が感心したり感動したものを 人に話をしたりはしませんか?




わたしは人に話をさせていただくときに

わたしの話で感心したなら、それを人に話しなさい と言っています。



自分だけが幸せになればいいというものではないのです。




わたしは 今まで、膨大な記事を書いています。


それは わたしだけのものではなくて、
読んでいただいている皆さんのものでもあるのです。



だから、それを話の種にして 人に話をしてみてください。



わたしがわざわざ、どこかに出向いて話をしなくても
これだけの記事をしっかりと読んでいたら
誰とでも、スピ話しはできるでしょう。




そうやって 自分が感心したり感動したことを伝えるだけで 自分に還元されていくのです。



そういうものです。



仕事で いくらスピリチュアルな記事を書いていても プライベートで実践していない方も見かけます。



もったいない話です。



話の種、幸せの種を自分だけ、ヒン握っていても仕方がないでしょう。



自分に与えられた幸せの種を分け与えることで 幸せは花を咲かせるのです。


まあ、分け与えるとはオーバーな話で

こんな面白い話があったよ♪って伝えたり
こんな美味しいものがあるよ♪って配るだけなのです。



それは 自慢材料には、ならないです。




大きなことをやろうとするから
大きなものを探そうとするけれど
小さなものでも人に伝えたり配ることで、巡るのです。



自分の小さな感動、想いが巡るのです。



それだけで 心がほっこりするものです。



愛の循環ってほどのことでもなくて

不特定多数の人にTwitterなどでつぶやくのではなくても

自分に関心を持ってくれている人にだけに振る舞うのではなくて


誰でも、誰にでも 自分の感動を直接、手渡しで配るのです。



ちなみに、美味しいお豆を売ってくれたお兄ちゃんにもイヤシロソルトをあげました^^




どんだけ、あげるんや〜♪




わたしは 見かけたら 誰にでも イヤシロソルトを配ってます。


ちなみに、あっイヤシロソルトさんの回し者ではありません。



ただのままのままです♪


相談内容で、具体性に欠けるものは、受けることは難しい。 


なぜなら、こちらから、「何があったの?」と聞かなきゃいけないようなことはメールのやり取り上で面倒だからだ。 


相談があるなら 単刀直入に具体的に言ってほしい。 


人の勘をひいて相談があるようなそぶりも迷惑です。  


こちらから、「どうしたの?」「何があったの?」と聞かなきゃいけないぐらい無駄なことはないと思うんだ。 


よく娘にも叱るけど、「〇時に電車に乗ります」と送られてくると、「何時にどこにつくの?」と返信しなければならない。 

「〇時に〇〇〇につくから迎えに来てください」 

と送られてこれば、「了解」と返信すればよいだけのこと。 



こんな些細なことと思うかもしれないが それができる人とできない人がいます。 


人を思いやる気持ちがないからできないのだと思います。 


人を思いやり気持ちがあれば気がつくはずだから。



言いたいことがあるならハッキリと。 


聞きたいことがあるならハッキリと。 


箇条書きにしてくれた方が受ける方も楽なのです。 


頭ともシッポともつかないことをダラダラ言われても いったい何が言いたいのかわからない文章は流すしかない。 


報告なら報告。 連絡なら連絡。質問なら質問。相談なら相談。 
らしく、書いてくれないと迷惑です。 




それが人とコミニュケーションをとるためのマナーです。 



そしてまた 自分の思い込みで話を進めている場合の相談も厄介です。 


事実は事実でしかないのに それに基づく自分の主観が根強く、思い込んでいる。 


その思い込みは思い込みなだけで 事実とは異なるからです。 


そして その思い込みが前提で相談される場合も厄介です。  


事実だけ教えてくれれば、それを判断するのはわたしです。 


思い込みの強い人はとかく自分の判断が間違いだと気づきにくい。 


ただの思い込みだと指摘しても それを受け入れることが容易ではないようです。 


自分の過ちを認められない。 


相談よりも間違いを訂正することから始めなければならないので厄介です。 


人とのコミニュケーションが苦手だと言う人は、このように 思い込みが激しいか 言いたいことを箇条書きにすることが苦手なのだと思います。 



でも 苦手というよりも思いやりがあれば、防げることですね。 


苦手だからと逃げていても解決しないものです。


まずは 相手を思いやる心からです。 




だったら わたしは思いやりがないですって? 


わたしは、無駄だと言いながらも教えます。 
迷惑だと言いながらも教えます。 



人を放置してそのままにはしないです。 





気づきが起きるためには、何か感謝できることが起きること。 


だから、人に気づきを起こそうと思うならば、人から感謝されることをすることなのです。 


人から感謝されること


相手の立場を思いやり行動を起こすこと 




相手の立場を考えない行動は逆に相手を怒らせてしまうことになり逆効果になります。 




人によって感謝のポイントは違います。 


人それぞれです。 



通りいっぺんのことをしても感謝される場合もあれば感謝されない場合もありますね。 



その時、その人の立場になって、その人を想い、考えることです。 


気配りとも言えます。




わたしは、日々 その時々において 人の立場を考えて行動をしています。 


心願祈願もそうですが、いつもいつもです。 


それが癖になってしまっているので、頭や身体が勝手に動いてしまいます。 


気付きを起こしたいわけでも感謝されたいわけでもなく ただ、自分がそうしたいだけなのです。 


だから 今回、このようなことを書いていて わたしが日々の生活でしていることは 人に気付きを起こすことなんだなあ と気付きました。 


わたしとしては無意識にやりたいからやってるだけなんです。 



鈍感なわたしです。 


だから こうやって書くとわかるのです〜 




昭和を生きてる人って親に甘えてきていないように思います。 

わたしもそうだけど。 


甘えられない環境にいた、というのかな? 


だから、アダルトチルドレンと呼ばれる人が多いですね。 


そのため 自分に厳しくて他者にも厳しいのです。 

ジャッジも強いしね。 


だから、人から疎まれることも多いです。 



わたしはそんな昭和の生まれですがおばあちゃんには甘やかされたけど親には全く逆の扱いを受けてきました。 


だから、両方の気持ちがわかりますし 両方の特徴を受け継いでいます。 


平成生まれの人の中には、そんな昭和の時代に生きた人の気持ちをわからずに かんたんに、廃除しようとする人も少なくありません。 


廃除=否定です。 


昭和の時代というのは、甘えられない厳しさを原動力として さまざまなものを生み出してきました。 


平成生まれの人は、そんな想いで生み出されたものを当たり前にして、否定してきます。 


自分を否定しているようなものだとわたしは思います。 


平成は昭和の上に乗っているのです。


今までは、そんなストレスのようなエネルギーが原動力で生み出されてきた時代ですが これからの時代はそれが原動力として生み出せない時代に変わりました。 


愛が原動力の時代です。


ただ、それだけのことです。 


時代が変わった。 


というだけのことで、そんなエネルギーを否定しなければいけないということではないのです。 



手放す、浄化する というのは そんな、甘えられない環境にいた人たちの厳しい現実に対する感情なのです。 人ではない。


甘えたくても甘えられない。 弱音を吐けない。 


そんな苦しみのエネルギーです。 


だから、人にたいしても厳しくしてしまう。 




その時代に生きた人は、そんな苦しみを経験してきて、次は人を許しなさいと言われているのです。 


その心を思いやる気持ちはないのかなあ と思います。 




誰だって 人に癒されたいものです。 


AIに癒されたいわけではないのです。  



人を思いやること、をいまひとつ考えてほしいと思います。 





わたしには、言葉は妙にキレイだけど、なんか違うなあと感じてしまう人がいます。


人の悪口は言わないし、バランスを大切にされていて 中庸という印象を受けます。


今は、そんな方が人気のようです。




思えば、わたしはこの中庸というのがよくわかりません。


わたしもバランスよく〜 とは言っていますが、わたしはバランスよりも受け入れることを大切にしているからかもしれません。


相手がデコボコしていてもいいのです。


わたしがその分、補充するから。


中庸というのは、誰もが均等に右手左手に荷物を持って歩むというイメージがありますが わたしは相手の荷物を持つことで相手の負担を軽くして二人で二人分の荷物を持てば良いと考えます。


二人でひとつ、という考え方になるのかな?


考え方の違いです。
役割の違いなのかもしれません。



目指すのは、まずは自分の荷物を自分で持つことかもしれませんが 出来ないときもありますよね。

そんなとき、頼れる人やさっと持ってくれる人がいれば良いと思います。


以前も書いたかと思いますが、わたしから受け入れられない前提で話をされる方がいます。


でも わたしは、あっさり受け入れますから 不思議がられます。



わたしは、人との垣根がないからかもしれませんね。


だから、人から受け入れられない前提で話をされるとわたしは違和感を感じてしまいます。


それが良い悪いというわけではなく、ただ 人に頼ってもいいんだ、バランス良い人にならなければいけないことはないんだ ということを知っておいてもらいたいなあと思います。



また、リーダーと呼ばれる人なら中庸だ、バランスだと言っていないで 周りを見て、荷物を持ってあげるくらいの技量はないのかなあ と淋しく感じます。



あくまでも これは、わたしの意見ですが。

今は、パートナーシップの問題に直面することが多い時期のようです。


夫婦、恋人、仕事のパートナーなどがあります。


良い関係を築いていれば より深い関係へと発展したり関係性が変わることがあります。


また 見直しが必要である関係であれば、イザコザが起きたりしているようです。


わたしも空ちゃんと見直すことがありました。


パートナーってたましい的には対等ですが社会的な立場の違いがありますよね。


そこを鑑みることなのです。


自分にある神性を大切にすることは必要ですが 相手の神性も大切に保つことも必要なのです。



そのためには、歩み寄ることです。


自分から歩み寄る姿勢を持つのです。


大切なら歩み寄れるはずです。


歩み寄れないのは大切ではないから。


人だから、約束を忘れたり間違うことはあります。


そんなとき、許しあっていますか?

話しあっていますか?



互いに、歩み寄ることをしていますか?



心の強い者の方から歩み寄るのです。


謝ることは負けることでも心が弱いことではありません。


心が強いから謝ることができるのです。


歩み寄ることができるのです。

自分にとって大切なものって それぞれ違う。


それを認めあって生きていければいい。


そう、思うんだ。


否定しないの。


苦手だとしても否定はしないのです。


そうやって、共存していけばいいんじゃないかな。


否定しない。
ひけらかさない。


そうやって生きると、大切なものは手に入る。

TOKIOの山口くんの不祥事は、山口くん個人の過失ではなくて TOKIOのメンバー全体の問題だとわたしは思います。

依存症であるにも関わらず、自分で治せよ!と突き放すのはメンバーとしてはどうかと思う。

家族のような存在ではなかったのだなと思う。

離婚したのだって、山口くんは甘えてるから自業自得だよというメンバーの想いがあったんだと思うのです。

TOKIO自体が相談できない体質だったんだと思うのです。


23年も一緒にやってきて山口くんはあまえっこだからってわかっているでしょ


空ちゃんにも同じようなことはある。


空ちゃんは、わたしには甘えるしわたしを甘えさせるけど、他の人には厳しくて 見守ります体制が強くて、それは ただ 関わりたくないからだと思うのです。

わたしは誰にでも手を差し伸べます。

そんなわたしを空ちゃんがは押さえつけることもある。

また 空ちゃんに関わる人にたいしてわたしが手を差し伸べたいときは 必ず、空ちゃんにお伺いをたてますがたいてい却下されます。


わたしはそんなビジネスライクな空ちゃんが理解できないときがあるのです。


一方、しゅじんは わたしにすべて委ねます。


自分の友達のことなどもすべて、わたしに振ってきます^^


楽と言えば楽です。



まあ、そばにわたしみたいな人間がいるからだと思いますが そうしてみると、TOKIOのメンバーは、山口くんだけでなく他のメンバーも甘える人がいないのかもしれませんね。


空ちゃんは甘える人がいないというよりも わたしを自分だけのものにして隠しておきたいのと 自分よりも頼りになるわたしを外に出したくない気持ちがあるのでしょう。


この山口くんが犯した罪というのは、どれくらいの罪になるのかはわかりませんが そんなに責め立てることではないと思います。


わたしがもし被害者の女性の母親ならば、夜中にそんな酒を飲んだ中年男性のところには行かせませんしうちに呼びます。

わたしの娘なら絶対にうちに呼んだと思います。

ほんと、かわいそうだなあ とつくづく感じて心が痛いです。



この不祥事は誰もが被害者で加害者がいるとするならば、倫理観をなくそうと企む集合意識だと思います。

誘われて断れないこと、あると思います。


断ると迷惑をかけてしまうとか
断ると嫌われてしまうんじゃないかとか
頭で考えて、結局 断れないのです。


そうやって、ストレスを抱えてしまいます。



それは 相手への思いやりだったり ただ、自分の意見が言えないだけだったり 理由は様々だけど、自分にストレスを抱えてしまいます。



人はストレスを溜め込むと、身体や心に不調をきたします。



人への思いやりや自分の意見を言えないことが そのストレスによって身体や心を蝕むのです。



以前も書いたのですが、病気になったり不調になることは当たり前ではないのです。


ストレスを溜めないことが当たり前なのです。



我慢することや自分の意見を言わないことや断れないことって 人にとって当たり前にあることではないのです。




最近では、それが浸透してきたからか、自分の意見を言える人や自己主張をされる人も増えてきていますね。


だけど 言えば良い、わけではないですね。



やはり それは人への思いやりは必要なのです。


我慢は必要ないけど お断りする際に人への配慮は必要です。


人への配慮なく、ただ主張する人もいらっしゃいます。


そのような楽天的な人はストレスは抱えないでしょう。

だけど、相手にストレスを与えてしまうのです。


自分にも相手にもストレスを与えないようにすることが大切で そのような方は、前向きな人と言えるでしょう。


前向きな人とは、相手にも自分にも思いやりがある人のことを言うのです。


前向きと楽天的とは違います。

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