この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

カテゴリ: 自己価値


自分の過去や触れて欲しくない部分や秘密主義のある場合には、 その部分は 透明ではない部分なのです。 


透明:自分自身にも周りにも見られて全然平気な状態で明け透けに出来ること 
 
 
秘密にしておきたい部分や自分の過去を話したくない気持ちの中には 
「自己憐憫」「自己重要感」「自己陶酔」が隠れています。 
 

これらは、自己中心的な心のため憑依の対象となるものです。  
 

これを自覚できてない人は 案外多いです。
 

だから 
自分を赤裸々にする 
隠し事をしない 
嘘をつかない 
ごまかさない 
誰かのせいにしない 
 
という意味で 
自己の情報公開姿勢は本当に大事です。 
 
それこそがわたしの言いたい心の姿勢の真髄。 


自分が抱えてるものをごまかし 
いつも気にしてるのに「もうどうでもいい」と嘘をつき 
嫉妬の念を反発や嫌悪憎悪で覆い隠し 
素直になれない強情さが問題を深刻化させる。 
 


でもそれらを紐解くと 最終的にあるのは 「恐怖心」と「孤独」なのです。 
 


秘密主義と聞くと、ミステリアスに思えるかもしれませんが、実は憑依の一種と言えるでしょう。 



これからの地球を生き延びるためには、それらは手放すべきと言えるでしょう。 





わたしは神様の遣いとして動かせていただいておりますが、わたし自身は神様ではありません。 


だけど わたしの口を介して発せられる言葉は、神様の言葉ですし 
わたしがさせていただくことは神様の動きです。 



だから わたし自身を畏れ多いと感じてほしいと言っているわけではなくて わたしの奥にたいして、そう感じることが出来ないのは心が捻れていることだと申し上げております。 


そして わたしはそれぞれの方々と話をさせていただきますが その時には、その方の魂(神様)からの言葉を降ろします。 


だから 貴女方は自分の魂と直接、話をしているということになります。 




だから 指摘するときは指摘するし誉める時は誉めます。 




わたしとままのままさんとの関係と同じだと思ってください。 



そんなわたしはまだまだ進化を続けるひとりの人間です。 



重い言葉を降ろした時にはわたし自身、体に負担がかかります。 


それがわたしの役目ですが、そんなときは眠れなくもなるし苦しくもなる。 



平然とやっているわけではありません。 




それぞれの方々の魂(神様)にたいしての畏怖心があるから、させていただいております。 




自分でも 様々な神が入り込むので自覚できない時もあります。 
だけど こういうことのようです。 
そして 体の負担を感じるときには自分に戻るので、そのギャップに苦しむのです。それが長く続くときもあり、そんな時は わたしの想いとして 何か書いてしまう時もあります。まだまだだなあと感じています。 



恐れ多いという意味は、
身分の高い人や目上の人に対し,礼を失するようで申し訳ない。尊くてもったいない気持ちだ。かたじけない。です。 



わたしは常に神様と交流をさせていただいているので、恐れ多いという姿勢を持っています。 


しかし 神様との関係が希薄な方はそう感じることもないでしょう。 


そのため わたしに関わる人に氏神様参拝をお勧めしています。 


それは、心の姿勢を整えるためです。 


明らかに自分よりも身分の高い方への接し方、姿勢を学ぶことは人としての基本だと感じています。


それが素直さ謙虚さを育てることでもあると確信しています。わたしが経験してきているから。 


それが育たないのは、対象が尊いものだと認識できないからかもしれません。 


尊いとは、価値の高い、価値のあるという意味です。 


要は価値そのものが分かっていなければ尊さは認識できないのでしょう。 

だから、自己価値が低いのですし、人を大切にしないのですし物を大切にも出来ないのです。 


突き詰めて考えると、物を大切に使えない人は尊さが認識できないかもしれません。 


だからわたしは、物を大切にすることにも触れるのです。 


乱雑な言葉使いも同じです。 




いくら毎日、神様に手を合わせていても、神様の尊さや物の大切さも人の大切さもわからない人は、日々の生活を見直してみることをしてみてください。 


日々の生活がその人を創るのです。疎かにしないように。 



そうすることで、尊さが芽生えるでしょう。 


神様は尊い存在です。 

そして どなたにも神様を内在しているのです。 






わたしは内に潜む神様の力を感じたことがあります。 
ひと山もふた山も簡単に動かせるほどの力です。 何かあった時にはそれが発動されるのでしょうが、そんな力は使わず生活していきたいと感じています。 


しかし、わたしにとって 寂しいと感じるのは、内在している神様を呼び起こそうとしていることかもしれません。 



成長することと自分の価値を上げることは違います。


出来ないことがあったり失敗した場合に必要以上に落ち込むのは、そこに自分の価値を見いだそうとするからです。



成長できないからといって、自分の価値がなくなるわけではないのです。



そこを混同されている方が多いように思います。


わたしは 元々が 成長することと価値を上げることは別物と考えていますから、メールアドバイスなどでは厳しく話をさせていただきます。


すると、落ち込まれる方もいらっしゃいますが
それは あることが出来ないから、それで 自分の価値がなくなると感じてしまうからですね。



一方、わたしの娘は わたしがどれだけ厳しく叱っても落ち込みません。


わたしにどれだけ厳しくされても それで自分の価値を下げないからです。

そのため、話が終わったあとは ノー天気でいます^^



この両者を観ているので 自分の価値は、成長如何でないと 心から思います。



わたしたちの魂は 元々、成長するために生まれてくるのですが
だけど できないからといって 自分の価値を下げるものではない ということを知っておいてほしいです。




自分の価値は 成長如何ではなく
元々、あるものだと覚えておいてくださいね。




誰もが 価値ある人間なのですよ。


「自分の価値」の話しの方ですが、お喋り出来ても会話が出来ないタイプの人なのかなと感じます。 



自分より年下の人やザックバランとした話しは出来るけれどもビジネスライクな会話は苦手なのかもしれません。 


しかし 50にも手が届くような人がため口だったり軽々しくお願い事をされるのはいかがなものかとは思います。 



しかし、わたしからすると、軽々しく〜と感じることが相手からしたら普通のことで気難しい人と捉えられてるかもしれません。 


そして こんなわたしの主張が理解出来ないかもしれません。 




どちらが良い悪いではなくて ただ、合わないというだけかもしれません。 





わたしからしたら、いい大人が。。。と思ってしまいますが、その方は何とも思っていないのかも知れない。 




そんな気がします。 



そして そんな人が多いように感じるし そんな人が世の中を変えていきたいと真剣に考えてる。 




わたしからしたら、自分を価値ある存在だと感じているから、そうでない相手から真っ先に自分を守ろうとするのですが、そのような人たちは「価値」というものがわからないのに人の価値を見出だそうとしてる。。。 




人の価値を見出だすには、とにかく、大切に大切に扱うこと。 

真綿にくるむように大切に大切に扱うこと。 





大切に扱うには、人から大切に扱われたことがなかったら出来ないことなのです。 





人から大切に扱われたことのない人に対してあれこれ言う前に、わたしから手を差し伸べなさいと言われているのかもしれません。。。 




大反省ですが、実際は関わりたくないです。。。 






それは、相手の価値がわかっているからだと思う。 


相手の価値がわかっているから 生返事しないし一回請け負ったら最後まで気を緩めたりしない。 



フルネーム鑑定では、ままさんの話が済むまでやる。 

1時間2時間はザラで長い時は二日三日に分けるときも。 




目の前のことに諦めない、集中するという性質のためかもしれない。 




一度関わったら大切にする。 



優しくないかもしれないけれど大切にする。 





相手の価値がわかるから自分を低く見積もってるような人は気になってしまう。。。 



誰もが自分の価値を感じて生きてほしいなあ。 




メールひとつ、電話一本でお願いすれば受けてもらえると思うのかな?


大きなことでも小さなことでも係わらず、軽〜くお願いしてくる人っていますね? 





わたしは軽々しく頼まれ事されても頭を縦に振りません。 


それは自分の価値を知っているから。 


お金を払ってもらえば良いかと言ったらそうでもなくて、わたしの価値をわかってくれてる人の頼みしか聞かない。 



神様の遣いをしてると、真に神様はわたしを丁重に扱ってくださり頭が下がります。 
だから すぐに動かねば、とも思うのですが。 




言い方ひとつ頼み方ひとつだと思いますが、がっかりさせる人っているものです。 




人をまとめるような仕事をされてる人がそうなので開いた口が塞がらない。 



わたしみたいな面倒な人には関わりたくないと思われるかもしれないけれど、それでも良い。 


付き合えないなあと思う。。。 



そこ、変える気ないな。 





先記事はわかりやすく表現するために 強い弱いと書き表しました。


しかし 実際には、強弱はなく それは、自分の心の中の思い込みで造られてしまうものです。


わたしが言いたいのは 人は皆、強弱という違いはないんだ ということなんです。


人それぞれ個性は違いますが 強弱、善悪という違いはないのです。


強弱善悪は人の心が決めていることです。


強いと表される人間であっても弱いと表される人間でも何かに立ち向かう心は持っているものです。


強い女、弱い女なんて存在しない。


誰もが愛される存在で守られなければならない存在なんていない。


守られなければいけないものは人としての尊厳です。

こうやってみると、SNSというのは自己主張して認められたい人の集まりで 自分に自信のない人の集まりなんだろうなあ ということがわかる。



自信がないと自己価値が低くて、自分に値段をつけることができない。


自分の作品を極端に低く見積もったり、相手に値段をつけさせたり、こだわりの〇〇〇という明らかに価値がわかるものを取り入れたりして、いかに自分の自信のなさを隠すことをしようてする人が多い。



こだわりのお米で握らなくてもわたしのお握りは、非常に価値あるとわたし自身は思っている。


だから、価値がわかる人にしか握らない^^




自分の価値って値段をつける云々じゃなくて、どれだけ自分は価値ある人かをわかっていればいいのだと思う。


だれもが価値ある存在だから、それに気づいてほしいなあ と思います。

自己価値は心の裕福さで計ることができます。


そして 心の裕福さは現実的なお金に比例するものです。



心が貧しくて お金を毛嫌いしている人は裕福になることを制限しているのです。


また、今までの心の貧しさから脱出できたとしても、今のままで十分だと謙虚にならなければいけないと思っていると豊かさは遠退くものなのです。



『足るを知る』
という諺があります。


本当に今のままで十分だと謙虚に生きている人はお金も増えていくもので、 謙虚にならなければいけないと我慢している人は 現実的な金銭面には反映してこないものなのです。


自己価値が低いと、自分の意見をハッキリ言えない傾向があり、また 低いが故に覚られたくなくて、見栄を張る人もおられます。


自己価値が低いと、自分に自信がなくて自分の意見を言えなくなるか自己主張が強くなるかどちらかになります。



自己主張と自分の意見を伝えることは違うのです。


それを履き違えている方も多いです。



それ故に 自己価値の低い人は経済観念がしっかりしていないという特徴に出やすいですね。


自己価値が低いから、物質で補おうとします。

そのために、お金を使います。

結果、お金はなくなります。


だけど、自己価値が高ければ 補おうとしなくなりますので、お金が減ることはなくなります。


また 自分は裕福になる価値がないんだと制限すると 豊かさ(お金)は巡っては来ないものなのです。



自己価値の高い人=自信のある人は、高ければ高いほど 謙虚になるものです。


それは 何を言われても何が起ころうとも自分の価値は下がらないということがわかっているので、頭を下げることが出来るのです。


しなければいけないと頭を下げるのではなくて 自分の意志で自ずと頭が下がるのです。


結果、より豊かになるのです。



お金が欲しい、裕福になりたいと思っている人は多いです。



裕福になりたければ、まずは経済観念をしっかり持って自己価値を上げることです。


いくらお金を稼いでも 自己価値が低いと、使いすぎてしまい 豊かさからは遠退きます。


まずは、経済観念をしっかり持つことで 自己価値を上げて、自分に自信が持てるようにもなりますよ。


お金のお勉強は大切ですね。

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