この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

カテゴリ: 認める、肯定する

短所の細分化


ありのままの自分を知るって。。。


できますか?


ありのままの自分って どうやったらわかることができるのかしら?



学生の頃、「自分の長所と短所を書き出してみてください」って言われませんでしたか?

長所と短所を書き出して 長所を伸ばすって〜

長所だから、できることで ほかっておいてもできることですね。

短所って 苦手なことで、自分でできないってことですね〜

じゃあ その苦手なことを細分化してみます。

まったく、苦手。
〜までならできる。
教えてもらえばできる、やりたい。 やりたくない。 など

分けてみると、わかるのですが

〜までならできるとか教えてもらったらできる、やりたい。

と いうのは、 短所でないことがわかります。


ただ、制限があるってだけで できることです。

こうやって、
自分の長所と短所を書き出して、また 細分化していくと 自分のことがわかってきますよ〜


そうやって 細かく、自分を知っていくことが ありのままの自分、本当の自分に行きつくことに繋がります。



価値:かち [価値]物事や行動がどれくらい有用であるかという程度。値打ち。


価値観:かちかん [価値観]物事を評価し,行動を決定するときの基準になる,何にどのような価値を認めるかという個人個人の判断。



****************** 



わたしは今まで、自己価値、相手の価値の話しをしているのであり 価値観の話しをしているのではありません。 



価値とは値打ち。 

自分の値打ち、相手の値打ち。 

誰もが価値在る存在だということは、個人個人の判断によるものではなくて、誰もが値打ちがあるんだよということです。



一方 価値観とは、何にどのような価値を認めるかという個人個人の判断でなのです。 


自分と相手の価値観の相違を認めることは自分にも相手にも価値在る前提で個人個人による判断を認め合いましょうということです。 



今まで、価値在る前提で相手個人の判断を認めてきているならば、自分の価値についても理解出来ているのですから、自分を卑下することも相手を侮辱することもないはずなのです。 



自己価値の低い状態で相手の価値観を認めてきたと言われても、それは勘違いか虚偽としか思えないものです。 


違いを認めるということは、まずは自分が価値在る存在だと認めてからでないと出来ないことなのですから。 



「お互いの価値観を認めましょう」
というのは、 
『互いを価値在る存在だと認めましょう』 
ということなのです。 




認めるためには、自分を価値在る存在だと自覚することです。 




あなたは、ご自身を価値在る存在だと自覚されていますか? 


認める、肯定する、認識する

って 感情抜きで、そのものをありのままに見ることなのです。


感情抜き。。デス。


感情抜き

ですから

その対象物に対して、嫌だなあ 苦手だなあ 好き 嫌い 辛い等 の感情は発生しないので

心は楽です。


個性を認めるって

その対象物を感情抜きで認識することなのです。



それはそれで、いいとは思いますよ♪


感情抜きですから


楽しいとも思います。



だけど、認めているだけじゃ発展性がない。


認められたら嬉しいと思います。

だけど、認められて肯定されたら、そこに留まってしまう。


自分はこれでいいんだ、このままでいいんだ と思い、成長を止めてしまう。


変化しよう!成長しよう!と思わなくなる。



それが

『個性を認める』ことの落とし穴だと思うのです。



感情抜きで相手のありのままを認めることは大切だと思うけれど、それ以上に大切なことは


『受け入れること』

『成長すること』

『成長を願うこと』

『変化を怖れないこと』




魂は成長したいのです。
魂は変化を起こしたいのです。




だから、魂の能力を落として、自分が何者であるかという記憶をなくして生まれてくるのです。



人は変われるんだ!


出来ないが出来るに変わる時、人は幸せを感じる。

こんな自分で居たくない!
こんな自分で居たら生んでくれた両親に申し訳ない!


と意識を高くもって生きること。



これは、こんな自分を否定することではないのです。



こんな自分を越えること、すなわち こんな自分を受け入れてこそなのです。


どんな自分でも誇らしくしていれば、自ずとステージが上がるのです。


誇らしくするとは そのままの自分を肯定し、受け入れのみ込むことです。


丸ごと愛するのです。


丸ごと大好きな状態です。

だから、その状態でいても自分を嫌いません。


でも それは、結局 本当の自分ではないから、本当の自分に戻るのです。


本当の自分とは、感謝している自分です。


だけど 何らかの原因で感謝できない状態に陥ってるだけなのです。


本当の自分を生きていないと居心地が悪いでしょ。


だから、本当の自分に戻るだけなのです。





だけど 人によっては、それをわからなくて
苦しんでいる状態を見て、慰めたり同調、共感したりします。


同調、共感することは一見、良いことのように思われますが意識的には、そこに留まらせるだけなので、意識をそこに定着させてしまい、向上させません。


苦しいままです。


だから、わたしはあまり共感はしないのです。




わかるわ、わかるわ〜と言っていても、人は成長しないから。



だから、共感してほしい人はわたしから去っていきます。


共感することと癒されることは違うのよ♪




共感されても人はスッキリしないものです。


よけいに、苦しくなるだけです。


人と違うっていう想いがある人は 傷つきやすいよね。。。


自分の常識では考えられないことを人から言われてしまうから


恥ずかしかったり、落ち込んだり、自己否定したり してしまう。


でも それは、仕方がないことなんだ。

だって、そうやって生まれてきたのだから。



子供が そういう子供の場合には 親がしっかり教えてあげることが必要なんです。


でも そのまま 、大人になってしまったなら。。。



人と自分は違うんだ!!!

っと素直に認めてください。



どうして 自分は人と違うかといったら



宇宙人の意識のまま、生まれてきてしまったから。。。

人間は言葉でコミュニケーションを取りますが 宇宙人はテレパシーでコミュニケーションを取ります。

だから 言葉がうまくないです。

それに 潜在意識では 自分は愛の存在だとわかっているため わざわざ、愛を言葉に変換しません。

でも この地球の人々は 言葉を使いなさい!と教育と称して、押し付けてきます。。。

言葉が苦手なのに、なかなか使えないですよ。

無理難題を言ってきます。

無理難題を言われると、自分は傷ついちゃうんだよね。

わかるよ〜
わかるよ〜

だけどね、無理難題を言われて 自分を無用に傷つけてしまうことは 自分にとっては マイナスなことに繋がるんです。


だからね

そんな時は

ごめんねって謝るんだよ。

できなくてごめんねって謝ってしまうことが 自分を守ることなんです。

そして、自分を守るために 言葉を学ぶんですよ。

傷つけられないために 言葉を学ぶんですよ♪



そうしたら うまく、仲良くできるようになりますよ。



できないから、仕方がない!!って居直ってはいけないよ。

相手も怒るし、自分も傷付くよ。


努力してみてね♪




もともとは 愛なんだから 出来るよ♪

ムリによく見せようと頑張らず、ありのままの自分でいる勇気を持とう


人間は不完全だからこそ、何度も転生して学ぶのです。

すべてを学び終えてしまった人は、魂の世界へ戻ってしまうので、完璧な人間なんていません。

今生きている私たちは皆、まだ学んでいる最中なのですから、『できない』自分を責めたり、『できる』そぶりをするのをやめましょう。

大切なのは、自分にうそをついたりごまかしたりせずに、より完全に近付こうと、歩み続けることなのです。

まずは、自分のコンプレックスを否定せず、堂々と認め、ありのままの自分をまるごと受け入れることからはじめましょう。

ありのままの自分を見せたところで何になる?


何のために見せる必要があるのか?


認めるためなら、自分だけがわかっていればいいじゃないか?


他者に認めさせる必要があるのだろうか?


それをして、自分が気持ちがいいか?

それをして、相手が気持ちがいいか?

その人の立場になってみればわかること。




ありのままの自分を大切にするということは、
ありのままの自分を見せることではなくて
自分だけでわかっているだけでいいんだね。


ありのままの自分をわかっていようがいまいが、相手にとっては関係のないことなんだ。


自分のためのことだから。。。



自分や仲間で楽しんでいる分にはいいけど、まったく関係ない人からしたら それはいい迷惑なことかもしれないね。

ありのままの自分を知ることは大切だけど


ありのままの自分を見せることは

ありのままの自分を大切にすることではないと思う。



わざわざ、見せる必要はない。

自分だけがわかっていればいい。。。

このページのトップヘ