この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 奉仕について


自分のことを言うのもアレなのですが、わたしはよく人を見ています。 


くまなく見ています。 


観察力があるからなのかどうかはわかりませんがよく見ています。 

だから、視野が広いです。 



さっきの記事で、わたしは親切だと書きましたが、たぶん 親切だからよく見るし観察力もあるし視野が広いのだと思います。 


人に親切にすることは頭で考えることではなくて 自分そのものがそう動く、つまり身に付いているのです。 


親切が身に付いているのです。


要は、癖つけです。 



言われても頭で考えないとできないのは身に付いていないからです。 


これが育ちというものです。 


わたしの親切は生まれ持ったものでもあるとは思いますが、育った環境を考えるとうなずける部分はあります。 


うちの親もドがつく程の親切な人でしたから。 


それを見てきて育ってきているので、同じように育っています。 


だから、これが当たり前なのです。 



そこそこ家庭でのしつけがあるので、当たり前が違うのは当然ですね。 



だから 何がなんでも、とは思いませんが 
子育てする際には、そういうことを気をつけられるとよいかと思います。 


そのほうがお徳を受け取ることにも繋がるのでお勧めします。 



そうすると、お徳=恵みに感謝できるようになりますよ。 



特別なことをしなくても恵みをいただけて感謝を感じるようになりますよ。 



それは、日々の心がけですね。 



自分がどうしたらよいかわからない、どう生きたらよいかわからないと言われる方は、善行をされていないからではないでしょうか? 




今からでも、遅くないですよ。ぜひ、お勧めします。

奉仕と徳積みは違います。 


奉仕とは社会や他人のため、神仏・師・主君などに,利害を離れて尽くすこと。


また、徳積みというのは、善行のことです。 



誰かに尽くすことは奉仕ですが善い行いは善行であり徳積みなのです。



この徳積み(善行)ですが奉仕が出来ても善行ができない人がいらっしゃいます。 


なぜなら、善行は品性や人格が備わっているからこそだからですね。 


奉仕ばかりに目が向いていても善行ができないココロモチでいることは、その人のためになっているとは言いがたいです。 


自分が満たされていないのに奉仕はできない、まずは自分が満たされてからだとわたしは常々申しておりますが、善行は別ですね。 


どんな状態でも気持ちさえあれば善行はできるものです。 


社会のため他人のためにお尽くしできなくても、道端に落ちてるゴミを拾うことや重い荷物を持ってあげることや道を譲ることはできると思います。 


まずはそんな善行ができれば善いのです。 









人のためになりたい


って

使命じゃなくて一種の拘りなんですよ。



人のためになることって



なりたい!


と 思ってなることではなくて



身体が動くことなんです。



困ってる人を見かけたら、声をかける。


ただ それだけのことです。



大義名分をつけなきゃできないことではないのです。



難しく、考えなくても いいのです。



いくら 資格を取って 何かの職業についたとしても
仕事ではできるけど
プライベートでは できない、やらない では

人のためになることをしていないということです。




わたしは 道を歩くときは お年寄りと 歩幅を合わせながら歩きます。

車イスの人には 隣に寄り添います。

子供がいたら 常に、行動を見ながら 動きます。



身体がそう動くのです。

車を運転している時でも 子供がいたら しっかり減速するか 止まります。

そういうことが大切なのです。



わたしの友人で 人に親切にしたら、

よく見られたいの?

と 言われて、悔しかったと言っていましたが



悔しいとわたしに愚痴る前に、 言ってきた人に当たり前のことだと言えないあなたが悪い と伝えました。


言い分けしない。


自分の軸を持っていたら、たしなめることはできるはずです。





だから

まあ わたしは

ヒーリングもエネルギーも興味はなくなりましたが


必要な時は させていただきます。



勝手に、身体が動くから〜



ヒーリングじゃなくても なんでもやります。

うちの娘が 海外へ一週間、孤児院に住み込みボランティアに行ってきました。


娘は 今どきの娘ですので おしゃれもメークも一生懸命です。

そんな娘が 住み込みボランティアに行く!というのを 周りの知人は厳めしそうにみていたらしいです。


行く前には、100均でオモチャみたいなものを買い、 持っていきました。


そして 現地では 100名以上居る孤児院で 一週間で半分以上の子供たちの名前を覚えて
楽しく、仲良く、過ごしてきたようです。


帰ってきた当日は、39度以上の熱を出しましたが 元気です。(わたしのおててで一気に熱は下げました^^下げすぎて、気味が悪いf^_^;)


帰ってきてからは、孤児院の子供たちとFBでやり取りを始めています。。。



わたしは 一言、娘に忠告しました。



帰ってきて、仲良くなって FBでやり取りすることは 悪いとは言わないけど、続けられるの?と。。。



娘はボランティアする側の人間です。


自分が楽しかった、仲良しになったからと FBでのやり取りをするのはいいですが
相手は 子供、ボランティアされる側の人間です。
彼等たちの気持ちを考えたら 簡単に、仲良くなったからとFBでのやり取りをすることは いいとは思えないです。

最初は離れて寂しいと言われてやり取りをしても
自分のこれからの忙しさにかまけて やり取りができなくなるかもしれない。
そしたら よけいに相手を悲しませることになるんだよと。。。


相手は待つ。

寂しい、寂しいと言われた時に すぐに抱きしめてあげられるならいい。

でも 学生でまだ、親がかりの分際でできるのかとも 話をしました。



ボランティアをするって難しいことなんです。




また、ボランティアする人は 往々にして 自分の満たされない想いを埋めるために、する方が多いです。。。


うちの娘みたいに 全部が全部、満たされているような人間が行くのは 珍しいと思います。

だから 周りの知人らは厳めしそうにみていたのです。


こんな言い方はよくないかもしれないけど


子供は見抜きます。


だから、うちの娘には 皆が寄るのです。。。

内側に邪気がないから。。。

だから、好かれる。



だけど ボランティアで行った中では 浮いていたと思います。




実際は、娘のような邪気のない人間が ボランティアは向くのだと思います。


わたしがよく言う、トイレガマンしてオンブできないよね。。です。



ボランティア、奉仕をするって


自分の最大限の力を発揮できないと、相手には失礼になるんじゃないかと思います。



だから、わたしは 娘を行かせたんですけどね。


100%出し切ったから、家に帰ってきてから高熱出した。

でも、わたしがいるから、ケロッと直って、またまた跳び跳ねています。


カエルの子はカエルだわ〜

みんな、みんな 世界平和に向かってる。


あんなこと、こんなこと 思い付いたことやってると それは 地球に貢献することに繋がる。


人に負の感情を持って、相手に攻撃したとする。

でも 結果、それが地球に貢献することに繋がるんだ。

そういう時は いくら内観浄化繰り返したって なかなか取れない。

まだまだ、その感情が必要だからあるってだけなんだ。

それを 鏡の法則を使って、向き合ったとしても 必要な時にしか外れないんだ。



外しても、外しても つけられる感情ってあるよ♪


あんなに頑張って外したのに〜って 思うときあるよ^^


それは すべて この宇宙の采配なんだ。



それだからと言って それを逆手に取って やりたい放題でいたら まあ。。。天罰は下ります。



意識は、高く持ち
乗り越えようと努力すること。


それだけあれば、大丈夫だよ♪



なんとかなるなる^^



無理して、感情を取ろうとは思わないことだね♪

剥がれかけのだけ、取っていけば大丈夫だよん♪

自分の心の中に

こだわり、トラウマ、闇

があるうちは

相手を思いやるよりも自分を思いやることを重要視してもいいけれど

心の中のこだわり、トラウマ、闇

がなくなったときには

相手優先で大切にするべきなんです。
それが、上にいる者の務めなのです。

なぜならば
もう心に障りがないからです。

相手に対して、自分の心に障り、引っ掛かりがない状態だから

相手と自分を区別することなく接することができるのです。

そのような状態になったときには

自分を優先するという行動はやめて

相手と自分の両方を思いやる行動をしていくのです。

それが 愛の実践になるのです。

わたしは『他者への奉仕は余録でいいのです』と書くのは、
自他の区別がまだあるうちは。。。という条件があるのです。

だから
自他の区別がなくなったときには

自分だけを大切にするという行為はやめて
自他共に大切にしていく、行為をしていく。。。

他者への奉仕のパーセンテージが高くなれば高くなるほど、周波数は上がります。

ライトワーカーは 地球の次元上昇とともに 周波数を上げていくのです。

自分がライトワーカーだと思うなら、実践してくださいね〜♪

周波数が上がっていても、我が道を行く という方もいらっしゃいますので たぶん そのような方は、地球に見学にしにきているだけなのかもしれません〜



追記


自他の区別があるから、奉仕をしている感があるんですね。

自他の区別がないから、ただ 楽しんでるだけ、ただ 光ってるだけで なぜか、目の前の人も笑顔になってる。。。


愛の実践って仲良くするってことだね

今、自分の目の前に起きている現実と向き合うことが、地球に貢献するということなのです。


自分がもし、ライトワーカーだと思うなら

地球に貢献したいと願うなら


自分の足元を見てください。

自分の足元はぐらついていませんか?


足元を万全に固めましょう〜

人は 母性本能というものが備わっています。


そのため、相手に尽くしたい、奉仕したい という気持ちがあります。

その気持ちで、相手に接すると 喜ばれます。
嬉しくなります。
もっともっと してあげたくなります。
自分が尽くすことにより 満たされます。
そして 自分の思い通りに相手を動かしたくなります。
コントロールです。

コントロールは簡単です。
相手の望むことをすればいいんですから。。。

これが、共依存であり、相手を子供扱いする結果になります。

女性は 母性本能が多いので 相手を甘やかせるのが得意です。

パートナーだったり、子供だったり

主導権は自分が持ち、采配をふるだけなんです。
すると、相手はかんたんに赤ちゃんになります。。。

赤ちゃんになり、創造できない人になります。

だって なんでも 言うことを叶えてくれるし、困ったことがあると 解決もしてくれちゃうんですから。。。


それが 現代の姿です。



本来の 母性本能の使い方は


相手を信じてあげることなんです。

頼ってきたときに 解決してあげるのではなく、最低限の癒しを与え あとは 相手の可能性を信じて 応援してあげることです。 立ち上がったときに 抱きしめてあげる。


それが 本来の母性本能です。



間違った使い方をしている人たちが多いです。

母性本能は 相手を癒すためだけで 自分を満たすものではないんです。

自分が満たされていない何かがあるから
自分が満たされるまで 与えてしまうんです。



ありがとうという言葉が欲しいから頑張る

のではないんです。


何も求めない愛が本来の母性本能なのです。


この話は、少し難しいかもしれません。


とにかく、相手を信頼して 接すること。


頼られたときは 自分が満たされるまで 甘えさせないこと。


それが できたとき

母性本能は発揮するでしょう〜



愛は、ただ、ただ、湧き上がるものなのです。

目に見えた奉仕をしていないと 奉仕じゃないと 考える方がいらっしゃいます。

そして、善悪で判断する。


ちっちゃいな〜



と 思います^^





物事を深く考えれば、わかることです。

短絡的な思考と言いますか。。。


悪いと言っているわけではないですが、、、(笑)



あれこれ書いてる暇あるなら、人を救えよ!


ってエネルギーが飛んできたから、書いてます。

なんていったらいいかわかりません。
あれこれ 書けない(>_<)


いやあ〜 人間って おもしろいなあ。。。

こういう ココロモチにならないうちは

自分優先で 他者への奉仕は 考えなくてもいいんだと思う。



自分がいっぱいいっぱいで
他者に愛を注ごうとしても 無理だと思うんだよ。

他者に対して 見返りを求めない ココロモチにならない限りは ストレスはつきものだと思うんだ。


相手から認められたい、頼られたいという気持ちからの 他者への奉仕もあるけれど

続かない。



続けることをしないと 相手に失礼だ。


他者への奉仕は 相手からしたら 期待するから。


期待されたら また しようと思う。

それが 続くと

しなければいけないに変わり、ストレスを感じる。。。


ストレスを感じたら やめたくなる。


そこで やめたら ガッカリされるんだ。




だから わたしは 他者への奉仕は 余録でいいと 以前にも 書いたんだ。



賛否両論あると思うけど、



とりあえず

わたしは 今の魂フリフリ状態を楽しもうと思います♪♪♪



やっと 戻った。

ばんざ〜い\(^-^)/




わたくしは こうでなくっちゃ 始まらない(^_-)-☆

このページのトップヘ