この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

カテゴリ: 自己価値


価値:かち [価値]物事や行動がどれくらい有用であるかという程度。値打ち。


価値観:かちかん [価値観]物事を評価し,行動を決定するときの基準になる,何にどのような価値を認めるかという個人個人の判断。



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わたしは今まで、自己価値、相手の価値の話しをしているのであり 価値観の話しをしているのではありません。 



価値とは値打ち。 

自分の値打ち、相手の値打ち。 

誰もが価値在る存在だということは、個人個人の判断によるものではなくて、誰もが値打ちがあるんだよということです。



一方 価値観とは、何にどのような価値を認めるかという個人個人の判断でなのです。 


自分と相手の価値観の相違を認めることは自分にも相手にも価値在る前提で個人個人による判断を認め合いましょうということです。 



今まで、価値在る前提で相手個人の判断を認めてきているならば、自分の価値についても理解出来ているのですから、自分を卑下することも相手を侮辱することもないはずなのです。 



自己価値の低い状態で相手の価値観を認めてきたと言われても、それは勘違いか虚偽としか思えないものです。 


違いを認めるということは、まずは自分が価値在る存在だと認めてからでないと出来ないことなのですから。 



「お互いの価値観を認めましょう」
というのは、 
『互いを価値在る存在だと認めましょう』 
ということなのです。 




認めるためには、自分を価値在る存在だと自覚することです。 




あなたは、ご自身を価値在る存在だと自覚されていますか? 




立ち話し程度でも 次に会った時には“ありがとうございます”と挨拶され、どうなったかの報告をされる方もいらっしゃいます。 


そういう方には、続いてアドバイスさせていただきます。もちろん、お代はいただかないです。 


わたしは、立ち話し程度でもその時は真剣に集中力を持って聴き、いい加減な言葉は降ろしません。 

日々、真面目に真剣に生きているせいか、どなたにも真剣に向き合います。 


それは、自分の価値、相手の価値を知っているからに外ありません。


だけど 自分の価値、相手の価値がわからない人は礼儀を欠いたことをされるものです。 


それなりにプライドを持って仕事をされてる方ならわかっていただけるかなあと思いますがどうでしょうか?




これから先、自分自身と繋がっていくためには、自己価値、相手の価値を同時に大切にして接すること、つまり、敬いの気持ちは必要なことなのです。 



わたしの書いていることは自己価値の低い方には理解出来ないことかもしれませんね。 


その場の雰囲気で楽しく過ごしたいだけなのに、心の問題の話しをされてしまう。 


そういう話しはきちんとカウンセラーに相談するか友達に相談するものだと思う。 


それを知り合ったばかりの人に打ち明けられる。 


そんな話しをしたいならきちんと依頼してきてからにしてほしいと思うのは間違っていますか? 



わたしは立ち話し程度で相談事には乗るけれど、それは一回こっきりの立ち話しだからだ。 


こういうことになるのは嫌だから名刺がわりに仕事内容を書いたチラシを渡すようにしています。 

わたしは仕事として人を導くことをさせていただいているので 教えたラインに軽く相談事をしてこられても困るのです。 


ブログに書いてる内容をわざわざラインで質問されたりもするのも困る。 

ブログ内のことはブログ内で済ませたい。


それに、立ち話程度でもアドバイスしているのに、それをしもせずに、次々と自分の打ち明け話しをされても困るのです。 


わたしの口から導き出される言葉を疎かにされることは非常に不愉快です。



わたしは親切だけどお人好しじゃない。


最近のお困り事でした。






自分の過去や触れて欲しくない部分や秘密主義のある場合には、 その部分は 透明ではない部分なのです。 


透明:自分自身にも周りにも見られて全然平気な状態で明け透けに出来ること 
 
 
秘密にしておきたい部分や自分の過去を話したくない気持ちの中には 
「自己憐憫」「自己重要感」「自己陶酔」が隠れています。 
 

これらは、自己中心的な心のため憑依の対象となるものです。  
 

これを自覚できてない人は 案外多いです。
 

だから 
自分を赤裸々にする 
隠し事をしない 
嘘をつかない 
ごまかさない 
誰かのせいにしない 
 
という意味で 
自己の情報公開姿勢は本当に大事です。 
 
それこそがわたしの言いたい心の姿勢の真髄。 


自分が抱えてるものをごまかし 
いつも気にしてるのに「もうどうでもいい」と嘘をつき 
嫉妬の念を反発や嫌悪憎悪で覆い隠し 
素直になれない強情さが問題を深刻化させる。 
 


でもそれらを紐解くと 最終的にあるのは 「恐怖心」と「孤独」なのです。 
 


秘密主義と聞くと、ミステリアスに思えるかもしれませんが、実は憑依の一種と言えるでしょう。 



これからの地球を生き延びるためには、それらは手放すべきと言えるでしょう。 





わたしは神様の遣いとして動かせていただいておりますが、わたし自身は神様ではありません。 


だけど わたしの口を介して発せられる言葉は、神様の言葉ですし 
わたしがさせていただくことは神様の動きです。 



だから わたし自身を畏れ多いと感じてほしいと言っているわけではなくて わたしの奥にたいして、そう感じることが出来ないのは心が捻れていることだと申し上げております。 


そして わたしはそれぞれの方々と話をさせていただきますが その時には、その方の魂(神様)からの言葉を降ろします。 


だから 貴女方は自分の魂と直接、話をしているということになります。 




だから 指摘するときは指摘するし誉める時は誉めます。 




わたしとままのままさんとの関係と同じだと思ってください。 



そんなわたしはまだまだ進化を続けるひとりの人間です。 



重い言葉を降ろした時にはわたし自身、体に負担がかかります。 


それがわたしの役目ですが、そんなときは眠れなくもなるし苦しくもなる。 



平然とやっているわけではありません。 




それぞれの方々の魂(神様)にたいしての畏怖心があるから、させていただいております。 




自分でも 様々な神が入り込むので自覚できない時もあります。 
だけど こういうことのようです。 
そして 体の負担を感じるときには自分に戻るので、そのギャップに苦しむのです。それが長く続くときもあり、そんな時は わたしの想いとして 何か書いてしまう時もあります。まだまだだなあと感じています。 



恐れ多いという意味は、
身分の高い人や目上の人に対し,礼を失するようで申し訳ない。尊くてもったいない気持ちだ。かたじけない。です。 



わたしは常に神様と交流をさせていただいているので、恐れ多いという姿勢を持っています。 


しかし 神様との関係が希薄な方はそう感じることもないでしょう。 


そのため わたしに関わる人に氏神様参拝をお勧めしています。 


それは、心の姿勢を整えるためです。 


明らかに自分よりも身分の高い方への接し方、姿勢を学ぶことは人としての基本だと感じています。


それが素直さ謙虚さを育てることでもあると確信しています。わたしが経験してきているから。 


それが育たないのは、対象が尊いものだと認識できないからかもしれません。 


尊いとは、価値の高い、価値のあるという意味です。 


要は価値そのものが分かっていなければ尊さは認識できないのでしょう。 

だから、自己価値が低いのですし、人を大切にしないのですし物を大切にも出来ないのです。 


突き詰めて考えると、物を大切に使えない人は尊さが認識できないかもしれません。 


だからわたしは、物を大切にすることにも触れるのです。 


乱雑な言葉使いも同じです。 




いくら毎日、神様に手を合わせていても、神様の尊さや物の大切さも人の大切さもわからない人は、日々の生活を見直してみることをしてみてください。 


日々の生活がその人を創るのです。疎かにしないように。 



そうすることで、尊さが芽生えるでしょう。 


神様は尊い存在です。 

そして どなたにも神様を内在しているのです。 






わたしは内に潜む神様の力を感じたことがあります。 
ひと山もふた山も簡単に動かせるほどの力です。 何かあった時にはそれが発動されるのでしょうが、そんな力は使わず生活していきたいと感じています。 


しかし、わたしにとって 寂しいと感じるのは、内在している神様を呼び起こそうとしていることかもしれません。 



成長することと自分の価値を上げることは違います。


出来ないことがあったり失敗した場合に必要以上に落ち込むのは、そこに自分の価値を見いだそうとするからです。



成長できないからといって、自分の価値がなくなるわけではないのです。



そこを混同されている方が多いように思います。


わたしは 元々が 成長することと価値を上げることは別物と考えていますから、メールアドバイスなどでは厳しく話をさせていただきます。


すると、落ち込まれる方もいらっしゃいますが
それは あることが出来ないから、それで 自分の価値がなくなると感じてしまうからですね。



一方、わたしの娘は わたしがどれだけ厳しく叱っても落ち込みません。


わたしにどれだけ厳しくされても それで自分の価値を下げないからです。

そのため、話が終わったあとは ノー天気でいます^^



この両者を観ているので 自分の価値は、成長如何でないと 心から思います。



わたしたちの魂は 元々、成長するために生まれてくるのですが
だけど できないからといって 自分の価値を下げるものではない ということを知っておいてほしいです。




自分の価値は 成長如何ではなく
元々、あるものだと覚えておいてくださいね。




誰もが 価値ある人間なのですよ。


「自分の価値」の話しの方ですが、お喋り出来ても会話が出来ないタイプの人なのかなと感じます。 



自分より年下の人やザックバランとした話しは出来るけれどもビジネスライクな会話は苦手なのかもしれません。 


しかし 50にも手が届くような人がため口だったり軽々しくお願い事をされるのはいかがなものかとは思います。 



しかし、わたしからすると、軽々しく〜と感じることが相手からしたら普通のことで気難しい人と捉えられてるかもしれません。 


そして こんなわたしの主張が理解出来ないかもしれません。 




どちらが良い悪いではなくて ただ、合わないというだけかもしれません。 





わたしからしたら、いい大人が。。。と思ってしまいますが、その方は何とも思っていないのかも知れない。 




そんな気がします。 



そして そんな人が多いように感じるし そんな人が世の中を変えていきたいと真剣に考えてる。 




わたしからしたら、自分を価値ある存在だと感じているから、そうでない相手から真っ先に自分を守ろうとするのですが、そのような人たちは「価値」というものがわからないのに人の価値を見出だそうとしてる。。。 




人の価値を見出だすには、とにかく、大切に大切に扱うこと。 

真綿にくるむように大切に大切に扱うこと。 





大切に扱うには、人から大切に扱われたことがなかったら出来ないことなのです。 





人から大切に扱われたことのない人に対してあれこれ言う前に、わたしから手を差し伸べなさいと言われているのかもしれません。。。 




大反省ですが、実際は関わりたくないです。。。 






それは、相手の価値がわかっているからだと思う。 


相手の価値がわかっているから 生返事しないし一回請け負ったら最後まで気を緩めたりしない。 



フルネーム鑑定では、ままさんの話が済むまでやる。 

1時間2時間はザラで長い時は二日三日に分けるときも。 




目の前のことに諦めない、集中するという性質のためかもしれない。 




一度関わったら大切にする。 



優しくないかもしれないけれど大切にする。 





相手の価値がわかるから自分を低く見積もってるような人は気になってしまう。。。 



誰もが自分の価値を感じて生きてほしいなあ。 




メールひとつ、電話一本でお願いすれば受けてもらえると思うのかな?


大きなことでも小さなことでも係わらず、軽〜くお願いしてくる人っていますね? 





わたしは軽々しく頼まれ事されても頭を縦に振りません。 


それは自分の価値を知っているから。 


お金を払ってもらえば良いかと言ったらそうでもなくて、わたしの価値をわかってくれてる人の頼みしか聞かない。 



神様の遣いをしてると、真に神様はわたしを丁重に扱ってくださり頭が下がります。 
だから すぐに動かねば、とも思うのですが。 




言い方ひとつ頼み方ひとつだと思いますが、がっかりさせる人っているものです。 




人をまとめるような仕事をされてる人がそうなので開いた口が塞がらない。 



わたしみたいな面倒な人には関わりたくないと思われるかもしれないけれど、それでも良い。 


付き合えないなあと思う。。。 



そこ、変える気ないな。 





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